ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 680 もう一度 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ29号) その2

NARUTO:680 もう一度 (2)

 
さて、今週の「ナルトとサスケの会話」には、NARUTO中でも最も難題と思われる「お題」が含まれておりますが、その前にちょっとだけ話が逸れますが…
 
今回ナルトが「橋」としか言わなかったことで、サクラは勘違いしたんじゃないか?という話を「その1」でいたしましたが、NARUTOには「橋」がけっこう登場します。
 
NARUTOに於ける「橋」…
 
 波の国の橋(なると大橋)、草隠れの天地橋(カカシ班の任務)、鉄の国国境の橋(ダンゾウ戦、第七班再集結)、草隠れの神無毘橋(外伝)、実際の橋じゃないけど小南が言った「希望の懸け橋」など…かなりの「橋」が登場します(だいぶ前に「橋シリーズ」の雑考を書いたこともあるぐらい)。 「橋」は「あっち側」と「こっち側」を繋ぐものの象徴でもあります。
 
 波の国の橋や「希望の懸け橋」のように夢で繋がれた橋もあれば、天地橋、神無毘橋、鉄の国橋のように「壊れてしまった」橋もあります。壊れた橋は「繋がれていたものが壊れてしまった不安、悲しみ」…。
 子供時代の柱間とマダラがやっていた「水切り」…あれも「向こう岸に届くための」夢のかけ橋のようなものですよね(柱間にとっては「夢の賭け橋」、マダラにとっては「夢の掛け橋」)。
 
 マダラと柱間にとって、あの時の水切り(夢のかけ橋)は生涯忘れられない大切な「二人を繋ぐ記憶」であるように… ナルトとサスケにとって「波の国の橋で共有した想い」は二人を繋ぐ大切な記憶なんですね。 “鷹”を結成したばかりの頃、サスケが水月のお供で波の国を訪問する場面がありましたが、あの時サスケは「あの橋」を懐かしそうに見上げてましたよね…
 
今回、サスケは「二人の共有する(六道仙人に託された)役割」を示して「分かるな」とナルトに言ってきましたが、ナルトは「二人の共有する(共闘の)思い出」を示して「分かるよな」とサスケに言った…  サスケは穢土転イタチとの再会でも、イタチに「共有する(共闘の)思い出」を示されて心を合わせたばかりですから、内心「やられた」と思ったんじゃないでしょうか(笑)
 
 考え方や性格など色々と「合わない」二人でも…ムリに全部一致させる必要はなく、「共有する思い出(一致する想い)」という《ぴたっ》と合わせられる部分が1つでもあれば…そこを取っ掛かりにして、再びつながればいい。 それは「ミナト譲りのチャクラ型変換能力=仮称トランス能力」「不思議な力(誰とでも仲良くなれる力)」を持つナルトらしい発想かもしれません。
 
…とはいえ、サスケが言っている事は極めて「ごもっとも」な事(現実的、具体的)でして、そしてサスケが言う「二人が陰・陽遁を合わせる事」も「具体的に」六道仙人が二人に期待した事でもあります。
 そしてナルトが言っている「自分達が死んじゃダメってのも分かるが、仲間を守るのも自然なこと」というのは「具体的じゃない」けれど、大切な「心、感情」の問題。 ナルトがこだわる「二人が心を合わせる事」は、六道仙人がアシュラとインドラの転生者である二人に望んだことでもあります。 どちらも…大切な事に思える。
 
 でも…今回は「たまたま」カカシがサクラとオビトを助けてくれたから良かったけど、そうじゃなかったらどうしていただろう?? サスケだって、本当に彼らを見捨てる事なんて出来ないと思ったからこそ、あえてあんなことを「言った」んじゃないかと思うし… 実際に仲間が目の前で危険に陥った時の《大勢の人達の為に任務の続行か、それとも目の前の仲間を助けるか》…この究極の選択は本当に難しいと思うんです。
 
「大切な託された任務か、それとも仲間の命か」…この問題は、当ブログでずーっと考え続けてきた例のお題「白い牙サクモの選択」問題と同じですよね。 
 
 今までこれについては様々なご意見を頂戴しましたが、私もいまだに「どっちがいい」とは言えずにいます(どっちも大切に思えるから)。
 カカシは、ナルトとサスケのやりとりを黙って「……」と聞いていますが、想い出していたんでしょうか…神無毘橋任務での「カカシとオビト」のやり取りや、サクモ父さんの「決断」を。
 
 カカシ外伝では「任務や掟よりも仲間を大切にすること」の大切さが強調されている面がありますが、本当にそれでよかったのか…という疑問も感じるんです。どっちを選ぶにしろ「大切な何かを守るために、他の何かが犠牲になる」事に変わりはない。カカシとリンを守るために死んだオビト、里を守るために死んだリンのことでカカシはずっと後悔して生きてきたのだから…
 
「無理な二択」を迫られた場合、忍の世界では感情を押し殺し「より多数を救えるほう」を選択してきたと思うんですよね、それが「セオリー」ってことで。
 例として『ドダイの究極の選択』というのがありまして、雲隠れのドダイも「より多くを救うための選択」をしています(詳細は記事を見ていただければ幸いです…お時間のある時に←記事へ飛ぶマーキング)
 
で…忍の世界でしばしば迫られる、この「究極の選択」…これに(おそらく)最初に疑問を投げかけたのが「マダラ」じゃないかと思うんです。
 
「お前(オビト)が傷ついたからこそ代わりに助かった者がいる… 違うか?」
(602話)
 
マダラも「イズナが犠牲になって」自分が生き残った事に苦しんでいたのだろうし、里を守るために柱間が「何かを犠牲にした」事にも疑問を感じたのだろうし…《大切な何かを守るために、何かが犠牲になる》忍世界の根本にある問題を彼は解決したかったんだろうな…と思います。 
 
 しかし「どっちかを選択し何かを切り捨てねばならない」忍世界において常識を打ち破る「どっちも守る」的な発想をし、平然とそれを口にするのが「ナルト」。
 
 イタチに「里を取るかサスケを取るか」と問われて「どっちも守る」と答えてみせたり… 538~539話では「サスケは何とかしてみせるし、戦争だってどうにかしてみせる」とか、「おめー(九喇嘛)の中の憎しみもどーにかしてやりてーと思ってる」なんて答えてるし… さらに自来也に「サスケは諦めろ」と言われて「サスケは連れ戻すし暁もぶっとばす」なんて事も答えてたし… ナルトの発想に「何かの為に何かを犠牲にする」というのは無いのかもしれません。 
 (そういう意味で、マダラとナルトは「話が合う」んじゃないのかなぁ…?)
 
「仲間」なのか「任務」なのか、「目の前の仲間」なのか「より大勢の命」なのか。何かを守るために何かを犠牲にしなくてはならないのか…?
忍達がずっと悩んで答えを出せなかった「究極の選択問題」に、ナルト達は新しい答えを出せるんだろうか…?
 
カカシは、鈴取り合戦(第8話)で「サクラ!ナルトを殺せ さもないとサスケが死ぬぞ」なんて「無理な二択」を迫ってましたよね。 そして慰霊碑にも触れ「この中にはオレの親友の名も刻まれている」と言って《何かを守るために何かが犠牲になる》忍世界の厳しさを教えていた… カカシ自身、まだあの時はこの問題の「答え」を出せてなかったのかもしれません。
 
 でも、ナルトの言ってることは「どうにかする」とか「何とかする」が多いから、「具体的に考える」サスケに「甘い」とツッコまれそう(笑) だけど、ナルトはがむしゃらに行動して実現してみせる。
 
《想像を司る精神エネルギーを元とする陰遁の力…それを使って無から形を造り
生命を司る身体エネルギーを元とする陽遁の力…それを使って形に命を吹き込む》とは、54巻オビトによる隠遁・陽遁の説明ですが…
サスケの言うように、六道仙人から託された「陰・陽遁」を二人で合わせれば強力な封印術が実際に生まれるのかもしれません。だけど、それだけじゃなくて…
 
ナルトのサスケの「隠遁」…つまりサスケ(インドラ)の「具体的な発想」、具体化する能力と… ナルト(アシュラ)の「陽遁」…ナルトの「行動力」。その2つがうまく合わされば、無理だと思われた「夢」だって現実世界で実現するんじゃないだろうか。
「どっちかを選択しなければならない」鈴取り合戦の究極の二択も、「どっちも守ってみせる」という答えが、これから出せる「かも」しれない。
 
あの時、「鈴取り合戦」の場にいて「答えを出せずにいた」忍達(ナルト、サスケ、サクラ、カカシと「石碑に名を刻まれた英雄」として紹介されていたオビトも含めちゃう)が、今この場に「全員揃っている」のは…
 
《たまたま近くにいただけ》…ではありますまい…
 
 
 
 
 
(すみません;ここで区切ってカグヤVSナルト達、火影達の事はその3で…)