ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 680 もう一度 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ29号) その3

NARUTO:680 もう一度 (3)

 
(私事ゴタゴタしてて記事upが遅くなってしまいましたが、これでラストです)
 
さてさて「今週のカグヤ」なんですが… 彼女、ナルト達の行動をじーっと見てますね。
 
 あんな溶岩ドロドロ空間を口寄せし、灼熱地獄に落とそうとして、彼らがどんな「対処をするのか」を無言で観察していた感じ。
 さらに、巻物に火がついてカカシ達が落ちそうになった時、ナルト達が助けようとすると、その邪魔をするように仙法・毛針千本(的な術。“神”法かもしれませんが… 自来也がペイン相手に使っていたのと似てますよね)を使い、サスケの鷹とサスケの点穴を突いて、ナルト達をまたまた溶岩流に落とそうとする… 
とりあえずはナルト達を「倒す」のが目的ではなく「こうしたらどうする?」的にナルト達の対処法を「試してる」というのかな… それも…
 
(ついに落ちそうになった大ピンチに、ナルトは…体が“ぷかぷか”と浮いている事に気づく)

 
「ん?」 「あ!」  (ナルト)
 
「浮けるのか!?」 
(確かに… 六道のチャクラを得たマダラも浮いてたしな) 
 (カカシ)
 
「……」 (ナルト、驚いた表情とドヤ顔)

 
 そしてナルトが「ついに浮いた」のを、カグヤはまたまた無言で《じーっと》観察してますよね。 何だかなぁ…彼女は「これ」を確かめたかったんじゃないかと思うんです。 

 いきなり「下は溶岩」なんて空間を口寄せしたのも、そして「サスケの鷹」の翼をへし折ったのも、サスケの(翼のある)須佐能乎を使えなくしたりしたのも… あらゆる「他の浮く手段」を封じ、最終的にナルト達が「浮く」ことが出来るかどうかをカグヤは確かめたかったんじゃないだろうか。

 なんだか「あの時」に似てますね、自来也がナルトを崖から突き落として絶体絶命のピンチにさせ、土壇場の力で「蝦蟇の口寄せ」に成功させた時(11巻)」と。 あの時みたいにナルトを追い込んで『潜在能力』を引き出して、その「真の力」を試してみたんじゃないだろうか。
 
 カグヤにとって《ナルトとサスケ》は「誰?」って感じだろうし、正直「どこの馬の骨とも分からぬ者」ですよね。だけど、そんな子達が《アシュラとインドラ》のチャクラを持ち、しかもハゴロモが「力」を与えている… 
何故ハゴロモが彼らに力を与えたのか、そしてハゴロモが「どこまで」彼らにその力を与えているのかを知るために、ナルト(達)が《体を宙に浮かせることが出来るか》を試したんじゃないだろうか。
 
 つまり…「地の重力」に逆らうことが出来る事、「体を浮かすことが出来る」ことは、六道のチャクラの証というべきもの、ある意味「天」の力…「神」のような力とも言える(のかもしれない)…
そのような「特別な力」を「こんな子供達」に与えたハゴロモの真意(あるいは企み)…それをカグヤは警戒してるんじゃないだろうか。

「体を浮かす」術と言えばオオノキが思い浮かびます。 オオノキは「血継淘汰」を使える数少ない忍の一人でもありますが、「浮くことが出来る忍」なんて(忍の歴史の中でも)オオノキぐらいだったんじゃないだろうか(マダラが「空飛ぶ忍」を見て、“なら、あれは両天秤の小僧か”と言ったぐらいなので)。色々な力を持った忍はいても、「空を飛ぶ」のは相当特別…
(オオノキの「浮く」術がどんな性質変化を混ぜて使っているのかは明らかになってませんが(土×風×雷なのか四種混ぜ、五種混ぜなのか)、重力に逆らえる能力、あるいは磁力も関連してるのか…理系音痴の私には「???」ですが)。
 ただ…このあとナルトとカグヤがチャクラをぶつけ合った時《ビリビリ》という音が響いてるんですよね。
 
 私は結構「音」を重視しちゃうのですが、(「フッ」の時空間移動音とか「ズズズ」が神威音だとか、オビトが神威を使った後の「コキ」とか)、「ビリビリ」というと542話でミナトが飛雷神を使った時と、六道オビトがギロと睨んだ時に伝わった641話の「ビリビリ」を思い起こします。 
 電気信号系(と想像する)ビリビリ音は、六道チャクラ特有の音の1つ「かも」しれないと妄想を飛ばしておりますけど、そのビリビリ能力が「体を浮かせる浮力を生む要因」となっているのではないだろうか。 そしてミナトの飛雷神で時空を「飛ぶ」能力も、ミナトが持つ《ビリビリ能力(チャクラの「型」を変換したりチャクラを「陰陽に分ける」ことが出来る能力=仮称トランス能力)》が大いに関係してるんじゃないかと推測しております。 
 ナルトの「浮力」は、「ナルトがミナトから受け継いだビリビリトランス能力に六道の力が加わって生まれたもの」ではないだろうか…(まさにこれは妄想だけど)。
 
 そもそもハゴロモが「母カグヤから受け継いだ」チャクラを、5つの性質変化に分けたり「十尾のチャクラ」を9分割して9つの違うチャクラを持つ尾獣にできたのは、ミナトと同じような「チャクラを陰陽に分けたり、チャクラ型を違う形に変換できる能力」を持つからだと思えるんです(というよりミナトがハゴロモのような能力を持っている、と言ったほうがいいですかな…)。
 もし「浮力」が「ナルト自身の能力にハゴロモの力が加わって開かれたもの」ならば、ナルトは「選ばれた者」であり「ただのどこの馬の骨とも分からぬ者」ではない…という証明になるかもしれない。
 
 
 そしてサスケですが… サスケの場合は「ナルトと同じような浮力」ではありませんが、彼もまた「翼」を与えられた存在ですよね。ナルトとは違った形で「空を飛ぶ」。
 
サスケの呪印状態(仙術エネルギーを得た姿)は「翼」を持っていますし、サスケの口寄せは「鷹」、そしてサスケの須佐能乎にも「翼」…とまぁサスケも「翼づくし」です。須佐能乎とは「サスケの眼」でもありますから、サスケの眼は「翼を持った」とも言えるわけでして、これでサスケの眼はようやく「鷹になった」とも言えるんじゃないでしょうか(「眼の模様」が鷹になった訳じゃなかったけど・・苦笑)。
 
 空に舞い上がる「肉体」を得たナルトと…空に舞い上がる「眼」を得たサスケ。

…二人とも忍世界を「解き放つ」者としての能力を得たという事にもなるでしょうか。それはカグヤにとってさらに「忌々しきこと」…かもしれない。
 
 
 (そして…ナルトの「能力」を確認すると、それまで「じっと」観察していたカグヤは「若き日の息子ハゴロモ」を思い浮かべ、急に険しい表情になる…)
 

「チャクラとは… ワラワ唯一のもの」
「もう一度チャクラを一つにする!!」
 
 
(そしてぶつかったナルトとカグヤ…《ガッ》とぶつかり合った衝撃で、火山に穴が大きく開いたようですが… ナルト達は火山の「中」にいたんですね。 火口近くにある城のような建物は、一体誰が住んでいる(いた)んだろう…カグヤの家と考えるのは安易な気がするし…)
 
 
そして少し前に戻りますが、『カグヤの毛針千本で左手の点穴を刺され動けなくなってしまったサスケの描写』から⇒『マダラの黒棒が消えて点穴を刺され動けなかった柱間が動けるようになる描写』への「場面転換」。
 またまた場面転換の「つなぐ」描写が見事ですが、これはマダラが「消えて」カグヤに「取って代わられた」事の描写ともいえますよね。
 
(とは言っても、マダラも「カグヤ」の中で奮闘中じゃないかと思ってるんです。いずれシノの蟲みたいに内側から食い破って出てきてくる…なんて事は無いかな)。
 
 
《強大なチャクラを感知した場所まで行ってみれば…何か分かるかもしれぬ…!》
《だが…急にチャクラが消えた…》
  (扉間)
 
  
 カカシの分析によれば、カカシ達は「別空間に飛ばされた」わけではなく「カグヤが別空間を口寄せした」らしいので、どこか遠くに行ったわけではない(ややこしいんだけど)。 たぶん、さっきまで居た場所にいるんだけど、それでも現実空間からは「消えている」… 
 それって「すり抜け可能」な神威の時空間のような、あるいはマダラの輪墓空間のような、この世界の表裏のように一体に在り、かつ「見えず感知できない」世界なのでしょうか(ますます訳わからん!ですが)。 そのあたりを解き明かしてくれそうなのは飛雷神の術、穢土転生(口寄せの一種)開発者である《時空間スペシャリストの扉間》じゃないかと期待しています。
 
 しかしミナトは…せっかく木ノ葉に飛んだのだから「九尾事件の謎解明」のほうに進んでほしいと思ってたんですが、ん―…ナルトのところに戻る事になるでしょうか。
 
 
 それにしても…カグヤの「もう一度」という言葉。

 なんだか「過去への未練」を感じてしまうんですよね。一度手にした強大なチャクラ、その力を忘れることが出来ないのか、己を未だに見失っているのでしょうか。

 カグヤが思いだしていた「息子ハゴロモ」…それは「カグヤに右手を向けて厳しい表情をしているハゴロモ」なんですね。「懐かしい息子の笑顔」ではないんです。ナルトを見てまず最初に思い浮かべた息子の顔が、そんな顔だって事は…よほど「その時」の事が忘れられないんじゃないかと思います。
 息子が自分に歯向かい、封印の手を差し出した時…それは「息子の裏切り」のように感じたのでしょうか。それはカグヤにとっては「悲しい」事だったんじゃないでしょうか。
 
 本来、自分の能力を子供たちが受け継いでくれることは「親として喜び」じゃないかと思うのに、カグヤの場合は「ワラワ唯一のもの」…なんですよね。
「もう一度」…なりふり構わず「力」を取り戻そうとする姿は、なんだか悲しくもあります。
 カグヤは「力を失ってしまった」事そのものより、息子が自分を封じようとした事(裏切った事)のほうがずっと悲しかったのではないでしょうか…本当は。
彼女がどんな思いで「この地」に来て、チャクラを得て、なぜ白ゼツ兵を作ろうとしたのかは分かりませんが、本来「卯の女神」と言われた彼女が強大な力に呑まれ己を失い「鬼」と呼ばれていく中で…最後まで息子達には「自分の理解者」であってほしかったのかもしれない… 
 
 カグヤが思いだす、ハゴロモの「厳しい目を母に向ける顔」…そのあと憎しみのような表情を浮かべたのも、ハゴロモに対する憎しみというよりも、ハゴロモが「母に差し向けた手」への「悲しみ」のように思えました。
 
そして「もう一度チャクラを一つにする」…それはトビが言っていた《本来の自分に戻る》 《すべてが元通りになる》を思わせるんですが、それはカグヤ自身の目的なのか…あるいはカグヤも何かに利用されているのでしょうか。
NARUTO世界に関与してきた「天」と「天の災い」…そして「天と地」。
 
ナルト世界における「天と地」…これ、感想「その2」で書いた「橋」の話とかぶるんですが、以前から気になっている草隠れの「橋」の名…「天地橋」とか「神無毘橋」とか…これとイメージが重なるんです。
 ナルトが尾獣化して己を無くし、サクラが涙した「天地橋」…あの時、大蛇丸が「九尾化したナルト」相手に「仙人モード」でどこまで通用するか試しつつ戦っていましたが、あの戦いはのちの「十尾化したオビト」相手の戦いに「そっくりだった」と以前の感想で述べました(639話)。 あの九尾化ナルトVS大蛇丸の「天地橋の戦い」は、ある意味「天と地の戦い」のようなものだった…と思っています。
 そして「神無毘」周辺の《妙木山のような「巨大竹」や巨大キノコの生えた自然エネルギーが充ちた神の眠る地》の描写(27巻)…そしてあの地でも「神」が介在したような戦いが在った事…それらにもNARUTO世界における「天」の存在…神の見えざる手の存在を感じます。カグヤ、月、天、神、そして「地」…それらを繋ぐものは何なんだろう。
 
 
《もう一度》…それはカグヤの《もう一度チャクラを一つにして力を取り戻したい》という「鬼」としての願いの裏に、《あんな険しい表情の息子ではなく、再び優しい表情の息子の顔が見たい》というカグヤの「卯の女神」としての切ない願望があるんじゃないか…とも思えてしまうのです。
 
《もう一度》という強引な欲望ではなく、本当は(香燐がサスケに思ったのと同じような)… 《もう一度…》という切ない母としての願いがあるんじゃないだろうか、と…。
 
 
 
 
 
 
☆ラスト、「翼」を得たナルトの攻撃に続き「翼」を得たサスケの須佐能乎がカグヤに攻撃を仕掛けますが…次週どうなる事やら…
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。 

 
 
 
 
 

(ナルト好きブログ! 2014/06/18)