ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

在る、という言葉  居る、という言葉 (イタチ、クシナの想い)

在る、という言葉  居る、という言葉 (イタチ、クシナの想い)

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(えっと、今日はイタチさんの誕生日なので・・・ ちょっとだけ?イタチにも関係する話をw)
 
497話では、クシナの美しさだけではなく 「ここに居ていいのよ・・」という言葉に すっかりやられてしまいましたw  大切な人が負けそうになっているとき・・・普通なんて声をかけるだろうか? いろいろと想像してみたんですが・・  「頑張れ」とか「負けるなぁ~!」って言ってしまいそうなんですよね。 よく「頑張れ」という言葉はプレッシャーをかけるだけで良くないと言われますが、ついつい励まそうとしてしまうのが人間の心理というもの。
ここに居ていい、ということばは、ただ「消えなくていい」という意味ではない。。 母ならではの包容力のある言葉だなぁ~と 感激してしまった次第ですw

 
人間にとって、一番の「不安」って何だろう?
 
闇ナルトがずっと抱えていたような、『自分の存在価値を見失うこと』。
これも、人間が抱える不安の1つのような気がする。
 
「自分はここにいていいのか?」「何の為に生きているのか?」
「自分は誰かに必要とされる存在なのか?」
 
・・・・誰もがそうだと思うけど、それを確認しないと生きていることを実感できない。
 
自分の存在価値・・・多くの場合は、それを「周囲からの評価」や「他者との比較」によって見つけようとする。
あなたは優秀だとか、凄いとか、かわいい、とかw
そう言ってもらわないと、自分で自分の価値を認められない。。。
 
他者からの評価で自分をみつけようとする・・・  ナルトもその1人だった。
 
「お前なんて向こうに行け」とか、 「消えろ」とか。 存在を否定されるような言葉を浴びせられ、自分ってそんなに「存在していちゃいけないのか?」と思ってしまったから、「里の奴ら全員に オレの存在を認めさせてやるんだ!」と一生懸命に頑張ることで、自分の評価を上げて自分の価値を確かめ、自分の居場所を作ってきた。
「英雄」と呼ばれるようになってやっと、ナルトは「木ノ葉隠れの忍」としての居場所を与えられた・・・
ここまでやって、やっと、なんですよね。
 
でも他者の評価なんてのは、結構無責任だし、実にご都合主義的だったりもする。いつ、評価が変わるか?なんてのは わからないし、常に不安がつきまとう。

サスケの場合は、どうだったんだろう?
 

兄イタチの「在リ続ける」、という言葉。
 
サスケが小さい時、優秀すぎる兄の下で 「自分の存在価値を確かめるため」には、「父さん」からの評価が絶対だった。 父さんに「さすがオレの子だ」と言ってもらわない限り、あの家で居場所をみつけることは出来ない・・・・サスケは、そう思っていたのだ。
 
イタチはそんなサスケを観察していて、ある日こんなことを言った・・・
 
「お前とオレは 唯一無二の兄弟だ お前の越えるべき壁として オレはお前と共に 在り続けるさ」
 
この時のイタチは どんな想いでこの言葉を言ったのだろう?

「在リ続ける」という、「在る」という言葉。
「在る」とは、時間・空間・感覚を超える場で 抽象的に存在する、ということでもある。
近くにいられなくても、どこか時空を越える場で、ずっと存在している・・・ということ。

この言葉を言った時、イタチはすでに暗部に入り「二重スパイ」としての任務を遂行していた。
うちはと木ノ葉の間に挟まれ、来るべき「時」を予測していた時期だろうか。
 
一族の行く末を見通していたイタチが心配したのは、サスケが 「父さん」という(自分の価値を計るための)存在を失うかもしれない、この先。
そして、イタチが「兄」として一緒にいてやれなくなること、だろうか。 
 
「たとえ憎まれようともな・・・それが兄貴ってもんだ」

常に傍らに存在する目に見えない「壁」となり サスケに自分の価値を確認できるようにしてやること。
そしてその「壁」の隣に、サスケの「居場所」を作ってやること。
それがたとえ、愛する弟に憎まれることになろうとも・・・。
 
遠い場所にいても、サスケと共に「在り続けること」。 それが、あの状況でイタチが示してやれる サスケへの最大の愛情表現だったのではないだろうか?

そして、サスケが「越えるべき壁」兄を越え、失った今。

自分の評価の基準や 居場所を失ってしまったサスケが、いま一番不安なのは「自分の存在」をどうやって確認していいのか、見失ってしまったことなんじゃないだろうか?
「復讐」という名目で、今のサスケが行っていることは 「自分以外の他者の排除」。
自分の周りを全て否定することでしか、自分の存在や居場所を確認できない・・・そんな感じだ。
いや・・・そうでもしないと、自分が「存在すること」すら、自分で許せないのかもしれない。 それは、九尾の「憎しみの意志」と同じ。
 
「あいつさえ居なければ!」
「復讐してやる・・・!!」
「何もかもイヤだ!」
「あいつばっかり・・・!」
 
自分の価値を自分で評価してやれず、他者がすべて憎しみの対象になる。他者を排除することでしか自分の存在を確認できない・・・・ サスケもそうだし、九尾の憎しみたちも、皆そうだ。
 
本当は自分の居場所をみつけたいのだろうし、自分の存在価値を探しているだけ。でも、いくらもがいてみても自分の価値を認められず、自分の居場所も見つけられずに「他者を憎み、妬み、恨む」。・・・・・

「白ナルト」は、自分を信頼してくれる仲間の評価を信じて、自分の存在価値や居場所をみつけようとするが
「闇ナルト」は、サスケや九尾の憎しみ同様、他者のことを憎み否定し、自分の居場所を見失う・・・・・。
 

母クシナの「居ていい」、という言葉
 
16年間ナルトをずっと見守り続けてきたクシナが、会いたかった息子に 一番最初にかけてあげる一言として、この言葉を選んだ・・・。
 
「いいえ・・・ここに居ていいのよ・・」。
 
「居る」という言葉。それは、ある場所に留まって、存在するということ。
「居ていい」とは、存在することを認められることであり、そして存在する場所を与えられる、ということ。
それは他者からの評価なんていう相対的で不確実なものに頼ったりすることの無い、絶対的なもの。
 
英雄でなくても、天才でなくても、人より優れていなくたっていい。目立つことをする必要もない。
代償も、対価もいらない。この世に生まれてきた者全ては「存在していい」のだし、そこに居ていいのだ。
そのままの自分を認めてやっていい。頑張ることも無い。
 
クシナの言葉は、頑張って自分を認めようとする「白」でもなければ、自分を認めてやれない「闇」でもない。
どっちでもなく、そんなものを「越えた」すべてを受け入れる言葉。
ナルトだけではなく・・・
「自分の存在する価値を見つけられないで、他者を憎む」すべての憎しみ達を「存在していいのだ」と受け入れ、居場所を作ってくれる・・・そんな言葉だと思う。
 
クシナは ずーっとこの言葉を 頑張りすぎる息子に言ってあげたいと思っていたんだろうな(自分に性格が似た息子にw)。
 
九尾の憎しみの、小さな1つであるナルト。
ナルトが母の言葉で憎しみから救われれば、それが九尾すべての憎しみも救ってくれるんじゃないだろうか?
ナルトが憎しみ達を受け入れ、その居場所となってやることで 九尾も闇から救われるのだろうか・・・?
そして、いつかサスケも。
サスケも自分が抱える巨大な憎しみを受け入れ、闇を光に変える日がきっと来るのだと思う。

母が息子に伝えた 「居ていい、」という言葉。
そして 兄が幼い弟に残した 「在リ続ける」という言葉。
どちらも、 「出来るなら一緒にいてあげたかった」という想いが溢れているような気がします。。
 
 
(イタチ、Happy Birthday・・・・2010.6.9)