えっと、久々の記事更新です;最近は、過去記事をベースにした記事づくりをしてまして、これが結構手間取ってしまって・・・・相変わらずNARUTOの雑考を飽きずにしておるところです。
で、先月号のボルトとカワキの「共鳴」ってのも気になったんですよね。 二人の「楔」の共鳴はもちろんのこと、ふたりの「心」の共鳴も。
そして今月の、カワキの「悪かったよ・・」。
これね、ちょっとびっくりした。 あんなに心を閉ざしてたのに、警戒すべき「敵」のような相手に「悪かった」と謝っちゃうなんてね。 カワキには、ヒマワリの悲しさが痛いほど分かったってこと・・・思わず謝らずにはいられないほど、カワキの心も痛くなったってこと。 カワキもすごく優しい子なんだなぁ。
ボルトの「妹を想う優しさ」やヒマワリの「母を想う優しさ」が、カワキの優しさと「共鳴」しちゃって、それがカワキの固い防御の殻を崩したのかな。
ボルトとカワキが「共鳴」するとしたら、それは同じ重荷を背負っているという《痛み》だと思っていた。 でも、どうやらそれ以上に彼らは《愛情》で共鳴できそうな気がする。
そして「愛情」といえば、今回おやっと思ったのがナルトのこの言葉、
「(オレだって)三代目のじーちゃんが守ってくれてなきゃな」。
ナルトって、昔は「ずっと孤独だった」と思ってたんですよね。 イルカ先生が愛情を注いでくれるまでは、ずーっと一人だったんだって・・
だけど、今のナルトは「ずっと前から三代目のじーちゃんが見守ってくれてた」ことをちゃんとわかってる。
《痛み》しか感じてなかった頃でも、実はそこに《愛情》もちゃんとあったのだと分かってる。
ま、それは「ミナトやクシナから聞かされたから」ってのもあるだろうけど、やっぱりナルト自身が親になって、火影になって経験して分かった事じゃないかと思うんです。 ストレートに抱きしめて表現する愛もあれば、遠くからそっと見守ってくれる愛もあるんだってことも・・・愛情にもいろんなカタチがあるんだってことを、今のナルトなら、分かってる。
ナルト達は《痛み》で共鳴して心をつないできたけれど、ボルト達の世代は《痛み》以上に《愛情》で共鳴して心をつないでいくのかな‥なんて思ったり。
壊れてしまった「器」の破片を、大切そうに触れるヒマワリの優しい「手」・・・その優しい「手」に、カワキはずっと探している「何か」を感じたのかもしれないですね。
☆駄文、読んでくださって感謝。
☆今月も《ゴオオオ》の音がボルトを囲んでましたね。
☆あした、NARUTO歌舞伎、観てきます!!
(ナルト好きブログ! 2018/08/22)