ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 572:九つの名前 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ10号) ・・・その1

NARUTO 572 九つの名前 (その1)

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涙を流してる仔九喇嘛・・・そんな瞳で見つめないでぇ~と言いたくなるほどの可愛らしさですよねぇ。尾獣達にもこんな頃があったとは・・・。
 
仔八っッあんのブサ可愛さとか、仔五尾のポテッとした足とか。もうかわいすぎ・・・岸本先生ってこんなかわいい動物も描けるんだなぁ。 (ぬいぐるみ、ぜひ発売してほしいです)
 
さて今週は尾獣達との会話、そして人柱力達との会話まで 一気に進みましたね~。そしてついに、あの「六道仙人」の顔が・・・・!(チラッとだけ)。
最近、話が気持ちいいぐらいのスピード感で流れていってますね。
 
・・・・あとはもう「サスケ戦」へ流れていくのみ、なのかな。
 
・《とりあえずは、ぶつかった九喇嘛と尾獣達の「尾獣玉」の話から・・・》
 
ナルト&九喇嘛はついに巨大な尾獣玉を完成させましたね。
ぶつかり合った2つの尾獣玉・・・どう見ても「全く同じもの」。尾獣達9体それぞれ特徴はあっても、作る尾獣玉の「質」は同じ・・・やはり元は同じ十尾、チャクラの質も同じってことでしょうか(9体分のチャクラで尾獣玉を作ったら、十尾並みってことですよね・・・)
 
相殺というよりは「跳ね飛ばす」結果でしたが、八っっあんが《やっぱ九尾強え~!!》なんて言ってるので九喇嘛が最強を自認していたのもハッタリでは無かったんですね・・・。
強烈な爆風ですが、八っつあん&ビーがちゃ~んと老紫を爆風から守ってくれてたのは流石!ですな(トビは外道魔像の手で咄嗟にガードしてますが、トビって外道魔像と完璧にリンクしてますよね。 これはトビ自身が魔像とリンクしてるという意味なのか、それとも『トビとは別の輪廻眼を共有する存在』が魔像とリンクしているのかなぁ)。
いずれにせよ尾獣玉、これはそのうち《千鳥とぶつける》役割を果たすものになりそうです。とりあえずサスケ戦に向けての準備が一つ完了、ってとこでしょうか。
 
・《そして、再び尾獣の精神世界へ》
 
尾獣玉をぶつけてすぐナルトは「杭抜き作業」に入ってますが、その瞬間また「尾獣達の精神世界」に入りましたね~。この尾獣との対話をする精神世界(深層心理の世界)、以前から面白い世界だと思ってはいたのですが・・・
 
まず、この世界へ「入るタイミング」なんですが・・・
前に四尾の孫がつながれている場所に入った時も《九喇嘛とナルトが心をリンクさせた時》だったんですよね。 つまり、九喇嘛がナルトに心を開くと ナルトは九喇嘛の精神世界に入る事ができ、さらに九喇嘛とテレパシーでつながっている他の尾獣の精神世界にも入れるのかもしれません。
孫がこんなこと言ってましたよね、『お前の中にも居るな・・・だからここへ入れたのか・・・』と。つまり九喇嘛とナルトの心がリンクすればするほど、ナルトは他の尾獣達の心も読めるようになる・・・。
 
だけど「四尾の居た場所」・・・そこはまだ「尾獣(四尾)が鎖で縛られている階層」だったんですよね。あれは心の表面部分の世界だったのかな・・・?尾獣達は、今までも 心の上辺は誰かに(あるいは何かに)縛られて続けてきた・・。
 
でも今回は「他の尾獣達も人柱力達も居る世界」、違う階層です。
 
『やはり今回はこの階層まで入って来れたか…四尾の言った通りだね』 ・・・(ユギト)
 
『四尾の時とは違う場所だ』
『ワシとカンペキにリンクした分さらに尾獣達の深層心理の奥深くに入り込めたってことだ 見ろ!ここには人柱力も居る それに四尾はチャクラの鎖で縛られてたしな』 ・・・(九喇嘛)
 
ナルトが来た「場所」ですが、ユギトと九喇嘛の話によれば尾獣達の深層心理、精神世界の深部みたいです。
しかも今まで到達できなかったほどの「深部」・・・ついに尾獣達の心の奥底、本心まで見えたってことみたいですね(仮面を剥いだ内側を見た、ってことかな)。
 
今回は《こいつら皆を解放して!》《そんで全員助けんだ!!絶対!!!》 というナルトの行動が九喇嘛の心を動かし、ついにここまで《本心=深層心理まで》見えるようになったということなのでしょうか。
他の尾獣達の本心まで見る事ができたのは・・・尾獣達は元は同じ十尾ですから たとえ「心の表面」はそれぞれ違っていても、深いところでの心は共有してるってことかもしれません。
輪廻眼が視野を共有するなら、尾獣達は心を共有するということかな・・。
 
そして、やっと人柱力達にも会えましたね(しかもみなさんお揃いで)。
しかしまぁ、こんな奥深くまで入り込まないと彼等には会えなかったんですね~・・それだけ人柱力達も(尾獣並みに)本心を奥深く隠してきたってことでしょうか。
 
「ここはあの面ヤローも入ってこれねェ」という九喇嘛の言葉は、《たとえ体は縛られていても、心の奥までは縛られてはいなかった》・・・ということだと思うんですよね。 なにも面ヤロ-に限らず、今まで尾獣達・人柱力達は鎖や掟に縛られ続けてきたのだろうから・・・。
 
・《「素の」四代目水影やぐらが示す「真実」》
 
人柱力達の中でも一番知りたかったのは「やぐら」なんですよね、可愛い顔して強そうで、しかも「完璧に尾獣をコントロールした」人柱力。
おまけに血霧の恐怖政治の中心に居て、「ロン毛のマダラさんに操られていた人物」・・ はて、その「素顔」はどんな人物だったのだろうか。 
 
しかし・・・
 
『オレは元四代目水影だし!実際えらかったし!!大人だしィ!!!』・・・って; 
・・・・ずいぶん明るいキャラじゃないかい!w  
 
とはいえ、おチビでも「元水影」の風格はしっかりあるんですよね。 一人前に腕組みして見下ろしている姿は堂々としているし(マダラ並みの威厳とはいかないけれど)。 「尾獣と人柱力を代表して・・」なんて言い方は「元水影」としてのプライドばりばりですよね。
 
でもちょいとお調子者的な一面もあって、これが恐怖政治の中心になっていた「やぐら」と同一人物とは思えない・・・ いかに「ロン毛マダラさん」の幻術が強力かってことですよね。完全にやぐらの人格は失われ、別人のような言動になってしまっていたわけで・・・現水影メイが推測したとおり、やぐらにかけられた術は 「別天神」(本人にも自覚が無いまま操られる最高幻術)」だったと言っていいんじゃないでしょうか。
ロン毛マダラさんの正体は不明なままですが、彼は別天神を使える人物である可能性が高い・・・(しかしやぐらって、何歳なんだろうw)
 
・《四尾と老紫》
 
やっぱり老紫は筋金入の頑固者だったみたいですね、孫の話では「オオノキよりも頑固」っていうんだから相、こりゃ相当なもんです。今までの絵を見ていても、一癖も二癖もありそうな頑固オーラがばっちり出てましたけど・・・w
 
どうやら老紫は四尾の長い名前を覚えるのを拒否したらしいですが、それは「ご主人様」としての態度を貫くべきだと思ったからなんじゃないかな・・・。だけど「忘れていた訳ではない」・・・本当は「孫」の名前を認めていたけど、立派な人柱力であろうとして己を捨てて「人柱力」としての務めを果たそうしていたのかも。 
でも・・・最後に「ワシらにも・・違う道があったと思うか・・・?」 と話しかけ「孫でいいか・・?」と笑って消えていった老紫。 40年以上空いたままだった老紫の心の穴はやっと、埋められただろうか。
 
・《取り戻された尾獣達の名前》
 
尾獣達の名前、一気に全員分判明しちゃいましたね。
 
・一尾「守鶴」 分福茶釜で有名なタヌキが守鶴という僧に化ける伝説が由来。守鶴はまだ魔像の中ですよね・・

・二尾「又旅(またたび)」 マタタビは言うまでもなく猫ちゃんを恍惚とさせてしまう植物。サスケが忍猫に持っていってましたよね。

・三尾「磯撫(いそぶ)」 磯撫は「いそなで」という西日本近海に伝わる怪魚が由来と思われる。

・五尾「穆王(こくおう)」 穆王の由来は、おそらく「周王朝の王・穆王(ぼくおう)」。穆王八駿といわれる名馬を持っていたらしく、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り神話の題材ともなっている人物。

・六尾「犀犬(さいけん)」 犀犬は中国の『捜神記』に登場する巨大な犬の妖怪。・・・六尾の外見から「犬」のイメージではないのですが・・・

・七尾「重明」 ラッキーセブン重明って;
重明は別名「双晴」とも呼ばれる中国伝説の鳥。目の中に瞳が二つあり鳳凰ような声で鳴き、羽毛が抜け落ちても、羽根のない翼で空を飛んだという(※ウィキより。雪さんより教えていただきました)

・八尾「牛鬼」 牛鬼(ぎゅうき)は頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ妖怪だが、スサノオの化身とする説もある・・・らしい(いずれもウィキ情報)。

・九尾「九喇嘛」 (以前に書いたので略しちゃいます)
 
・《二尾「又旅」の言葉と八尾の本名が語るもの・・・》
 
『ナルト君前に来て手を・・ 四尾・・・イヤ孫悟空との約束を果たします・・』 (二尾・又旅)
 
丁寧な口調の又旅、一度「四尾」と言ったあとに孫悟空と言い直してますね~・・・どうやら尾獣どうしの間でも今まで「○尾」と呼び合い、お互いの本名は「NGワード」になっていたのかもしれないですね。
 
それに八尾、「八っつあん」は本名ではなく「八尾の略」でしかなかったんですね。
ビーにすら本名を教えていないのだとしたら・・・尾獣達の「名前」を隠したい気持ちは相当深かったのかもしれない・・・(九喇嘛も自分の名前を孫悟空にばらされた時は「チィ・・・」でしたしねぇ。) 
自分達の存在意義を見失っていた尾獣達は、本心と共に本名も失っていたのでしょうか。まさに「誰でもない、誰でもいたくない」状態だったという事です。
 
その中でも四尾の孫悟空だけは「ちょっと特別だった」と思うんですよね。 
彼は自分から名乗って「尾獣にも名前がある事」を教えてくれたし、九尾の事を「九喇嘛」と呼んでナルトにばらしちゃったわけですしね・・。孫悟空は名前をまだ誇りにしていた「例外」の1匹といえます(もう1匹の例外は一尾の守鶴。彼は里の人達からも名前で呼ばれてましたよね。) 最初に孫に当たったことが、ナルトにとってかなりラッキーだったとしか言いようがない・・・(もっともこれが偶然だったのか、誰かさんの思惑なのかはまだ分かりませんがね・・)
 
孫悟空がナルトに渡したのは結局チャクラみたいですが(他にもあるのかも)、ナルトを認めた彼は他の尾獣達を集め ナルトに『聞かせ渡すものを約束させた』らしい。 ナルトの言動が、離れ離れだった尾獣達を再び「1つ」の元通りにさせた・・・・・・これもナルトの役割だったということでしょうか。
 
・《そして「円陣」》
 
尾獣達がナルトと円陣を組んで「拳を重ねてあいさつ」をしたのを見て、昔を思い出す九喇嘛・・・それは仙人との最後の時。きっと、「その時」も同じように円陣を組んで手を重ねたんでしょうね・・・いつか再び1つになる時が来ることを誓って。
 
尾獣の手を重ねての「円陣」(よく試合でやるけどコレ何て言うのか分からない;)、lこれを見ると、かつてのミナト班を思い出しちゃうんですよね。
第27巻239話で、ミナト班が円陣でスッと手を重ね・・・「国境までは同行するけど そこから分かれて任務開始だよ!」「ハイ!!」とやってるんですよね。チームワーク重視のミナトは いつもこれをやっていたんじゃないかなと思うんです。 
ミナトって、言動にしても衣の後ろ姿も・・・仙人って随分と重なるところがあるんですよね。 
 
でも、この円陣・・・・第七班はやらないですよね、もしかしたらカカシは「出来ない」のかもしれない・・・ミナト班の「チームワークの証」だったあの円陣。結局、カカシはミナト班を誰も守れなかったのだから・・・
 
(すみません、その2へ続けます・・・六道仙人とナルトの「答え」について)
 
 
・コメント欄はその2に設けさせていただきます。
 
 
 
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