ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 670:始まりのもの…!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ18号) その1 「六道仙人(大筒木ハゴロモ)登場」

NARUTO 670:始まりのもの…!! その1 

「名をハゴロモ
「そして忍宗の開祖にして 六道仙人とも言う」
 
イメージ 1
 
「つーかそれは言いすぎじゃね?」
 
「宇宙人って何だよアハハ! つってあんま違わねーか」
 
・・・ええっ??
 
いよいよご登場の六道仙人=大筒木ハゴロモ。どんな顔してるのかと今週は楽しみだったんですが、想像以上に厳つくて、般若の面を付けているのかと思うほど怖そうな目つきの悪~い爺さんでした(コラ)。  
持っている錫杖は、片方の端はオビトが持っているような「輪が6個ついた状態」で、もう片方の端はマダラが持っているように「輪が欠けた状態」です。ようするに、オビトとマダラのを合わせれば、かつての六道仙人の錫杖と同じ形になるんですね(輪廻眼が1つずつだからなのかな)。
 
話し方は面倒臭いし、無愛想でとっつきにくい人かと思えば、突然…
  
「あ マジ? ならこんな感じでいくんで夜露死苦!…つって!」
 
 ・・・・・・・こ、これがあの「六道仙人」??
 
どうやら、この「間違った(?)現代語」には事情があったようですが(笑)
と、とにかく…待ちに待った「ご本人登場」ですし、順を追って見てまいりましょう(今週こそっと模写を復活させてみました)。 
 
 
《さて、死の淵を彷徨い目覚めたナルトは、見知らぬ爺ちゃんに己の精神世界で会い…》
 
 
「…ここは……?」
「…オレってば……死んだのか?」
 
これ、どっかで聞いたようなセリフですが…そうです、601話神無毘橋でオビトが死の淵を彷徨い、マダラのところで目覚めた時とほぼ同じセリフ(と同じような状況)です。
 
あの時のオビトの「オレ…は死んだ…のか?」「…ここは…?」のセリフは、27巻カカシが神無毘橋で目覚めた時のセリフとも「同じ」で、これが絶妙な演出となっていましたが(詳細は601話感想にて)、今回のナルトのセリフも重ねてきましたねぇ。 で、この後のナルトのセリフも、601話のオビトのセリフとかなり重ねてありまして、たとえば…と例を挙げると長いのでコレは記事の一番下(※1)に出しておきます。  
 
ナルトとオビトはここでも「似たような運命」を辿っているんですよね。《どちらも戦争で瀕死となり、謎の爺さんと出会い、大切な何かを託されるというパターン》… ナルトとサスケが《違うタイプで全く違う道を歩む“対”》であるなら、ナルトとオビトは《似たタイプで裏返しのような運命を辿る“対”》。登場人物達が綾を織り成し、運命が交差していく「妙」。
 
 ただし、じじいの「話し方が分かりにくい理由」は全然違うんです(逆と言いましょうか…)。
 
マダラの話が分かり難かったのは、白ゼツ曰く「ガキに合せて話すほど人間出来てないからマダラ」。一方の六道仙人は「頑張ってガキに話を合わせて話をしようとする」(人間出来てるのかな?)。だけど「合わせ方」が分かってないから、話が余計分かり難い。
(もっとも、マダラは人間出来てない訳じゃなくって「そこまで器用じゃない、恥ずかしくて出来ない」って事だと思う…とフォローしておこう… 柱間みたいに堂々と「孫溺愛で甘やかす」なんて“したくても”出来そうにないし)。
 
はじめは、ハゴロモさんも「御主の死に対する倫理的観点は」とか「今は急いても無為である」とか「文化的伝統や観念」「形式主義的に規定し」…「今の観念論的な上学と唯物論的な考えを考慮して…云々」(以下略)なんて大変メンドクサイ口調で話していたんですよね。でも、ナルトが「もっと!!スムーズに!!カンタンにフツーに話せねーのかよ!!!」と叫んだものだから(ごもっとも!)、今度は「つーか言いすぎじゃね?」とか「あマジ?」なんて極端なセリフを言って「フツー」を試してくる(笑)。 ハゴロモ爺ちゃんは「イマドキのフツー」が分からないから、ややこしい事になってるのです。
 
でも、やっと「いわゆる普通の口調」になったところで「そこ!!!オッケー!!そこで決めて!!」とナルトにアドバイスされ、「うむ…だいたい分かってきたぞ」なんて(笑)…まるで孫と話を合せようと頑張るお爺ちゃんみたいで、実に微笑ましい。いや、つーかマジで最高っす(笑) 
 
とはいえ、前半の『ナルトには意味が分からなかった六道仙人の威厳たっぷりな、難しそうなセリフ』も、なんのことはない…《時代が経ち過ぎて世代のギャップについていけず、イマドキの話し言葉が分からないから、両極端と思われる言葉で試してみるかぁ》程度の事しか言ってないんですよね。 簡単な内容をやたら「難しそうなボキャブラリーを駆使してカッコつけてる」セリフでありまして(「観念論的な上学と唯物論的な」…とかね)、カリスマ的とも言えるけど、いわゆる“中二病な感じ”でもあります。 
 
で、ナルトに「さっきの(バカっぽい)しゃべりでいい」と言われると今度は夜露死苦!」なんて言っちゃうんだから(案外とこれも、ハゴロモさんのツボ?)、これじゃどっちにしても「単なる中二病」… 六道仙人って天然で「中二な感じが大好き」だとしたら…ちょっとミナトと似ているし、意外と「可愛らしい爺ちゃん」といいますか、ド硬~い表情で「あ マジ?」なんて言うところは、とにかく最高!! ナルトのツッコミに対して、いいボケかましてます(違うってば)。
 
上から目線じゃなく「相手に合わせて」話をしようとしたり、そもそも自分で自分のことを「ワシは時代錯誤である」なんて言うぐらいだし、六道仙人は己を客観的に見ることが出来る人…なんですね。 「バカとは何事だ!」と言いつつも「まあ…さっきのしゃべりではそう思われてもしかたないか…」なんて即反省したり、己の失敗やら欠点を自己分析していける人は本当の意味で「強い」のだと思います自来也とかイタチがそうですかね)が、これが出来る人は案外と数少ない(と思う)。
 
それはさておき、なぜ六道仙人が己を「時代錯誤」だと自覚したり、イマドキの言葉(?)を知っていたのかというと…このセリフにヒントがありそうですね、「こうして時代を超え転生者に会う度にそれらの両者にある相違を大きく感じる事となった…」。 
ふむ、六道仙人はどうやら何度も「転生者」に会っているらしい。中には「つーか」とか「夜露死苦!」なんて喋る転生者もいたってことですね、たぶん…(汗)
 
それに「ワシの名を聞き先駆者の見聞と一致するかはいささか不安ではある」なんて言ってますが、つまり『つーか、ワシってどんなイメージで言われてるのかなぁマジで不安なんだけど』ってことでしょうか(?) いや、気になるのはそこじゃなくて、過去に六道仙人に会った人達(先駆者たち)が居るということ、そしてその人達の「見聞」が外の世界に伝わっているかもしれない…ということ。だって今まで六道仙人の事を知っている人って「あまり」いませんでしたから。
 
そもそも《転生者》とは何を指すのか(六道仙人に会って復活して帰った人なのか、六道仙人の息子達が転生した人なのか)よく分からないのですが、いずれにせよ今までにあの世との狭間を彷徨い、六道仙人に会って話をした人達が居るのは確かなようです。うーんマダラも…過去に六道仙人に会ってるんだろうか?それとも、マダラは別の「誰かさん」に出会ったんだろうか。
 
先ほど述べた「ナルトが六道仙人に出会ったシチュエーション」と「オビトがマダラに出会ったシチュエーション」が似ているというのも、何だか気になるんですよね。マダラが過去に「誰かに会った体験を基に」再現したんではないか…と邪推してしまいます。
 
最果ての地にアジトを構え、その空間に外道魔像を鎮座させることで《あの世との狭間》もどきを作り、自らを《うちはの亡霊》と語るなど…マダラ自身《あの世との狭間で》似たような体験をしてるんじゃないかと思ってしまいます(マダラもおそらく「インドラ」の転生者なのだろうし…ってコレは後述しますが)。
 
気になるワード、《転生者》…
 
「先駆者の見聞」とやらは気になるところですが、実際に『六道仙人について』は、ほとんどの忍は何も知らず「神話のような話」程度の認識しかありませんでした。 しかし、ナルト(と読者である我々)は、今回ハゴロモが語った内容の「大半」は既に知っています(新事実としては「六道仙人にも兄弟がいた」とか息子達の「名前」とかはありましたが)。 それは長門の話から知ったり自来也長門に語った六道仙人情報)、トビの話から知ったり(49巻鉄の国宿屋にナルトを訪ねてきた時と五影会談)、そしてマダラの話から知ったり(マダラが柱間に語った神樹とかぐやの話)… このうちオビトはマダラから(も)説明を受けていたと思われるし、マダラは情報源を「石碑」と語っています。 ですが、自来也に関しては「誰から六道仙人情報を得たのか」は不明なんですよね。
長門に出会ったばかりの頃の自来也は「六道仙人情報」を殆ど持っていませんでした。ですが、その後長門に六道仙人情報を教えているので、その間(第3次忍界大戦前の頃)「誰かから」六道仙人情報を得ていた可能性が高いんですが、いったい誰からなんでしょうねぇ…気になる自来也自慢の《情報網》。妙木山なのかなぁ。
 
ところで、六道仙人がナルトに語った言葉の中から、幾つか気になったものを取り上げていきますが…まずは、ハゴロモのこのセリフ。
 
「ワシの母である大筒木カグヤは 遠い場所からお前達のこの地に来た」
「神樹の実を取りに来たのだ」 
「お前達もこの戦争で見たあの神樹…そのチャクラの実だ」
 
初公開の「かぐや」さんの絵を見ると、彼女もかなり「人外」チックな(ちょっとコワい)イメージではありますが、でもどこか似てますね「かぐや君麻呂」(特に髪の分け目がギザギザなところとか、何となくウサギフェースなところとか)。 かぐや一族が「戦闘を運命づけられた一族」という事から考えても、君麻呂がDNA「かぐや」を受け継いでいた可能性はやっぱり高そうだと思います。彼の「謎の病」とか、彼の一族情報があまりに乏しいというのも、気になるんですよねぇ…。
 
そして「チャクラの実」の絵なんですが(まるで桃か栗)、あの神樹の花が「実」になると、ああなるんですね。 当然「実」がなる前に「開花」の状態があったハズで、千年前(?)の開花時に花の中の「眼」がどのように世界に作用したのかも気になります(当時はまだ「月」は無かったはずですが)。
 
そして、上のセリフから3点ほど気になる点があるのですが、まず1つ目はナルトも思わずツッコんだように《カグヤってどこから来たの?》という素朴にして肝心な質問。 六道仙人は「どうでもいい」とサラッとかわしましたが、いや、どうでもよくないってばよ(笑) 
 
「お前達のこの地」というハゴロモの表現から判断すると、かぐやは「この世界じゃない場所」から来たっぽいですよね。 「卯(うさぎ)の女神」とか「鬼」と呼ばれたらしいし、月から来たのか「天」から来たのかと思わせるイメージですが、NARUTO世界の「月」とは六道仙人が己の死に際に十尾の抜け殻を封印するために作ったもの》であり、かぐやが月から来たとするにはちょいと無理があります。 もっとも、さらに遠くに別の「月」があるなら何とも言えませんが(苦笑)、ナルトが仙人の事を冗談で「宇宙人」と言ったのも、あながち間違いではないのかも(汗) …いずれにせよ、「母かぐやがどこから来たのか」については今はまだ言えない事情が、六道仙人にはあるのでしょう。
 
そして2点目、かぐやがこの地に来た目的が「神樹の実を取ること」だったこと…《遠方からわざわざその為に》やってきたという点です。
 
彼女が実を食べて何をしたのかと言えば「力を得てこの地を治めた」…つまり彼女は「この地を治める為に」遠くから来た(或いは派遣された?)と思えるんです。争いばかりだったこの地を治める為に、遠いどっかから来たのだとしたら…彼女の「出身地」はさらに気になるところ。まさに天から遣わされたんじゃないかと思ってしまう。
 
さらに3点目…六道仙人は「今のこの戦争の状況」も、ちゃんと見て把握しているという点です。 「チャクラだけでこの世を漂い 世代を超えて忍宗の行く末を見とどけてきた僧侶」と自己紹介していた通りで、たしかに「ちゃんと見てた」んですね。 六道仙人が「忍宗」を興したのも、母かぐやが残した罪(原罪)をあがなう為だったと思うのです。
 
「忍術ではなく忍宗だ」
「ワシの忍宗は希望を作り出す為のものだった 戦いを作り出す忍術と混同してはいかん」
 
ここは「キッパリ」ですもんね、ハゴロモとしては(ナルトにも)強調しておきたい部分なんだと思います。 チャクラを平和的に利用する方法を示すことで贖罪し、それを「希望」に変えたかったのか…彼は「母の罪」と「子供達の罪」両方に責任を感じながらも、希望をもちながらこの世を漂い続け、見守ってきたということでしょうか。 “チャクラだけの存在”だから外の世界では「実体化」こそ出来ないのでしょうが、この世を「漂いながら」見てきた…というのは一体どういう状態だったのだろう。
 
65巻625話で登場した、木ノ葉の里創設当時マダラと柱間の周囲を「木ノ葉に宿って漂っていた」不思議な存在。 アレがずーっと気になっておりまして、アレは「神」なのか「十尾の精神エネルギー」なのか等、散々考えてまいりました。
だけど、アレは六道仙人のチャクラだった可能性もどうやらゼロでは無さそう…な気がします(あの時、感知系の扉間でさえチャクラを感知できませんでしたが、もし、うずまき一族・香燐の「己のチャクラを消す能力」に似た能力を使えば「チャクラを消して感知されないようにする」ことは可能ですから)。
 
チャクラ状態でこの世を漂って見届けていたのなら、六道仙人だって当然《あの頃のハッシ-とマダラ》には並々ならぬ期待を抱いていたハズです。なにせ、柱間とマダラは《ナルトとサスケの前に運命に選ばれた二人》だったのですから。
そして、六道仙人がいかに「この世の行く末」を興味津々で見守っていたか分かるのが、次の六道仙人のセリフ…《今週、一番気になったセリフ》です。
 
 
「…とにかく今は色々と条件が整ったのだ」
 
「お前に託さなければならない事がある」
 
この世を漂い見届け「色々と条件が整った今」は、六道仙人にとってまさに千載一遇の「逃せないチャンス」らしい。しかし《色々と条件が整った》とは何を指すのか。そして、なぜこのように「好都合に」条件が整ったのか。続きでさらに考えてみたいと思います(それと2人の息子「アシュラとインドラ」のことも)。
 
長文になってごめんなさい。
 
 
(※1)
・ナルトが六道仙人の眼に「輪廻眼!!」と反応して驚いたのと、オビトが「その眼…!!じいちゃんもうちはの?」と写輪眼に驚いたのと同じ。
・六道仙人に「宇宙人かなんかか?」と聞いてしまうナルトと、マダラに「死神じゃないよな?」と聞いてしまうオビト…
・ジジイの長い話に(いるんだよなァ…こういううっとーしいタイプのじじいって!)と思ってるナルトと、(スイッチ入っちゃってるよ…こうなるとじじいの話は長ーんだよな)と思ってるオビト…
「オレってばこんなとこで変なじじいの話を聞いてる場合じゃねーのにィ!!」と叫ぶナルトと、「さっきからるっせーよ!オレはこんなとこに長居はしたくねーんだ」と訴えるオビト…
・ナルトの「じいちゃんは何者?」、オビトの「じいちゃんいったい誰なんだ?」の答えは、「まさかの伝説的な人物だった」という点も同じ…とまぁだいたい同じ流れで話が進められていきます。
 
 
(その2へ続けます)