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NARUTO-ナルト- 588:影を背負う 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ27号) ・・・その2 (マダラVS五影)

NARUTO 588 :影を背負う (その2 マダラVS五影)

(その1の続きです)
 
・さて、久しぶりの五影VSマダラ戦場。
 
しかしマダラ、容赦ないですねぇ…結局、影分身達は全員須佐能乎を使ってるんじゃないですか。
五影はそれぞれ手一杯だけど、互いにピンチは守り合う。でも、他の影を助けて自分の防御が手薄になれば、自分が狙われる(マダラはえげつないほど容赦ない)。
 
我愛羅が背負うもの
 
我愛羅が砂でメイを守れば、須佐能乎が背後から我愛羅を狙う。 そして我愛羅の背後は砂が守る。
先週も《背中を預ける仲間》という表現が出てきましたが、我愛羅は背中を砂、つまり加瑠羅母さまに預け共闘してるんですね。だけど絶対防御の砂も、さすがに五体の須佐能乎による同時攻撃までは防ぎきれない(二代目水影様の攻撃にも苦労してましたっけ)。

綱手の戦い方はエーに《雑》だなんて言われてますけど、そりゃそうだ…須佐能乎の剣がお腹に十字に突き刺さったまま《ウォオオオ・・》と怪力攻撃してるのだから・・って、自動回復能力が無ければ生きてないですよねl;
柱間は同じ自動回復に加えて、綱手みたいに攻撃をまともに喰らう事も無かったでしょうし木遁も使う。…一体どれだけ強かったのかと思います。
 
この戦場に来てから、やたらと雷影エーが綱手をいたわる場面が見られるんですけど…なんだかいい感じ(笑)
エーは綱手の好みとは違いそうだけど、そろそろ綱手も過去じゃなくて「未来」を見た方がいいのかも。超肉体の雷影一族と千手一族が結ばれたら、どれだけ・・とか想像しちゃいますが、ま・・今はそれどころじゃないですね;すみません。
 
・マダラの万華鏡写輪眼「幻術」

綱手に気を取られたエー、うっかりマダラの万華鏡幻術にはまっちゃいましたね。
影分身マダラの顔アップは《ギン!》と幻術をかけてる今週の1枚だけなので、分身マダラ達が全員永遠の万華鏡状態なのか輪廻眼なのかよくわからないんですが、でも久々に“写輪眼のマダラ”を見た気がします。
サスケの写輪眼幻術はエーには全然効きませんでしたが(サスケはあまり幻術は得意じゃない)、やはりマダラの写輪眼の《幻術能力》は強力なんですね。
 
オオノキが、散々マダラの幻術を警戒するように注意していましたが 《うちはマダラの瞳術》といえば、九尾を操るほどの幻術…
だけど肝心の《術名》が何故、まだ明らかにされないんだろう。・・・月読なのか、別天神なのか、あるいは違う術名なのか。もしくはただの《幻術・写輪眼》なんだろうか。
 
マダラは髪の毛で右眼が隠れちゃってる事が多いので、今回は左眼の永遠の万華鏡で幻術を使ってます。
でもだからと言って、マダラは《左眼が幻術専門の眼》とは限らないんですよね。。 
今週はイタチが右眼(本来なら天照の眼)でカブトに幻術をかけてましたので、イタチ・マダラレベルの眼ともなれば 左右どちらの眼でも強力な幻術は標準装備なのだろうと思います。
それに加えて《マダラ固有の万華鏡写輪眼瞳術》があるのだと思いますが、それはさらに高度な幻術なのか、あるいは幻術以外の能力なのか。う~ん、術名が分かったらマダラの家系も分かりそうなものだし(サスケ達の家系なのか、オビトあるいはシスイの家系なのか等)うちはの謎が少しは解明できそうなので、早く知りたいんだってばよ・・・(苦笑)
 
なんだかなぁ、マダラの永遠の万華鏡がアップになってる絵と、幻術にかかるエーの眼…九尾事件の時の仮面男の眼と九喇嘛の眼に見えてしまう。
 
・戦闘経験値
 
(幻術で動けなくなったエーを救ったのはオオノキ。それを「・・・・・」と見つめるマダラ)。
 
う~ん、相変わらずマダラはマダラさんやってますね、つまり《一段高いところから腕組みして百獣の王のように見下ろす》ポーズ。足を肩幅以上に開いて、姿勢よく背筋を伸ばして…堂々たるものです。
 
見方を変えたら《分身に戦わせて見てるだけの狡い奴》にもなりそうですが、どっちかというと彼は観察してる感じがします。彼は自分が戦うのも好きなんだろうし、戦いの光景を見て忍達の分析するのも好きなんじゃないか?という気がするんですよね。 根っからの闘い好きだってことなんじゃないかと。

『オオノキめ… 戦闘経験値の差が出始めたな』

マダラの言う《戦闘経験値の差》…単純に年齢による差だとか、こなした任務数ってわけじゃないような気がします。
戦国時代を生き抜いて《戦いに明け暮れた》マダラは、奪っては奪われ、憎しみを抱え戦い・・・それを《生きていくという事だ》と称してました。 マダラが言う《経験値》とは、戦闘回数ではなくて《心の傷を受けた量、心の傷を受けた深さ》のような気がします。痛みの経験値とでも言いましょうか。だから戦闘経験値が高いオオノキは本当の戦争の厳しさを知っているから心が折れにくく弱音を吐かず、逆境に陥るほど強さを見せる。…それをマダラは《戦闘経験値の差》として評価してるんじゃないかという気がします。
 
・影の名を背負う

『立て!!…影共!!』
『生死を分ける時にもう弱音を吐くな!!』
『五影のはしくれなら 最後の言葉はその肩書きに恥じぬものにせい!!』

実に毅然としてますね、ちいせぇ~ジイちゃんは。
 
さすがは石の意志を持つ男…あの御年まで長年岩隠れでカリスマ的指導力を誇ってきただけはあります(腰に爆弾を抱えながらも)。逆境にこそ真価を顕わすのが、戦闘経験値の差。
 
『ワシらがナルトに預けた戦いがあるのじゃ!』
『あいつに預けられたここでの戦いは 絶対に勝つと誓ったんじゃぜ!』
 
互いに預けた戦い、つまりこれも背中を預けた仲間ってことでしょうか。
 
それぞれが「自分の役割を果たし」背中は仲間に任せて前を向く。イタチが言っていた「自分に出来ることをないがしろにしない」ってことでもあります。それこそ仲間を守るための闘いであり、チームワークでもあるわけでして・・・なんだか原点に戻っていっているというか、一番大切なモノを忍達は思い出していってるのかな。
 
そして主人公一人だけが戦うんじゃなく、互いに任せあうチームワークの大切さ。
そのメッセージの体現のために《主人公がコミックスで丸々1巻登場しない》なんて思い切った判断を下したキッシーにも拍手をしておきたいです。
 
『それにもう一つワシらは忍の者全員から預かったもんがある――』

『五影を預かったことを無駄にするな!!!』

・今週のタイトル《影を背負う》。
 
・・・背負うとは、苦しい仕事を引き受けて責任を持つこと。
そして「」という文字は、二人が背中合わせになってる事を示す文字でもあります(の部分)。 第568話でカカシとガイが「お互い背中は任せる」と言ってドン!と背中合わせをやってる絵・・まさに「背」の文字型になってるんですよね(この絵のことばっかり言っててすみません・・というかあの絵はそのぐらい大事な絵だと思ってるんです)。
 
以前51巻で、我愛羅「影の名を背負う覚悟を決めたなら・・・ サスケの友としてお前が本当にやるべき事をやれ」とナルトに言ってましたよね。 我愛羅は今、土影の言葉に自分自身の《風影の名を背負う覚悟》を改めて思い出したでしょうか。 いつかカンクロウに語った、影を背負う覚悟を。我愛羅が五影会談で、オオノキに《かつてのワシ》を思い出させたように…今度はオオノキが我愛羅に《影を背負う覚悟》を思い出させてくれたのかもしれない。

・そして、マダラの須佐能乎
 
ついでにと言っちゃなんですが、少し前から気になっている「サスケの新須佐能乎」にもちょっと触れたいと思うのですが・・

イタチやサスケの須佐能乎と違って、マダラの須佐能乎は二本足歩行ですよね(トビが使っていた外道魔像も二本足歩行してましたけど)。 これらの《天狗の着ぐるみを着ていない状態の須佐能乎》ですが、マダラの場合は「二面四臂」2つの顔と4つの腕、それぞれ6本の指を持つ須佐能乎です。
これはマダラとイズナの須佐能乎の合体形(背中を預けた共闘スタイル)だと思ってますが、永遠の万華鏡ならではのバージョンと言いましょうか。
 
なので永遠の万華鏡を得たサスケも《イタチとの共闘スタイル須佐能乎》 つまり二人の須佐能乎が合体した《二面六臂》2つの顔と6つの腕、それぞれ6本指の須佐能乎になってもいいと思ってたんですが、でも「まだなってない」…相変わらず一面三臂のままです(「完全体」須佐能乎の着ぐるみは 今までの大天狗姿から烏天狗姿に変わってましたが)。
これはまだサスケがイタチの眼との信頼関係が築けてない状況にあるのか、具体的にはイタチの眼に宿るチャクラとサスケのチャクラの交感の問題なのかなぁなどと思ってますが(分かってませんが)。

今度は初めて五影全員の合体技、綱手のチャクラとオオノキの「塵遁・限界剥離の術(原界剥離の術と同じ?;)」を陽動にしてのエー×メイの「雷水龍弾」に砂を混ぜた攻撃。輪廻眼で術を吸収すれば砂を吸ってしまう。

《なるほど・・・さすがは仮にも影の名を背負う忍達だ・・・・》
 
『ならばうちはマダラも全力で応えよう』

封印直前まで行きましたけどね~・・やっぱり破って出てきちゃったか;さすがは本マダラ。
 
マダラは彼らを「なるほど」 「さすが」 「影の名を背負う者」と認めてるんですよね。マダラのいいところは、人の話をちゃんと聞くところと、敵であろうと正当に評価し認めるところだと思うんです。そのあたり親分肌的なところがあるというか、本来彼はドーンと受け入れるような大らかさを持ってる人だと思うんです。責任感も強くカリスマ性もあり、本当にリーダーとしての稀有な資質を持っている人なんだな、と。 
 
だけど《オオノキの心を折らねば》という発言とか、次の言葉は理解し難い。
 
『五影も何もすべてが無駄になるということを…』
 
 
イメージ 1
 
『この完成体 須佐能乎でな!』
 
 
マダラが遂に出した《完成体・須佐能乎》。
 
形態的にはまだ着ぐるみを着る途中のようですが、基本的にサスケの新須佐能乎に似てるような気がします(特に腕のあたり)。 完成体というからには、これ以上は無いという意味かもしれませんが・・でもサスケがイタチの眼を使いこなし新須佐能乎を完成体にした場合は、これ以上の究極完成体?になり得ると思います(六本腕の軍神状態)。
 
しかしイタチの穢土転解除によって、マダラは《ボフッ》と消えるとは思い難い。それに穢土転のリスクもそろそろ出る頃なんじゃないかと。
 
「穢土転生の口寄せ契約」にしても《契約封印》で無効化出来ると思いますし、あのマダラなら簡単にしてしまいそうです(契約封印=九尾事件の時、ミナトが仮面の九尾口寄せ契約を封印した術)。穢土転生が、自ら契約封印してしまった場合…術者が「解」をしても術は解けないのではないかと気になります。
 
イタチがカブトの意識に入り込んで、本マダラの事態に気づけば・・う~ん新たな展開もあるんじゃないか?とちょっと《イタチまだ消えない路線》も期待しちゃったりで。
 
しかし『全てが無駄になる』だとか『無限の月読の中で眠っていればいい』だとか・・なんか本マダラのイメージに合わない気がするんですよね。 休まず戦い続けることを《それが生きていくことだ》と言ったマダラが、永遠の幻術による平和なんて本心で願うのだろうか?とか。
後輩の忍達を正当に評価し根っからの戦闘好きな一面をみせる彼が、なぜこんな言動や計画に出るのだろうか。何だかな…マダラにも、『マダラ自身とは矛盾するもの』が内在しているような気がします。 
マダラは一体何を想い、何を背負っているのだろう?
 
マダラをそこまでつき動かすもの・・・・
 
それは平和を望んで兄に眼を託したと思われる、弟イズナの夢の実現・・イズナの描いたおとぎ話を実現させる為なのでしょうか。
 
 
 
☆ただしマダラの計画は、本当にイズナが望んだものかどうか…そのあたりは少々疑問なんですよね;
 
 
 
 
 

☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
 
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