ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 576:再会の道標 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ14号) ・・・その1

NARUTO 576:再会の道標 (その1)

 
イメージ 1
 
イタチの子供時代の笑顔…!
 
かわいいですねぇ・・こんな自然なイタチの笑顔、一度でいいから拝みたかったんです。あとはカカシの素顔かなw(いや、その前にトビの素顔を見なくちゃ)。 しかし、イタチもサスケに「だけ」はこんな天真爛漫な笑顔を見せてたんですね。両親や一族の前では、こんな子供らしい笑顔はなかなか見せられなかったんじゃないだろうか・・。本当ならこんなふうに2人で笑っていられたのに…と思うと「うちはの兄弟」の厳しい運命に心が痛みます。
これ、うちはの居住区での絵らしいのですが しっかり後ろに「電柱」が書かれているのも、気になるところ・・・
うちは事件の「あの日」、サスケが見た光景は… うちはの居住区にある電柱を見上げ「イタチらしき人物の眼」を見た…あの瞬間から始まっているのだから。
 
(いきなりですが・・)
「ご連絡」でも書きましたが、最近記事がダラダラ長いため一度に書ききることが難しく(時間的体力的に)、2記事目以降は少々間をあけてアップさせてください;どうかご了承を(コメント欄は「今週のコメント」欄を別途設けましたので、いつでもよろしくお願い申し上げます。コメントは大歓迎です。)
というわけで本題に戻ります・・
 
しかし、やっぱり会っちゃいましたね・・・イタチとサスケ。
 
個人的には正直ここまで来ても「会うな!」って思ってたんですw もし会ってもイタチにとってロクな事にならないのでは?なんて「余計な」心配しちゃっていたんですが・・・どうやら取り越し苦労だったようです;イタチは強いな(精神的に)。 
対してサスケのほうは もっと冷静に「兄さんの後をこっそり追うんじゃないのか」なんて考えてたんですが、サスケは兄さんに堰を切ったように「溜めていた思い・疑問」をぶつけましたね… 正直、サスケがあんなに一気にイタチに話しかけるとは思いませんでした。それだけ今まで一人で抱え込んで苦しんでたんですね。
 
・・・なんだかなぁ、今週のサスケを見てたら可哀想で可哀想で・・・一人で「分からない事だらけ」の中に放り出されて、どんなにか苦しんできたかと思うとね・・・。時に口をへの字に曲げ、時にわめくようにイタチに食らいつく・・・それって、昔から変わってないですよね。最近見せていた、あの邪悪そうな表情も無い。
もしここでイタチが振り返ってサスケをギューっと受け止めてあげたら、どうなんだろう。
辛い思いをさせて悪かったな・・とでも言ってやれたら もしかしてサスケは立ち止まれるんじゃないのか・・?
サスケも、本当はイタチに自分を止めて欲しいんじゃないだろうか…そんなふうにも思えるんですが、だけどイタチはサスケにかまわない。
 
ナルト達の前で見せた《ひたすら弟を想い 信じようとする優しい兄さん》の素顔は サスケの前では微塵も見せませんね… イタチにはやらねばならぬ事があるし、本来は「サスケには出会うべきでは無かった」事をイタチはよーく承知してる。 死んだはずの自分が不必要にサスケに関わることで歴史が変わることはイタチは望んではいないんですね。
今、自分がすべきことと「関わるべきではないこと」をしっかり分けて そのラインをきっちり守る・・・『オレは本来死人だ… これ以上は語るまい』と毅然と言ってのけたイタチ…コレはスゴイの一言に尽きます。彼は「時を弄ぶ事」の危険性を本当に理解してるんじゃないだろうか。
 
しかしサスケはビックリですよねそりゃ・・《死んだと思っていた人が、目の前にいきなり現れたのだから・・・》。
『再会の道標』・・・う~ん、今後もそういう話が続いたりして・・・
 
(話をいったん戻しまして、今週話のまずは最初から・・・)
 
1.「・・・・・」と「キキュン」
 
『イタチらしき物影』を見た時、サスケは「優しい兄さんの記憶」にストーンと陥る・・・
穢土転イタチの横顔→昔の横顔→正面の笑顔→デコ遁→最後のデコ遁の笑顔・・と回想し、お腹のあたりが「キキュン」と鳴って、我に返り思わず「キッ」と目に力を入れるのですが・
 
ほんの一瞬だけど、一切の外界から遮断された空間にサスケは入っちゃってますね。 辿る記憶の描写中には、もちろん何の「擬音語(音喩)」も入らない・・・その世界は完全なる『無音』の世界です。おそらく外の世界ではいろんな音がしてるんですよね、雨の音やイタチが森を駆け抜けていくササーっという音も、鳥がバサバサと飛び立つ音も。だけど音も遮断された世界では、全てがフリーズしたかのようになっている・・・ そして、サスケの眼もどこか遠くを見ているんですよね・・イタチを見ているようで、たぶんどこも見ていない。
 
そしてイタチはその横を『・・・・・』と通り過ぎていくのですが・・・
 
「・・・・」といえばいつものイタチの得意技ですけどw ここでの「・・・・」は《サスケが居ることに気づいている》という描写ですよね。 だけどそのことを示すのに「チラッと下にやった目線」などの描写でではなく、あえて「・・・」と書かれている・・・そこには『サスケを完全スルーする強い意志』の描写に感じられるんですよね。気付いているのに無言で通り過ぎて、スルーするという・・。
 
読者の自分ほうが《会っちゃったら2人はどうするんだろ?》なんてドキドキしてたのですが、今週のイタチの「完全無視」っぷりはとにかく、お見事としか言いようがない・・・。
イタチはサスケを無視したいワケじゃあないと思うんです。ただ今は急いでいるから かまっている暇はない・・・とスパーンと割り切ってみえるこの態度、ガイ風に言うならば「ナウくてムカつく」ぐらい潔くてカッコいい・・・(イタチのそういうところが、サスケにはどうしても理解できない部分なんでしょうか)。
《まさかの邂逅》なんだからイタチだってドキッとしてるとは思うんですが、そんな思いを薙ぎ払うように強烈な意志で無視してますからね~・・これほどの「無視」、つまりイタチは《余程急いでいる》ってことなんだと思うんです。
 
《穢土転生を急いで止めないと事態は非常にマズイ》ってことをイタチは感じ取っているんじゃないだろうか・・・。
 
でもなぜか忍連合のほうはカブト探しをしていないように見えるんですよね;その点については少々疑問だし、楽観視し過ぎじゃないの?という気がしてならないんです。術の本当の危険性を危惧しているのは、連合ではなくトビとイタチぐらいなんじゃないかと・・・。
 
トビはカブトに散々忠告したうえ「穢土転生の止め方」を執拗に聞いていましたからね~・・『時を弄ぶ』ことがどういう事なのか『時空間に精通している』トビは その危険性を熟知しているのではないか?と思うんです(私としてはですが、時空間=生と死の狭間、神の領域と解釈しておりますので)。そして当然「本マダラを穢土転生したら危険すぎる」ってこともトビはよく分かっていたのではないか、と。
 
イタチが穢土転生の危険性を悟っている理由は「彼が穢土転されてる本人だから」というよりは「時空間についての知識があるから」なんじゃないのという気もします。イタチはシスイから「時空間についての知識」を何か聞いていたのだとしたら・・・。
 
というのも、シスイが《己の存在を消した》という例の表現が、どうもひっかかるんですよね… これって時空間に姿を消すかのような表現ですから。
それに(度々言ってて恐縮ですが)“瞬身のシスイ”という通り名は、彼が時空間瞳術(神威?)を使ってズズズっとトビのような時空間移動をしていたからではないかという可能性も視野に入れております(シスイの万華鏡瞳術は、通常時=神威、十数年に1度のみのスペシャル=「別天神」ではないかとも考えております。十数年に1回しか使えない万華鏡って、それだけじゃあまり使い物にならないので・・推測でしかないですが)。
 
もしもシスイから時空間についての知識を得ていたとしたら、イタチが《時を弄ぶこと=生と死の狭間の空間の出入り口を弄ぶこと》の危険性を知っている・・という事もあり得るのではないか、だからこんなにも急いでいるんじゃないだろうか・・とも思ってしまうのです。
イタチは「本マダラ穢土転生」の情報は今はまだ得ていないと思うし、それを予感しているとは現時点では思えないのですが(それはイタチがトビ≠マダラという事を知っているのが前提になりますので)、でももしかしたら全てを知っていて「本マダラ穢土転生を警戒している」可能性もありますよね。
とにかくイタチの急ぎ方、尋常じゃない。
 
そしてもう1つ、イタチの「スゴイ」と思させるところは・・・この「穢土転生は一刻も早く止めないとヤバい」っていう焦りを ナルトとビーの前では『一切見せなかったこと』なんです。
 
ナルト達には「マダラ」と「サスケ」のことを頼んで、余計な心配と焦りを与えたくなかったんだろうと思うんですよね、穢土転生を止める役割は「自分がうってつけ」とサラリと引き受けてましたけど『実は急がないとヤバい』わけで、でもそのことまではナルト達に言ってない。 
 
「ここで言うべきこと」と「言わないほうがいいこと」の仕分け、これが実に的確で巧い・・・・そして相手を不要な不安に陥れるような真似をしない。こういうのこそ「一流の忍」って言うんじゃないの、と思わされるんですよね(忍に限らず、大人としてもですが)。イタチはその仕分けをサスケに対してもしてるんですよね・・そこをサスケが読めてないのは、仕方ないとは思うんですが・・・(これは後述)。
 
そしてサスケのほうは、お腹あたりの《キキュン》でふと我に返る・・・。
 
この「キキュン」って音、実際にお腹のあたりで鳴ったのか、あるいは「そういう感じがした」という心の描写なのかな(後者かな、とは思ってますが)。
NARUTOの擬音語(音喩)って個性的なものが多いんで すごく好きなのですが、この「キキュン」ってのは今のサスケのイメージからは ちょっち意外な感じしたんですよね…かわい過ぎるなぁって。でも、これがサスケの本心を実に素直に表してるのかもしれない・・・
 
《キキュン》って音のイメージなんですが 《ki-》の音はお腹辺りに刺し込むような 実際の痛みを伴う「音」。 そして《kyun》の音は兄さんを慕い兄さんに甘えたいっていうキューンとしちゃう心を表す「感覚」的なモノ・・・かな。
辛い記憶の痛みを伴う(キ)と、懐かしい思い出の中で兄さんに抱かれていたい想い(キュン)・・・その合体形が「キキュン」・・・イタチを疎ましく思う気持ちと、大好きな兄さんを慕う気持ちという相反する2つの想いが、サスケの中でこんがらがるようにして絡まってる・・・そんなサスケの心を表した心の音が「キキュン」だったのかな・・・なんて。
 
なかなか本心を見せてくれない「うちは一族」には、セリフで語らせるかわりに「・・・・・」とか「擬音語(音喩)」、そして「背景」で感情を表現させる。この岸本先生の技法、読者次第であれこれ想像が膨らみますから 面白いんですよね。 あとは読者がどこまでどう読み取れるかなんですけど・・・(これが私には難しい、苦笑)
 
(その2へ続けます・・・長文すみません)