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NARUTO-ナルト- 642:突破口 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ37/38合併号) その2 《「無にする」と「消す」について》

NARUTO 642:突破口 その2 《「無にする」と「消す」について雑考》

(「その1」の続きです)
 
・《無にする、と消すについて》
 
今週はまたまた扉間サマの鋭さが光ってますねぇ。 ミナトが黒い玉に触れて切れた右腕が、未だに回復しないのをジッと見て「おかしいな…」と呟いたり(穢土転開発者ならではの観察ってのもありますが。 しかしミナトは言われてから「!?」と気づいていて、なんだかなぁ・・・ミナトは本来のミナトらしさに欠けているというか、今は「他」に気が取られてちゃっている感じ)・・・
 
で、そこでオビトがひとこと…
 
「オレは今… 忍の祖と同じ力を手にしたのだ 今までのお前らの常識では計れはせんぞ」
 
…これ、絶対「ヒント」言ってるでしょ!そうでければ「敵」にこんなこと言うなんて、あまりにもお間抜けすぎといいますか・・。 
早速、扉間がオビトの「ヒント」に食らいつきましたが。
 
「まさか…貴様の術…」 
「こやつ…おそらく全ての忍術を無にする陰陽遁をベースにした術を使う…!
つまり穢土転生体でやられても…転生できず…死ぬぞ…!」
 
(サスケ) 「……」 
 
つまり穢土転生の「再生」機能も「無」にしてしまう…道理で「黒い玉で倒された」ヒルゼンが、いつまでも復活しないわけですね(同じく黒い玉にやられた扉間は、影分身だったのでしょうけど)。
 
忍の祖(=六道仙人)のことを、自来也「世が乱れた時に天より遣わされる創造神とも 全てをゼロに戻す破壊神ともいわれる」と言ってましたが、ゼロに戻す・・・つまり「無にする」ってことですよね、おそらく。 
 
六道仙人はかつて「ゼロ(無)にし」、そのうえで平和な世界を「創造(想像で創造)」したんじゃないかと思っているのですが、六道仙人の存在そのものが「神話」と言われていたのも、六道仙人を実際に知る人が殆ど「いなかった」からじゃないだろうか。 つまり六道仙人はこの世界を一度、本当に「無」にしてしまったから、六道仙人の存在そのものも知る人が少なく、ほとんど「神話化」してしまったんじゃないだろうか。
 
そして、扉間の言葉を「・・・・・」と聞いているサスケの表情なんですが、じっと扉間とミナトを見つめて2人の会話を聞いているんですよね。 このサスケの表情、何か『思い当たる節がある』のか、あるいは『理解している』表情に見えるんです。 自分が立てた仮説と、扉間が語った事が「重なった」のか。それで「・・・・」と真剣な面持ちで聞いているんじゃないかと思うんです。
 
といいますのは、65巻627話で・・・柱間が「(マダラが)この世の忍を消すつもりとは具体的にどういう事か」と質問するのですが、その時サスケはこう答えているんです。
 
「オレの兄が…マダラの弟が…そしてアンタ達が守ろうとしてきた全てのモノを無にするモノだ」と。
 
この時、サスケは「無にする」という言葉を使ってるんですよね。
 
オビトは「これから消える世界」とか、「消える」を多用してますし、大蛇丸「マダラはこの世の忍を消すつもりのようです」「消す」と言ってるんです。 だけど、サスケは《無にする》という表現を使う・・・
 
サスケが「無」という言葉を使って説明した時、大蛇丸がサスケをじーっと見つめているんですよね。 もちろん大蛇丸はサスケの「決意」そのものにも興味津々だったのでしょうが、それと同時に(それ以上に)サスケが「無」という表現を使った事が気になったんじゃないだろうか。
 
「消す」と、「無にする」。 
似て非なるモノ、と私は考えております。
 
「無にする」とは、本当にゼロにすること…かつて六道仙人が行った(と思われる)方法、陰陽遁で「無くす」意味かと思うんです。 無くす、まさに存在を完全になくす・・・塵遁で無くす以上に「完璧に」滅する、飲み込むように消滅させてしまうという事じゃないかと。 サスケは、マダラがかつての六道仙人のように「この世界を無(破壊=ゼロ)にして夢の世界を創造するつもり」と考え、「無にする」という表現をあえて使ったんじゃないかと思うんです。
つまり、サスケはかつての六道仙人が行った事や陰陽遁の事等々知っていて、扉間の「陰陽遁で無にする」という表現に「反応」したんじゃないかと思うんです。 サスケの「無」への反応から、サスケは何か「深く知っている」のではないか、とも考えられるんです。
 
この直後、ナルトが「さっきよりもっとオレ達でやんぞ…ついて来れっか?」とサスケに言った時(ナルトはさっきサスケがハァハァ言ってたのを気遣ったのだと思いますが)、サスケが「うちはをなめるなよ」と答えたのは 単なる「強がり」ではなく、獣系の皆さん達よりも自分が「深く知っている」ことを自負しての言葉だったのではないかと自分は考えています。 
たしかにチャクラ量や瞬発力、咄嗟にヒラメく「勘の鋭さ」は獣系の皆さんのほうが上かもしれませんが、うちは(眼系)ならではの知識と洞察力、理解力(それに愛情量の多さ)では負けないという自信がサスケにはあるんじゃないだろうか。
 
《全ての忍術を無にする》力、それは本来十尾の力なのではないかとも思うんですが、だから今まで忍達が「忍連合の術」で ありったけの“忍術”で十尾を攻めても「無」にされて効かなかったんじゃないだろうか。 
だけど十尾はどんな攻撃にも「無傷」なわけでもない・・・オビトが「十尾の尾獣玉」を至近距離に撃ちこもうとした時、マダラが「十尾が傷つく上お前も…」と止めようとしましたよね。 オビトは「十尾の表皮は強い」と言ってましたが、とにかく十尾は自分の尾獣玉には「やられる」。 
そして640話でまだオビトが人柱力として十尾の力をコントロール出来てなかった時、自分で黒い玉を喰らってダメージ受けてましたよね。 自分の術にはやられちゃう・・・これらも「攻略のヒント」だったんですね(このあたりは、後半の話に関わってきますが)。
 
で、ちょっと話を戻しますが「無にする」に対して「消す」についてなのですが・・・
 
「消す」、「消える」という表現は、しばしば「時空間に飛ばす、飛ばされる」という意味で使われます。 この場合、存在そのものが無くなった訳でなく、ただ「時空間」という現実世界からは感知出来ない場所に「移動している」だけ。 とはいえ、一度「消されたら(飛ばされたら)」時空間忍術を扱う人以外、出ることも、出してあげる事も出来ませんが。 私が、シカク達本部の忍達は実は「時空間に(オビトの神威で)飛ばされてる」と考えている理由の1つには、作者が彼らに「消える」という表現をあえて使わせている事もあるんです。
 
しかし、今回は「消える」の、これとは別の意味が気になっております。 消えるといえば、夢や幻のようなものも「消える」・・・
 
以前、オビトが「これから消える世界のことなどに興味はない」なんて言ってましたけど(600話)、ここでオビトが言っていた「これから消える世界」とは、「忍達が、これから自分たちの手でこの世界に蔓延っている幻(夢)を消すことになる」という意味だったんじゃないだろうか・・と思えてきたんです。
「雑考その1」のほうで述べた通り、もし、万が一、忍達の居る現実世界が「神の立てた道案内(夢)によって導かれた世界」であったのなら・・・忍達が神の夢を消し、自分達の手で未来を選ぶ時こそ《この世界が消える=忍達が幻から目覚める》という意味なんじゃないだろうか、と。 
 
もしそうだと仮定したなら、オビトが組織名を“暁=夜が明ける時、夢からの目覚めの時にした理由も納得できちゃうんです(ちなみに“暁”は、以前述べたように オビトが弥彦と共に(小南と長門には内緒で)立ち上げた組織ですから)。
 
オビトが言っていた「どうでもいい」こんな世界、「偽物の世界」とは、「夢の力」で創られ導かれ「夢の力」に依存したこの世界という意味だったんではないか・・・ 
忍達は本当は、今までこそ「夢の世界」に居たんじゃないだろうか(正確には、まだ「居る」のではないか・・・・?)
 
 
 
(すみません、後半に続けさせていただきます。 後半は火曜以降、口寄せの事、ミナトとオビトの事、扉間とナルトの事、仙術のこと、「陰チャクラ九喇嘛」についてなど・・・考えたいと思ってます。)
 
 
 
※なお一番最後の記事にコメント欄を設け、今週の記事へのご意見等頂戴したいと考えております。 
が、今回の雑考はいつも以上にヒンシュクな長文予定で、なかなか最後まで到達しないかと思いますので・・「自由に語り場」を夏のあいだ開かせて頂きます。 なお、今週号の話題に関しては、記事を全部書き終えてから読ませて頂いて、お返事させて頂きますことを どうかご了解ください(ゲストブックについても同様で)。  
 
途中ですが・・・ここまで読んでくださって、ありがとうございます(感謝)。 
 
(まだまだ続く・・)
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2013/08/12)