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イタチVSカブトに思う事・・・ (580話感想につけ加え)

イタチVSカブトに思う事・・・

今週(580話)はイタチのカッコよさが目立っちゃって、カブトが少々道化的で気の毒だったような・・。 
鳴り物入りでお披露目した仙人モードも軽く往なされちゃったし、兄弟の絆の前に「仲間ハズレ」感が少々残酷でもあったかな;でも、心温まるイタチとサスケの『兄弟の時間』は 岸本先生から兄弟への(そして読者への)思いがけないプレゼントだったと思っております(ってまだ終わってないですが)。 
  
ところで、イタチとカブト・・・読者が知ってる範囲でこの2人が顔を合わせたのはこれが初めてですよね(でしたよね・・・?) で、実際にこの2人にはどんな「接点」があったのだろう。
イタチにとって「カブト」はノーマークだったと思うんです・・知ってはいたかもしれないですが(暁時代に)、でもせいぜい「モヤシ」とか・・・そのあとも大蛇丸の金魚の何とか程度にしか思ってなかったんじゃないかな・・。
 
だけどカブトのほうはどうだったか、といえば・・・かなりイタチを意識していたんじゃないかと思うんです。
 
まずこの2人の「出会い」ですが・・・木ノ葉時代の2人に接点があったかどうかは不明ですが、“暁”時代に2人は既に顔を合わせていた可能性は高いと思っています。 
カブトが「暁」に入ったのは5~6年ぐらい前、ちょうど大蛇丸が暁を抜けた直後ぐらいでしょうか・・・サソリの部下として暁に入ったカブトは、すぐに大蛇丸の元へ「スパイ」として送り込まれちゃってるので 現実に暁に居た時間は短かったかもしれません。 だけど、カブトは一応その頃の「暁の下っ端として働いていたトビ」のことは知ってるんですよね、そしてトビも「サソリの部下だったモヤシみたいなカブト」は知っていた。
 
そしてその頃って、サソリは 大蛇丸の代わりの新しい相棒「デイダラ」スカウトの旅に出た頃なんですよね。で、サソリはイタチ・鬼鮫と一緒にスリーマンセルでデイダラスカウトに動いてましたから・・・サソリの部下だったカブトもイタチと顔を合わせていた「かも」しれないんです。だからちょっとは「顔を合わせたことはある」程度の知り合いでしょうか。 でも それから先・・・イタチがカブトを意識することは殆ど無かったかも。
 
一方で、カブトが大蛇丸の元で過ごした最近3年間・・・ その間、大蛇丸のアジトには「イタチという忍に対する大蛇丸とサスケの様々な思念」がどっしりと(どんよりと)渦巻いていたのではないか・・なんて思えるのです。
「イタチへの復讐」という執念でサスケ周辺の空気はピリピリ張りつめていたし、大蛇丸も『人生で唯一負けを認めさせられた』イタチへの執着は相当なものだったと思いますから・・・ そんな二人にいつも挟まれていて、カブトも嫌でも「イタチ」という忍の存在の大きさを思い知らされることになったのではないか・・なんて思うんです。
 
大蛇丸にとっての「イタチ」・・・それは生涯で唯一「手に入れたくても手に入れられなかった存在」ではないでしょうか。だいたい大蛇丸ってのは、どんな反則技を使ってでも手に入れたいものは絶対に手に入れる人ですよね。
 
だけど・・・イタチだけは駄目だった。
 
暁にいた頃、大蛇丸は「イタチ」を理想の「転生先」と考えて狙ったようですが、イタチに完敗してしまったんですよね・・・
 
《まさか・・この私が・・金縛りの幻術に・・・》
《何という瞳力・・・ 素晴らしい・・》
 
なんか、この時の大蛇丸・・・敗北に屈辱を覚えたというよりは・・イタチの瞳力に恍惚とさえしていたというか・・・その直後、印を結べないようにイタチに左手を斬り落とされてしまうんですが、その時斬り落とされた左手を大蛇丸はず~っと傍らに置いて飾ってましたよね。 
 
その左手・・「臥薪嘗胆」的に復讐を誓うために飾っていたのではなく、自分のことさえ圧倒したイタチへの憧れ、賛美の象徴として飾っていたのではないかと思えるんですよね・・。大蛇丸にとってのイタチは、ほとんど「神」に近いような・・唯一自分より「上」と認めた存在だったのかなという気がします。
 
サスケの体を熱望しながらも、傍らに「イタチに斬り落とされた手」を置いていた大蛇丸。 
 
本当なら「イタチ」が欲しかったんですよね。でも出来なかった・・・大蛇丸をそこまで憧れさせる「イタチ」という存在。 傍らでそんな大蛇丸を見ていたカブトは・・・自分が崇拝する大蛇丸様を「超えた存在」イタチをどう思っていたのでしょう。大蛇丸とサスケの側に居たカブトの3年間は、2人を通して「イタチ」を間接的に意識せざるをえない時間だったのではないでしょうか。
 
だから「穢土転生のコマ」としてイタチを場に出した時は さぞかしカブトは有頂天だったのでは・・と思うのですが、やはりすぐに「とんでもない」事に気づくハメになりましたよね;
「侮っていた…!」 「うちはイタチ…こいつは普通の奴とはあきらかに違う!」・・・・と。なのに、今や仙人モードを手に入れて「大蛇丸様」を越えたと確信しているカブトは 今の自分なら「大蛇丸が手に入れられなかったイタチ」にすら勝てると思っていそうなんですよね;
 
でも、ご自慢だった仙人モードの象徴「龍の角」をイタチにアッサリと斬り落とされてしまった・・・
これは事実上イタチの勝利宣言のようなものだと思うんです;かつて大蛇丸が誇りだった「忍術を極めた手」をイタチに斬り落とされた時と、これ・・・似てるような気がするんです。
 
あの時、大蛇丸が負けを認めたのは「手を落されて現実的に術が発動できなくなったから」というよりは「誇りを斬り落とされた」ことで心で圧倒されてしまったからではないか・・・と思うんです。
イタチは大蛇丸をどうにでも出来たのに殺さず手だけ落した・・・それが大蛇丸にとって「負けを認めざるを得ない」ことだったのではないかと・・。
 
いっぽう、カブトは角を落とされても何とも思ってないような事を言ってますけど(というか何とも思わないようにしているというか)・・・まだ本当に「何ともない」と思っているのだとしたら、カブトは大蛇丸に較べたら「本質を見抜く眼」は無いような気もします。
 
カブトはまだまだ、本当は大蛇丸を越えてはいないんじゃないのか・・・
転がった「角」と負け惜しみを言うカブトを見て、そんなことを思ったりもします。。
 
 
 
☆イタチとシスイのことについて書くつもりとコメントで書いたのですが;その記事は木曜夜か金曜日にアップします。すみません(イタチの言葉についての雑考の予定です;)
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
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