ナルトと「ブランコ」
さて、今回は「ナルトとブランコ」の話を少々。
少し離れたところから、羨ましそうに友達を見つめるナルト。友達は卒業試験に合格して、家族が祝ってくれてるのに・・ナルトは試験もダメで、迎えに来てくれる家族もいない (第1巻第1話より、いつもながら雑な模写ですみません)
ナルトの“孤独”を象徴するようなこの絵・・このあとも何度か登場しますよね。 48巻では、イルカ先生がこの光景を思い出して、すっかり「英雄」と慕われるようになった今のナルトに感無量になったり・・ そして67巻、ナルトが記憶を辿る過程でも この絵が出てきます。
で・・第1話では、このあと大人達の「例の子よ」「あんなのが忍になったら大変」なんて酷い言葉が聞こえてきて、ナルトはゴーグルで顔を隠してしまうんです。 そして その次のコマに描かれているのは、ナルトが立ち去ったあとの「誰も居ないブランコ」。
風に揺れるブランコは《キー・・キーー・・》と空しい音をたてる・・
この絵、なんとも切なく空しく悲しいんですよねぇ・・・
これと似た「誰もいないブランコ」の絵も 何度かあとで出てきますが、 中でも印象的だったのは「ナルトと我愛羅が闘う場面(16巻)」。 ナルトが、かつての自分と我愛羅の「孤独」を重ね合わせていくのですが、その時にも「誰もいないブランコ」が使われているんです。 そしてその次のコマには「涙をボロボロとこぼすナルトと我愛羅」が描かれている・・
《いなくなれ》《どっか行け》という冷酷な言葉に、ナルトと我愛羅は“自分”を隠す。 第1話では、ゴーグルで顔を隠していたナルトだけど・・・あの時も涙を隠していたのかな、それとも「自分を隠す」つもりだったんだろうか。
「誰もいないブランコ」は、ナルトが《誰にも気づかれずに》姿を消したことを語っているようでもあり・・ そこに《見えないナルト》が隠れて泣いているような気もします。
そして72巻では、ナルトとサスケが「互いの心の内」を見る場面がありますが、 そこでサスケが見たのは「真っ白な何も無い背景の中で、うつむいてブランコに乗るナルト」と「風に揺れる誰もいないブランコ」。
幼い頃のサスケが「家の中で家族とのつながりを手繰り寄せようとしていた」のとは対照的に、外に出て「つながり」を探そうとしていた幼いナルト。 外に出れば、冷たい視線や孤独を感じてしまうはずなのに・・
「友達と家族」を遠くから見つめながら、家族ってものを想像したり・・ いつか自分のところにも誰かが来て 優しい言葉をかけてくれることを夢見ていたんじゃないのかなぁ。
今年大ヒットした「君の名は。」にも、「結び、人と人をつなぐ紐」の話が出てきましたが、NARUTO-ナルト-でも「クシナとミナトをつないだ赤い糸の話」やら「チャクラ糸でつなぐ話」等、「つなぐ系の話」はたくさん出てきます。
でも「ナルトとブランコ」の絵を見ると・・・握りしめた紐の「つながった先、つなぎ目」ははっきり描かれていないんですよね、ナルトが握っている紐が「どこにつながっているのか」は分からない。 もちろん、横に「大きな木」が描かれているから、木の枝につながっていることはまぁ確実なわけですが・・・それでも、1巻でも、16巻でも、72巻でも・・「どこにつながっているのか」は分からない、はっきり見えてはいない・・・作者は「見せていない」んです。
それでもナルトは・・・ブランコの紐をぎゅっと握りしめていた。
すがりつくように・・そして何かを信じるように。
ナルトがブランコの紐をぎゅっと握りしめていたのは、無意識にその「つながれた先」があることを感じていたのだろうか・・? 自分も「どこか」につながっていると信じたかったのだろうか。木ノ葉という大樹の端っこに居るのだと信じたかったのかな。
そして・・
第1話ラストのほうで、イルカ先生が言ってくれた《あいつは木ノ葉隠れの里の・・うずまきナルトだ》の言葉。 あの時、ナルトははじめて《自分もこの里に つながっている》ことを実感できたと思うんです。 あの時から、ナルトが「つながりを確かめていく話」は動き出します。 ナルトが握りしめていた、あの紐の「つながった先」・・・それを確かめていく物語が。
(やがてナルトは・・自分も「木ノ葉という大樹につながった家族の一員」なのだと さらに実感していく)
まだ、あの頃には見えていなかった「つながった先」。 何につながっているのか、本当にどこかにつながっているのかさえ 分からなかった・・ だけど、ナルトがぎゅっと握りしめていたブランコのひもは・・たしかに「大樹」にしっかりと つながっていたのです。
☆駄文、読んでくださって感謝・・・
(ナルト好きブログ! 2016/12/14)