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NARUTO-ナルト- 646:神樹(しんじゅ) 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ42号) その1

NARUTO №646:神樹 その1

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「神樹(しんじゅ)」とは・・・「十尾の最終形態」。
 
かつて六道仙人の母「大筒木(おおつつき)かぐや」は、千年に一度実るという禁断の果実「神樹の実」を口にして神の力を得、チャクラを手にしたという。 チャクラを取られ、「十尾」として暴れ出した神樹を抑えたのは、かぐや姫の子供「大筒木ハゴロモ」・・・つまり六道仙人。 彼は生まれながらにしてチャクラを宿していたらしい――(マダラの説明による)
 
・・・なるほど。 六道仙人の本名って“大筒木ハゴロモだったんですね。 イメージと違って、なんか、ちょっとダサ・・(ゴラっ!)。
 
今までは、忍の祖・六道仙人が全ての「発端」だと思ってたんですが、なんと「その前」があったんですねぇ。 六道仙人母ちゃん・大筒木かぐや姫・・・彼女が「禁断の実」を食べちゃったことが、結局は全ての発端だったんじゃあないですか・・。
 
しかも、かつて神樹は「人間の争いに関わることはなかった」と言うんだから、人間の「敵」ではなかった・・人間を静かに見守っていたという事ですかね。 しかも、神樹はチャクラを取り戻そうとして「十尾」となって暴れ始めたというんだから・・これじゃあ十尾はちっとも悪くない。 「十尾は人々を苦しめた」なんて伝えられているけれど、それって違うような・・・悪いのは人間の方でしょーよ、十尾はかなり「誤解されてきた」んじゃないだろうか。 かぐやが「奪い取った神の力」を使い、どのように世界を「治めた」のかは不明ですが、その後忍達は神の力を「戦い」に使い続けてきた・・・そりゃあ神=十尾は当然「怒り」を感じることでしょう。  う~む・・やはり、九尾事件時の仮面(特にクシナから九尾を引きはがしたあたりの仮面)には「十尾(トビ)」を感じます。 神の力を“戦いの道具”とした人柱力システムへの怒りとか、「どれほど待ったことか」のセリフ・・・あれは神の怒り、“いわば天災”だったのではないだろうか、と。
 
そして忍達は「かぐや以降」、神の力を奪ってしまった「原罪」をずーっと背負い続けてきた事になり、チャクラという禁断の「美味」を知ってしまったために「永遠に戦い続ける」という呪いに縛られてきたという事になる・・・
 
息子のハゴロモは母の「尻拭い」をしようとして十尾を抑え込んだのでしょうが、それは「正しい導き方ではなかった」と己の失敗を認めてますよね。 そして(言い方悪いけど)後世の忍達に「母さんの尻拭いを託した」とも言える・・・うん、六道仙人も、なかなかの「失敗者」だったんですね。 
イタチ、ミナト、六道仙人・・私の中で勝手に出来上がっていた彼らの「完璧神話」が、物語終盤にきてガラガラと見事に崩されていくんですが、イヤ・・・でも感じるのは「失望」ではなく、「親近感」ってやつだってばよ(笑) 人間臭くっていいじゃないか、と。
マダラは「果てしない時の流れは本来の事柄に霧をかけていく…」なんて美しい表現で語ってますが(しかも「神樹」の触手のような攻撃をサラッとかわしながら・・余裕ですな)、良くも悪くも真実というのは埋もれてしまうもんなんですね。
 
ちなみに直接関係ない話ではありますが、かぐや姫のモデル迦具夜比売の父に「大筒木垂根王」という人物がいます(例によってウィキ頼りの付焼刃知識)。 竹取物語」中では、「竹」は神秘的な力を持つモノとして扱われており、物語中に不死の山として出てくるのは(当時は)甘南備(かんなびやま)を指していたと言われている(らしい)・・・
NARUTOでも「竹」というと、カカシ外伝中の「神無毘(かんなび)地域」巨大竹林や、蝦蟇の仙里・妙木山の巨大タケノコ群など「神の力」に満ちた場所の象徴として描かれています(63巻600話では、リンの背景にも竹が描かれている・・まるでかぐや姫みたい)。 う~ん、やっぱり「カカシ外伝」は、“神”のニオイがプンプンする(・・って、それはさておき)。
 
そして今まで疑問だった、『なぜ六道仙人は、チャクラをはじめて使えた人物だったのか?』という事と、『なぜ道仙人は 十尾の人柱力になる前から輪廻眼を持っていたのか?』という事・・・これら最大の謎も、今回ようやく解けました。 ようするに、六道仙人(ハゴロモ)は、母・かぐやの胎内で「神樹(十尾)のチャクラ」と同居し、その影響で「チャクラ」を宿し、さらに「輪廻眼」となって生まれたという事だったんですね・・・納得。
 
《眼はもっともチャクラの影響を受けやすい》という話は先週(645話)も出てきたばっかりですが、ナルトの「狐蛙眼(+模様の眼)」もそうだし、写輪眼、万華鏡写輪眼もその例ですよね。 
そして「母の胎内で胎児は母体のチャクラの影響を受ける」というのは、ナルトの頬には「九尾線(ヒゲみたいな線)」が生まれた時からあるという例でも証明されています。 
 
そして・・ちょうど645話の雑考で、『キラービーの猫眼疑惑』についての話題を再び出しましたが、その疑惑のキッカケというのが、《ビーは、八尾の人柱力になる前から遮光最高クラスのサングラスをしていた(=明るいところが苦手だった)のは、なぜなのか?》という疑問でした。 考えてみりゃ、これって《六道仙人は、十尾の人柱力になる前から輪廻眼だったのは、なぜなのか?》という疑問と「同じ」ことだったんですよね。 
で・・・六道仙人の場合は、「お母さんが十尾(神)チャクラを持っていたから、胎内で十尾神チャクラの影響を受けた」からでした。 ならば、ビーのお母さんはやっぱり『前・二尾(猫又)人柱力』だったのではないか・・という妄想が、今ではほぼ確信に近くなってきてるのですがこっちの話は(いまさら)出てくるかどうかは・・正直「ワカリマセン」(笑)。 しかし、クシナの胎内で九喇嘛と同居していたナルトが「生まれながらにして狐眼」にならなかったのは、ちょっと不思議。
 
 
ところで、「ハゴロモ」に「かぐや」といえば・・・「羽衣一族」「かぐや一族」を連想します(羽衣一族の名は、65巻柱間の回想中に登場します)。 
 
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(これが羽衣一族の家紋・・622話より)
 
この羽衣一族の「紋」なんですが、六道仙人の背中にある紋様(今のオビトの背中にもある)にも ちょっとだけ似てますが、それより「十尾(初期状態)と月」にも似ているような気がするし・・・(↓コレ)
 
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さらに、九尾事件時のオビトの仮面を横にすれば、コレにも似ています(↓)
 
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だから何?って話ですが・・・でもちょっと気になる。
 
柱間の回想から判断すると当時、羽衣一族はうちは一族とも手を組んでいたみたいだし、戦国時代には「うちは」「千手」と並んで一大勢力を誇ったと思われる一族なんですよね・・・かなり「六道仙人(大筒木ハゴロモ)」本人に近い血筋だったのではないかと推測します(家紋、名前からという単純な判断ですが。 羽衣一族についてはちょっとだけ後でも触れます)。
 
そして「かぐや一族」といえば君麻呂ですが、大蛇丸は君麻呂のことを「心から望んだ男」 「最も欲した体」とか言っていましたっけ(こういう言い方するから、キモチ悪いんだってばよ・・)。 
それは君麻呂が「六道仙人にゆかりが深い」かぐや一族であるから「仙人の器」として理想的・・という意味だったのでしょう(おそらく)。 当時の大蛇丸は「仙術修業に耐えうる肉体」を求めていて、イタチ→君麻呂→サスケと辿り、最も理想的な「器」探しを続けていたんですね(なぜか超美形ばっかりというのも気になりますが)。 
 
さらに君麻呂が重吾の暴走(自然エネルギーの暴走)を止められたのも・・そして重吾が君麻呂の生まれ変わり(とも言える)サスケを「天から与えられた使命」のように守ろうとするのも、君麻呂(かぐや一族)が六道仙人の血を受け継ぐ「特別な存在」だったと思えば、なんとなく分かるような(気がする)・・。
 
しかし君麻呂を愛でる一方で、大蛇丸はかぐや一族の事を《能無しの闘い好きな戦闘一族》とか《唯一戦場が彼らの安らげる場所だった》と語っていましたが、アレは実に的を射た発言だったと思います。 
 
「禁断の果実」に手をつけたことで、戦い続けることを運命づけられ、呪われてしまった一族・・・そして遂に自滅してしまった一族。 大蛇丸が君麻呂を救い出したのは、「心から望んだ男」だっただけではなく、呪われて自滅していく「美しい種」をそのまま放っておけなかったのではないでしょうか。 絶滅寸前の種をデータだけでも「保存」したいという、研究者ならではの本能もあったのではないか・・と思っています。
 
ほぼ絶滅種に近いと思われる「大筒木一族」、「羽衣一族」、「かぐや一族」、少数になってしまった(と思われる)うずまき千手一族・・そして今や2人になってしまった「うちは一族」・・・そして血霧時代の霧隠れの里で淘汰されたという「血継限界の一族」。
 
大過ぎる力を手にした為に、その力に呑み込まれ、消えていこうとしている「六道仙人の血を濃く受け継ぐ一族」・・・彼らは「神に呪われた」というよりも、己で己に《自ら呪いをかけてしまった》と言えると思うんです。 そして、それは一部の一族に限った話ではなく、「全ての忍」にも言えることではないかと・・。
 
本来は“神の力”であるチャクラを用い、「忍術という夢の力」を得た代償に、全ての忍達はその力に振り回され続けるという「呪い=リスク」を背負うことになったんじゃないだろうか。 なにも「かぐや姫」だけが悪い訳じゃあない(と思う・・・彼女も真剣に戦いを止めたかったのだろうし)。
 
《オビトから出てきた十尾(神樹)は、忍達のチャクラを次々と吸収していく・・》
 
「かつて神樹からチャクラを奪ったのは人の方だ… …コレはそれを取り返そうとしているだけだ」 (マダラ)
 
今の十尾(神樹)がやっている事が「本来の自分に戻るための作業」であるならば・・・やはり過去の「トビ」の発言には、「十尾(トビ)の発言」と思えるモノも、かなり多かったような気がするんですよね。
「全てが本来の形に戻るのだ」(40巻)とか、「完全体になること」(49巻)とか、長門(マダラ)の輪廻眼のことを「アレは元々オレのものだ」(54巻)とか・・これらは「十尾の発言」とすれば辻褄もあいます。
 
「争いを止めるために禁断の実に手を付けた人が……その後どうなってしまったか説明がいるか? そう…何も変わらなかった それどころかさらに争いは凄惨になったのだ」
「オレは…それを知って絶望した… この世界に本当の夢は無いのだよ柱間!」 (マダラ)
 
マダラは以前、「相反する二つの力が協力することで本当の幸せがある(が)、別のとらえ方もできる」と言ってましたよね・・そして「勝者だけの世界、平和だけの世界、愛だけの世界」を“造る”、と。
だけど、木ノ葉隠れの里を柱間と共に興した頃は、マダラだってこの世界でも「本当の夢」を掴むことが出来ると考えてたんですよね。 なのに・・あれから少しして、考えを変えてしまったのは「自分は信用されていない」という絶望もあっただろうし、当時マダラ周辺に漂っていた「気配」(625話でマダラの手元に舞い降りてきた「1つ穴の葉っぱ」)・・・アレは居場所を失っていた十尾の精神エネルギーじゃないかと思ってるのですが、その「影響」もあったのではないかとも推測しています。 その後マダラはチューブで魔像とリンクして「魔像からチャクラの供給を受けていた」わけで、マダラと魔像(つまり十尾)との関係はかなり「深かった」と思っています。 
 
・・ですが「十尾とオビトの関係」は、マダラを上回るモノだったのではないかと思ってまして(マダラは黒ゼツ、オビトは白ゼツ・・というか「グルグル」との関係が深いと思われる)、それが今になって、マダラにとって「予想外の結果」に繋がってしまったのではないか・・と考えています。
 
 
 
(その2へ続けます・・休日なもんで、続きは夜ごろにアップすると思います。すみません。)