ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 635:新しい風 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ30号) その2

NARUTO 635:新しい風 その2

(その1の続きです)

・「お互い様」精神が世界を救う。
 

相変わらず「ケンカばっかり」の水月と香燐を「・・・・・」と見ていたオロちゃん先生は、
 

「アナタ達… さっさとしなさい」
変なのはお互い様でしょ ケンカはよしなさい
「さもないと私の蛇で縛りあげ 口から入り込んで体を乗っ取るわよ」 
 
(ズズっと首を伸ばして「オバケ」状態になって襲うフリをする)
 

(アンタが一番変なんだよ!) (香燐)
(変体で変態なんだよ!!) (水月
 

変なオロちゃん先生・・・あるいは優しく恐いオロ母ちゃん、すっかり「面白い人」になっちゃってますけど(笑)
 
「ヘンなのはお互い様、ケンカはよしなさい」ってセリフを「全忍の前」で聞かせてやりたいものです。
 
忍なんて皆さん「お互い様にヘンでしょ」と思うんです。 互いに「守りたいもの」の為に、そして愛の為に闘ってるんだし、それなりに「汚い事」をやってきてるのもお互い様・・・だから「お互い様、ケンカはよしなさい」のオロひとことは「天からの一声」に感じられてしまうんです。 それこそ、十尾だって思ってるんじゃないだろうか・・・「ケンカばっかりしてるなら、アナタ達を吸い取ってオレと1つにしちゃうわよ」って(オネエじゃないだろうけど)。
「優劣関係」においてしか、己の立ち位置を決められなかった「今までの忍」にとって、「お互い様でしょ感覚」も、欠けていたモノの1つなんじゃないだろうか。
 

・一枚岩のチームワークとは。
 

綱手・・少しは私に感謝なさい」

・・・この言い方も、いかにも「大蛇丸らしい」(笑)  
これ、ホントだったら《もう大丈夫そうね、綱手ぐらいのニュアンスだと思うんですけど、それをオロ流に言うとこうなってしまう。 まったく彼も素直じゃないって言うか・・本来の「優しさ」を、捻くれた表現でしか示せない人なんですよね。 だから「相変わらず訳の分からん事を」なんて言われちゃうのでしょうが、でも綱手も分かってるとは思うんです・・・この「オロ流の優しさ表現」を(長い付き合いだから)。
 
「昔は自らが風となり風車を回したいと思っていたわ」
「でも今はいつ吹くかも分からない他の風を待つ楽しさも知れた・・・ その風を楽しむ前に密封されたくはないからね」

「人は…変わるものよ それか・・その前に死ぬかの2つ・・」
「彼(自来也)はそのままで逝っちゃったけど・・」

・・・やっぱりアンコの中で聞いていた「イタチの言葉」が、大蛇丸を「変えた」と言ってよさそうですね。
 
そして「自来也」と言わず「彼」と言ったり、それでも「逝っちゃったけど」という表現に、大蛇丸自身も「自来也とのことにちょっと後悔」があるのではないか・・と感じます。 「そのままで(逝っちゃった)」というのは、「何をするにも考えが足りない」 「バカにも程がある」まま逝っちゃった・・・という事でしょうか(いい意味でも、ちょっと皮肉な意味でも)。
 
27巻『第一部の最後』は、主要人物達が「第二部に向けての言葉」を発して締められていますが・・自来也は、大蛇丸を連れ戻せなかった「後悔」とナルトに見出した「可能性」で終わってます。 で、結局「大蛇丸」については後悔を残したまま「そのまま逝っちゃった」んで、未解決なんですよね(自来也は「あの世」で大蛇丸と会えると思ってたかもしれませんが、会えなかっただろうし)。  
今のところ、他の登場人物達については「第一部の締めの言葉が第二部の締めに繋がっていく」様子なので、その流れから考えれば「自来也再登場」もあるんかいな・・とちょっとだけ期待しちゃいますが「根拠は無いので」ここらで止めておくとしましょう・・;  

もし、もっと早く大蛇丸が変わってくれたら、自来也は死ななかったかも・・・という綱手の言葉に「それはそれで自来也が変わってしまったかも・・」と言った大蛇丸
 

『私たち三人がそうだったように 
物事はそう都合よくはいかないものよ・・・
一枚岩じゃいられない・・・
どこかに歪みができるものでしょ』
 

《一枚岩・・一枚続きの板のような裂け目の無い大岩》。 
 
「理想的なチームワークの喩え」によく使われる言葉ですが、この一枚岩こそ理想のチームワークという常識を「覆す必要性」が出てきたのではないか・・とも思うんです。
 
大蛇丸が言う通り、実際には「そう都合よくはいかない」事が多いもので、3人も揃えば1人は「違う考え方」をしたって当たり前・・・だけど「一枚岩」を理想とした場合《全員一致じゃないとダメ》ってことになるんです。 そこで使われるのが、ナルトも612話で「当然」のように言っていた「多数決」・・・つまり「数という力での強制」(いい方悪くすると・・だけど)。 だから大蛇丸やサスケ、抜け忍という「非協力的な異端者(裏切り者)」とか「少数派」は弾き出されたり、受け入れられなかったり、無理に従わされることになる(もしくは「排除、制裁」)。

でも、ここでこそ、イタチが言っていたあの言葉・・・
 
《何であれ一つとして一つで完璧なんてものは無いのかもしれない だからこそ違うモノが引き寄せられるように生まれ・・側で対を成して初めて良い方向へ近づけるのだと思う》
イザナギイザナミの術のように・・》
 
・・この考えが大切になってくるんじゃないだろうか。 
 
『本当のチームワーク』を考えるなら、全て一致団結する必要は無く、《違うモノが引き寄せられ対を成す》事こそ大切だと思うんです。 Aという意見とBという意見を言う人が居て、はじめて「真実」が見えてくる。 より良い答えが導き出される。 今まで「一致」にこだわり過ぎたせいで、木ノ葉や大国たちは「偏った方向」へ向かい、「本末転倒」な結果になってしまったのではないかとも思えるんです。
「共闘」だって、「火と風」のように違うモノが寄り添って助け合うことで大きな力となる・・・だから《一枚岩》にこだわる必要はない、いや、逆に《一枚岩じゃない方がいい》とさえ考えられるんじゃないだろうか。 
 
綱手は蛞蝓が戦場の事を知っているのに驚きますが、それは「サクラ」がついにやったのだと理解し・・・その時、大蛇丸の言っている言葉の意味が何となくわかったんじゃないでしょうか。 
「他の風」が意味するのが「次世代が作っていく新しい時代」という事だと。 『風』がサスケを意味するとは(この時点で)綱手は知らないハズですが、それでも「大蛇丸が何かを見つけた」事だけは、感じ取ったのではないでしょうか。 そしてやっと・・・大蛇丸綱手の心が「つながった」のかもしれません。
 
 
・ナルトとサスケ
 
 
さて、こちらは早速「一枚岩」という訳にいかなくなってしまったようで。

「あのでけェ奴の中には尾獣達が入ってんだ!弱りきったら黒い炎を止めてくれ! 
オレと九喇嘛で尾獣達を引っ張り出すから!!」 (ナルト)
 
「ダメだ」
 
「このまま焼き尽くす」 (サスケ)
 
イメージ 1
 
「・・・・!」
 

サスケの「淡々とした表情」とは対照的な、ナルトのムガガ・・顔。 
この表情から、ナルトもかな~り「サスケには気を遣ってる」のが伝わってきます。
 
「せっかく帰ってきてくれたサスケ」を手放したくないだろうし、それに「不信感を露わにしている」同期達の手前、第七班だけは「サスケを信じてるんだぞ!」ってこととか第七班の「チームワーク」をアピールしなくちゃいけない。 それで「サスケ」には上手く活躍できるように相当気を遣いつつ共闘してたと思うんです。 だから、「尾獣を守らなくちゃいけない」という大切な事でさえサスケには「強く言えない」・・それがあの「ムガガ顔」になっちゃってるんじゃないかと思うんです。 ホントはブチ切れたいところなんだろうけど・・・

このままじゃ「尾獣に関しての考え方」で、いずれは対立しそうですね・・ナルトとサスケ。
 
 (というか、十尾の中から「まだ引っ張り出せる」んですね尾獣達。 柱間が「!」と何かを気にしていますが、十尾の動きに関してでしょうかコレは・・・)。
 

《・・・今までの負のシステムは全てオレが始末をつける! そして新たな・・・》 (サスケ)
 

またまた「影効果」のせいで、恐怖による支配顔になってるサスケですが、これは「いつもの演出」とさほど気にしないでおりますが・・ 
サスケが「全てオレが」と個人プレイに走っちゃってるのは、今までの事にケリをつけるのが「うちはの生き残り」としての役割と思っているんじゃないだろうか。 《お前ならうちはを変えることが出来たかもしれないと・・》というイタチの最後の言葉を、サスケは大切にしてるんじゃないかと思うんです。 今のサスケにできる「うちはを変える」ことといえば、全ての「負のシステム(負を生み出す構造)」に自分一人で決着をつけ、「うちはとして責任を負い名誉を守る事」なのではないかと・・・。そして「新しい風」を起こし忍世界を変えるために、かつての大蛇丸のように「周囲には理解される事のない道」を自ら選ぼうとしてるのではないかとも思えるんです(けして「ナルト達を裏切る」わけではなくて)。
 
サスケは十尾を倒すことにこだわっていますが、サスケが知っている「尾獣の話」と言えば、うちはの瞳術が「九尾をコントロールする力」であること、かつて柱間が尾獣を集めてパワーバランスの為に「分配していた」という事、マダラが九尾を使っていたという事・・・尾獣も「負」を生み出す原因の1つと考えているのでしょうか。
 
相変わらず「個人プレイ」に走ってるサスケですが、でもナルトも実は「1人で独走するだけ」をやってると思うんですよね。皆と気持ちが一緒のつもりでも、相変わらず「尾獣と共闘してるつもり」なのはナルトだけですよね。 忍達は、まだ「九喇嘛がチャクラをくれた」とは思ってないし、十尾はやっつけるべきだと考えてる。ナルトと忍達の間には大きな「考えの相違」があるまま・・・。ナルトは尾獣達と忍達を「つなぐ」役割を自分でも考えなくちゃいけないのでは。
 
ナルト達が「繋げる」ことにこだわるのなら、サスケは「ぶった切る」ことで変えようとしているのか(ナルトは今まで、オビトの「ぶった切る」事には散々反発してきましたよね)。 
今まで敵の考えを受け入れたり歩み寄ろうとはしてなかったナルトですが、そろそろ「何が何でも一枚岩じゃなきゃダメ」な発想も、少~しずつ変えなくちゃいけないんじゃないかと思えてくるんです。
 
 
 
 
 
その3に続けます・・(長文すみません)。