ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

ナルトとボルトの《似てるけどちょっと違う》ところ (ボルトについての雑考)

ナルトとボルトの《似てるけどちょっと違う》ところ 

 
 BORUTOの話は、いきなりボルトの「オレ」主張で始まったけど、あれだけ存在感のある父ちゃんの後を引き継ぐのは大変だろうなぁ・・・(作者も、ボルト自身も)。
 
 ナルトとボルト・・・見た目は、かなりそっくり。 たとえば、髪の色と目。 
目の形はナルトにそっくりですが、二重のラインはナルトは目尻のほうに描かれ、ボルトは目頭のほうに描かれている(これはミナトじいちゃんと同じ)・・そこは、ちょっとだけ違う。 
 そして、ナルトのトレードマークだった「頬のキツネヒゲのような線」は、ボルトにもあるんだけど、ナルトは三本で、ボルトは二本・・そこはちょっとだけ違う。
 このキツネヒゲみたいなラインは「九尾の人柱力の子供」には出現するようで、ナルトもボルトも(そしてヒマワリも)頬にこの線がある(そういや、九尾のチャクラ肉を食べたという雲隠れの金銀兄弟にも、このラインはありましたよね)。 
 ボルト自身は九尾の人柱力ではないけど、多少なりとも「九尾チャクラ」の影響は受けている・・という事になるのかな。

 たしかに見た目はよく似ているナルトとボルト。 仕草や、言葉遣いもかなり似ている・・・だけど、そこには「ちょっとした違い」がある。 たとえばナルトとボルトの「腕組み」、そしてナルトとボルトの「だってば○」の口癖・・・それらは、ちょっと語るものが違うような気もするんです。
 

・「腕組み」のポーズについて
 
「腕組み」と言ってもいろいろありまして、やや猫背での腕組み(カカシやフガクがやっている腕組み)や、背筋ピーンの腕組み(マダラや我愛羅の腕組み)もある。そして、同じ「背筋ピーンの腕組み」でも、マダラと我愛羅の腕組みでは「語るもの」がかなり違う。 腕組みポーズも「人それぞれ」なんですよね。 

ナルトとボルトの腕組みポーズも《似てるけどちょっと違う》・・・今回は、ナルトとボルト、それぞれ12歳当時」の腕組みについてちょっとだけ見てみます。

 
・ナルト(12歳)の腕組みポーズ

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「悪いなサスケ・・・合言葉は・・・忘れちまったぜ!」 

 これは中忍試験の時「ちょっと遅れてきたナルト」が、“ヒーローは遅れてやってくる”式に得意気にカッコつけてるポーズ。 だけど、サスケに「カッコつけて助けに来たつもりだろーが・・・出しゃばるな!逃げろ!」なんて突っ込まれてる・・
 それでもナルトは、誰かが「反応」してくれればそれで良かったんじゃないかと思うんですよね。 ナルトにとっては仲間に対する「自分の存在」アピール・・・「ヒーローは遅れてやってくる」というより「遅れちゃったけどオレを忘れないでくれ!」と言いたいための、派手な「存在アピール」としての腕組みポーズだったんじゃないのかな。 
 ちょっと前までそれは「イタズラ」(そして叱られる)でしか自己アピール出来なかったナルトが、ちょっとずつ自信をつけて《オレはここに居る》という存在アピールをするようになってきた・・・ それが、何としてでも「誰かと繋がっていたかった」ナルト12歳の「腕組み」だったのではないかと思います。
 
 
 
・一方のボルト(12歳)の腕組みポーズ 
 
 
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   「オレが相手だってばさ!このクソパンダ!!」
 
 これはクマパンダ任務で、影分身二体と共に「オレがやる!」とアピールするボルト。 ボルトの場合も「自己アピール」には違いないのですが、ボルトのそれは「仲間(班の友達)」に存在を認めてもらう為じゃあない。 

 ボルトはこの後、ミツキに「さすが七代目火影の息子にして四代目火影の孫」とほめられている・・・ボルトの実力は「もう仲間に認められている」んですよね。 だけど、ボルトは何事も一人でちゃっちゃと片付けようとするもんだから、サラダに「・・オレ「達」ね、そこ」と指摘されたりしています。 どーも今の時点のボルトには協調性が十分あるとは言い難い。 いや、協調性が無いというより、ボルトは「仲間」より「父ちゃん」ばかり意識している・・と言いましょうか。  
 たとえナルトが見ていない場所でも「火影岩の父ちゃん」へのアピールを忘れないボルト。 実績を積み上げて、父ちゃんに認めさせてやろうって気持ちがビシビシ伝わってくる・・・

 「七代目の息子」ではなく「ボルト」としての「父ちゃんからの独立アピール」、自分の二本の足でシッカリと立つ「自立」を主張する腕組みポーズにも見えるのです。
 
 
 
・そして・・「口ぐせ」 (だってばよとだってばさ)
 
 口癖といえば、ナルトの「だってばよ」、ボルトの「だってばさ」・・・これはクシナの「だってばね」から三代続く「だってば節」。 彼らの「だってば節」については2015年の記事でも取り上げているので、詳細はそちらで()・・という事で飛ばしますが、ボルトの「さ」についてはちょっとここで付け加えを。

 「だってば」とは本来、相手の“あまり良くない反応”を見越しての、ちょっとした主張、いいわけ、照れ隠しだったりするものですが、そこに“それぞれのオリジナル”である《ね、よ、さ》を加えて、だってばね、だってばよ、だってばさになっている・・。 
 
 ナルトの「だってばよ」の「よ」は柔らかい音で、「だってば」に「よ」を加える事で、押しつけがましくなく柔らかく相手に「同意や協調を求める」感じになっています。 その点、ボルトの「だってばさ」の「さ」は、「よ」に較べるとやや“言い切り”感が強い。 相手に反論や口を挟むスキを与えないで「終わらせる」感じもするんです。
 ボルトの場合、あまり「相手の同意や協調」は求めておらず、自分で言い切って完結させようとしているイメージがあります。そこはナルトの「だってばよ」と微妙に違うような気がする・・・
 
 でも、ややハッキリと意志を主張する「さ」も、言い方次第では、「よ」以上に優しい響きになることがある。 「そうさ」とか「一緒に行けるさ」は、「そう(だ)よ」「一緒に行けるよ」よりも、相手を励ますように優しく伝わるんじゃないだろうか。相手に添う同調の音にも感じられる。
 
 「さ」の音が持つ、二つの顔・・・言い切り感と、優しい同調・・それは、ボルト自身の二つの顔でもあるような気がします。


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 ボルトの腕組みとだってばさ・・・そこにも、ナルト父ちゃんからの自立願望、自己アピール、そして隠された優しさを感じます。「生意気でムカつくような強がった言動」と、人前では見せようとしない「純粋で優しいところ」が同居する(九喇嘛みたいに)素直じゃないボルトのキャラクターが、これから物語の中でどう活かされていくのだろう・・・

  今のところボルト自身にナルトほど「強力な引力」はないような気もするし、「NARUTO-ナルト-」のように「いきなりの感動話」で始まったわけでもない。 どちらかというと静かに物語は始動し、まだ「NARUTO-ナルト-」時代の主要人物が物語を支えている状態で、いまだに「NARUTO-ナルト-」の余韻の中にある・・(ような気もする)。 大勢の個性的な既出キャラクターの中で、「ボルト」という新しい物語の担い手がどんな個性を見せていくのか・・・その原石が光りだすのを楽しみに、これからも見届けようと思っています。



☆長駄文読んでくださって感謝・・・



(ナルト好きブログ! 2016/06/13)