ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 642:突破口 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ37/38合併号) その5

NARUTO 642:突破口 その5

(その4の続きです)
 
さて、長文になってしまいましたが・・これで最後です(すみません)。
 
オビトがミナトに罵詈雑言を浴びせている間に「仙人モードになったナルト」…昔のナルトだったら即沸騰してたと思うのに、怒りを静かに抑えながら「平静な無の状態になって」仙人モードになるってのは、肉体的だけじゃなく精神的にも「仙人域」に達したのかな。
 
《仙術には仙術が効く》・・・これ、《写輪眼に対抗するには写輪眼が要る》みたいなセオリーでしょうか。
 
以前マダラが言っていた《オレの術でオレを殺れるか》(61巻578話)がやたらと気になっておるんですが、第二部に入ってから術の「相性」、「相殺」といった言葉がよく出てきてますよね。 雷遁で雷遁を「相殺」できるように、「オレの術ではオレをやれるはずがない(相殺できるから)」という事になりましょうか。でも、そこに「+α」されれば、相手を上回ることが出来る。 自然エネルギーの力には自然エネルギーの力(仙術)・・それなら「相殺」、あるいは「規模によっては相手を上回ることもできる」って事でしょうか。
 
マダラが柱間に「お前をいただく」と言ったのも、六道オビトに対抗する為に「柱間本体の仙人の力」が必要という事かもしれませんが、そこは「貰う」のではなく、私としては是非お二人の「共闘」でお願いしたいところです
 
さて、「父ちゃんをバカにすんじゃねェ」と怒ったナルト…扉間に飛雷神で飛ばしてもらって、仙人モードでオビトの背中に螺旋丸をぶつけますが…これで一番「目が覚めた」のはミナトじゃないでしょうか。
後悔の念から《もし~だったら~だったのに》発想になっていたミナトは、ナルトのこの一撃で「自分の先を見据えた選択」が間違ってなかった事を確信し、そしてまだ「未来は変えられる」という前向きな発想に切り替えられたんじゃないでしょうか。  ・・・まだ「間に合う」と。 
 
ナルトが《父ちゃんをバカにするな》と怒ったのは、57巻541~544話で雷影エーと「闘った」時以来でしょうか。
 
あの時は、エーがミナトの事を「失敗者」扱いして、ナルトが《父ちゃんは…四代目火影は失敗なんかしてねェ!!!》と怒ったんですよね。 で…雷影とナルトのスピード勝負になって、ナルトが九尾チャクラモードの「超高速瞬身」でエーの拳をかわした…《かつてミナトが「飛雷神の術」でエーの拳をかわしたのと同じように》。
 
今回はあの時と似たパターンでして、オビトがミナトの事をバカにして、ナルトが《父ちゃんをバカにすんじゃねェ》と怒って、で…扉間の「飛雷神の術」でオビトのマーキングに飛んで、オビトの背中に螺旋丸をぶつけた…《九尾事件の時、ミナトが「飛雷神二の段」でオビトの背中に螺旋丸をぶつけたのと同じように》。
 
ミナトとナルトの「違い」は、ミナトは一人で闘ってる事…ナルトは九喇嘛や扉間と共闘してる事でしょうか。 だけどナルトが父ちゃんを想う時、なぜか「父ちゃんと同じ闘い方」をしてるんですよね。だけど、ナルト自身は父ちゃんと同じ戦い方をしてるという事実は「知らない」。 
 
ナルトは《ミナトVSエー》の闘いを知らないし、《ミナトVSオビト》の闘いも知らない。
(ナルトがクシナから聞いた話は、「クシナが知っている部分だけ」のハズでして…「ミナトVSオビト」の部分はクシナは知らないので、ナルトは聞いていないと思われる)。
だから、ナルトは自分が「かつての父ちゃんと全く同じ闘い方をしてる」ことは知らないんですよね、それなのに「そっくり」。 やはり「血」というものは「空白」を越え、埋めてくれるモノなのでしょうか。
 
以前、我愛羅《己が崇拝する者の名誉を傷つけられたと感じると 己がひどく傷ついて激怒する…崇拝する者が大切であれば大切である程…その大切な者の為に闘う》と言ってましたが(217話で)、ナルトも父ちゃんの名誉を傷つけられる事に何よりも「傷つく」。
 
で、オビトも同じ…マダラ爺ちゃんの事を《あんな奴》と言われた時、傷付いたような反応をしてましたが…オビトが闘う理由の1つも「己が崇拝する者の為」、マダラ爺ちゃんの為もあるんじゃないかと思ってます。 たとえマダラとは違う考えを持っていたとしても、マダラが行動を起こした「理由や目的」は大切にしてるんじゃないだろうか…何しろ爺ちゃんの「形見の団扇」を持って参戦してきたぐらいですから。 オビトはマダラ直系の子孫だと解釈してますが(ご先祖発言から)、やはりそこは「爺ちゃん(曽祖父ちゃん?)と孫」…「血」というものが二人をしっかり繋いでいると思うんです。
 
サスケの場合は、己が崇拝する《イタチ》の為に闘い、イタチの名誉が傷つけられる事が何より辛いのだと思うのですが…その一方で「父・フガクの事」の事をサスケがどう考えてるのかも気になるんです。 
幼い頃、サスケは父さんの事が「誇り」だったわけで、その父さんが「クーデター首謀者だった」という事実は 今もまだ受け入れ難いモノがあるんじゃないだろうか。 しかし、フガクがサスケに「猿飛サスケの名」を与えた事実を知れば、サスケも「父の本当の想い」を時を超えて知ることになるんじゃないだろうか…その時、サスケの心の「空白」も埋められるのではないか・・という気がしてなりません。 
 
 
 
「火影になれなかったお前が火影をバカにすんじゃねェ…」
 
「何より火影になった……オレの父ちゃんをバカにすんじゃねェ!!!」 (ナルト)
 
 
ミナトが言った《お前が成りたかったのは火影のハズ》…そしてナルトが言った《火影になれなかったお前》。  両方とも「事実」だし、確かに、オビトは「火影に成りたかった」でも「なれなかった」。
でも、それは「意志を曲げてそういう結果になってしまった」のではなく、オビト自身の意志で選択したのだと思うんです。
 
「成りたい」のは火影だけど、火影には「ならない」という選択を。
 
オビトが「オレの師が火影でよかったよ おかげで火影を諦められた」と言ったのは、イヤらしい言い方ではありますが、オビトの“本音”でもあったと思ってます。 
 
もし、「火影に成ること」の条件を、先日テマリが言っていた《人の心を変える事》だとした場合、ミナトは「人の心を変えることが出来ただろうか…?」。 ミナトは皆に認められて「火影になった」。 だけどミナトは火の意志を守り、それまでの体制を「守った」けれど、でも「変える」ことはしなかった(とオビトには思えたんじゃないだろうか)。 
「火影」という職が、里の闇までひっくるめた「今まで」を守るための職であり、「変える」モノではないと知り、オビトは「火影職」は諦めたんじゃないだろうか。 で・・・違う形で「人の心を変える」決意をしたんじゃないだろうか。 
 
九尾事件で里に九尾を口寄せした時、そして十尾の人柱力になる時。 オビトが「決意」をする時、必ず《オレは火影になる》という言葉を思い出していた理由…それは「実際に火影という職に就く」のではなく、本当の意味で『火影に成る=人の心を変える』為だったんじゃないかとも思うんです。 
オビトは《今までの常識では計れない》と言ってましたが、つまり「発想を変えないとダメ」という事、「心を変えなければ」という事をオビトは伝えたいんじゃないか(と推測)。
 
オビトがやってる行動は「敵としての行動」ですが、その結果として起きている事は《人の心を変えている》…“暁”の行動や戦争が無かったら、人々は尾獣と人間の在り方を考える事もなかっただろうし、五大国が1つになる事もなかったはずなんです。 名誉とか英雄とは程遠い反逆者の立場になろうと、「実際に人の心を変える為の手段」を選ぶ…それがオビトなりに(本当の意味で)火影に「成る」という意味だったんじゃないだろうか…(あくまで個人の解釈です)。
 
ナルトとオビト… 違う立場で、違う意味で、人の心を変えていく…両輪、両側揃ってこそ、忍世界の変化は叶うんじゃないかとも思います。なにせ、ナルトとオビトは「表裏」のような存在ですから。 
 
 
そして、ナルトが喋るまでミナトとサスケは「ナルトの仙人モード」には気づかなかったようですが(って、ナルト…影分身無し、片手で螺旋丸を作れるようになったのか?)。
  
サスケの「…!」  《効いた!?》  「どういうことだ?」の反応…かなりの「衝撃」だったみたいですね。
 
サスケは「ナルトの仙人モード」は初めて見るのでしょうが、既に「カブトの仙人モード」は見て知ってる訳ですよね。 だけど、カブトの仙人モードを見て「失敗」のイメージが強かっただろうし、仙人モードや仙術にも否定的な印象を持ってしまったのかもしれません。 だけどやっと、大蛇丸とカブトがあれだけ《仙人の力》にこだわった理由にも、気付き始めているんじゃないでしょうか。
 
そして、大蛇丸がサスケに自然エネルギーを利用した」麒麟を与えたのも、サスケの「自然エネルギーへの適性」を試す為だったと、サスケも気付くんじゃないかと思うんです。 そして大蛇丸がサスケの体を欲した理由も《さらに若く美しく強い体を手に入れる》為だと言ってましたが(美しいってのは余計な気がしますが)、それもサスケの体が仙人モードに耐えうる体という意味だったんじゃないかと思うんです。 
 
サスケは、己に仙人の眼だけでなく仙人の「体」(器)の適性もあることを、気づいていくんじゃないだろうか…ナルトの「仙術攻撃」は、サスケの考えを根本から変えていくモノになるんじゃないかとも思います。
 
 
自来也先生と同じ仙術まで…!?》 (ミナト)
 
《親想いのいい息子(ガキ)に育ったな…ミナト》 (陰チャクラ九喇嘛)
 
「!」
 
《ワシの半身を説き伏せただけはある》
 
このちょっと前、九喇嘛(陽)が「完全な尾獣モードに早くなりてぇなら少し普通の状態でいろ」と言ってましたけど、九喇嘛がチャクラ練りっぱなしだったのは「完全な尾獣モードになる為」…陰チャクラ九喇嘛と合体するためだったんでしょうか。
(具体的にどうやって・・なのかは分かりませんが、ミナトとナルトの手つなぎ共闘で繋がるのかなぁ)。
これで九喇嘛が陰陽揃って「完全」になれば、ようやく九喇嘛も八つっあんみたいに完全に「実体化」もできるんじゃないだろうか。 
 
ミナトの中の陰九喇嘛にも、陽九喇嘛とは別の「意志」が在るのか気になっておりましたが、ちゃんと別にありましたね。 …とはいえ「同じ九喇嘛」に違いはないわけで、ナルトや人間に対する想いも「同じ」なんだろうし、陰九喇嘛は「この戦場に来てからナルトをずっと観察してた」のかもしれません。 
もっとも「説き伏せた」なんて言ってるから、まだ完全には(陽九喇嘛ほどは)心を開いたわけじゃあないかもしれないけど。
 
陰九喇嘛も陽九喇嘛もどっちも「役割が違うだけ」…そして本来は1つのモノ。 全てのモノは陰陽、光と影、右と左揃ってこそ、本当の力を発揮できる。 うちはと千手も、そうであるように…「敵と味方」もそうであるように。
 
ナルトが仙術有効と悟って“突破口”を作ったのも大したものですが、何よりも今回も《仲間(扉間)が助けてくれることを信じてた》ことが嬉しいんです(扉間がナルトにトン!と手を置いたのが実に「自然」だった)。
 
色々な意味で既に「一流の忍」には成っていたナルトですが、第一回鈴取り合戦でカカシに注意された「欠点」… 《ナルト、お前は一人で独走するだけ》 (第8話)をようやく今になって、完全に克服できたのかもしれません。 忍にとって何よりも大切なのは《チームワーク》だと…忍になった最初の日に言われた言葉を、ナルトは改めて実感してくれてるでしょうか(あれは本来、ミナトの言葉だけど)。 
 
ついでに…あの日、カカシが最後に教えてくれた「あの英雄の言葉」(2巻24頁)もナルト達に思い出してほしい… ナルトが「あの言葉」を思い出す時、本当の意味での「突破口」が開かれるんじゃないかと思っています。
 
 
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☆長駄文、読んでくださって感謝!
 
☆次週・・九喇嘛達がどう動くか楽しみ。
 
 
(ナルト好きブログ!2013/08/18)