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NARUTO-ナルト- 621:柱間とマダラ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ13号) その1

NARUTO 621:柱間とマダラ その1

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「次こそ向こう岸に・・・」
 
「今・・・この時点では水切りのライバルってとこか・・・」
「オレは届いたけど」
 
何でも出来そうなエリート坊ちゃん風のチビ柱間と、サスケそっくりなちびマダラ・・・
 
「水切り(石投げ)」のライバルだったなんて、最初は可愛らしい「闘い」だったんですねぇ。だけどもうこの時から、2人の性格、歩む道、考え方の違いってのは出ていたような気もします。
・・・にしても、小さい時ってのは、誰でも可愛いなぁ。
 
さて・・・先週に引き続き、柱間による《終末の谷の戦い》の回想ですが。
 
終末の谷の戦いのスケールの大きさは、想像以上でした。今回こそ、マダラが言っていた《オレ一人分なら地図を描き直す範囲が狭くて済みそうだ》の意味が実感できたってばよ・・・だって、背景画がもう『地図』になってるし、海だって水溜りに見えちゃうレベル。これじゃあマダラさんが今の五影達を見て物足りなく思うのも、仕方ないのかもしれない・・。  
 
まずは・・・九尾×須佐能乎VS柱間の木遁・榜排(ぼうび)の術
 
「ぬ!!」 
(尾獣に須佐能乎を鎧として着させるとはの)  (柱間)
 
いつか、もしナルトとサスケが共闘したら、九喇嘛(あるいは尾獣達)とサスケの須佐能乎(器)が合体して、「眼と獣」の合体型が完成するんじゃないかと思ってたんですが・・・実際にマダラは実践していたとは! なんだか狐っぽい体型の天狗というか、ちょっと怪獣みたいになっちゃってはいますが。 
でも、最近はなぜか人間っぽい体型になりつつある(ような気がする)九喇嘛なので、今の九喇嘛が須佐能乎を着た場合、かなり人の姿に近くなるんじゃないだろうか。 
そして、より人間に近い姿と思われる『十尾の完全体』が須佐能乎を着た場合、その姿は「十尾の本来の姿=神の姿」になるんじゃないだろうか・・とも思ったりで。
 
49巻でトビが「オレがナルトとサスケをぶつける」と言っていた時、その目的を「完全体になる事」だとも言っていましたよね。あの時のオビトは「十尾の発言を代行していた」と思うんですが、十尾はナルトとサスケをぶつけ「合わせる」ことで、本来の自分の姿を取り戻すことを考えているんじゃないか・・と思うんです。 本来、《(須佐能乎)と(尾獣)》は一つになるべきモノだと思うのですが、ナルトが持つ尾獣チャクラと、サスケの須佐能乎がつながった時、《眼と獣の完全体》、つまり十尾=神は本来の姿を取り戻せるんじゃないだろうか。 

マダラと柱間は「最初に運命に選ばれた2人」だったわけで、マダラは永遠の万華鏡という究極の瞳力を得て、柱間は究極の仙人の肉体を得て・・・あと少しで2人は「到達」出来たんじゃないだろうか、だけど出来なかった。 だからオビトは、ナルトとサスケを『次の運命に選ばれた2人』として長~い時間をかけて準備していたんじゃないかと思うんですよね・・・うちはと千手の争いに終止符を打ち、六道仙人の封印を解く役割を果たす2人として育てる為に。
 
そしてちょっと気になったのは、柱間が九尾の事を「尾獣」と言ったこと。九尾じゃなくて、尾獣と・・・。
確かに、柱間にとって「九尾」は尾獣の一つでしかないのかもしれません。 でも、うちはの瞳術は本来九尾をコントロールするために存在すると言われるし、うちはにとっての「九尾」は特別なモノ。 そのあたりにも柱間とマダラの間に小さな認識のズレはあったんじゃないだろうか。
 
576話で、マダラは「柱間が4つの大きな巻物と共に立っている姿」を思い浮かべていますが、柱間はあの大きな巻物に捕獲した尾獣達を封印していたんじゃないかと思うんです。 今回の回想でも、柱間は大きな巻物を背負っていますが、これも43巻の終末の谷の戦いの絵を見ると九尾を封印するためのモノだったようだし・・ 柱間は尾獣を集めて、それらを各里に分配してパワーバランスをとろうとしたらしいですが、マダラは柱間のそういう尾獣の扱い方にかなり不満があったんじゃないだろうか。 
 
そしてマダラの須佐能乎×九尾に対抗した柱間の「木遁・榜排(ぼうび)の術」ですが、「榜排」とは千手観音の持ち物の一つであり、獣の難を避けられるとする龍の顔をした盾らしいです(諸説あるようですが)。 この調子だと柱間の木遁のバリエーションは、それこそ「千手」ほどありそうですな・・。
柱間は木遁・皆布袋(ほてい)の術で須佐能乎の剣を防ごうとし、マダラは須佐能乎で回転斬りして周囲の山々をド派手に輪切りにし・・・さらに尾獣玉に剣を刺して手裏剣のように飛ばし、柱間は口寄せ・五重羅生門で防いで軌道を変える・・・
 
柱間の「五重羅生門」。
 
「口寄せ・羅生門(一門のみ)」といえば、過去に左近・右近が使ってましたが、これ・・・かなりチャクラを消費するらしいんですよね。彼らは呪印(つまり仙術チャクラ)を扱えたからこそ可能だったのかもしれません。 
そして33巻では、大蛇丸が九尾化したナルトと戦って「三重羅生門を口寄せしてますが、あの時のオロちゃんは忍術は使えなかったハズなので、自然エネルギーの力を利用していたのかと思ってるのですが・・あの頃のオロちゃんは、もうすぐサスケの体に転生できるとwktkだった頃なんですよね。
で、大蛇丸がサスケの体を狙っていた理由は「眼」のためだけでなく、「完璧な仙人の体」になる為でもあった・・・つまり、サスケは仙人の体としても最適な「器」だと大蛇丸は判断していたんだと思います。サスケは呪印にも適合したし、自然エネルギーを利用した「麒麟」も使いこなしたし。 
だからオロちゃんはあの時、九尾化ナルトを相手しながら、《かつて終末の谷で九尾相手に戦った仙人・柱間》と自分を重ね、自分が高みに近づいていることを実感して遊んでいたんだろうと思います。 
あの時の大蛇丸、子供みたいにはしゃいで楽しそうでしたから十尾玉を飛ばして遊んでいた、どこかの爺ちゃんと同じだな・・)。

ちなみに、この前なにげに「白ゼツ=柱間細胞」を摂り込んでいた重吾ですが、彼は柱間細胞の効果で仙術チャクラを上手くコントロールできるようになったりするんだろうか。もう、暴走しないですむ・・とか。
「五重羅生門」を容易く出してしまう柱間、やはりその力はハンパない・・・。
 
で・・・・ここまで柱間とマダラの2人は、「闘い」を楽しんでいるようにさえ見えるんです。
 
(マダラめ・・・ 考えよる!!)
 
「ちょこまかと逃げるだけか 柱間」
「これでもうつかむのは無理だぞ! どうする!?」
 
「向こうの陸まで・・・」
 
「柱間・・・お前と本気でやるのは久しいからな・・・  昔とは違うのが分かったろ・・・」
 
お互いに認め合ったライバル同士として、次はどんな手を出してくるのか期待しながら「闘ってる」。 2人とも子供の頃に戻ったみたいに・・・というのかな。 だけど、柱間は陸地が破壊されるのを避ける為に海辺へ移動して気を遣ってるのに、マダラは全くお構いなし。 次第に柱間も「闘う」モードから「戦う」モードへ転換していくんですが、ここで彼らの「埋められないギャップ」がまた、見えてくる・・・
 
「・・・今までの事を・・・ オレ達の努力を・・・ 無駄にするのかマダラ!!」
「オレとお前が闘ったところで何も生まれん・・・」

「この戦いは・・・里と忍を傷付けるだけだ!」 
「オレ達の兄弟を・・・ 仲間を・・・ 侮辱するだけぞ!!」

 

「闘う」と「戦う」。 
 
「闘」と「戦」の違いについては以前何度か述べた事がありますが、ライバル勝負のようにお互い真剣に向き合うことは「戦う」ではなく「闘う」・・・つまり、この会話の前までは2人はまだ「闘い」のつもりだったのかもしれません。 
だけど、実際にマダラがやっている事は、平気で里と忍を傷付ける破壊であり、これじゃあ「傷つけあう事を目的とするたたかい=戦い」でしかない、と柱間は言ってるんだと思うんです。
終末の谷のたたかいが「闘い」ではなく「戦い」と呼ばれるのは、結局双方傷を負う、虚しい傷付け合い(戦い)に終わってしまったからなんだろうなぁ・・。
 
そして柱間が「オレ達の兄弟」と言った部分、これは里全体を家族と考える柱間なら「兄弟=里の人達」と言ったとも受け取れるし、あるいは彼らの兄弟(イズナ、扉間)の事を具体的に指してるとも考えられます。 そして柱間は、イズナのことも《自分の弟同然》と考えてるんじゃないだろうか。 
 
マダラの弟イズナの犠牲があってこそ、「今の平和、今の里」がある・・・柱間にとって「今の里」を守ることは、「かつてのイズナの意志」を守る事でもある・・・そして「今の里」を守ることは、柱間にとって引き継がれ繋がれてきた「今までのモノ」を大切にするという意味でもある。
 
だけど、マダラにとって大切な守るべきもんは里より「愛する弟イズナ」であり、そして「大切な一族」なのかもしれません。 「今の里」は、うちはの主権がうばわれたモノであって、「これから先」を見ているマダラにとって「この先」は、イズナの意志を大切にしたものとは到底思えない・・・
特に、柱間やマダラが亡き後のうちはは、どうなってしまうのか・・・愛情の深いマダラだからこそ、「今=自分たちが居る時代」だけが良ければいい、という訳にはいかなかったと思うんです。
 
柱間は「今まで」にこだわり、マダラは「これから先」にこだわる・・・・

 
「・・・・・・」
「お前に・・・」
「オレの・・・」
 

 
ここで、マダラがせっかく(珍しく)自分の《想い》を語ろうとしてたのに・・・柱間は最後まで聞かないで話し始めちゃって遮ってるんですよね・・・というか、聞くつもりも無さそうだった。 
 
柱間は、マダラを「止めねば」という自分の必死な思いでいっぱいで、マダラの「本当の想い」を理解しようなんて余裕は無かったのかもしれないけど、最後まで聞いていたら、ちょっとはマダラの想いを「知ろう」と思えたかもしれないのに。この「途切れた会話」、残念すぎる・・・ 
 
「・・・オレはお前を殺したくない・・・!」
 
「・・・それはオレをいつでも殺せるってことか?」
 
・・・これってば、どっかで聞いたことがある・・・そうです、51巻のカカシとサスケのやり取りとほぼ同じなんです。
 
「お前を殺したくはない・・・」 
「オレをいつでも殺せるみたいな言い方だな!!」 (483話、鉄の国境で)。
 
あの時のカカシは、サスケの気持ちを理解しようとは全然していなかった・・サスケを「立派な忍であり本当は優しい子」だと信じていたから、師としてできる事は「理解」ではなく「止めてやる(殺してでも止める)」ことだと思いこんでいたと思うんです。 そのすぐ直前に、オビトから「師として友としてサスケの気持ちが分かってない」と忠告されていたのに(ナルトはそれで考えを変えたけど)カカシは考えを変えなかった・・・・この時の柱間と同じだったんです(そして、今もカカシは・・・)。
 
柱間も、マダラを「愛情深い奴」と分かってるし、誰よりもマダラを認めているからこそ、友の務めとして「止めようとする」。
なんだかなぁ・・・《柱間とマダラ》は、カカシとサスケ、カカシとオビト、ナルトとサスケ、自来也大蛇丸の姿と言葉に、重なるなぁ。
 
「違う!! オレ達は友だと・・・」

 
「オレはもう・・・」
「届いたのさ!!」
 
今度は、マダラが柱間の言葉を遮る・・・
 
さて、この「オレはもう・・・届いたのさ!!」。
「届いた」とは、かつて「水切り」も上手く出来なかったマダラが、「あっちの陸地まで尾獣玉を水切りで飛ばして見せて」、オレももう負けていないんだと・・「届いた」、つまりお前には負けないという「宣戦」にも聞こえるんです。柱間は、マダラの「本気の宣戦」に、しかたなく「戦う」覚悟を決めたらしいですが・・・今回は『柱間による回想』ですから、結局マダラの心の中は分からないままだけど・・・
 
この時のマダラの心境は、ホントは・・・・どうだったんだろう?
 

「・・・仕方ない・・・」

「仙法・・・ 木遁・・・」

「真数千手!!!」
 
 
(その2へ続きます、すみません)
 
 

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