ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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「岸本流カメラワーク」に思うこと(ジャンプ流Vol.2・岸本斉史を読んで その2)

「ジャンプ流・岸本斉史」を読んで・・  その2「岸本流カメラワーク」に思うこと 


「ジャンプ流・岸本斉史」を読んでの雑考2回目、今回は「岸本流カメラワーク」についてを少々・・(といいつつ結構長文です。すみません)

「ジャンプ流・岸本斉史」の中に、岸本流カメラワークについて《視点を動かして臨場感あふれるシーンに(する)》とか《レンズの使い分け(エックス線カメラや魚眼レンズ)》などが説明されています。 場面に応じたカメラワークを駆使することで、バトルの臨場感や人物の心境が、より一層伝わってくるんですね。
 NARUTOのバトルシーンは、臨場感やら緊張感がビシバシ伝わってくる絵がたくさんありますが(42巻のイタチVSサスケの手裏剣戦もその1つ)、数ある「名カメラワーク」の中から自分の好みで2つほど選んでみました。 1つは60巻50~51ページ(真ん中の段)カカシの「雷伝」の絵、そしてもう1つは61巻217ページ(上の段)イタチの「水遁・水龍弾の術」の絵です。

・《移動撮影風な「動き」を見せるカメラワーク》・・カカシの雷伝

  「雷伝」とは、本体と影分身の二人で雷切をつなげて「斬る」技でして、カカシはこの技で尾獣のチャクラの尾(手)をズバババと斬っていきます。 この絵はコミックスになる時に描き直されて、一段と臨場感がアップした絵なのです。   

 そして、その「臨場感」を演出しているのが「移動撮影」的な技法・・・映画の撮影で、レール上の台車をシャーっと引きながら「走る被写体」を追っかけて撮る方法がありますよね・・あの技法です。
 カメラは後ろ向きに構えられ、「本体カカシ」のやや斜め前を走りながら撮る。 それによって、手前の本体カカシと奥にいる影分身カカシとのサイズの差(つまり遠近)が生まれ、さらに走り出した地点からの「描線」による「遠近」も生まれて、スピード感がさらにアップしているのです。 雷伝のキレ味は「スピード次第」・・そのスピード感を表現するのに、このカメラワークはうってつけなんですね。 

読者も一緒に「スピードと風」を体感しているような絵・・ 漫画なのに、まるで動画を見ているような錯覚に陥ります。 これもアニメーションや映画から技法を学ばれた「岸本先生ならではのテクニック」でしょうか。

・《登場人物の「眼」となるカメラワーク》・・イタチの水遁(217ページ上の段、イタチの水遁・水龍弾の術)の絵

 ジャンプ流に、こんな記述があります・・・《「NARUTO」に登場するキャラクターたちは、しっかり地に足をつけているように描くことを意識しているという。下半身、特に足下の重心がかかる位置は、ポーズにより微妙に異なる》。 
 なるほど・・・NARUTOの登場人物って、腰のあたりがドッシリしている(やや太め)と思っていたのですが、それは「安定」を計算してのことだったのかな。
下半身の安定は、お腹にチャクラをためて術を吐き出したり、強烈な拳や足技を繰り出す忍達の攻撃を さらに「迫力」あるものにしているんですね。

61巻217ページのイタチの「水遁(水龍弾)」の絵も、足を大きく開いてドッシリと構えて、前屈みになって一気に術を吐き出しています。  最初にこの絵を見た時に、「生」で見ているような臨場感や迫力に《ドキッ》としたんですが、それはそういうことだったのかな・・ 

だけど、この絵にドキっとするほどの臨場感を感じた理由は「それだけ」じゃあないような気もするんです。 で・・よく見ると「カメラ位置」が「その場にいるサスケの眼の位置」にあることがわかります(前のページでサスケの立ち位置は確認できる)。 ・・あの絵は、「サスケが見た光景」でもあったのですね。

 カメラが登場人物の「眼」の位置に置かれるケース(つまり登場人物が見ている景色の描写)については、「ジャンプ流」でも「白眼によって透かして見えた映像」がX線カメラの技法として取り上げられています。 
 その他にも、NARUTOを読んでいると たとえば・・「ネジやシカマルが見上げた空」とか「誰かが観察したり分析している対象物」などが出てきますよね。 大抵は「見ている人物の心の声(考えていること)」が一緒に書かれているので、(この風景は、この人が見てる景色なんだな・・)と分かるのです。 カメラが「その人物の眼」に置かれることで、その人物の「その時の想い」が伝わってくる・・・
 
 だけど、中には「心の声」も書いて無くて、一見すると「客観的な絵にしか見えない」ケースもあります。その1つが61巻の「イタチの水遁の絵」なのです。

 あの絵には「サスケの心の中の言葉」が添えられている訳でもないし、フツーに「イタチの水遁」を客観的に撮った絵にしか見えません。 おまけに、あの絵は「リアル世界の絵」でもなくイザナミ世界での一コマ」なのです。「現実世界」のサスケは、カブトを囲むようにしてイタチと向き合い、黙ってイタチの話を聞いています(「・・・・」と、何かを考えながら)。

サスケは例によってあんまり感情を表に出さないから、表情やセリフから「イタチ兄さんへの想い」を窺い知ることは難しいんですよね。 だけど、「現実世界では本当の自分に素直になれなかった」カブト、イタチ、サスケの3人が、「本当の自分」と向き合っているのが「イザナミの世界」。 あの時、イザナミの「術の効果範囲内」の世界で、「本当の自分」と向き合っていたのは カブトだけではなかったと思うんです。 
 イザナミの中に居るサスケが見た「イタチ」の姿は、サスケの「心」が見たイタチとも言えましょうか。 そこにはサスケのイタチに対する「本当の想い」が写っているような気がいたします。 そして・・・

 サスケ視点カメラが見たイタチは・・・《一歩「前」に出て壁となる背中は頼もしく、繰り出す術の「迫力」は圧倒的》。

 「いつも自分の先を行くイタチ」に対しては“複雑な想い”もあったはずのサスケですが、イタチの背中に見た“自分の本当の想い”は、「超えられない悔しさや歯痒さ」よりも「思わず甘えたくなるような愛しさ」そして「再び別れることへの切なさ」だったんじゃないかと思います。

でも、「本当の想いをなかなか見せようとはしない」サスケの気持ちを尊重してあげるかのように・・ 作者は「サスケの心の声」を読者に“暴露”したりはしないんですね。 そのかわり、読者に一瞬だけ「サスケの心情」を体感させる絵をはさんだのかもしれない。 「サスケの眼が見たイタチ」の絵は、そっと・・読者の無意識の意識に「サスケの想い」を伝えているような気もします。

この絵に「生で見ているような」臨場感を感じたのは、それが「サスケの眼」というカメラを通して見たイタチだったから・・という理由もあったんじゃないのかな・・

 

「そっと」心も見せてくれる、「岸本流カメラワーク」・・・





(もう少し続ける予定です)



(ナルト好きブログ! 2016/01/31)