忍という名の道具・・・ その1.再不斬とサイ
・・・再不斬の怒りの表情。
死んだ白のことをまるでモノのように扱い、足で蹴飛ばしたガトーを睨む、再不斬の表情です(32話、「忍という名の道具」)。このあと、再不斬の「怒り」は背後に「鬼」を呼び起こす・・《お、鬼だ・・!》・・・再不斬は「鬼」となって、ガトー目指して突撃する・・・。
そして今週518話でサイが見せた、怒りの表情。
サイの描いた金剛力士「阿形(歯を見せてるほう、怒りを表に表す)」と、「吽形(うんぎょう、口を閉じて怒りを内に秘めているほう)」・・・サイはこの「阿吽(あうん)」に自分と兄さんを重ねているのでしょうね。。怒りをあらわにしている「サイ」と、怒りを黙って心に秘めている「兄さん」。
金剛力士を背に怒るサイを見て、思わず あの再不斬の表情を思い出しました。・・・似てるな・・・。
考えたら、サイも再不斬も同じような状況で育ち、感情を無くすことが強さだと信じてきた・・そして同じように「大切な人」を持っていて・・・・「失った」。
亡くなった大切な人を「粗末なモノ」のように扱われた時、彼らははじめて感情をここまであらわにした・・・。
近頃、「波の国任務」エピソードが非常に気になっております・・・・って、最近の「ジャンプ感想」でも こればっかり言っているような気がしますが・・・しつこくてスミマセン。なにせ波の国編が一番と言っていいぐらい好きなものでw
でも今回の戦争は、「波の国」エピソードと『対』になっているような気がするんです。
ナルト達が下忍になって、猫探しや子守りなどの任務を経て・・・はじめて忍として「敵」と遭遇したのが波の国任務。木ノ葉でゆとり教育を受けてきたナルト達にとって 再不斬と白の壮絶な生き様、死に様はまさに衝撃だった・・。
再不斬と白を見てナルト達が感じた疑問、
『本物の忍者になるって本当に道具になるっていうことなのかなあ?』、
『忍の存在理由ってなんだろう?』
この戦争では忍達が自分自身の「闇」と向き合い 本当の自分を受け入れる事で・・自分たちの心(魂)を解放していく「自分自身との闘い」になるんじゃないか?という気がしています。
(ナルトが真実の滝で向き合ったような。)
波の国任務のあの日から(おそらく)ずーっとナルトが抱いている疑問の答えが 10年経った今(読者時間で、ですがw) ・・・ようやく出されるのだろうか?と思うとドキドキしてきます・・・。
・「忍という名の道具」
再不斬をかばって死んだ、白。 はじめのうちは白の死にも、再不斬は取り乱さず冷たく言い放つんです・・。
「オレたち忍はただの道具だ オレが欲しかったのはあいつの血で あいつ自身じゃない
・・・未練は無い」
それを聞いてナルトは怒って、再不斬を問い詰める・・・
「お前ってば・・」
「本気でそういってんのか?」
再不斬は黙って「・・・・・」と背中を向けたまま・・・。
ムカッとしたナルトは殴りかかろうとするんですが、それをカカシが止める・・、
「やめろナルト!もうこいつと争う必要はない・・・」
「それに・・・」
カカシの「それに・・」。カカシは何を言いたかったんだろう、何を思ったんだろう?
最初にこの部分を読んだ時は、単純に《再不斬も、もう分かっているんだよ・・ナルト》と言いたかったのかなぁ~と思ったんですが、実はもっと深い意味があった・・。カカシは「あの時」のことを思い出していたんじゃないだろうか。「あの時」とは・・
カカシ外伝で、リンの救出より任務続行を優先させようとするカカシと、リンの救出を主張するオビトで言い合いになり、カカシは言い放つ・・・
「忍に必要なのは任務に役立つ道具だ・・ 感情なんてのは 余計なものなんだよ」
それを聞いてオビトはカカシに問い詰める・・
「・・本気で言ってるのか!?」
「お前は本気でそう思ってんのか!?」
カカシは一瞬黙って困った顔をし、「・・・・・」 になる・・・
あの時と、そっくりな状況。 カカシは思わず「あの日」を思い出していたんじゃないだろうか・・。《本心とは裏腹に》感情を否定したあの日のことを。
忍も道具にはなりきれないってことに気づかされたあの日のことを。
だからカカシには再不斬の気持ちがよくわかったんじゃないのかな・・・。 そしてカカシも そのことに悩みながら生きてきた一人なわけで・・・。
黙ったままの再不斬に、ナルトは怒りの言葉をぶつけていく・・・
「ホントにお前は何とも思わねーのかよォ!!?」 「あいつはお前の為に命を捨てたんだぞ!!」
「道具として死ぬなんて・・」
「そんなの・・・つらすぎるってばよォ・・」
でも、再不斬は背を向けてナルトの言葉を聞きながら涙を流していたんですよね。。
「小僧・・結局はお前の言うとおりだった・・忍も人間だ・・感情のない道具にはなれないのかもな・・・」
血霧の里・かつての霧隠れの里でも"根"でも・・・・忍には感情は必要なく、ただ命令どおりに動く道具としてのみ存在を許される・・・
何だか、はじめの頃のサイを見てると 再不斬や鬼鮫よりも感情も自由も無かったような気がします。 「血霧時代の霧隠れ」よりも"根"のほうが呪印で言動もコントロールするなど、さらに忍を「道具化」させていたようにも思える・・・。
「根には 名前は無い 感情は無い 過去は無い 未来も無い あるのは任務」・・・・
・・・・嬉しいとか悲しいとか・・・全ての感情を失ってしまったサイも、なぜか兄さんの為に描いた絵本だけはいつも、肌身離さず持ち歩いていた。
「まだそんなものを持ち歩いていたのか」と根の先輩に指摘されても、これだけは手放さなかった・・。そして戦争にまで。
おそらく再不斬やサイが特別だったわけではなく、今までの忍は皆・・・国の為に「戦うための道具」として存在していたのでしょうね。。そして感情を無くすことが強さだと言われてきた。信じてきた。
・・・・・
最後に、再不斬は白に 「今までありがとう・・・」と言って旅立っていった・・。
今週、サイの兄さんが「ありがとう」といって天国へ旅立っていったのと、重なってしまいます。最近大事な主題として登場する「ありがとう」も、考えてみれば この時から描かれていたんですね。やっぱり物語は少しずつ「はじめ」に回帰しつつあるように思います。NARUTOの原点に。
そして忍達が感情を取り戻すための闘いは、いま始まったばかり・・・。
☆その2(続き)「白とナルト」は近日中・・・
☆駄文読んでくださって感謝。