ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 645:二つの力・・・!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ41号) その1

NARUTO №645:二つの力・・・!! その1

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「よォ~~~~しィ・・・!」
 
ついに出ましたか、ナルトの“狐蛙眼”!
 
これ、ご記憶の方も多いでしょう・・・№444、長門を前にして怒りの仙人モードのナルトが、一瞬だけ九尾チャクラを漲らせて見せた、あの眼です↓ 
 
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(その時のナルト、444話雑考記事より)
 
あの時ナルトは「九尾チャクラを無意識にコントロール出来ちゃったのか?」と当時は勘違いしたんですが、結局アレは「あの時だけ」だった。 でも、ついにナルトと九喇嘛はここまでシンクロ出来るようになったという事は、2人の距離がより一層「近くなった」ってことですよね。 この“眼”については後述するとしまして、まずはとりあえず前回の続き・・・
 
すっかり頼もしくなった息子の姿に、精神世界内で思わず「涙ぐんでしまった」ミナト・・・
 
・懐かしさというもの

 
(この感じ… …懐かしい感覚だ)
 
(これほど追いつめられているのに… 何でもやれそうな…そんな…)
(そうだ…まるで…クシナといる時みたいな… そんな感覚…)
 
(ミナト)
 
 九尾事件の時、ミナトは「君がオレを四代目火影にしてくれた、君の男にしてくれた、この子の父親にしてくれた」という言い方をしていたけれど、もしクシナに出会ってなかったらミナトは(意外と)ここまで実力を発揮できなかったんじゃないだろうか(かもしれないという話)。 
クシナを守りたい、クシナの夫として認められたい(九尾の人柱力の夫=火影になりたい)という想いの強さが、ミナトをあそこまで大成させたんじゃないだろうか、と。 クシナに言わせれば、ミナトの第一印象は「女男みたい」だったというし・・「優しすぎる」のが玉にキズだったミナトを「強くした」のも、クシナの存在だったと思うんです(この戦場でも、優しすぎるせいで「落ち込み」も激しかったし)。 これも愛の力かなぁ…(なんて)、いつも前向きなクシナにミナトは育てられたんじゃないかと思ったりで・・女性の力って、そういうところにもあるのかな?
 
《ミナトが感じている“懐かしい”という感情・・・》
 
ミナトがこの戦場に来てから
(おそらく)まだ数十分ぐらいしか経ってないと思うんですが、それでもナルトを見て《懐かしい》という気持ちにさせられているんですよね。ナルトと一緒にいると、クシナと一緒にいた時みたいに力を貰える…自信を取り戻せる。 理屈抜きに「どーにかできる」と思えてくる。
643話の雑考に書いたことと重複しますが、この圧倒的不利な状況の中でも《なぜか》扉間もミナトも、笑顔を見せたり気持ちが穏やかだったりするんですよね。 扉間も「兄者と共に闘ってる時を思い出して」懐かしいと思ってるし、ナルトと一緒にいると「いい意味で」緊張から解放されるというか、本来の素の自分に戻れるというか。
 
「ナルト 威勢のよい声を上げかっこつけるのはよいが… まさかとは思うが仙術以外効かぬと忘れてはおらぬだろうな…? …お前もバカではない…」 (扉)
 
「・・・・・・」
「そうでした~!!!」 
(ナルト)
 
「よし… お前は兄者以上のバカだ」
 (扉)
 
「よし」って・・ナルトを「ほめて」ますよね、扉間・・(笑)  

扉間にとって「バカ」とは“思わず親近感を感じてしまう”愛すべき存在であって、ナルトのおバカ言動に「得意のツッコミ」をするのが今では愉しくてならない様子。 穢土転されたばかりの頃は「険しい表情」ばかりだった扉間が ようやく「素の顔」を見せ始めている・・・これも「懐かしい」気持ちになっているからでしょうか。
 
(馬鹿という言葉は地方によって「違い」があるから、キツく感じる方もあるかも・・。 私は関東人だからあまり気にならないのですが、今回「バカ」は重要ワードなので連発しちゃいますけど、どうかご了解を)。 
 
懐かしい気持ちが抱かせる「親近感」、そして懐かしさによって引き出される「本当の自分」・・・

ところで「懐かしい」って、どういう気持ちなんだろう?
 
またまた漢字の話ですが、「懐」ってのは「心」に「流した涙を衣で隠す」の意味で、“そっと心にしまった想い”。 ナルトと拳を合せた精神世界で『そっと涙を流した』ミナトが感じたものは、まさに「懐かしい」気持ちだったと言えましょうか。 心の中にずっと隠していた涙、感情が引き出された・・ということかもしれません。 
 
 
・九喇嘛の「懐(ふところ)」
 
「ガハハハ! もう先代のどの火影をも超えてるぜ そういう意味じゃな!」 (ゲラゲラ)
「るっせーぞォォ!!!! 九喇嘛のバーカ!バーカ!」
「ガハハハ! バカは親近感も抱かれやすい」
 
九喇嘛ぁ・・お腹抱えて「爆笑」してますね! ついにここまで「自分」を素直に見せるようになりましたかァ・・!
 
ナルトの記憶力のよさにもよく驚かされるんですが、それ以上に「九喇嘛の記憶力」には驚かされます。
ナルトがかつて『先代のどの火影をも超えてやるんだ!!!』と叫んでいたことも、ちゃんと覚えてたんですね
(第1巻第1話でラーメン食べながらイルカ先生に言ってる)。 「ちゃんと覚えてる」というか「ちゃんと見てる」というか・・・

尾獣達は、六道仙人のジジぃから『ワシの代わりにこれから先を見てくれ』と託されたんじゃないかと思うのですが、忍世界をじっと「見張っていた」というよりは、「見守ってきた」んじゃないでしょうか。
九喇嘛もプライドがやたらと高いし素直じゃないから、言ってる事は やたらと皮肉っぽかったり憎たらしかったりするんですが、でも「言葉の奥に隠された真意」は温かいんですよね。 
ナルトに対してだけじゃなく、他の忍達に対しても、九喇嘛が向ける視線は「温かい」。 親のような視線で忍達を「見守ってきた」のがよく分かるんです。 それが九喇嘛たち尾獣の「懐(ふところ)」なのでしょうか。
 
(以下、ちょっと長いですが「九喇嘛とナルトの会話」を引用)
 
「だが気にするな… そこは心配いらん…」
 
「べ…別にバカなのは心配してねーよ!オレってば!!」
 
「イヤ…そこじゃねぇ… その状態のまま仙人化できるかもしれねェ… そういう意味で言ったんだ!」
「え…!?」
 
「いいか…お前は忘れてるかもしれねーが ペイン長門ってのと最後やり合った時だ 奴の言い分にワシも怒りが抑えられなくなってな… あの時お前はちょうど仙人の状態だったがワシのチャクラが出すぎて…ワシの力と仙人の力がうまく同調(シンクロ)したことがあった」
 
「ん~~ そんなことあったっけ?・・・・」
「あ~~~!! そう言うお前は仙人修業ン時に じいちゃん仙人との仙人の術邪魔しただろーが!!」

 
「ワシは蛙なんぞとルームシェアする気はなかったからだ! それにな お前がワシのチャクラが有りながら仙術に頼るのも気に食わねーだろが!!」
 
「この意地っ張りヤロ~!」
「だからそりゃてめーだろ!!」
 
ルームシェアって(笑)
・・そうか、あの時ナルトが「狐蛙眼」になったのは、“九喇嘛も怒ってた”からだったんですねぇ・・。
 
今まで九尾は「怒りや憎しみに乗じてナルトの意識を乗っ取ろうとする」なんて言い方されてきましたけど、本当は「ナルトと一緒に怒ったり悲しんだりしてきた」ってことなんですね。 ここの「違い」、大きいと思うんです。
九喇嘛たち尾獣は「憎しみや怒りを利用する奴」ではなく、「人間と一緒に怒ったり悲しんだり」、気持ちを共有してくれる存在だったという事なんですから。 
 
九喇嘛は、サスケが殺されそうになった時も、ヒナタが殺されそうになった時も、ナルトの気持ちと「同調(シンクロ)」して一緒に「悲しんだり怒ったり」してきたんですね。
尾獣達は忍達以上に「心の痛み」を感じてきたのかもしれないし、そして、おそらく「十尾」も本当は・・そうだと思うんです。 尾獣は尾の数が多いほど「扱いが難しい」と言うけれど(542話)、尾の数ほど「強くて扱いにくい」というよりは「繊細で傷付きやすく、扱いにくい」という事だったりして(一尾は単純・・?)。
 
そして九喇嘛も言ってるように《ワシのチャクラが有りながら仙術に頼るのも気に食わねー》って(笑)、要するにヤキモチ・・・「頼ってほしかった」んですね(九喇嘛、可愛すぎるゾ)。
 
尾獣達は、ホントは忍達に「仲良くしてほしい」、「頼ってほしい」と思ってた・・・なのに忍は「尾獣達が一番悲しいと思うような事」、つまり無益な戦いの「道具」として尾獣の力を使ってきた。
悲しかっただろうなぁ・・・尾獣達が長い間、ずっと虚しい想いで忍世界を見続けてきたことを思うと、切なくなります。 
605話の「地獄」のあの時の画も、尾獣やリンを「道具」にした忍世界への怒りで、オビトと「十尾」が「同調(シンクロ)」したように見えたし・・。
忍達「全員」がもっと尾獣を「知らなくては」・・・それが出来なけば「十尾」との和解、本当の意味で「理解し合う」なんて出来ないんじゃないだろうか(その前に忍達同士が「理解し合う」ことが先ですけど)。 
 
「つまり言いてーのは!今ならワシの力を使いつつ仙人の力も許してやるって事だ!! それのどこが意地っ張りだコノヤロー!!」
「…素直じゃないんだから~~~」
「てめー最近ワシの事ナメてねーかコラ!!」
 (九喇嘛、さらに可愛い)。
 
ナルトの「素直じゃないんだから~」の顔、どこか自来也先生を思わせる・・「懐かしい」(笑)
ナルトと会話しながら、九喇嘛も思い出しているかもしれないですね・・懐かしい「六道のジジイ」を。
 
「イヤ…親近感ってやつだってばよ…」
「ケッ・・・!」

 
おバカな“ちんちくりん”に、一本取られたましたな・・九喇嘛。
 
“親近感を抱かれやすいバカ”・・・最近何かとナルトの「バカ」が強調される事が多いですが、おバカの本領は「理屈や常識に頼らない発想」ができる所だと思っています。 「理屈」と「屁理屈」については、66巻の感想「その2」で書こうと考えていたのですが(先週書きあげようとして時間が取れず・・近いうちにアップするつもりではいます)、これも今後重要になっていくような気がしています。 なにせ、第一部ラスト(ほぼラスト)のナルトの言葉は、第237話「馬鹿…!!」の、
 
「賢いってのがそういうことなら・・・オレは一生バカでいい」。
 
仲間(サスケ)を斬り捨てるような生き方を「賢い忍」というなら、それを否定する・・・「賢い忍」しての道を、バッサリと否定してみせたんですよね、ナルトは。 4年前のあの「宣言」を、今もナルトは忘れちゃいないと思うんです。 
 
しかし、ナルト同様に「いい意味での馬鹿」であった柱間も、里の為には仲間(マダラ)を斬り捨てたわけでして、そういう点で柱間は「馬鹿になりきれなかった人」でもあります。 だから、扉間が「お前は兄者以上のバカ」と言ったり、九喇嘛の「そういう意味(バカという意味)ではどの火影をも超えている」という言葉は、《冗談抜きに》ナルトが柱間を超える可能性を示す言葉じゃないかと思うんです。
 
つまり・・「ナルトはどんな時でも、仲間をけして捨てないだろう」、と。
 
たとえ「立派な火影」になったとしても、ナルトには、そういう意味では「お馬鹿上等」であり続けて欲しいと思うのです。 なんだかな・・ナルトの4年前のあの「宣言」は、カカシ外伝
(事実上の第2部)に出てくる、オビトの「(仲間を大切にするのが)正しい忍じゃないってんなら・・」宣言にそっくりなんですよね。 それだけに、ナルトとオビトは(いずれ)心から「分かり合える」と確信してるんですが、まだまだ先になりそうだなぁ・・・(はぁ)。
 
 
《そして、ミナトは陰九喇嘛の力を借りて尾獣モード・狐眼になり、ナルトはついに尾獣モード×仙人モードの狐蛙眼になる・・》
 
 
 
(その2へ続けます・・)