鬼鮫とイタチの会話に見る「存在と価値」
この模写は、54巻第508話『忍の死に様』に登場する、鬼鮫の回想です・・・《イタチと初めて出会った場面》。 この絵、好きでしてね・・・ 鬼鮫は鮫肌をイタチの肩に置いて威嚇するんです。初対面の忍と忍、それも一流の忍どうしの「戦わない闘い」。出会いの「勝敗」によってコンビの「上下関係」つまり立ち位置が決まる・・・・この絵からはその緊迫感が伝わってくるんです・・・
・・・・でも、イタチは全く動じない。
何だかカッコいいなと思ったんですよ、この2人だから絵になるのかな、と。・・・・だけど似たような事をサスケもやってましたっけ、第347話の「サスケと水月の初対面」。水月が鬼灯一族の必殺技「水鉄砲」を サスケの後ろから突き付けるんですが、サスケは全然動じていなかった。さすがイタチさんの弟ですねw
(本当は353話老紫が出てくる場面のイタチと鬼鮫の会話から取り上げるつもりだったんですが、頭の中でアレコレ脱線して508話中心になってしまいました、すみません)
背景の穏やかな海岸と山・・・静かな音の無さそうな風景に緊張感が張り詰める一瞬。
2人がいる桟橋のような場所を見ると一方は「鮫が泳いでいる」海に通じており、反対の山側には『鳥居』が続いているんですよね・・・鳥居というと六道、そして稲荷神社「うちは」を連想させます。まさに鬼鮫とイタチ、2人の交わる場所。
『元霧隠れ忍刀七人衆の一人 干柿鬼鮫 以後お見知りおきを』と。
鬼鮫は《仲間殺しは自分もやってきた、アナタだけじゃないんですよ》・・・ということをアピールをするんですが、イタチはあっさりと
『オレの事を分かっているつもりだろうがお前自身はどうなんだ?霧の中を迷ってここへ来た・・自分で行き場所も決められないごろつき …違うか?』
・・・と鬼鮫の心の中をズバッと見抜いちゃうんです。さすがはイタチ・・・
しかしイタチはなぜ、鬼鮫の「心」を見抜いたんだろう?
鬼鮫は抜け忍なのに、未だに《元霧隠れの忍刀七人衆の一人》なんて誇らしげに名乗ってるってこと・・・・それは、まだ「捨てたはずの過去」と訣別できていないってことを露呈しちゃっているんじゃないだろうか。
そして、それは現在の自分の「居場所と立ち位置」を見つけられないでいる・・・今現在の自分を受け入れられないでいる証拠なんじゃないだろうか。
なんだかなぁ・・・これって、四尾の孫悟空にも似ているような気がしたんです。孫悟空は《水簾洞の美猿王 六道仙人より孫の法号を与えられし仙猿の王》という かつて与えられた「地位」を誇りにしているわけだけど、でも今現在自分が置かれている状況は受け入れられずにいますよね。 あの頃の鬼鮫に近いものがあるんじゃないかと・・・そんな気もしました。
でもその一回戦で鬼鮫は引っ込みはしないんですね・・・すぐに「己の切り札」である鮫肌をイタチの肩に置いて牽制する・・・ なんだかこの「ポジション争い」のやり方、ちょっと動物的な感じもしちゃいます。よく動物のオスが「ボス争い」やメスの奪い合いの為に羽を広げて美しさや大きさを競ったり、牙の長さを較べて上下関係を決めたりしていますけど それと似ているような気もする(ま、鮫とイタチだしw)。
イタチは背中を向けっぱなしなんですが、でも『お互いにな・・・』と言って、眼を《スゥ・・・》と万華鏡に変えるんです。お互いの「最強の切り札」を出し合う・・・ここでやっとイタチは鬼鮫に「応えた」わけで、鬼鮫も満足して「クク・・」とニヤリ笑いする。
「いや・・・オレ達は魚じゃない 人間だ」
「どんな奴でも最後になってみるまで 自分でどんな人間かなんてのは分からないものだ・・・」
「どんな奴でも最後になってみるまで 自分でどんな人間かなんてのは分からないものだ・・・」
「死に際になって自分が何者だったか気付かされる 死とはそういう事だと思わないか?」
鬼鮫が自分を「魚(鮫)」に例えたのは、自分が人間以下であり『人間としての自分』を肯定できていないって事・・・それもまたイタチに見透かされてしまうんですよね; そして「同胞殺し」の過去を与えられた宿命と諦め、そしてそれに苦しんでいることもイタチに見抜かれてしまう。
鬼鮫にとって、「元忍刀七人衆」という地位が過去の誇りであるなら 「鮫肌」は現在の誇りの象徴でもあるわけですが・・・ でも《大刀鮫肌に認められていること》だけがこの世に存在することの証明でもある。
《鮫肌》という道具、そして《元忍刀七人衆》というかつて与えられた地位でしか己の存在を肯定できない鬼鮫。
そして、「仲間殺し」という過去を受け入れられない鬼鮫。
イタチはそんな鬼鮫の心を見抜き、《これからの行動が自分の価値を決める》っていうことを指摘するんです・・・
己の存在・己の価値とは、他人から与えられた名誉(地位や勲章)で証明されるものでもなく、所有している立派な「物(道具)」で証明されるものでもない。
そして過去に与えられた任務(仲間殺しのような己を無くさないと出来ない任務)によって否定されるものでもない。
己の存在価値は 自分自身の《これからの》行動で証明していくものだ、とイタチは語っていたんですね。だからオレ達は「ろくでもない人間」と決まったわけでは無い、と。
この「出会い」の508話でも、353話(鬼鮫が老紫を狩ってきた時)も、そして鬼鮫とイタチ最後の会話(描写されている最後という意味)364話でも・・・・イタチはいつも鬼鮫に背を向けて遠くを見つめ何かを考えているんです。
でも鬼鮫は余計な詮索はせず、でもイタチを気遣い心配そうにその背中を見つめ続けていたんですよね・・・絶妙な「距離」を保ちながら。
イタチは自分の存在価値を試す《最後の時》に 何を懸けようとしていたのだろう。 《サスケにはオレの死を利用して色々としてやりたいことがあった・・・》と言っていたイタチ(550話の穢土転生イタチ)。何かまだ、我々の知らない「何かを」イタチは遺しているのかもしれない。・・・
その眼が見つめていた先には何があるのか、イタチは何を見据えていたのか・・・
イタチが見ていたモノは「未来」、そしてこれからの忍達の「あるべき姿、あるべき世界」だったのだろうか・・
☆長駄文、読んでくださって感謝。