NARUTO 584:薬師カブト (その2)
(感想その1の続きです・・)
漏斗から滴り落ちる《ポチャン》という水滴の音、これが心に沁みてくるんですよね~・・。
“ポチャン”という音の描写ですが、“他に何も無い”空間の広さと 不気味なほどの“静寂”を感じるんです(芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の描写に似ているというか)。
これ・・25巻にも似た描写がありまして、うちは事件直後 サスケが誰もいなくなった家に一人帰るんですね。そうすると、少し前までミコトが使っていた台所の水が『ピチャン』と静まり返った家の中に響き渡る…。
あの時のサスケの虚ろな心にも似た、カブトの心の「空虚感」を感じるポチャン・・なのです。
《そして…『ポチャン』の音と共に時間が過ぎ、さらにカブトは深く深く大蛇丸色に染まっていく…ゆっくりと静かに、確実にジワジワと…》
この《カブトが大蛇丸に染まってからの(5年間ぐらい?)時間経過》の描写、前回第583話の《5年間経過》の描写と較べるとすごく対照的なのです。
583話での「カブトが院を出て、根に入ってからの5年間経過描写」なんですが、これは 院でのルール《就寝時間の午後9時》を時計の針が何度も回って過ぎていく描写で表されています。 つまりあの5年間、カブトは何処に居ても《己の居場所は孤児院》だと思って毎晩9時に寝るルールを守ってたわけです。 カブトの心の支えがずっと《マザー》だったことを示しているのですが・・・
584話の「5年間(ぐらい)経過描写」は、水滴が落ち続ける器の中に 大蛇丸と共に深く沈んでいく描写と・・・さらに「そののちの5年間(ぐらい)」も 器が段々満たされていく描写で表されています。 つまりマザーを失い、薬師カブトとしての人生を歩み始めてからは どんどんカブトの器が「大蛇丸に染まり浸食されていく」描写になっているんです。
…なんだかなぁ、我愛羅が君麻呂のことを語った言葉を思い出してしまいます・・・《たとえそれが“悪”だと分かっていても人は孤独には勝てない》。 カブトもそうだったんだろうなぁ。
・それからの「薬師カブト」
大蛇丸とカブト、結託して暁に入ったんですね~(時系列直しておきます;)
カブトは暁では「サソリの部下」として働き、一方で「木ノ葉のうだつがあがらない下忍」という表の顔も持っていた・・・という事ですか。 そして暁入りした大蛇丸は せっせと外道魔像やらゼツのことを調べまわってたのかな。 この頃には既に「柱間細胞移植」よりも「仙人にふさわしい器と眼」を得ることに関心が移っていた時期だと思われます。
サソリに「お前は使える 音を消しニオイを消し己を消す・・まるでオレの傀儡のようだ」と気に入られたカブト。 カブトは音を消し(心音を消す)、ニオイ(体臭)を消すことが出来るんですよね・・・第10巻89話で嗅覚の鋭いカカシを欺いたことがありましたっけ。
そして・・サソリは55巻で“根”出身のサイに「お前はオレに似ている」と言っていたことがあります。 砂隠れでも、過去に《感情を無くし己を消す訓練》がされていた事があるらしい(チヨばあもそんな事を言っていた)。
結局は血霧時代の「霧」だけじゃなく、木ノ葉の根も砂隠れも・・同じような闇を抱えていたということなんですね。岩隠れだって暁を使っていたし、雲隠れだって数々の誘拐未遂を起こしたりと・・どこも大差ないような。
そして今から5年前・・・カブトは「大蛇丸の人体実験のデータと穢土転生についての情報を持ってこい」とサソリに命令される(草隠れの天地橋で)。
なるほど、サソリがカブトを大蛇丸のところに送り込んだ主目的は「穢土転生の情報入手」だったのか・・・。
サソリは、チヨがサソリの為に「転生の術」を開発していたことを知って衝撃を受けてましたし・・・結局は「父と母」を復活させ再会したかったのかもしれません。
でも5年前と言ったら、木ノ葉崩しよりも「前」・・まだ大蛇丸が穢土転生を公の場で使う「前」なんです。 サソリは大蛇丸と組んで「いろいろやった」とも言ってましたから・・大蛇丸が「穢土転生」を手にしたことは知っていたんですね。サソリとしては「協力してやったのに」という思いがあったりして。
そして、「約束の5年後」である33巻・・・カブトは「大蛇丸の人体実験データ」についてだけサソリ(実はヤマト扮するサソリ)に報告し、「穢土転生」については何も報告しなかったんです。 なのにヤマト扮する偽サソリは「そうか・・」と言ったきりで「穢土転生」について何も聞いてこなかった。
その時、カブトは「・・・」と怪訝そうな顔をしてるんです(33巻9頁参照)。
そういうことだったんですね、本物のサソリなら「穢土転生」のことを訊ねないワケが無い。 だから、あの時カブトは《このサソリはニセモノ》と分かった・・・というわけでしたか。
《そして・・・水滴はゆっくりと確実に器を満たしていき、ついに満ちる・・》
カブトは《大蛇丸様が死んでから・・自分が何者かまた分からなくなった・・》そして大蛇丸を取り込むことで《新たな強い自分を見付けるよ》と言ってましたけど(39巻の356話で)、大蛇丸の死によってカブトはまた一度「死んで」、そして再び新しい自分に生まれ変わろうとした・・『2回目の転生(のようなもの)』をしたということになる。
《今までのものが納得できないなら・・ 代わりのものを見つけて次々に足していけばいいだけのこと》
《まだ・・まだ・・足りない・・》
《コレはまだ・・・ボクじゃない…!》
本当の自分を見付けるために集めた「情報」と「他人の能力」。 情報を《矛》に継ぎ足しした体を《盾》にして、本当の自分を見付けるはず…が、逆にますます自分を見失っていく。 「知りたい願望」が強いインテリならではの悲劇でもあるのかもしれません。
でも多くの忍達が「忍世界の矛盾と闇」の存在に気づきながらも 見テ見ヌフリだった事を考えると・・・大蛇丸やカブトのレジスタンス《己を導きだし、どの国にも属さない里を作る》ことを滑稽だと哂う事は出来ないなぁ・・なんて思うのです。
《大蛇丸とカブト》・・・この2人の関係は意外と長く ずっと二人三脚で研究をしてきた・・という事が新たに判明したわけですが、でも結局この2人が「心から信頼できる仲間」になった事は無かったような気もします。
大蛇丸が欲しかったのは、ただの忠実な下っ端である「医療忍者の協力者」だったのか・・・
それとも自分を支えてくれる「理解者」だったのでしょうか。
お城のような大蛇丸のアジトを訪れた最初の客は少年「カブト」だった・・・
あんな大きなアジトにたった一人で居た大蛇丸。 彼がカブトに「本当に」求めていたモノは いったい何だったのでしょう。・・・・
☆そして「マダラ」が 医療忍者?で下っ端な「あいつ」に求めたのも「協力者」としての存在だったのでしょうか・・・
☆カブトの長い回想もいよいよ終わりかと思いますが・・この回想をイタチ(そしてサスケ)も共有しているのかなぁ。 「いよいよ」次回こそイザナミでしょうか。 カブトの運命はどう変わっていくのでしょう・・。
☆「今思うと」と分かるカブトの心の描写、色々あるんです。 あれだけ大蛇丸様に「浸食」されていきながら、どこかに“違和感を感じているカブト”がいつも居る・・・。
☆気になるところを「今日のお題」で改めて読み直していこうと思ってますので・・・よろしかったら、また後日おつきあいくださいm(__)m
☆長駄文、読んでくださって感謝。
※記事に対してのご意見ご感想、お待ちしています・・