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NARUTO-ナルト- 621:柱間とマダラ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ13号) その2

NARUTO 621:柱間とマダラ その2

 
(その1の続きです)

柱間の仙術、真数千手・・この千手観音の絵、すごい迫力ですね・・流石は岸本先生。
真数とは、この場合「本当に千手ある」という意味なのでしょうけど、それにしても・・この千手観音、巨大すぎ!九喇嘛でさえ豆粒のように小さく見える・・・十尾レベルの大きさでしょうか。 
 
柱間は千手観音で友を救いたかったんだろうか。柱間はマダラの「本当の想い」までは分からなくても、友が「弟への愛」のために戦おうとしているのだと考え、その決意の重さは感じ取っていたと思うんです。全力で応じて止めることが、友情なのだと・・
 
イメージ 1

「・・・行くぞマダラ!!」
「来い柱間!!」
 
 
さて柱間の仙人モード、ついに初公開ですね・・!額には印が出来、さらに眼も同じような模様になっている。
 
模様としては、ナルトの尾獣モードに浮かび出てくる「うずまき封印が解された状態」の模様にも似ているし、実はサクラの「春野一族」の家紋とも同じ模様だったりするのが、ちょいと気になるところ・・・
で、今回気になったのは「柱間の◎眼」です。
 
「眼」はチャクラの影響が最も表れやすい場所だという話を以前いたしましたが(写輪眼もそうですが)、柱間の眼の変化は、柱間が摂り込んだ自然エネルギーの質を表すモノだと思うんです。 今まで登場した『仙人モードの眼の変化』と言えば、ナルトと自来也「カエル眼」、大蛇丸とカブトの「蛇眼」ですが、柱間の眼はまた別種。 千手観音の影響かもしれないけど、模様としては『鷹の眼』にも見える・・。
 
鷹の眼と言えば、サスケは将来的に輪廻眼ではなく「鷹の眼」になるんじゃないかと以前考えていたんです(参考までに:過去記事「サスケは完全脱皮して「鷹の眼」になれるだろうか?」)。 41巻で、オビトが「(サスケは)蛇のままか鷹になるか」と言っていたのも気になるし、サスケの口寄せが「鷹」であるのも気になっていて・・。イタチの眼を得て「永遠の万華鏡」になったサスケの眼に更に変化が生じるかは疑問ですが、619、620話で描かれていたサスケの万華鏡写輪眼から「イタチ模様」が消えていたのは・・・ただの描き忘れなんだろうか(はて)。
 
だけど・・・柱間はどこで修行をしたんでしょうね。綱手の口寄せが蛞蝓であることを考えると、千手一族は湿骨林で仙人修業をしていたんじゃないかとも思っていましたが、う~ん・・・柱間の眼はナメクジ眼には見えないってばよ(って、蛞蝓の眼ってどんななの?) 
でも、意外とサスケは柱間に教えられて、いずれ柱間と同じ仙人モードを手に入れる可能性もあるんじゃないか・・なんて思ったりもします。 私としては、出来れば柱間はサスケに想いを託し、マダラはナルトに想いを託してほしい・・なんて思っているんですがね。
 
 
(そして、柱間の記憶は・・・幼い頃、マダラと最初に出会った、あの日へ)
 

「次こそ向こう岸に・・・」 (ちびマダラ)

マダラ、この頃から「石を投げる」のが好きだったんですね。そして・・・遠くまで飛ばしたかった。
オオノキじゃないけど、マダラにとっても「石」は意志、己の夢だったんだろうか。
そしてマダラって人は、爺ちゃんになっても子供の頃みたいに「まだ叶えられない夢を、追いかけ続ける」のが好きな人なんじゃないだろうか。 マダラは、柱間との出会いをオビトに語った事があるんだろうか・・・・?この「水切り」のことも・・・
 
あっちの戦場で、マダラが十尾の尾獣玉を「使ってみたい」とか言い出した時、オビトが呆れたように「子供だな・・・」と言ってましたけど、オビトは分かってたんだと思うんです・・・マダラ爺ちゃんは子供の時みたいに「水切り」遊びをしたいんだ、と。 そして、十尾の尾獣玉を遠くまで飛ばして「届いた」と喜んでいたマダラさん・・・あれも「水切りがあっちの陸まで届いて上手くいった」みたいな気持ちだったんだろうなぁ・・・ 
もっとも、その爺ちゃんの「お遊び」のために、オビトは神威連発して、とんだ「尻拭い」をさせられる羽目になった・・と思ってますが。
 

「気持ち少し上に投げる感じ コツとしては・・・」 (チビ柱間)
 
「・・・・・」
「そんなこと・・ 分かってる」
「オレが本気出せば 届くさ・・・!」
 
「つーか てめェ誰だ?」
 
「・・・ ん~~~ ・・・」

「今・・・この時点では水切りのライバルってとこか・・・」
「オレは届いたけど」
 
2人ともめちゃくちゃ可愛いけど(笑)、この頃から、柱間はマダラの1つ先を行ってたんですね。彼らがまだ10歳以下の頃だろうから、今から100年ぐらい前ってことだろうか。

チビ柱間が、名前を訊ねられてすぐに名乗らなかったのは、すでに「うちは一族と千手一族の確執」も知ってたんだろうか。なんか年齢のわりに気を遣えるというか、頭の回転も早くて賢こそうなイメージです・・チビ柱間。そして「水切りのライバル」と答えたのは、マダラの事を早々に「ライバル認定した」つまり能力を認めたということになる。 誰よりもマダラを早く見抜いて、認めた人物が柱間だったということかな。 
で、柱間がマダラにアドバイスしちゃったのは、つい「親切心」からなんだろうけど、マダラがムッとするのも無理はないですね、コレ(笑)  
頑張って練習してるのに、分かってるけどできない事を他人から指摘されるほどムカツクことは無いですから。・・・こういうのって、何でも出来る天才には、意外と分からないのかもしれない・・・柱間には悪気は全然ないってのが、なんともねぇ・・・。

マダラだって勿論スゴい人だけど 彼の場合は努力型天才だと思うんです。 
今週も、柱間の術を見て「獣の難を喰らう・・木遁・榜排の術か」と知っていたり、六道仙人の事をあれだけ調べ上げたり、柱間の生命力を調べ上げたり・・かなりの勉強家で努力家なんですよね。 
水切りにしたって、どうやったら遠くまで届くか・・彼のことだから一生懸命研究して、試行錯誤してたに違いない(実際に、うまくやるには角度やスピード、回転、石の形等重要らしいし)。 それを、ささっと横から軽~く成功させられちゃあ、やってられないかも。ちょっとマダラがお気の毒(笑)。
 
それに「オレは届いたけど」の一言は、さらに柱間の罪なき「余計なひと言」でして・・・マダラの一生続くライバル心、嫉妬心はこの時からなんじゃないかと思います。そして、柱間の「マダラへの親切のつもりの、上から目線アドバイスはずっと続いていたのかもしれません。

そして、この時から既に2人の考えに『違い』があると思ったのは、マダラの《次こそ》と、柱間の《今この時点》。
 
マダラは「次こそ」と言い、いつも先を考えている子だった。 おそらく成功させれば、新たな「次」を見つけ、またチャレンジして《夢を現実にすること》に夢中になっていたんだろうと思うんです。 
「本当の勝者とは先を見据える者」 「終末の谷の戦いは、柱間の細胞を入手するための、先を見据えた計画だった」・・・そして長い時間をかけて計画した夢をかなえる「無限月読」・・これらの「先の事」がマダラの原動力でもある・・・・

だけど、柱間は《今この時点で》と言っていたり、《オレは届いたけど》と成果を誇りにしている・・・つまり柱間は、「今」と「今まで」を大切にしているんです。・・・で、この考え方は、柱間が大人になっても変わっていない。夢を追うより現実を大切にする・・ともいえるのかな。
今週の終末の谷の戦いの回想でも、柱間は何と言っていたか・・・・「今までの事を・・・ 無駄にするのか」。
 
柱間が大切にしているのは、今までのオレ達の努力、今までの仲間の想い、皆が作り上げてきたモノ。
たとえ痛みが伴っている「今」だとしても、それを大切に守る。 そしてその考えを色濃く引き継ぎ、さらに「守るために」強化したのが扉間であり、その後の木ノ葉隠れの里の方針になったんじゃないだろうか。

しかし620話で柱間は、戦場に行くこと「今」のためのこと)と ここでサスケと話すこと「未来」のためのこと)の選択を迫られ、「サスケ=未来」を優先する答えを出しており、たしかに穢土転柱間は、「今」ではなく「先」を見ているんです。穢土転柱間には「今」がよく把握できていないという事情もあるのでしょうが、柱間も一度死んで蘇ったことで、今なら「先を見据える事の大切さ、マダラが言っていたことの大切さ」も感じているのかもしれません・・・穢土転イタチが、生前の失敗を認めたように。
 
そしてその逆パターンも然りで、「先」ばかり心配して「今と今まで」を疎かにして、「今を一緒に生きてきた仲間」から離れ孤独になってしまったマダラ・・・彼は穢土転されたことで、「今」と「今までのつながり」を大切にする忍達の姿に教えられているのかもしれません。
やっと今、あっちの戦場でマダラは嬉しそうに、柔らかい表情を見せ始めてましたよね。 あんな穏やかな表情は、久しぶりなんじゃないだろうか・・・マダラさん。
だけど終末の谷の戦いの時点では、マダラは忍世界の未来に絶望し、諦め・・・無限月読による平和・愛だけの世界を造ろうと考えて、柱間の細胞を得る戦いを仕掛けていたんですよね(もっともマダラの想いと愛は、イズナの為だけじゃない・・全忍に向けられていたと思っていますが)。
 
終末の谷で、マダラの事を「友」と言った柱間に対して、マダラが遮るように答えた「オレはもう・・届いたのさ!!」。
 
マダラが柱間の言葉を遮ったのは、「友」という言葉に心が揺れそうだったからだろうか。

オレはもう「届いた」・・・つまり、それは既に「次」の計画を考えているのだという意味かもしれません。 もう過去に戻ることは無い・・・ただ先へ進むのみだ、という決意を告げる言葉。 
そして・・・あの「届いたのさ」は、柱間への想いでもあったんじゃないだろうか。 「友」だと言ってくれた柱間への、「オレも友だと思っている」という、返事でもあったんじゃないかと。

これってサスケと同じパターンなんですが、サスケも仲間に「本当の想い、感謝」を告げたい時にはストレートに表現することがなかなか出来ない。 そのかわり、サスケは最初に出会った時の言葉を大切にしていて、それを相手に告げることで《お前との出会いを忘れず大切にしているよ》って伝えてるんですよね。
たとえば里抜けの夜、サクラには「お前・・うざいよ」と第七班最初の日にサクラに言った言葉を(本当は覚えているよ)という意味で伝えてみたり、香燐にも出会いの言葉である「じゃあな」を別れの場面で言ってみたり。 そして・・・サスケはナルトにも言ってるんですよね、彼らの終末の谷の戦いの一番最初で。

「よう・・・ウスラトンカチ」

(25巻、218話・・・・終末の谷まで追ってきたナルトに、最初に言った言葉)。

「ウスラトンカチ」とは、アカデミー時代に2人が最初に組手で向き合った時に、ナルトがサスケに言った言葉だった(「来やがれ、ウスラトンカチ」・・・538話で)。 
サスケはその「出会いの言葉」を、終末の谷で『ナルトへの別れの言葉』として、言ってたんです。 なかなか本心を見せなかったサスケですが、あの「ウスラトンカチ」の言葉には、絆を大切にしているという友への「感謝」の気持ちと・・・それを断ち切る「別れ」の覚悟があったんだろうなと思っています。
 
だから・・・サスケ以上に素直に本心を表現できない、不器用この上ないマダラさんは「オレは届いたのさ」という言葉でもって、出会いを大切にしていると柱間に伝えたかったんじゃないだろうか。
そして断ち切り難い「因果」を断ち切り、柱間に「倒される」事も覚悟で、たった一人の道を行く覚悟を決めたんじゃないだろうか。
 
 
 
唯一マダラの事を「友」と言ってくれた柱間に、永遠の別れを告げて・・・
 
 
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
☆3/15、NARUTO名言集2巻が発売されるそうです。
 
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(ナルト好きブログ! 2013/02/25)