ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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「それが見えるまで」…日向ネジ (NARUTO人物考察)

「それが見えるまで」… 日向ネジの雑考

 
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(これは特別読み切り「ROAD TO THE NARUTO THE MOVIE」の戦闘シーン…
いや、銭湯シーンでの「髪をアップスタイルにした」ネジ)
 
…今回は、日向ネジについて思う事を少々。
 
ネジについては、もう少し何かあるんじゃないかと期待しているうちに物語が「完結」してしまいました。 結局ネジのことは、分かったような、分からなかったような……。 でも、自分が考えていた以上に「ネジ」の存在は大きかったのだと、それだけはしっかりと感じています。 
 
ネジの話の中でも、特に重要だったと思えるのが「中忍試験」…
 
 ネジの試合は予選(ヒナタ戦)本選(ナルト戦)と、2戦ともかなりのページ数を割いて描かれているし、ヒナタとナルトとの試合を通して ネジが「己」に気づいていく過程が丁寧に描かれていく… 
 この2試合は「ネジのその後の人生を変える」重要なものとなったわけですが、ナルトにとっても重要なものとなった… ネジとの試合で、ナルトは「自分の闘いのスタイル」を確立させたと思っています。《相手の心を理解し、相手の本心を引きずり出すナルトの闘い方》…それは再不斬戦でも既に披露してますが、「確立」させたのはネジ戦だったと思うんです。 ネジ戦があったからこそ、ナルトはその直後に我愛羅を孤独の闇から救い出すことも出来たんじゃないのかな…。
 
 さて…中忍試験でのネジの印象というと、とにかく『否定』尽くしといった感じで、「運命には逆らえない」という否定的な発想に「宗家への憎しみ」という否定的な感情…そしてヒナタやナルトの言動も否定してばっかりだった。だけど、ナルトはネジの本心を見抜いてズバリと言い当てる…

「ホントはお前だって運命に逆らおうと必死だったんだろ…」と。
 
 ネジの「否定発言」の裏に隠された、抑えきれないほどの『たぎる情熱』…ナルトはそれを見抜いてみせた。 ネジは生真面目でうまく感情を表現できそうもないし、周囲からは「天才」と見られているし、イメージとは異なる『実は熱い内なる自分』を抑え込もうとして、アレコレと『否定』してしまったんじゃないだろうか。
 
そんなネジに、ナルトはさらなるツッコミを入れる…

 「フン…! かっこつけてんじゃねーよ」と…(103話にて)。
 
 
『ナルトが中忍試験でネジを闇から救い出した』過程は、物語ラストで『ナルトがサスケを救い出した過程』ともそっくりです(サスケには「スネてんじゃねーよ」と言ったわけだけど)。 
《サスケはスネてて、ネジはカッコつけてて》…「天才」ってのも、なかなかメンドクサイもんですなぁ…。
 
 ネジは第一部のサスケ奪還任務の時に「サスケを闇から救い出せる奴(ナルト)がいる」と言っていましたが、ネジには「サスケの心の闇」も何となく理解できたのでしょうか。 そして、そこから救い出す事が出来るのは「ナルト」だって事も分かってた…それは確かな予言でもありました。
 
ネジは「ナルト」に、本当の自分…運命に逆らおうと必死に闘っている「内なる自分」を見出していく。 ネジにとって「ナルト」とは「本当の己の姿」かな…?
 
 
 しかし、「ネジ」のイメージを思い浮かべる時、私はやっぱり「眉間にしわを寄せて否定してる姿」を真っ先に思い浮かべてしまうんです。 でも、それらの姿も「カッコつけ」だったのかもしれない…
 
 
 
例えばですが…
 
 
 
 ガイの無茶な自分ルール宣言を見て「阿呆らしい」と一蹴したり… 
 テンテンが、新しく火影になった綱手を見に行こうと誘うと「興味ない」とバッサリだったり… 
 リーがガイを見習って「おんぶして走る」修行(?)を申し出ると「断る!」と拒否したりとか…
 
いずれもキッパリ「NO」と言ってるイメージなんです。 “クールな天才ネジ”は、あのガイ班に居ても「ガイとリーの徹底した熱いノリ」に染まることもなく、そして「テンテンの旺盛な好奇心」に染まる事もなく…「断る!」「興味は無い!」と己にストップをかけてるようにも見えました。 
 
 
 でも、もしかしたらホントは「噂に聞く綱手様を見てみたい」と思ってたのかもしれないし…ガイの無茶な自分ルール(修業)もホントは「ちょっとやってみたい」と思っていたかもしれない。 だけど自分のイメージを壊す訳にはいかないし、恥ずかしいし…《カッコつけて》派手に拒否してたんじゃないだろうか。 
…だから、ネジが派手に拒否して「NO!」と言ってる時は、案外と「本当はちょっと興味がある」って事なの「かも」しれない。
 
 
 
その「例」なんですが…特別読み切り「ROAD TO THE NARUTO THE MOVIE」に出てくる《ナルト達の銭湯物語》(「巻ノ忍」あるいは「陣の書」にも載っている読み切り)…そこに出てくるネジは「いかにもそんな感じ」なんです。
 
 ナルト達が和気藹々と風呂に入っている中で、ただ一人…ネジだけ険しい顔して、仁王立ちしてるんですよね(いわゆる“マダラ立ちポーズ”で)。 しかも、無実なナルトに対して「何だナルト!その何かを企むような顔は!?」「何かよからぬ事を考えていたのではあるまいな!?」と“なぜか”怒ってるんです。 
 ナルトは、ネジが言ってる事を飲み込めなくて「何?」と聞き返すのですが、ネジは…「のぞきだ!!」「向こうだ!もっと向こうを向け!(女湯の方角を見るな)」って怒ってるんです… 「無実」のナルトに、なぜネジはこんな事を言ったのか…? 
 
 そこで気になる、中忍試験で判明した《ネジにとって「ナルト」とは「本当の己の姿」ということ》…

ネジは「向こうを向け!」って言ってるけど、ナルトは白眼持ってないんだから「壁の向こうの女湯」なんて見えるはずもない…従って「向こうを向く必要もない」。    で…「白眼でその気になれば女湯も透視できちゃう」ネジ本人はというと、ちゃんと《女湯の壁に背を向けてる》…つまりネジは「よからぬことを考えちゃいそうだから向こうを向いていた」ってことですよね(きっと)。ネジは「よからぬことを考えそうな内なる自分」を叱る代わりに、ナルトを叱ったんだろうか。ナルトは…「ネジの本当の姿」でもあるわけだから。 
 ネジはたった一人で『ムラムラ』を抑え込むのに必死だったのかな…ネジの苦労も知らずに無邪気にはしゃぐ仲間達…ネジの苦悩に気づいていた者はいなかった…。 
 
 でも、ネジは「カッコつける」ために“内なる自分”を抑え込んでばかりいる…という訳でもない。 いつもはクールだけど、正義の為仲間の為に動く時、ネジは本来の「滾る熱情」を出し惜しみすることなく発揮します(これをオープンに出来るようになったのは中忍試験でのヒナタとナルトのおかげかな…?)。
 上記の銭湯物語でも、女湯で「キャー」という悲鳴が上がった時に真っ先に(堂々と)女湯に入っていったのはネジだったし… それにペイン戦で「たった一人で敵ボスのところに向かったナルト」を助けに行くと一人熱くなっていたのはネジでした(この時はガイに止められている)。 それに、忍界大戦では「キバと赤丸の区別がつかないほど」疲れていたってのに、無理をしようとしてキバに止められたり…こういう時のネジは「ガイ先生以上に」熱い、無茶も厭わないキャラとなるのです。
 
特に…ネジにとって大切なモノを守ろうとする時…ネジは最高に熱くなる。
 
中忍試験で知った《ヒナタとナルトの中に在る、最後まで諦めない意志》…それを守ろうとして、ネジは最後の最後で(少しも躊躇することなく)己の熱い想いを見せてくれたのだろうか。 ネジにとって一番大切な想いそのものである《ヒナタとナルト》を守る為に…
 
 
 第27巻の「第一部ラスト」では…
 
《まだまだ 先があるはずだ… それが見えるまで…》と言っていたネジ。 
 
それが見える「まで」の後に続く言葉は何だったんだろう…? 見える「まで」どうだというのだろう…?
 当時は、それが見えるまで《頑張らねば》とか《諦めない》と言葉が続くもんだと考えていましたが、あの時ネジにセリフを最後まで「続けさせなかった」のは、作者の「意図」だったのだろうか。
 
 もしかしたらネジ本人も、まだあの時点では「それが見えるまで」に続く言葉を定めていなかったのかもしれない。 そして「614話」の時点で、ようやくあのセリフに続く言葉が…それが見えるまで「死ねない」に定まったのかもしれない。
 
 第一部最後では、仲間達を守る為に命を懸けたネジが、綱手やシズネの治療によって命を取り留めて終わっています。 「もっと先」がまだ見えていなかったあの頃のネジは、まだまだ「死ぬわけにはいかなかった」。 第614話で再び命を懸けた時には…ネジは《もっと先》が見えていたのだろうか。
 
《もっと先》って何だったんだろう… 今見えている一番遠くのものよりも《もっと先》…
 
 普通の人間には見えない「壁の向こう(先)」が見えるのが白眼なら… ただ距離的に「遠く」が見えるという点では、どうやら「日向一の白眼」は日向トクマだったらしい(アンコの話によれば)。 だけど、ネジの言う《もっと先》というのは、おそらく「距離的な遠く先」ではなく「時間的な遠く先」…
 ネジは、《ヒナタとナルト》に「もっと先」…時間的な遠く先、未来を見たのだろうか。 だから、それを守ろうとしたのかな… あの時ネジは「ヒナタとナルト」が紡ぐ未来、いずれヒナタとナルトの間に生まれるかもしれない未来(子供)…《もっと先》を感じていたのかもしれません。だとしたら、ボルトやひまわりは、ネジの見たかった《もっと先》なのかも…
 
 
 
《まだまだ 先があるはずだ… それが見えるまで…》


 
 
 
…「ネジの死」に関しては、正直言うと今でもスッキリと出来たわけではなく、614話を読んだ時のモヤモヤがまだ少し残っています。 615話でヒナタが言っていた「繋ぐ」という事もアタマでは分かったつもりなのですが…実際には、親しい人の死を間近で受け取ってしまった「遺された者」の心の穴ってのは、そう簡単には癒せるものではない…という想いもあります。
 だけど第700話を読んで、ネジの死に対する受け取り方も少しずつですが変わってきました。 あと1年後にはもっと違った思いでネジの人生を見ることが出来るかもしれないし…あと10年後は、さらに違う想いで見ることが出来るかもしれない。
 「ネジの生と死」は、これからもしばらく…私の中で課題のようにして、生き続けてくれそうな気がします…
 
 
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2015/03/22)
 
 
 
 
 
 
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