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うちはの兄弟の絆 (互いのスペア、について)

うちはの兄弟の絆 (互いのスペア、について)

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(これは・・・うちはマダラとイズナの、つもり)。
 
『かつてマダラにも兄弟がいた  ・・・・弟だ』
 
うちはの兄弟の絆・・・って、特別なモノのような響きがあります。
NARUTOの世界って、意外と一人っ子が多いので 親子の絆・師弟の絆の話はあっちこっちで見えてくるのですが、兄弟の絆というと どうしても「うちは」を連想してしまうんですよね(六道仙人の息子兄弟もあるけれど)
 
で、うちはの兄弟の絆って、いったい何なんでしょう。・・・・
 
『オレ達は互いのスペアだ! それこそが うちはの兄弟の絆なのだ!!』
 
うちはの兄弟とは何ぞや?となった時、やはり思いつくのはイタチ兄さんのこの言葉なんですよね。
これは42巻、イタチがサスケに叫んだ言葉なんですが、この≪スペア≫って言葉がど~も気になります。
キッシーは外来語(っていうのかな?)をたまに効果的に使ってますよね・・・四代目の「ナイス」とか、「イーブン」とかは、四代目の天然で 且つ大らかな性格にピッタシだし、ガイが「ナウい」とか「ヤング」とか言ってるのも、いかにもという感じで良く似合う。
でも、イタチは、あまりカタカナのイメージが無くて・・・・。 あの「スペア」って言葉は、42巻128ページのイタチの「サスケェ!」と般若顔で叫んでいる顔と同じぐらい、インパクトがありました。
 
「スペア」ってのは、辞書によると;そもそも「予備」という意味であり、ボーリングでは1投目じゃダメでも2投目で全部ピンを倒す事。
 
イタチは、最初はサスケに「お前はオレのスペアだ!」と言ってたんです。 つまりお前の眼はオレの予備品だから お前の眼を貰うぞ、という意味で言ってたんですね。・・・でも、その次には「オレ達は互いのスペアだ!」と言っている。
 
「お前はオレのスペア」というとサスケは予備品だという言い方ですが、 「オレ達は互いのスペア」・・・これだと、お互い様ということになってニュアンスが違ってきますね、お前はオレのストックだけど オレもお前のストックでもある・・・ということになる。
 
それに、「お前はオレのスペアだ」という言葉も、≪お前はオレの予備品だ=オレの眼のストックだ≫という意味では無いのかもしれない。
≪お前はオレの代わりになってくれる存在≫ ≪オレが1投目で、お前が2投目(お前が倒す役)≫ という意味だとしたら・・・?
イタチが本当に言いたかったのは、オレもお前の眼のストックであり、オレは1投目だがお前が2投目になって完結させてくれるはずだ、ということだったのかも。
 
んまぁ~、イタチってのは立場上 ハッキリ真実を伝えられなかったわけですが、1つ1つの言葉に「何か」真実につながるヒントが隠されている気がするんですよね。 イタチの言葉は全て、暗号のようにも感じられます。 
そして、なぜイタチがマダラとイズナ兄弟の話をサスケに聞かせたかったのか。
これも、ただ写輪眼のやりとりや うちはの歴史を伝えたかっただけでは無いような気はします。
 
《オレ達は互いのスペアだ! それこそが うちはの兄弟の絆なのだ!!》・・・・
 
マダラとイズナも、また「互いのスペア」だったわけですよね。
 
イタチやトビの昔話を聞いていると、イズナの眼はマダラのスペア(予備品)だったような言い方なんですが、「互いのスペア」というのを考えると・・・一方的にマダラがイズナの目を奪ったという話も少々疑問を感じます。
 
これ、当時からずっと疑問に思ってるんですけど・・・・「なぜ、イズナはマダラの眼を貰わなかったの?」って事が不思議でしょうがないんですw なにも、あげなくっても・・・交換すりゃあ、イズナも永遠の万華鏡になれたかもしれないのに、って。 
この話を書く度に、「マダラの眼は失明してたんだから もう使えないだろう」とご指摘をいただくんです。
確かにねぇ~、そうなんですよねw ですが、う~む(←まだ納得いっていませんw)。 
 
というのも、イタチの話によればですが・・・マダラはイズナの眼を「奪って」るんですよね。 
完全に失明してたら、奪うなんてできないだろうと思っちゃうんですよね。そしてトビは何と言っているかというと、その「眼強奪事件?」については、実に曖昧ないい方してます。 最初は「弟から奪った」と言って、次は「弟は自ら眼を差し出した」と表現を変えてるんですよね。 
 
まぁ、どっちが事実であっても《兄さんが弟の眼を奪った》ことに変わりは無いのかもしれませんが・・・
 
でも思うのは、イタチの眼もほとんど失明に近い状態ですよね。 それでも「スペア」としてしっかりと機能する・・・。 それなら、マダラとイズナも「互いのスペア」として「交換」出来たんじゃないだろうか?と。
だから、意外とマダラとイズナ両方が「互いのスペア」として眼を交換していて 実は二人とも「永遠の万華鏡」を開眼していたのではないか? 表舞台に出てくるのは「マダラ」一人だけど、実は影武者的にイズナも生きていて互いのスペアとして2人共在りつづけてたりしたら 面白いんだけどなぁ~・・・なんて考えたりもします。
 
もっとも、イタチやトビが語った昔話は原則「真実のみ」として考えないと、妄想が際限なく湧き出でてきちゃって、話が混乱してしまうかもしれませんね;
 
うちはの兄弟。 「互いのスペア」。
 
イタチは何が言いたかったんでしょうね。
うちはの兄弟とは、本来争って奪い合うのではなくて・・・互いに支え合うものだ、と言いたかったのでしょうか。助け合い、2人の力を合わせてこそ力を発揮できるのだ、と。 
そしてもう1つ、「互いのスペア」・・・つまり、うちはの兄弟は「スペア」として存在することが可能だと伝えることで 何かのヒントとしたかったのでしょうか。 
 
互いのスペアとして成り立つのも、うちはの兄弟の瞳術は「ほぼ同じ能力を持つ」という事実があるからかもしれません。 ダンゾウが、サスケの天照を見て『兄弟能力は同じとて・・』 『天照・・やはりイタチの弟だな』と繰り返し強調していたのも 何かのヒントじゃないかと気になります。
 
イタチとサスケ、ともに天照と幻術(サスケはイタチの月読レベルではありませんが)、そして天照の炎をコントロールする力(サスケの加具土命と、イタチの天照を消す能力)・・・同じ能力を持っています。 
おそらく、マダラとイズナも同じような能力を持っていたハズですよね。(九尾をコントロールする力など)
 
うちはの兄弟がほぼ同じ瞳術を持つということから考えると、シスイ、オビト、トビをつなぐ線も「兄弟」じゃないかと疑ってしまうのです。
トビの九尾を操れるほどの写輪眼(普通の写輪眼状態での能力)と、シスイの人を操る瞳術・・・
シスイの「瞬身の術」と、トビの時空間忍術(万華鏡瞳術)。 
そして、カカシの神威(オビトの万華鏡瞳術)とトビの時空間忍術・・・。
同じような「時空間系の万華鏡瞳術」ということで、シスイとオビト(トビ)の眼に「兄弟的な」つながりを感じてしまうのです。 ここにも何か、隠されていそうなんですよね~。
 
「互いのスペア」である、うちはの兄弟の絆・・・・
イタチが遺したこの言葉の中に、うちはの謎、マダラの謎、シスイの謎を解く「カギ」がありそうな気もします。
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
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