ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 641:君らがメインだ!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ36号) その1

NARUTO 641:君らがメインだ!! その1

 
「ヒナタ! ナルトとサスケくんは?」 (サクラ)
 
『……』 『…2人…・』 
 
イメージ 1

『…笑ってる…』
(ヒナタ)
 
635話では、サスケの事を「信じていいのか」まだ迷ってたサクラですが…2人が「笑ってる」と聞いて、どう反応するんだろう?と今から気になっちゃいます。 
サスケ、自然ないい表情してますが・・・これがホントのサスケですよね、やっと「普段のサスケ」に戻ってきた・・というべきなのかな。
 
今のサスケは、本心に従って行動してると思うんです。 だから639話でナルトを「須佐能乎で守った」のも、ごく自然な行動であって…それがサスケの「本当の気持ち」だと思うんです。
今週641話でも、いきなり最初のページ右下のコマ…サスケはナルトの前に左手を出し、かばうような姿勢を見せていますし、次のページで扉間が飛雷神で飛んで《フッ》と消えた画でも サスケは手を広げ須佐能乎でナルトをさりげなく庇うようにして立っている・・・《やっぱりナルトを守ってる》んです。これがサスケの「本当の姿」。 
 
サイがサスケをなかなか信用出来ないのは《最近のサスケ》しか知らないから仕方がないし、サクラも《一時期のサスケの醜い言動》を見ちゃってるから「根拠なくサスケを信じる」のはたぶん、かなり難しい。 だけど、サクラは「昔の本当のサスケ」をよく知っているんだから、サスケをとことん信じちゃって「いい!」と思うんです。
 
第639話最後のほうに出てきた、例のサスケが《ナルトの顔をぶった切ってた絵》の解釈についてなんですが・・先週、そして今週話を読むうちに解釈が変わってきました・・・サスケは《ナルトを切るつもりではない》・・・それどころか、その「逆」なのではないかと。
これについては雑考(その2)で述べるつもりでいますが、一度「疑わしい」と思ってしまうと、人間ってのは、ちょっとした描写もネガティブに受け取ってしまうものなのかもしれません。。。
 
《見た目や思い込みだけで人を判断しない方がいい》というイタチの言葉は、《その現実は幻かもしれない》と並んで私の「雑考」上の2大モットー(?)にしたい言葉なんですが、今回は二代目火影「扉間」・・・彼についても「思い込みや見た目で判断すべきではない」を実感してるところです。 今までなんとなく《真面目でちょい気難しく、誇り高い》イメージを持っていたんですが、どうやらそうでもなさそうだな、と・・・  先週、扉間についての雑考を書いてしまったのですが、こりゃ今週にすればよかった!と少々後悔中。
 
 
(ナルト) 「すげェ!!父ちゃんのマネができんのか!二代目の顔岩のオッチャンも!!」
(扉間) 「四代目がワシのマネをしとるのだ それにそこは二代目様でいい!」
 
(ミナト) 「やはり螺旋閃光超輪舞吼参式で… オレがスキを作るしかありませんね」
(扉間) 「……お前… 少しばかり天然だの…… 普段ならお前の術名にツボるところだが…」 「奴の前では笑えんぞ…」
 
・・・な、なんつ~天然「親子」の発言(笑)
 
でも「普段なら~だが」ってことは、普段なら天然発言に「ツボって笑ってる」ってことですよね?
“爆笑する扉間”ってイメージできないんですが、案外、いつも兄者の天然発言にツボりまくって爆笑してたのかもしれませんな(柱間も、ミナトに負けず劣らず《体術奥義超火遁幻術斬り大手裏剣二段落としの術》なんて術名を考えたりする人だし)。 
 
ナルトに飛雷神の術ことを「父ちゃんのマネ」なんて「きわめて無礼な事」を言われても苦笑いするだけだし、後世の若い忍にまさかの「オッチャン呼ばわり」された事も、意外と扉間的には「ツボ」だったんじゃないだろうか(このあたり、子孫のオビトに「まるで子供だ」なんて言われて「笑顔を見せてた」マダラと、実はちょっと似てたりするんじゃないだろうか…?)

だいたい兄者柱間が「あまりに天然過ぎ」だったから、常に「シッカリ者」のイメージを保たざるを得なかった扉間は、人前で「爆笑する姿を見せる」とか「実はオッチャンと呼ばれるのも好き」な事をオープンにする訳にもいかなかった・・というのが「真実」なのかもしれません。 意外ととっつき易い人なのかも。
「穢土転生の術」開発者として散々批難を浴びた扉間ですが、今週も相変わらず臆することなく《穢土転生の道連れモットーな使い方》を駆使しまくる姿には、かえって清々しささえ感じてしまいます(私としては・・ですが)。
 
 
そして柱間とマダラですが・・・
 
 
私は「マダラに戦意は無い」なんて思い込んでおりましたが、フツーに「闘って」ましたね(土下座) 。しかも木龍と須佐能乎を出して、ド派手に・・・
とはいえマダラはただ「戦いたい」わけではなく、何か「必要に迫られ仕方なく」やっているらしい・・・
 
「邪魔をするなマダラ!!」
「時間が無いが こうなってはやらねばならない事がある」

「?」
「…もう少しお前をいただく」
 
「お前をいただく」だなんて表現・・自分だったら《どうぞ宜しければ》と言いたくなるところですが(ゴラッ) 
柱間の「カラダなのかチャクラなのか」をもう少しいただく事で、マダラは「より完璧な仙人仕様に近い体」を手に入れ、オビトに対抗できる《完全な六道仙人化》を目指すとでもいうのでしょうか・・・それはオロちゃんが「サスケの体で目指した仙人状態」に近いモノなのかもしれません。 マダラとサスケには、尾獣チャクラの代わりに「須佐能乎」という膨大なチャクラがありますし、その体に「眼」が揃えば、十尾の人柱力になる以前の「オリジナル六道仙人」に近い状態なのだろうか(とも思ったりで)・・・
 
私の推測の憶測では・・・ですが、六道仙人は2人の息子達にそれぞれ封印を施し、2人が力を合わせた時にその封印は解除されるのではないか・・と考えておるのですが、その封印を解除するのは「最初に運命に選ばれた二人」のマダラと柱間なのか、それとも「次に運命に選ばれた」ナルトとサスケなのか・・・。
 
私としては、歴代火影達が参戦して「今」の時に直接関わることには当初かなり抵抗があって、火影達はサスケに全てを託して安心してご昇天いただきたい・・なんて書いていたんです。 ただ、あまりの「柱間のノリの良さ」に圧されちゃって「この展開でも、ま・・いいかな」なんて思えてきちゃったのですが(笑) マダラと柱間には是非とも「和解の共闘」をしてもらいたいのですが、それでもサスケとナルト・・そして「今の忍達」に安心して「その後」を託していただきたいとも思うのです。「次に運命に選ばれた二人」であるナルトとサスケの2人なら、「六道仙人が遺した封印」も完全に解放できるのではないか・・と期待して。
 
そして、かつての六道仙人に近い状態になった「オビト」ですが。
 
今のところ、オビトは十尾の力を「完全に制御」しているように見えるんです。 瞳力を使うわけでも無く「無にする力=黒チャクラ(仮称)」だけを使い、それも殆ど「防御」メインで使ってるんですよね。 
そして《挟む気か・・》だとか《互いの場所に飛びあったのか》とか忍達の攻撃を観察してるだけだし、サスケの天照についても黒チャクラの盾で消して「チャクラを左目に溜めていたのはバレてる… 不意打ちにはならんぞ」と“アドバイス”までしちゃってる。 だから、何だかなぁ…忍達に「黒チャクラ対処法」を考えさせてるんじゃないの?とまで思えてしまうのです(だいたい、オビトの今までの行動も「教えている」感が強かったですから)。
 
そしてオビトが《ギロ》と睨むと、扉間、ミナト、ナルト、サスケ達は《ビリビリ》と殺気のようなモノを感じてますが、これは「チャクラ型感知(トランス能力)」を持つ3人(扉間、ミナト、ナルト)がこの場に揃っているせいもあるでしょうか。 ミナト達の「ビリビリ・・」というチャクラ型感知能力は『電気信号で情報のやり取りする白ゼツ』と似た能力であって、本来『十尾の能力』でもあると思うんですよね・・。
 
 
そして・・「影の条件」。
 
 
 
《小さな力でも……》
《…要は使い様だ 役に立たねーかもしれねーが 役に立つ時が来るかもわからねぇ…》
《目を離さずしっかり見るんだ… その時があるなら…》
《その力が世界を左右する事になる なら――》
《オレ達が気を抜いていい時なんて一瞬たりともねーはずだ!!》
(シカマル)
 
親父さんの代わりをしっかり勤めあげて、これなら“神威の時空間に飛ばされてるかもしれないシカク達(あくまで超個人的な解釈ですが)”も喜んでいる事でしょう(?)
 
「小さな力でも役に立つ」ってのは、奈良一族の一員として、この戦争で「猪鹿蝶」の力を再確認したシカマルならではの言葉といいましょうか。 
これから先、忍世界の無秩序(システム)を変えていくうえで「忍術をどう扱っていくか」も重要な課題になりそうですが、大きすぎる力に頼るのではなく「小さな力も使い方次第」の発想は、忍達が「出来ない自分を許し、自分が出来る事ことをないがしろにしない」・・・つまり己を認めてやる事にも繋がっていきそうです。 
 
 
(シカマル… お前ならいい火影になれる……)

人の心を変える事… それは五影の必要条件みたいなもんだからな) 
(テマリ)
 
第一部の最後では、テマリに「男のクセしやがって」とまで言われたり、テマリの前でカッコ悪い姿を見せてばかりだったシカマルですが、ついに最高の「褒め言葉」で認めてもらえましたね。
 
それまで「諦め気味」だった忍連合の目つきが、シカマルの言葉で変わった・・・ 我愛羅が開戦前の演説で、皆の心を1つにまとめ皆の目つき(心)を変えさせた時にも《立派な風影になった》とテマリは感慨深そうだった・・。 
テマリがいきなり《五影の必要条件》なんて持ち出したのは、我愛羅とシカマルに「同じような能力」つまり《人の心を変える力》を見出したからなんだと思います。 シカマルにも確かにありますよね、そういう能力…今までチョウジやナルト達を「変えた」ことがある。
 
これからの「影」は、大切な意志を守る続けるだけじゃなく「まだ見ぬ知らぬモノ(変化)を恐れず受け入れていく能力」も絶対要ると思うんです。 その上で大切なのは《システムの変更》というハード面よりも、テマリが言うように《人の心を変える》ソフト面、「形」よりも「心」… だから「古いモノを滅ぼして新しい体制を作る」だけじゃ意味が無いと思うんです。  
大蛇丸が火影を目指した理由も「里の在り方を変える」為だったのでしょうが、彼が木ノ葉崩しに失敗した理由は「人の心を変えることは出来なかったから」なのかもしれません。
 
そしてちょっとそれに関する件、637話でオビトが十尾の人柱力になる時、ミナトから貰った言葉「オレ達は火影になる・・ だろ…オビト」の言葉を思い浮かべていた事が疑問だったんです。 今のオビトの行動の「原動力」となる言葉が、なぜ今も「火影」なんだろう?って。でも、シカマルの言葉とテマリの言葉で、何となく繋がったような気がします… それは《人の心を変える》ことがオビトの「本当の計画」だからなの「かも」しれない・・と(あくまで「かも」という話ですが)。 
 
尾獣と人間、人柱力の問題、忍システムの在り方に疑問を投じ忍達の意識を変え、五大国をまとめて「連合」を作らせる等、《人々の心を変える事》がオビトの“本当の計画”だったとしたら… それがオビトにとって「オレは火影になんぜ!」という言葉を「本当の意味で実現する」という意味を持つのかもしれません。 火影という「名誉」を手に入れるかわりに・・・「世界の敵、悪」という汚名を受けるとしても。
 
「人」を変えられる事・・・この条件に最も近い存在は、今のところ、ぶっちぎりで「ナルト」ですよね。
サスケはまだまだ「形」を変える事にもこだわっている感じもしますが、でも少しずつ気づいていくんじゃないでしょうか・・・サスケの「仲間を守る」行動が、次第に人の心を変えていきそうな事に。
 
 
 
(火影レース、ますます混迷かな?)
 
 
 
 
・シカマルの事は、追加記事を・・とも思ってます。  
(その2へ続けます・・)