ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 646:神樹(しんじゅ) 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ42号) その2

NARUTO №646:神樹 その2

(その1の続きです・・)
 
 
「その実に人が手を付けた時より 人は呪われ… より憎しみ合う事を決定付けられたのだ!」
「忍そのものがその愚かさを象徴する存在だとは思わないか!?それならばいっそ…」 
(マダラ)
 
「またこの神樹に頼った力が…大幻術が… お前の言っていた“さらにその先の夢”だってのか!?」 (柱)
 
「…ああ …だがほんの少し違う…」 
 
「?」 
 
「この神樹のつぼみが開花した時」
「花の中の眼が天上の月に写り 無限月読は完全となる そして」
 
「それを為すのは…」
 
イメージ 1
 
「このオレだ」
 
マダラのこの時の「表情」なんですが・・・ンもう「執念」といいますか、同時にいくらかの「無念」も感じるんです(本物の画でご確認を)。
 
計画始動から数十年、気が遠くなるほどの時間と犠牲を費やし、ようやく「届いた」というのに・・・最後の最後で「あのジャリ」に一番美味しいところを取られるのは、諦められる・・訳はないですよね。それは「ほんの少しの違い」ではなく、マダラにとっては「大きな違い」のハズです。
 
でも、マダラがついに「色々と」柱間に語り出したのは、オビトに先を越されて状況が極めて厳しくなったと認識したせいでもあると思うんです。 それでも、たとえ「成す」から「為す」にレベルダウンしてでも、「実行するのはオレ」と譲れない、その想いはひしひしと伝わってきます。 
 
だけどマダラが「オレ」にこだわるのは、「オレ様こそ主役だァ」という意識からではなく、「後ろに立たれたらダメ」・・つまり自分が見守れる、届く範囲」内に全てを置かないと安心できないからなのかもしれません。 やり方はどうあれ「自分がずっと先まで見守らなくちゃ」という愛情が、彼の発想の根本にあると思うんです。
 
マダラは今、オビトに裏切られた気持ちでいるかもしれませんが、でも「三つ子の魂百まで」・・もともと爺婆孝行だったオビトが、マダラ爺ちゃんを「裏切る」事はないんじゃないかと私は考えてます。 が、必ずしも「マダラに言われた通り」に従うだけが爺孝行とは限らないとも思うんです(マダラの新しい世界を『造る』と、オビトの『創る』の差はかなり大きいのではないかと)。 でもいずれ、オビトの行動は「爺孝行」でもある・・と判明しますって(きっと、たぶん・・もしかしたら)。 
 
そして、マダラにも「安心して背中を任せられる後継者、子孫達」は大勢いるんだ・・ってことを実感してもらいたい(願望)。
 
一方、話を聞いた柱間は「またこの神樹に頼った力が・・」という言い方をしてましたから、“もう二度と(どんな形であれ)神樹の力に依存すべきではない”と考えていそうです。 ここは是非、マダラを誘って共に「今」をサポートし、忍達の「これから先」を見届けていただけたら・・(と、これも願望)。
 
ちなみに、マダラの(おそらく)誤算の原因の1つである「オビトと十尾のシンクロ具合」ですが、それはオビトが十尾の「心」とシンクロしたせいじゃないかと考えていますが、あと気になってるのはオビトの「血統」
606話に描かれている「オビトママ」らしき女性の写真を見ると、ちょっと「うちは一族」に見えないんですよね・・・うちは一族ってのはどの時代でも、たとえ「せんべい屋のおばちゃん」でも、必ず「うちは」仕様の丸首の服を着てるんですが、オビトの母さんらしき人は極めて例外な「着物姿」なんです。 「千手一族」は着物を着ますが(65巻137頁参照)、うちは一族は着ていない(と思う)。 だからオビト母さんは他の一族、千手か「羽衣」などの一族出身の「可能性」もアリかと推測中(ちなみに子供時代のオビトの服も、ちょっと「うちは」らしくはない)。 妄想域の話ではありますが、マダラがオビトを選んだ理由や、オビトが柱間細胞に適応して「いきなり木遁を使いこなせたり」、六道仙人の力も使いこなせているのは、「血統的な理由」も何かありそうです。
 
 
さて、さりげなく神樹の枝を斬っている扉間の「水遁・水断波」やマダラの「団扇」も大したものですが・・神樹に捕まりそうだったナルトを助けたのは、猿魔と共に現れた三代目火影猿飛ヒルゼン ・・・って、無事だったんですかい!!
 
「遅くなってすまんのう!」って・・・いや、ピッタリだぜ、じいちゃん! 
ナルトは散々仲間を守ってるけど、仲間に守って貰ってもいますよね・・何度も、何度も。
 
・・・・で、三代目のじいちゃん、どこ行ってたの?
 
オビトの「黒い玉」(全ての忍術を無にする陰陽遁をベースにした術?)に上半身と上腕部を消されていたヒルゼンは「復活不能」かと思ってました・・穢土転生でも「死ぬ」らしい、と。 実際に、ミナトの右腕は相変わらず、治らないし。 でもヒルゼンは(時間はかかったけど)今になって出てきた・・もしヒルゼンが前の攻撃で「本当に死んでいた」のだとしたら、ヒルゼンは「あの世」から再び「戻された」のだろうか?? 
 
以前、神威の空間=時空間は神の居場所であり、そこは「この世とあの世の狭間」ではないか?と何度か書いてきたのですが(サクモが焚火をしていた場所も・・今も少々そう思ってます)、死んだヒルゼンが「もし」そこに立ち入り、その時空間から再び「戻されてきた」可能性は・・ないか、ないですかね・・やっぱり(笑)。 いや、今まだ時空間に居ると思われるカカシが、ナルトの九喇嘛チャクラを得て、ヒルゼンを「神威で送り帰す」事が出来た可能性はないかと・・これも完全に妄想域の話ですが。 
 
でも、気になるんです、カカシが今、あの空間で何をし、何を「見つけて」いるのか。
 
64巻でマダラが十尾の尾獣玉を遠隔地に飛ばしまくった時、カカシは左眼に「グッ!」と、オビトは首にコキッ!と大きな衝撃を受けていた・・あの「謎」はまだ解けていないし、「神威空間とは何ぞ?」という疑問はこれから先、重要になってくると考えています。  なにせ「神樹」に「神威」・・ようするに神の力を宿した樹が神樹であり、神の威力が神威なのかな、と。
 
オビトは、「カカシを計画的に時空間に残した」可能性が高いですが、それは「何の為だったのか」。
そして、オビトがカカシの手元に残していった「黒棒」は、いったい何の役に立つのか。  
 
ヒルゼン復活の理由はまだ不明ですが、その理由が今後の“十尾との闘いの突破口”になりそうな気はしています。 
 
 
「…やっと落ち着いたか…!?」 (重吾)
「!」 「・・・・・・」 (サスケ、ボロボロのナルトが火影達と飛雷神で戻ってきたのを見て)
 
マダラは、六道仙人や神樹の知識を「うちはの石碑」から得たと言っていましたが、万華鏡開眼者であるイタチ、サスケ、オビト、シスイ、イズナもほぼ同じ情報を知ってるという事ですよね(おそらく)。 
サスケは今の状況や「禁断の果実」の因縁も理解しているハズなので、「過去を切るのはオレ」と言っていたのも、十尾を焼き尽くそうとしていたのも、「呪いの元凶」を断ち切るつもりだったのでしょうか。
ナルトの九喇嘛チャクラのことを「そんなチャクラ」という言い方をしたのも、『神樹の前では無意味になる』と分かっていたからなの「かも」しれません。
 
「・・・!!」 《ギリギリと歯を食いしばるナルト・・・ナルトがここまで本気で怒り悔しがる顔は、今回の戦争では初めて見た気がする・・》
 
ナルトが必死に皆を「守ろうとした」想いと、「九喇嘛と一緒に配ったチャクラ」が、この戦場の皆の気持ちを「1つ」にしていたのに・・・それさえ全く『意味が無いもの』になってしまった。
八つっあんの《これじゃ ナルトが皆に渡したチャクラも意味がねェ!!》の通り、全てが「意味が無いモノ」になりつつある・・
 
628話(66巻)で、オビトがナルトに訊ね確認していた事・・「ナルト…皆を庇い防戦ばかりになってきてるぞ この状況に意味があるのか?」。 
 
カカシが、それを見て「オビト・・お前はナルトで何を確かめてる?」と考えてましたが、オビトは“今のこの時”の為に、あの質問をナルトにぶつけ「確認」していたのかと思えてきました。 《今までやってきた事は意味が無かった》という空気が戦場全体に重く圧し掛かる中で、ナルトは「それでも意味がある」と思うことが出来るんだろうか・・?
 
忍世界の、今までの価値観、常識、それらが全部ひっくり返された・・といった感じでしょうか。
 
今までの忍は「チャクラが多い者勝ち」みたいなところがあったけれど、『チャクラさえあれば』の常識が完全に覆されたら、忍達はこれから本当の意味で「忍とは何か」考え直さなくちゃいけないのかもしれません。 まさに・・《今までのお前らの常識では計れはせんぞ》というオビトの言葉は、これから先さらに重要になってくると思うんです。
 
 
「もう・・・じっとしていろ・・・」
 
「お前らは…充分耐え忍んだ」
 
《耐え忍ぶ》・・・それは、忍達が大切にしてきた「忍が忍であるための言葉」。
それをひっくり返してみせようとする、オビトの挑戦的な言葉・・・これじゃ、オビトは極悪非道なオーラ全開に見えますなぁ(・_・;) 
 
しかし、それでもオビトの言動は、これから忍達が最後に向き合うであろう「神」への答えを引き出そうとしているように(私には)感じられるのですがね・・・そしてそれは当然、「人の心を変える為」でもある。 その為には最後まで敵役に「徹する」つもりなんだろうな・・と(今、こんな事語っても、説得力ないだろな・・ボソッ)。
 
千年に一度なるといわれる「神樹の実」・・・そして、ついに天上の月に大きな蕾を向けた「神樹」。
 
自来也は、六道仙人(輪廻眼)のことを「世が乱れた時に天から遣わされる創造神とも全てをゼロに戻す破壊神とも言われる」と語ってましたが、神の樹の実は人間に「審判」を下す神の子のような存在だったのでしょうか。 もしかしたら、ちょうど今は「あれから千年」、再び神樹の実がなる「約束の時」を迎えているのかもしれません(だとしたら・・九喇嘛達も約1,000歳なのかな??)
 
 
「忍術」という力を得た代償に、その力に振り回されるという「呪い=リスク」を背負うことになった忍達。
 
「呪い」ってのは、人に解いてもらったり、あるいは「術者や自分自身の死」によって解放されるモノでも無く、「本当に解く」為には自ら解かねばならないと思うんです。 なぜなら・・実際に面倒なのは、誰かに掛けられた呪いではなく、自分自身を縛っている「自分でかけた呪い」だと思うからです。
 
66巻の時空間内でオビトがやった事の目的の1つは、カカシを呪い(約束を守れなかったという後悔)から解放する事だったんじゃないかと考えているのですが(過去記事:オビトが目論む「呪印からの解放その1」、その2)、あれもオビトが「許してやる」のでは意味が無く、カカシが自分で「解かないと」ダメだったのだろうと思っています(が・・まだ解放されてないだろうな・・)
 
「オレがその呪いってのを解いてやる」 「オレは諦めない!」・・・
 
コレは“ド根性忍伝”の主人公「ナルト」のセリフですが、こっちのナルトがこの言葉を再び言う時は「必ず」来そうな気がします。 「タイムリミット」は、あの花が咲くまでなのか、実がなるまでなのか・・・
その「時」までに、忍達は十尾(神樹)に「千年後の答え」を示し、和解することが出来るでしょうか(間に合うか・・?)。 
そして、神樹の花が「絶望の花」になるのか、それとも「希望の花」になるのか・・・それは忍達が示す答え次第なのかもしれません。
 
さて、ヘロヘロなナルトに代わり、そろそろサスケが「動く」かな・・?
 
 
 
☆やっぱり黒ゼツにも、「神樹」っぽさってありますよねぇ・・。
☆マダラの説明に出てくる十尾の眼は「輪廻眼」、今の十尾の眼は「勾玉付き」・・ここの違いは?
☆次回も、土曜日(21日)発売です。
 
 
 
 
長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/09/14)