ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 632:共闘 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ27号) その1

NARUTO 632:共闘 (1)

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「行くぜ・・・!」
「サクラちゃん サスケェ!」
 

前回のタイトル《第七班》に続いて、今度は《共闘》ですか・・! うん、これまた熱いタイトル。
 
今週は、正直申し上げて あまり,面倒な「考察もどき雑考」を述べるつもりはありません。
ただひたすら「良かったね」と…シンプルに、全体的にはそれに尽きちゃう感じです(と言いながら、まとまらなくて長文ですが)。
 
だって、あの「第七班」が復活したのは、4年ぶり…いや、読者時間だったら10年ぶりぐらいかな? 
だからここは、素直に「おかえり」と言ってやりたいんです。 ナルトもサスケも、そしてサクラも…ホント色々な事があったけど、やっと自分の道を自分で見つけて「戻ってきてくれた」んだから。 
まだ終わってないけど(笑)
 
今週をまとめて言っちゃいますと、先週以上に『夢みたい』な話なんです。第七班が復活して、サクラも遂に努力が実を結んで「綱手超え」を予感させる力を開花させ、サスケも「昔のサスケ」みたいに、自然に戻っていく…もう夢でしょ!と言いたくなる展開なんです。 
だから先週も、「これって幻術なのでは」というご意見をいくつか頂戴しましたが、そういう感想が出るのも分かるような気がしたんです。ホント、夢みたいだから・・。 だけど、それでも「こっちの世界」は「現実」だと思うんです。 現実で叶えた「夢」なんだと思うんです(あっち=時空間では、オビトがずっと幻術使っていたけど)。
 
夢とは、「無限月読」という幻術や、他人の術で「おとぎ話の実現」をするものでもなくって、現実で自分達の手で「努力の末に掴みとるもの」。 それを今週はサクラも見事に証明してくれましたから・・。 
 
 
・《同期の「つながり」》
 
さて、第七班が「ごく自然に」サスケを受け入れたことについてなんですが。
 
たとえサスケが「忍世界に翻弄された一人」であったとしても、今までの古い忍システムの“しきたり”から考えたら、確かに、「抜け忍」サスケは『断じて許されてはならない』ハズなんです。 
なので、現時点でサスケを受け入れる事は、里の掟からいったら「アウト」なんですよね。 いわゆる「忍者の世界でルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる」ってやつです。
 
だけど、ナルトとサクラはあえて「掟よりも仲間」を選択した… 
ナルトの選択は、カカシが最初に教えてくれた言葉《仲間を大切にしない奴は それ以上のクズだ》を守り、その意志を行動で示したものでもあると思うんです。 別にカカシが見てるわけでも無いし、「鈴取り合戦」をしてる訳でもないんだけど、彼らは彼らの意志で「第七班の大切な言葉」をちゃんと守ってる…ナルト達の中で第七班精神が「生きている」のが やはり、嬉しい。
 
そして、その「受け入れ」は、一時の感情に流されてとか「何となく」ではなく、前から考えていた事だと思うんです(特にナルトは)。 鉄の国での再会で「サスケを受け入れる」と決めて、さらにその後、大蝦蟇仙人の予言で「目に力を宿した少年と戦うことになる」と言われて・・サスケが「ナルトを相手に戦う」のか「ナルトと一緒に闘う」のか、どっちを選択しても「受け入れる」とナルトは決めていたと思うんですよね。 だから「冷静に」自然にサスケを受け止められたと思うんです。 
 
そして、さっきまでサスケを否定していた同期達も、「復活した第七班」の姿を見ながら何だか嬉しそうなんですよね… 
 
彼らの少し嬉しそうな表情を見ていると、《バラバラになってしまった第七班》に心を痛めていたのは、ナルトとサクラだけじゃあなかったんだ…と思うんです、同期達も痛みをそっと共有していたのだな、と。
 
同期達はサスケの「色々」は知らないけれど、それでもサスケには「何か深い事情があるのだろう」ってことぐらい、「心で」感じてるんじゃないかと思うんです。「心」で…。 
そしてサスケをよく知るはずのナルトが「サスケを受け入れる」決意をするからには、きっと「何か」があるんだと…同期達はその「漠然とした何か」を信じてるんじゃないかと思うんです。つまり「ナルト」を信じてる(まだ今の段階では「サスケを信じてる」って訳じゃあないと思うんですが)。 
 
だけど、何よりも《ナルトとサクラが嬉しそう》ってことが、同期達の表情を自然と明るくさせてると思うんですよね。 それは理屈じゃあ説明できない、感情からくるもの…仲間と「喜びを共有したくなる」気持ちなんだと思うんです。 
 
でも…同期の中で一番『素直になれない』のが理性派のシカマルじゃないかと思うんですよね・・。 
 
穢土転アスマと戦う時だって、感情に流されまいとして「無理して頑張ろうとした」事を、いのには見抜かれちゃってましたけど、今回も全く同じなんですよね…。 感情に流されがちな「周囲」に一人抗おうと頑張りながらも、誰よりも「ナルトを信じる」シカマルだから、ナルトの毅然とした態度に心も揺れている(んじゃないかな)。
だから、いのは「なんか懐かしい画じゃない? ……シカマルなんて呼びかけて、シカマルの緊張を解して「キッカケ」を与えようとしてあげてるんです。 こういう「お姉さん的な気遣い」は、サクラのことを守ってやっていた昔から変わらないな、いの…。
 
それを受けてのシカマルの言葉が、また面白い…
 
「…どうあれ目の前の敵を倒すのに協力するってんなら今はしかたねェ… 認めたくはねーが…」
 
「どうあれ」とか、「しかたねェ」とか、「認めたくはねーが」とか。
 
ご丁寧に3つも言い訳してますけど(笑)、本心はやはりちょっと「嬉しい」んじゃないかと思うんです。 
ナルトやサクラが嬉しそうにしている画を見て、心の中では「思わず微笑んでしまう」自分を「許しちゃならねェ~!」って必死で理性で抑え込もうとしてるんじゃないだろうか。 ・・ったく、シカマルってのも素直になれない不器用な「めんどくせぇ」ヤツなんですね…。 そしてシカマル自身、おそらく自分の「面倒くささ」には気付いていると思うんです、面倒臭がり屋の自分が一番面倒臭いってことに…。 
 
ブツブツ言いながら「頬が緩みそうになるのを、目に力を入れて抑え込んでる」シカマルの表情も、可愛らしい。 いの、ナイスフォロー(笑)
 
そして、キバの「火影になんのはオレだァ!!ちょっ!お前ら聞いてんのかァ!?」にツッコんだ、シノの
「キバ 今は誰も聞いてない 惨めに見える…よせ なぜならいきなり出てきて“火影になる”と宣ったサスケのインパクトの方が強すぎるからだ」…が、相変わらず容赦なく鋭すぎる(笑)  
 
キバにとっては正直「ナルトと火影の座を争うハズだったオレ」の影が薄くなることの方が、深刻だったのでは…。 「キ…キバくん私はちゃんと聞いてるよ… 火影は皆が目指すものだもんね」と…ヒナタ、ナイスフォロー(笑)  そうそう、皆で火影を目指してもらいたいもんです。 
いのも、ヒナタも、こうやって「男子たちをつないでいる」… (そして今週は「サクラ」もね)。
 
この戦争編で、個人的に気に入ってる絵の1つに「いのが、シカマルとチョウジ両方の背中に手を置いて2人の気持ちを つないでやってる」絵があるんですが・・(56巻530話)、↓
 
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こういう小さな「つなぐ」役割が、実はすごく大切なモノだと思うのです。 
 
いきなり大きな繋がりなんて、なかなか出来るものじゃない。脆く崩れることもある(特に里どうし、一族どうしの関係とかは)。 だけど、小さな1つ1つのパーツを「つなぐもの」がシッカリしていたら…一気に全体が崩れる事はないし修復も可能だと思うんですよね。 
そして、その「つなぐ」役割をするのが、何よりも大切な、本当の「力」なんじゃないかと思うのです。
 
たとえば、《尾獣の心と忍の心をつなぐ役割》はナルトやビーにしか出来ないだろうし、《サスケ》を受け入れてもらうためには、ナルトが同期とサスケを「つなぎ」、同期がさらに忍連合の人達とサスケを「つないでいく」…そうやって「つないでいく」役割が大切だと思うんです。
 
「同期が全員揃うのって久しぶりだよね!」 (チョウジ)

サスケを出迎えたのは第8班、第10班を入れた計8人…同期達全員。 チョウジの「全員」って言葉に一瞬「ネジは??」と思っちゃったのですが、残酷にもネジ(ガイ班)は「同期」じゃあないから、確かに…全員揃ってるんですね、ナルトの同期は。 
 
そして、ここにきて「同期」の繋がり…それにチョウジの「この感じも中忍試験以来だし!」の台詞。
 
ここから連想するのは、「もう1組の同期集団」(カカシ・オビトの同期)のことなんです(ライドウ、ゲンマ、イワシ、イビキ、アンコ、アオバ、エビス、ガイ、紅、アスマ、ハヤテ達)。 
599話で、カカシとオビトの同期がやや強引に「設定」され『彼らの中忍試験』が描かれ、さらに611話では忍連合が戦場に集結するも、なぜか「ガイ以外の同期全員」は今の戦場には不在であることが判明して、それが何とも「怪しく」って(笑)…こりゃ絶対にあとで何か演出があるでしょ!と当時疑ってしまったのですが(詳細は611話雑考にて)、いずれ「カカシとオビトの同期達」が、真っ先に「オビトを迎え入れる役割」になるだろう・・と個人的には想像しております。(が、どうなることやら…)。
 
「オレらの力 見せてやるってばよ!!」
 
ナルトがさり気なく「オレら」を強調してるのも、「仲間を忘れるな」というイタチの言葉をサスケに「感じさせよう」としてるんじゃないかと思うんですよね。…ナルトは「口先だけじゃない」男だから。
そして、渋々(あるいは温かく)サスケを受け入れた同期ですが、彼らは共通して「不思議な気持ち」に包まれてるんじゃないだろうか?  あんなに「色々あったのに」、散々振り回されてきたのに、でも「同期=仲間」というだけで「心が一瞬でつながって元通りになってしまう不思議な感覚」に。
 
おそらく、それも頭で「理解」出来る類のモノじゃあないだろうし、だけど心では「理解」できてしまうモノなんだと思います(まるで恋愛感情みたいに)。 …こういう「感情」こそ、今までの忍世界では「禁じられてきた」モノなんじゃないかと思うんですよね。
 
《そして、仲間と一緒に立つサスケを見上げる重吾…》
 
(サスケ… 今 お前は何を思う…?) (重吾)
 
サスケの「心の中」も気になるけど、重吾が何を思っているのかも気になっちゃいます。 重吾の「心の声」が描かれるのも珍しい。
 
かつて、鎖につながれた独房の中から出ようとしなかった重吾は、今もまだ“鷹”とサスケとのつながりの「中」にしか安心を得られてないような…「外」に出る事を恐れているような気がするんですよね。 “鷹”の仲間は大切だけど、「外」もけして悪いところじゃないって事が、サスケを通して重吾にも伝わってくるといいのに(で・・・大蛇丸達はどこぞ?)
 
 
・《口先だけじゃない男》
 
「口だけではないようだな」 
(十尾の尾獣玉さえ通さなかった、火影達の「四赤陽陣」を見てサスケがつぶやいた一言…)
 
サスケは柱間の話を聞いた時に「影を背負う“重さ”」を しっかりと受け止めていた様子だったし、こうやって柱間達が「口だけではない」ことを実感して、さらに「影」の名の重さを感じていると思うんです。 
 
サスケがあえてナルトの前で「火影宣言」をしたのは、《ナルトは影の名を背負う重さを知らないまま、火影になると叫んでいる》と思ったからではないか・・だからナルトに「挑戦」したのではないかという気もするのです。 
実際、火影という職が「カッコいい」ものであるより「影を背負う」重いものであることを実感できてるのは、どっちかというとサスケのほうだと思うんです。 だから、サスケが放った《火影になる》宣言は けして口先の軽い言葉じゃない・・と思うんです。 
そして「生半可な気持ちで里に帰ってきたんじゃない」という、あれもサスケなりの“本気”を示した、「決意」の言葉だったんじゃないか…と。
 
 
(すみません、その2へ続きます)