ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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居場所を失った「心」・・・本物と偽者について (サソリの場合)

居場所を失った「心」・・・本物と偽者について (サソリの場合) 

「たとえお前がどう言おうと オレにとってリンを守れなかったお前は偽者だ」
「リンはオレの中で死ぬべき人ではない… よって死んだリンは“偽者(本物じゃない者)”でしかない」
「リンは生きていてこそリンなのだ」
 
「こんな状況ばかりを作ってきた忍のシステム… 里… そしてその忍達…」
「オレが本当に絶望したのは この世界そのもの… この偽物の世界(本物じゃない世界)にだ」

「見てみろ!!オレの心には何もありゃしない!!痛みさえ感じやしない!!」
「後ろめたく思わなくていい カカシ」
「この風穴はこの地獄の世界に空けられたものだ!!」
 
629話最後のオビトのこれらの言葉。 何言ってんだ…?と思われた方も多かったんじゃないかと…(汗
 
あえて勝手に補足しちゃうならば、オビトは「自分達の事」を例に挙げながら、忍世界、全ての忍達が長い間抱えてきた問題をカカシに「提起」しているのだろうと考えてます。《オレが戦争を起こした理由がお前とリンの事だけだと思っているなら 見当違いもいいところだ》と言っていたように…「心の穴」の問題は、オビトやカカシ、リンだけの問題じゃあないのだと。 
 
オビトが言うところの「ニセモノの忍、ニセモノの世界」とは、「現実に居る忍、現実の忍世界」の事… 
 
オビトにとって現実の忍や忍世界は 《幻術で創られた忍・幻術で創られた世界以上にニセモノ》ってことなのだと思います。 どうしてかって言うと、「本来一番大切な、心を失くして(無くして)いるから」…心が無いものは、本物ではなく偽物だという意味なんだと思います。 
 
《その現実は幻かもしれない》…イタチのこの言葉も、《現実だと思っている今の世界は、心を無くした本物じゃない世界…「幻の世界」かもしれない》と言った意味が含まれているんじゃないかと…今週のオビトの言葉を見て、ふと思いました。 オビトが幻術で「空いた穴」をカカシに見せたのは、「今の忍達の心には、穴が空いてるんだ」と伝えたいからだと思うのです。
 
「冷たい風が吹き抜ける風穴」・・・それは、忍達が任務の為に「心を無くさせられてきた、感情を無くさせられてきた」為に出来てしまった「穴」。
 
この戦争で登場した「穢土転生の忍達」の多くは、現世に縛りがある人たち…つまり「身体から心が追い出され、どこかに置いてきちゃった」忍達でもあります。 でも彼らの中には、サソリやシン(サイの“兄”)、四代目風影(我愛羅父さま)のように「心」を自分の中に取り戻すことができた者たちもいましたよね。 特に開戦直後の55巻では、「心に穴が空いた忍達」の話が続いてるんです…この戦争が、「居場所を失った心」が「元の体」に戻っていく戦争であることを象徴するように。
(十尾に関してもそうなんじゃないかと思うんですよね… 「本来の体」を奪われ、今まで追い出され…居場所を失って、オビトの中に宿っていた「十尾の心」が 本来の体に戻っていったんじゃないかと)。
 
629話のオビトの解り難い言葉の「分かりやすい例」として、55巻の中から「例」をいくつかと思いますが、今回は「サソリ」について少々…。
 
サソリというと、三代目風影を暗殺して傀儡にしたり、数多くの「人傀儡」を作るなど「残酷」な一面を感じることもあるのですが、心根はやさしい人物で、サクラに大蛇丸の情報を与えたり 自分の傀儡を使っているカンクロウには止めを刺さなかったり、結局チヨを殺すことを ためらったりしてるんですよね。 
 
サソリは、身体は傀儡になっても「心」だけは本物であることに、こだわり続けた忍でもある…
 
デイダラには「だいたい あんなでかい弱点胸にくっつけてっからだ うん!」なんて揶揄されてましたが、「本物の心」はサソリの「弱点」でもあったんですよね、攻撃されやすいってだけじゃなく…「心」があるから動揺もするし、実際に大切な傀儡「父と母」を前に最後の一瞬、動けなくなってしまった。 「忍」としては、確かに「心」ってのは一瞬の迷いを生むし、それが命取りになったりもする。
 
でも、サソリ自身は「自分はとっくに心を無くしている」と思っていたようで、31巻275話…サソリは 今にも息絶えそうなチヨばあに かなり酷い言葉をかけていくのですが、怒るサクラに対して こんな事を言い放つ…
 
「この体は痛みすら感じない」
「オレは血の繋がったそのババアが死のうが 何も感じはしない」
「心も… この体と同じだ」
 
それを聞いたチヨは「こやつをこんな風にしてしまったのは ワシら砂隠れの悪しき風習と教えじゃ…」と言うんですね。 「こんな風」、つまり「心に痛みすら感じない」風にしてしまったのは、砂隠れの悪しき風習と教えのせいだとチヨは言っていた…。どうやら砂隠れにも「心を無くした者こそ 迷いのない“本物の忍”という教えがあったようで、悪しき風習とは おそらく“根”や血霧と同じで「親しい者同士で殺し合いをさせる」風習の事だと思うんです。 そうやって、サソリという忍も「心を無くすよう」に作られてきた…まさに「戦う道具」にされてきた。
 
だから、穢土転生されて奇襲部隊と戦った時、サソリは「心を無くしている“根”の忍達と自分は似ている」と言っていたんですね。
 
「心を無くせば迷いはない… それが本当の強い忍だ “根”のお前(サイの事)はオレに近い」 (55巻518話から)
 
それを聞いたカンクロウは、「……」と疑問を感じているんです。 
 
カンクロウには、サソリと言う忍が本当に「心を無くしている」ようには思えなかったらしい。 それはなぜなのか…? カンクロウは、チヨとサソリの最期の戦いを直接見たわけではないけれど、戦いで散乱したサソリやチヨの傀儡を回収した時に悟ったのだと思います、《サソリには「心」がある》ことに。
サソリの最期が「父と母の傀儡に“心”を預け、抱かれるように倒れていた」事から、サソリは最後まで「心を失わなかった」ことを カンクロウは知っていたのだと思うんです。
 
カンクロウは、サソリが造った傀儡「山椒魚、烏、黒蟻」を以前から愛用していたし、サソリの傀儡には「魂」が宿っていることを分かっていたハズです。 だから…カンクロウは疑問を持ったのだと思います、サソリが「オレは心が無い」と言った事に。
 
毒舌な言葉とは裏腹に、チヨばあを殺せなかったサソリ… 
チヨがサソリの為に転生忍術を開発して 己の命と引き換えに「父と母」を復活させようと考えてた事を知り、目を丸くして「くだらねェ」と言ったサソリ… 
 
「生前のサソリ」は、実は心を「無くした」と思ってただけで…本当は心をしっかり持った忍だった。
だからこそ、たとえサソリが“暁”の一員であろうと、抜け忍であろうと、三代目風影暗殺者であろうと、カンクロウはサソリを尊敬し 「蠍(サソリ)の傀儡」を大切に使っていたのだと思います、「そこに宿る魂(心)」を受け継ぎながら…
 
だから、サソリが「心が無いからオレは強かった、本当の忍だった」と言う言葉を、カンクロウは否定した。
 
「サソリ… アンタの強さはそこに魂があったからだ…  アンタはかつて人形になり魂を消そうとした(=心を無くそうとした)が 消しきれなかった」
「アンタの造った傀儡にこそ 朽ちる事のない魂が宿ってんのがオレには分かる」
 
「だが今のアンタは生身だが 本物の傀儡に成り下がった“ただの人形” (心が無い、魂が無い偽者)だ」
 
「アンタにも アンタを操ってる奴にも… こっちは意地でも負けらんねェー」
「同じサソリを操ってるなら “本物”(偽者じゃないサソリ=心を無くしていないサソリ)を操る傀儡忍者としてよ!」  ※括弧内は、勝手に補足。
 
カンクロウが言う「偽者のサソリ」とは 《操られ、心を無くしただの人形(道具)になってしまった「生身のサソリ」》。 穢土転生とは言え…「生きている」サソリの事を、カンクロウは「偽者」と言った。
 
そして「本物のサソリ」とは、《心(魂)を無くしていない傀儡のサソリ》のこと… 
傀儡人形なんだから「生きているわけじゃない」し、本来なら道具に過ぎないんだけど… 
ここにはサソリの魂が「居る」から、カンクロウは傀儡のサソリを「本物」と言った。
 
オビトが言っている「偽者のカカシと偽者のリン」とは、忍世界によって「心」をどこかに追い払われてしまったカカシとリン、ってことなんじゃないだろうか。 忍の世界では、しばしば忍達は「心を無くすことを強要されてしまう」…偽者にさせられてしまう。 
だけど、身体から追い出され 居場所を失った“心”は、本当に消えてしまう訳ではないんですよね。 どこか居場所を求め… どこかに、そして誰かの心に宿っていたりするのかな。
 
 
《穢土転生されたサソリは、カンクロウが受け継いでいた「自分の傀儡」に在った心を取戻し…
縛りから解放されて、幸せそうに微笑み、帰っていった…》
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2013/5/15)