何となく気になる風景3 ・・・NARUTOに登場する無機質な光景
さて、今回はNARUTOに登場する風景の中の脇役中の脇役、無機質な光景(管、パイプやコード)の話です。
木ノ葉隠れの町並みで何となく気になってるのが「配管などのコード、線」なんです。 縦に横にと張り巡らされている管・・・579話の絵を見ると実にカラフルですよね。赤(ピンク)や青でまるで装飾かと思えるぐらい目立ってます。
そしてこの「コードの絵」・・木ノ葉に限らず、いろんな背景に登場しています。
例えば・・・雨隠れの「管」。
私は雨隠れの林立する「塔」の風景が好きなのですが、これらの壁にも「上へ上へ」と這うように並ぶ沢山の管が。
『世界の天辺』に向かって伸びていく無数の管たち。
その姿はかつての弥彦や長門達の思いのようでもあり 必死に空を目指して這い上がろうとしている植物の蔓ののようでもあります。でも『人工』であるその管は 当然ながら生命感が無く、無機質で・・どことなく物悲しい。切なく空虚で、空っぽな感じが悲しい。 雨の音が、その中で響いて空間に広がっていきそう・・
そして、管の「人工的な、無生物的な冷たさ」は、緊張感と恐怖の描写にも使われています。
例えば・・・95話で最初にナルトが九喇嘛のところに出向いた時。
九喇嘛の檻につながる廊下の天井にはいくつもの管が描かれているのですが・・・天井に這うその管は「未だ見ぬモノ」の方向につながっていて・・・どこにつながっているのだろう、一体何がこの先にあるのだろう?という緊張と恐怖を伝えるのです。
そして52巻487話の『滝隠れの忍達を追い詰めるカブト』。
ここにも真っ直ぐに伸びた管が描かれていて、そこが狭い(逃げ道のない)ジメジメしたような空間であることが分かるんです。 必死に逃げる忍達の頭上を走る管が、後ろから追いかけてくるカブトの蛇達を暗示して・・・これまた不気味な空気が伝わってきます。
管という「動かない、生きていない、感情が無い人工のモノの冷たさ」が背景に寂しさ、緊張、恐怖を加えている感じがするのです。
だけど・・なぜか木ノ葉隠れのゴチャゴチャしたコードに「不気味さ、冷たさ」は無いんですよね。
まるで本物の植物の蔦のように、そして生き物の血管(あるいは経絡系かな)のように壁に張り巡らされた配管は建物に生命力を与えている・・とでもいいましょうか。 温かいチャクラが通っているかのように生き生きしていて、もし木ノ葉の町並みからあの管たちを取り払ってしまったら・・・サッパリしすぎて実に味気のないものになってしまう気がします。
そしてところどころ撓(たわ)んでいたり絡まっていたり、けして「きれい」ではない管なんだけど・・・その「ゴチャゴチャ感」はなぜかホッとさせてもくれるんです。
木ノ葉の風景って、どことなく古い日本のようであるけれど どこか日本とは違うアジア的な風景でもあり無国籍的な印象もあるのですが・・・でもなぜか「懐かしい」。 で、なぜ「懐かしい」と思えるのか・・・その理由の1つには独特な「ゴチャゴチャ感」があるのかなという気がしています。
日本特有のゴチャゴチャ感・・・高層ビルの間にオンボロの住宅が密集していたり、和風建築あり洋風建築あり、実に無秩序(特に都会)。 一見その無秩序さは汚いと思われがちなんですが、それが日本独特の風景を生み出していたりもします(海外の人達は日本の都会の「ゴチャゴチャ」を魅力に感じる事も多いみたいですし)。
あの配管のゴチャゴチャ感も、どこか人間らしさを感じる町並み造りに結構貢献してるんじゃないか?という気もするんです。
普通だと こういう管ってのは「邪魔物扱い」されるのが普通で、見えない所に通してみたり なるべく目立たない色を塗って誤魔化すモンですよね。 前の記事で「電柱と電線」の例を書きましたが電柱電線と同じで 配管も「景観を損なうモノ」として邪魔者扱い(悪モノ扱い?)されますが・・・岸本先生はそういう邪魔物たちを上手に扱っておられる。 「隠す」どころか目立った色にして、建物を彩るために上手く使ってあげてるんですよね。
建築、町並みの中で本来なら厄介者扱いされる管が 綺麗に色を塗ってもらって(ちょっと)誇らしげな顔をしている。 そしてその風景に、『今まで厄介者扱いされてきた九喇嘛』がドーンと居眠りしている・・・何とおおらかな、温かい風景だろう。
579話の扉絵・・・懐かしさと同時にこの絵に『あったかさ』を感じるのは、作者のそんな「優しさ」が感じられるからでしょうか。
☆駄文、読んでくださって感謝。
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