ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 672:夜(や)ガイ…!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ20号) その1

NARUTO 672:夜ガイ…!! その1

 
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「行くか……」
 
見事にシンクロした《ナルトとサスケ》。
まったく同時に違う場所で立ち上がった二人。
 
 これ、おそらく本当に“同時”だったんじゃないかと思います。そして、立ち上がって一番に言った言葉も同じ「行くか……」。
 
これも偶然ではなく必然的なもの…ナルトとサスケは「心も」シンクロしているからじゃないかと、私は思っています。 対称的な道を通り「ケンカ」もした2人だけど、辿り着いたところは同じだったのではないか…? 
 もちろん、全て考えが一緒とは思わないけれど、一緒である「必要」もないと思うんです。全くの一枚岩の必要はない…「同じ方向を見ている」って事が、大切な事なんじゃないのかな。 まだ腑を完全に見せあった訳でもないし、鉄の国での一件以来、ちゃんと仲直りしたわけでもない。繋がったのも、まだ六道仙人経由…あとは「本人次第」。でも彼ら二人を「信じよう」と思ってます。
 
 
そして新たに浮かび上がった「太陽(陽)」と「月(陰)」の印。
アシュラとインドラの力の象徴として描かれていた「太陽と月(三日月)」。
 
元々ナルトには陽の力(肉体エネルギー)、サスケには陰の力(精神エネルギー)がありますが、ハゴロモは彼らに己の「陽の力と陰の力」を与え、それぞれの力を仙人レベル、MAXにまで引き上げたということなのかな(と解釈)。
 
 
・そして《家紋》の話なんですが。
 
 背中の「うちはの家紋」「うずまきの家紋」。うちはのあの卓球マークの上半分は「三日月=隠遁」を、うずまきのグルグル模様は「太陽=陽遁」の意味でもあったんですね、納得。「名前」にも意味があるけれど、「家紋」が示すモノにもかなりの意味がありそうですね(…という事で、ちょっと話の軌道を逸らします)。
 
 まず「うずまき」の家紋ですが、このグルグル模様…輪廻のループみたいにも見え、尾獣の尻尾のようでもあり、勾玉の変形の様でもあり、チャクラの渦にも見えるし、グルグルみたいにも見える(いろいろありすぎ)。「肉体エネルギーの象徴=獣の象徴」というイメージかな。
 
 そして「うちは」の家紋ですが、卓球模様の上半身は「三日月=月」であるとして、下半身のほう…これ、月を仰ぎ見る「神樹の花」に見えるような気がする(強引かもしれないけど)。 
 前に「満月と神樹の花」を模写した事があるんですが(何話でだったかな)、これが難しくって…神樹の形って、なんだか間抜けなヒョロ長さで描き難い(自分の絵が下手なのを棚にあげて言いますが)。 これなんですが↓
 
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絵のバランスのせいもあるけど、描きながらちょっと「うちはの家紋」っぽいと思ってました。無理があるかもしれないけど、もしかしたら、うちはの家紋は《月と神樹》模様なんじゃないかと(ちょっとだけ)思っています。 月を仰ぎ見る眼模様…
 
 そして以前(何話か忘れた)の感想で「うちは一族は元々“信心深い”一族で、“天か地か”という点に於いては《天》側」という話をした…と思います。 柱間とマダラの「水切り」に於いても、柱間は「自分の力で夢を叶えられるかを賭けて」いたけど、マダラは「神が夢を叶えてくれるか願掛けしてた」…という話を。  
 最近でも「マダラは信心深い」という柱間談話があったり、マダラ自身の「天が味方したのはオレの方だ」という発言があったり、うちはは神社に集会所を設ける「信心深い」一族(「神ではなく火の意志=人間力」を信じる千手とは発想が違う)。なので、あの家紋には「神に仕える者」の意味もあるのではないか…そしてアレが神樹(の花)なら、それが示すものはそこに在る「眼」…あの家紋は「精神エネルギーの象徴=眼」なのかもしれない…と思ったりします。
 
 で…今回2人が仙人から与えられた力の象徴、利き腕に刻まれた「印」の「太陽=○」「月=☽」印なんですが、確かに「家紋」に似ているけど、それぞれ「足りない」ものもある。 ナルトの太陽マークには「グルグル模様」がないし、サスケの月マークには「神樹の花模様(?)」がない。 まだ戦場には「グルグル」「神樹」も残ってる… これって偶然なのかな。

※ついでに「家紋」といえば、柱間回想で「わざわざ」羽衣一族の家紋が登場したのも気になって仕方ない。グルグル仮面や、九尾事件仮面の模様に似た、あの家紋の意味するものは何だろう… 気になってはや一年、この謎は解明されるんだろうか? 
 
さて、話を逸らすのはこのへんにして、遂に…
 
 
・《ガイの最終技》ですが。
 
「あの構え…夕象じゃない…!!」というリー発言から、これはリーも未知の「ガイ先生から聞いていなかった技」、夜ガイは“ガイオリジナル”なのだろうか。 最後の最期には「己の名」が入るものなのか、それとも「初めて使う人」だから本人の名が冠されるのか。 《夜(や)ガイ》…
 
 生前のイタチは「死に際になって自分が何者だったか気付かされる 死とはそういう事だと思わないか?」と語っていたけれど(鬼鮫に「オレ達は魚じゃない」という話をした時)、ガイ自身も「忍の生き様は死に様で決まる」とも言ってましたっけ。 ガイも、死に際になって自分が何者だったか知った…「オレは獣じゃない、《マイト・ガイ》だった」と気づかされたという事なんだろうか。
 
己の青春が最も燃える時…自分の大切なものを守りぬく時。その時は、やはり己自身《マイト・ガイ》として死に様を貫く時でもあるのでしょうか… 体全体が紅くマグマのように燃えて壮絶の一言に尽きます。でも、思ってしまう…そこまでして証明しなければならんものなのか、と…。 
 かつて鬼鮫にはああ言っていたイタチも、穢土転生後、カブトには「オレと違って死ぬ前に気付いてほしい」と願っていましたよね。死んじゃったら終わってしまう…やっぱり「生きて」欲しい。 ガイも生きてくれなくては。
 
 
・《そして、アカデミー入学前のガイを思い出すカカシ》 …これ、彼らが5歳ぐらいの頃かな。
 
 出てきましたねぇ――…カカシ父さん「はたけサクモ」、かの有名な《木ノ葉の白い牙》。 とっても優しそうなサクモ父さんと、典型的な神童タイプのカカシ。私はああいった生意気なク○ガキは苦手なんですが(笑)まぁそれでもやっぱり可愛いかな、あの眠たそうな眼は。
 
で…「木ノ葉の白い牙」サクモさん。 優しそうだけど、どっかお人好し過ぎて頼りない感じもあったりで… だけど、あとになってサクモという人が如何に切れ者だったか、少しだけ分かったような気もしました。術や技のキレも一流だったんでしょうが、アタマのキレ、他人を見抜く目の確かさも…「さすが」だな、と。
 
 アカデミーの前で出会った「マイト親子」に、ニコニコと話し掛け「仲良くしてやってくださいね」なんて…「里一番の忍」としての激務の合間を縫って、しっかりイクメンしてたんですね、サクモさん。  当時のカカシは優秀ではあっても、性格はまぁ「あんな感じ」だったから、お友達とうまくやっていけるのか父さんとしては心配もあったんじゃないのかな;  
 だけど、ダイに「イヤそれは無理ですな!」とキッパリ断られてしまい、「…え!?」(モ…モンスターペアレント?)と、モンペにビビる「木ノ葉最強の忍」
 
その点、カカシは大人の会話に冷静に突っ込んでいく… 
「イヤ…違うんだよ父さん」とか「そこ笑うとこなの?」とか「父さんの方がもう失礼かましちゃってるでしょ」とか「だいたいこいつは~なのに~だし…」とか「…と…そろそろ行かないと時間に遅れちゃうよ父さん」とか。 なんだか《口うるさい母さん》みたい。
 
そして「こいつは…アカデミー試験に落ちたの」とか、この頃から多少「オネエ口調」傾向がありますが、これって「母さんがいなかった」から、カカシは小さい頃から自分の「内」に“母さんっぽさ”を作り、母さん語で話すことで「母さん」を補完していたのかな…なんて考えています(過去記事)。
 カカシは、サクモとの「父子関係」に於いても、母さんに代わって「おっとり型サクモ」にツッコミをしてたんじゃないだろうか。…サクモって穏やかで笑顔が人懐っこいところがミナトと似ているし、母さんも口うるさい「クシナタイプ」だったのかな… NARUTO世界では母ちゃんズは皆、たくましく最強だけども(かぐやさんを頂点として)。
 
サクモ父さんは(意外と)すぐオロオロっとしてしまうし、優しすぎてお人好し過ぎて、しっかり者カカシは「物足りないんだよ父さん」って思っていたかもしれない。 いわゆる「伝説の忍達」ってのは「強さ」だけが伝説となっていくから、実物に出会うと「意外な人柄」に驚かされます(柱間はそのいい例)。うん、やっぱり「夜露死苦!」って喋ってた(少々バカっぽい)転生者は誰なんだろうって気になります。案外すごく高名な伝説の忍だったのでは…(笑)
 
 でもカカシの場合、父さんの「超お人好しで気が弱そうな」ところは長い間、なかなか理解できなかったのではないでしょうか。 オビトのおかげで父さんを受け入れられるようになってからも、完全に理解するまでには時間が掛かったのではないかと思います。 48巻で再会した時にも「今なら父さんを理解できる」「今は誇りに思う」と言っていたから、長い間理解できなかったんじゃないのかな… 
 
 本来はカカシも「お人好しで優しい」性格だと思うんですが、父さんの「甘さ」を否定するばっかりに、自分の中にもある「父さんっぽさ」は受け入れられなかったのかなぁ…と思います(しっかり者で口うるさい「母さんっぽさ」は肯定してたと思うんですが)。でも今のカカシは「ニコニコ」っとして“だいじょーぶ!”と言ったりする…あれは「父さんっぽさ」なんですね。 それでも1~2巻の頃はまだ厳しい上官のイメージもあったけど、最近(特にサクモと再会以降)になってナルトに甘~く優しくなってきた… あれも素直に「己の中の父さんっぽさ」を受け入れ始めたからでしょうか。
 
 
 
 
(中途半端なところですが、長くなってきたので…とりあえずその2へ続けます)