ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO ナルト  580話:兄弟の時間 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ18号) ・・・その1

NARUTO 580:兄弟の時間 (その1)

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『嫌われ、疎まれ、その身を隠し、それでもただ、爪を研ぐ』。
 
…でも、それがカブトの「職務」だったんですよね、スパイとしての職務。 他人から嫌われ疎まれるほど、スパイとしては優秀ということなのかもしれません。 今のカブトは「昔の血が騒いでいる」のかな。
 
優秀な忍の能力を奪っては、己に取り込んでいく…その姿は浅ましいのかもしれない。 でもそのカブトが 「仙術」だけは《己から体に修めた》と言っていたこと… これはかなり重要だと思うんです。
 
仙人の力だけは「お得意の付け焼き刃」じゃダメだと判断した理由・・・それは付け焼き刃(柱間細胞移植)では「六道の真理を極める事は出来ない」と悟ったからではないかと・・・その「肉体」だけは自分で修めないとダメだと判断したからだと思うんです。 
それこそが、大蛇丸がかつての自分の研究結果である「柱間細胞(ヤマト)」に全く興味を示さなかった理由と重なるような気がするんですよね。
 
そして先週イタチが「龍地洞だと!?まさか・・」と激しく反応していたのも、イタチも大蛇丸やカブトと同じ「答え」に行きついていたからではないか?と思えるのです。 本当の「うちはの高みの眼」に至るには細胞移植などという付け焼き刃ではなく《己の力で仙人の肉体を修める》必要があるという「答え」に。
(イタチはやはり「うちはの石碑」に書かれた仙人の意図をかなり正確に読み取っているのではないだろうか。)
 
・《カブトの眼の変化》
 
さて、いよいよカブトの仙人モードですが。
仙法・白激の術対応として、眼に薄らと角膜をかぶせスクリーンにしてますけど(自動サングラス状態)、それでも いつものメガネだけは外さないですよね。やっぱりあのメガネだけは「己」の最後の砦というか・・あれまで手放したら完全に己を無くしてしまう気がしてるんでしょうか。
 
サングラスと言えば、ビーのグラサン・・・あれはビーの『猫眼対策』 (ビーのママは元二尾人柱力で、ビーは生まれつき眩しいのが苦手で闇で光ってしまう猫眼じゃないかと)?と勝手に想像してるんですが、結局その「答え」はお預け・・。 ビーの眼の謎も、いずれ「眼とチャクラ」関係の話に突入した時に関連して明かされるのかな?と待ってるのですが; 
 
ナルトもいずれは《仙人モード×九尾チャクラモード同時発動》が可能になって「蛙キツネ眼」になるのではないかと思うので、いつの日かサスケも《仙人モード×永遠の万華鏡》で「本当の意味での永遠の万華鏡(鷹の眼)」になるんじゃないかと、さらに想像が膨らんでしまう(暴走中)・・
 
そして本マダラさんなんですが、彼は「六道仙人の眼(輪廻眼)」を得るために《仙人の肉体=柱間の細胞》という『付け焼き刃』でごまかしたために、実は本当の「うちはの高み」は得られなかったのではないかと思っています。 つまり、イタチの言うところの「マダラは負け犬」でしかないんじゃないかと。
カブトが「うちはマダラ」をどこか見下しているのも、マダラのような付け焼き刃の肉体では「六道の力を極めることが出来ない」と思っているせいじゃないだろうか(つまりカブト自身の方が格上だと思ってるのでは)。
 
そう考えると・・・サスケはやはり龍地洞で仙人修行をする可能性は高いのではないか・・と思えてくるのですが、はてどうなることやら。
 
・そしてカブトの《仙法・白激の術》ですが・・
 
カブトが口から出した「龍」、これ鬼灯一族の能力で水で作った龍なんでしょうか・・「玉」を中心にグルグルと渦巻いて(竜巻なの?)「カッ」と光を発し、「ビリビリ」と空気振動を生み出し「キィィィィィィン」と耳障りな音を発する・・・
光と音で視聴覚を麻痺させ、空気振動を起こして感覚を麻痺させる術。視聴覚を奪う、まさに「写輪眼対策」のとっておきですね。
 
まず「カッ」という光ですが、龍は雷を呼ぶとも言われるのでこの光は雷由来のものか?とも考えられるんです。似たような術としてシーが用いた『雷幻電光柱』がありますが、これは「カッ」と一瞬発光して目を眩ませ相手の動きを止める幻術(49巻)・・・これも雷遁系の幻術かと。
 
そして高速回転から生まれる「キィィィィン」という音と、「ビリビリ」という空気振動と音。
この「振動と音」ですが、竜の鳴き声に似ていると言われる「鳴竜」の仕組みをヒントにしたものでしょうか(天井に描かれた龍の絵の真下で手などを打つと定在波で音が響きそれが竜の鳴き声に聞こえるという。京都の相国寺日光東照宮薬師堂、長野の妙見寺にある)。
 
「キィィィン」は螺旋丸の音に似ているし、「ビリビリ」はミナトの飛雷神の術の音に似ている・・・・なんだかなぁ、この術・・・雷×風、あるいは千鳥と螺旋丸を合わせたようなイメージでもあります。
 
サスケは「耳と骨が軋むようだ」と須佐能乎も維持できず、動けなくなってるし・・・う~ん、まだ甘いなサスケ。そして、ここでもイタチが凄すぎる・・・(やはりイタチ、最期の戦いはかなり手加減してたんだなぁ)。
 
サスケが棒立ちになってるのに対し、イタチは『カブトが白激の術を発動すると同時に』サスケ向かってダッシュ・・・カブトが次に狙うのはサスケだと先読みしてるんですよね。 で、カブト本人は《やはり狙うのはイタチ… 頭の中の札を書き換えてまたコマにするか… イヤ…それより…》なんて動き出してから次の一手を考えている。 本人よりも先に行動を読んでしまうイタチの洞察眼、いと恐るべし。
 
(イタチを捕まえて札をさらに書き直せば またコマにできるとカブトは考えてるんですね。今のイタチはまだ「木ノ葉を守れ」という別天神命令が効いた状態なのか、あるいは別天神も既に切れているのか・・ どっちにしてもイタチの行動は同じだから、これがよく分からない・・・)
 
・《イタチの「話術」》
 
洞察眼と並んで「スゴイ」と思わされたのが「イタチの口上手」。イタチって言葉数は少ないですが、内容は無駄が無くて実に考え抜かれている・・・
 
「イタチ…君はどうやらボクの居場所を嗅ぎ当てるのが上手らしい… ボクのチャクラを感知できてるのかな?」
「でもアレレ…?君はお前に操られている間…って言ったハズ …なら今はボクのチャクラは感じ取れてないってことだよね またお得意のウソでボクを騙そうと?」
 
「お前のチャクラを感知できたのが誰もオレだとは言ってない それが出来たのは一緒に居た長門だけだ…オレにそんな力は無い」
 
あん??やっぱりイタチがカブトのチャクラを感知できてたわけではなくて、長門がイタチに場所を教えていたんですね。どうりで…感知系では無いイタチが なぜカブトの居場所を正確に感知できたのか…これ、ずっとモヤモヤしてたんです。 が、やっと納得長門ってそこまで感知能力が高かったんだっけ;)。
 
しかし577話のイタチの言葉、《お前に操られている間 お前のチャクラがどこから来ているかはハッキリ感じていた》・・・たしかに、「オレは」とは言ってない(笑) だけど、これじゃあ「イタチ自身が感知していた」みたいに聞こえますよね。
 
これも主語が無くても文章が成り立ってしまう「日本語特有の曖昧さ」ゆえのトリックというか面白さというか(ほとんど反則スレスレですが)。 もし国語のテストで「この文の主語は何ですか?」で「長門」が正解だったらブーイングの嵐になりそうですけどw、これ・・イタチは「嘘」をついたわけじゃないし、上手く言葉を利用したということでしょうか。
 
56巻で銀角が「言葉なんてのは人を騙すための道具」と言ってのけて、ダルイのヒンシュクを買ってましたが・・・イタチの場合は「嘘」を言って騙したわけではない。 上手く相手を「勝手に勘違いさせる」・・・こういう「口上手」も戦術なのかもしれません(たとえば、カカシがヤマトをおだててラーメン代を払わせた事件とか;)。 
 
イタチの言葉って、どれも深い意味があると思って(そして意味が分からなくて)今まで散々頭抱えてきたんですが・・ど~もこりゃ「予想以上」に考え抜かれたモノっぽいですね(さらに頭を抱えることになりそう)。
 
・《イタチの「本当の瞳力」》
 
さらに今週際立った「イタチの本当の瞳力」。
 
「それに…今にしてもお前がどこを狙うかはハッキリしてる ・・・なら先にそこを守ればいい」
「利を求め慎重なお前がサスケを欲しがっているなら… 先にサスケを捕える」
「己の術が分析されない早いうちがサスケ奪取の確率は高く その後もオレを脅す持ち札として利用できるからな」 (イタチ)
 
「君がうちは一族の中で他と違うのは 本当の意味での瞳力だ… 人の心を見透かし心を読む…そしてそれを戦いに利用する」 (カブト)
 
・・・カブトもよくイタチのことを見抜いてますねw
 
イタチが「視覚・聴覚」を奪われた中でも行動できたのは、カブトの心を読むことが出来たから・・・「心を読むこと」、これが本当の意味での「瞳力」なんですよね(カカシが再不斬の「霧隠れの術」「無音殺人術」という視覚と聴覚に頼れない中で 再不斬の心を読んで行動していたのと同じ本当の意味での瞳力かと)。
 
そして最近「優れた本当の瞳力」を見せてくれたのが、ヒナタでした。
彼女は白ゼツの成り変わり軍団の中で「本物のナルト」を見分けるのに「チャクラや見た目」で判断するのではなく「行動(心)」で判断していましたっけ(59巻で)。 彼女の洞察眼(心を見る眼)の優秀さは 中忍試験のネジ戦でも表れていたし、なにより「誰より先にナルトを見抜いていたこと」が証明しています。 ヒナタは本当の意味での「瞳力」を備えている数少ない一人といえそうです。
 
それに対して、圧倒的な瞳力を持つはずの本マダラはどうなんだろうか?
 
マダラは五影達に「柱間の顔」を見せて志気を下げようとしたら「逆に志気を上げてしまった」・・彼は五影達の心を読めてなかったということですよね; 
マダラも「本当の瞳力は強力な瞳術である」と勘違いしている一人であって、サスケ同様「心を読むこと」が出来ていない・・・ やはり今のマダラは「負け犬」なのかもしれない(イタチが本マダラと偽マダラを区別していたのかどうかはまだ謎ですが、イタチが負け犬と言ってる「マダラ」は過去の本マダラのような気がするのですが)。
 
「視聴覚を麻痺させる白激の術」にしても、白ゼツの「成りかわりの術」にしても、そこから分かるのは《人間ってのは、いかに目や耳(見た目とか己の知識)に判断を頼っているか・・ということなんですよね。 そして間違った判断を下してる事が多い。
 
《人は誰でも己の知識や認識(耳や目)に縛られ生きている それを現実という名で呼んでな》
《人は皆思い込みの中で生きている》
《人を見た目や思い込みだけで判断しない方がいい・・・》 
・・・過去のイタチの言葉、今なら納得できます。
 
イタチの本当の凄さってのは「完璧さ」にあるのではなくって、人間(己)の「穴」がどこにあるのかを把握してるところにあるのでしょうか。 人間の「耳や目」というのは惑わされやすい・・だけどけして惑わされないモノ、それは「心」だとイタチは信じているんですね。
 
どんな過酷な状況にあって「偽りの自分」を演じなくてはならなくても、イタチが強く生きることが出来たのは 「心」だけは変わらないと信じることが出来たからだと・・・今更ながら思うのであります。
そしてイタチのその信念(と行動)が、今度こそサスケへの(そして「カブト」に対しても)正しい道標になってくれるのではないかと・・そう思えてくるのです。