ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 582:何も無い 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ20号) ・・・その2、カブトと眼鏡

NARUTO 582:何も無い (その2、カブトと眼鏡)

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その1の続きです・・)
 
『オレにとってお前は対立と共感二つの感情を抱かせる』
『お前もオレと同じスパイとして偽りの世界を歩いてきた者だからな』
 
イタチは「対立と共感」二つの感情を抱くと言っているけれど、自分と同じ過ちに彷徨おうとしているカブトを救わずにいられない・・・「共感」の気持ちは、既に「対立」の意識を凌駕しているのではないでしょうか。
イタチならカブトを救ってくれるかもしれない。だけど、それだけじゃないのかもしれない・・・
イタチ自身も、黒炎の向こうのもう1人の自分《カブト》と向き合うことで 己を許し救うことができるのかもしれない。
 
この闘いは、カブトもイタチも、そしてサスケも・・・全員が“自分を許してやるための闘い”でもあるんじゃないか・・なんて思えてきます。
 
『自分を知るということは 全てを成し完璧になることではないと 今やっと分かる』
『…それは己に何ができ何ができないかを知ることだ』
 
『負け犬らしい方便だね できないことを認めろと… あきらめろってことかい?』
 
『違う』
『己ができない事を許すことができるようになることだ』
 
う~ん、イタチもかつて「完璧であろうとした」んですね。 道理で読者はイタチに「完璧」イメージを持ってしまったわけだ・・・。だからこそ、穢土転イタチの口から「まさか」とか「なぜ」なんて言葉が出てきた時は こっちのほうがビックリだったってばよ。。
 
《今やっと分かる》・・・と言ったイタチ。
その「今」とはまさに“今”であって、カブトという鏡に映した自分を見ることで、イタチはかなりの衝撃度で己を実感してるんじゃないでしょうか(オレもこれと近い感じだったんだな・・みたいな;)
 
カブトが完璧を目指すこと・・・別にそれ自体が悪いってわけじゃないとは思うんです。「諦めてない」ってことでもあるんですから・・。それに「己にできないことを認める」というのは負けを認める、諦める事だって普通は考えますよね、カブトじゃなくっても。でもイタチは自分一人で全部やろうと思って「失敗」した。
で、イタチの「失敗をに潔く認められちゃうところ」、これが普通はなかなか出来ない気がするのです。だけど、イタチが己の失敗を受け入れ「自分を許す」事が出来たのは ナルトの言葉に依る部分が大きいのかな・・とも思います。
ナルトが言った《アンタは里の為に充分すぎるほどやったじゃねーか 後はオレに任せてくれ》。
あの一言が《完璧でなければならない》と思っていたイタチを救ったのかな、と。
 
『全てができないからこそ それを補ってくれる仲間がいる』
『己が本来できたであろうことを ないがしろにしないためにもな』
『自分が何者か知りたければ 本当の自分を見つめ直し認めることだ』
 
・・・あらためて先週の《オレは木ノ葉のうちはイタチだ》、この言葉を考えたんですが。
 
うちはイタチという“個”だけで存在するのではなく、《あくまでも「木ノ葉」という集団(つながり)の中に存在するうちはイタチという意味だったのかな、と・・・ 
集団(つながり)の中でこそ“個”は認識できる。イタチはそう言いたかったんじゃないだろうか。
 
全てを成し制した完璧な「個」ではなくて、つながりの中で補い合い己の役割を果たす「個」・・それこそ六道仙人が望んだ答えなんじゃないだろうかと(かつて六道仙人も、一人で成そうとして失敗したからこそ 己の力を分散して遺したんですよね)。
 
『オレはそれに失敗した… 皆に嘘をつき己自身にも嘘をついて己をごまかしてきた』
 
『・・・・』
 
『己自身を認めてやることができない奴は失敗する かつてのオレのようにな』
 
イタチの言う「己の嘘」、これ・・・どこまで「嘘」があるんでしょうね;
カブトの「偽りの自分」の肯定、「本当の己」の否定・・・カブトが完璧という名の「嘘」を求める理由には、完璧じゃない自分を許せないでいる事がありそうですね。
 
『君らこそボクの何を知ってる? ボクはボクのやり方でずっと自分が何者なのかを探してきた・・ずっと――』
 
カブトは過去を回想し始めますけど ・・・もしかしたら、これが「イタチの作戦」なのでしょうか? 
 
この前「過去の失敗した猪任務」を再現し、今だからこそチームワークを成功させたイタチとサスケ。
これこそイザナミの仕込み」だったのでしょうか。
 
《今ならあの大猪も仕留められそうだな》・・・カブトにも「過去に遡り己を見つめ直させ、運命を決めさせること」・・・それがイザナミだったりするんじゃないだろうか。
術者ではなくて「術をかけられた人」が 己で運命を選択する術だとか。 
 
《奴の運命を握る術》とイタチは言っていたけれど、《オレが(握る)》とは言っていないので。
 
 
・カブトの眼鏡と「カブト」
 
カブト、本当に「親を知らず、自分の名すら知らない」だったんですね。
カブトの「最初の記憶」・・・戦闘に巻き込まれて頭を負傷し、孤児院の「大きな眼鏡をかけたマザー(姉ちゃん)」に助けられた時・・。
 
《ボクは何者でもなかった ボクには何もなかった》
 
カブトはボクボクってよく言ってますけど、本当に「ボク」でしかなくって、名前すら憶えてなかったんですね。
そこでウルシという名の少年に「これでも被ってな」と乗せられた「兜」・・ツノがついたカブト、そして名づけられた《カブト》という名前。
 
この時のカブト、嬉しそうな顔で笑ってるじゃないですか・・・
覚えてるんですよねカブト、この時自分は確かに存在を確かめることができたということを。
 
《ボク》はカブトという名前を与えられた。 
孤児院の子供達も、マザー(姉ちゃん)にも今日からここの一員だと認められた・・・この時、カブトは「自分がここに居ていいんだ」と 記憶にある限り初めて「自分の存在を実感」出来たんじゃないでしょうか。
命名・・・この集団の中での「個」が認められた瞬間、《このつながりの中のカブト》と自分の存在を確かめられた瞬間だったんですね。
 
その夜、お礼を言おうとマザーのところに行こうとするカブト、思わず聞いてしまった大人の会話・・《国や里が補助金を出してくれそうにない》という事、しかも「また一人増えてしまった」という話・・・普通だったらこんな話理解できる年齢じゃないと思うんですが、自分の責任を感じて心を痛めている・・・ずいぶん賢いというか、気遣いをする繊細な子供だったんですね(自分の責任だ・・と思う性格なのは変わってないのかも)。
 
「今(午後九時二十分)は消灯時間を20分も過ぎている、つまり消灯時間は何時?」なんて太めのマザーのちょい意地悪質問。・・・何なんでしょうね、この「時計の強調」・・・院の建物の外にも大きな時計がついてますし、この時計おし・・何か「事件」に関わってくるのかなぁ。
 
(カブトの近眼に気づいた「マザー(姉ちゃん)」が貸してくれた眼鏡を使って、「9時」と答えた子カブト・・・。)
 
この年で時計も読めて計算もできる・・(おまけに「オトナの事情の会話」まで理解できる)相当賢い子だったんですね。 でもその賢さが彼にとって結局吉と出たのか凶と出たのか・・・賢いゆえに生き残り、賢いゆえに利用されてしまったのでしょうか。
10巻では「優秀過ぎるってのも考えものだね・・大蛇丸様の目に留まったのはお互い不幸だったかな」なんてサスケに呟いてるカブト。 えっ、大蛇丸の目に留まったのが不幸?と思ったんですが、もしかしたら《辛い記憶》を重ねていたのかもしれませんね・・。
 
姉ちゃんマザーに借りた眼鏡をスッと外そうとした時、マザーは優しくカブトの手に手を重ね、カブトに眼鏡をまたかけてやる・・・
 
《これからは時間を守れるわよね ただレンズの度が合ってるといいんだけど》
 
カブトのあの眼鏡・・・姉ちゃんマザーがくれた眼鏡だったんですね。
どーりで、絶対に眼鏡だけは手放さないわけです・・・カブトにもあるんじゃないか・・・大切な宝物が!
・・・そしてその器に「愛情」を入れてもらったことが。
 
カブトが流した涙。そして、何度も繰り返した「ありがとう・・・」。
 
嬉しかったんだなぁ、カブト。やっと、自分がここに居ていいんだと・・心から思えたんだろうなぁ。
姉ちゃんがくれた愛情、そしてカブトの手に触れてくれた温かい優しい手
 
イルカ先生が、自分の額あてをナルトにくれた・・あの時のナルトと同じような気持だったんじゃないだろうか。
「お前は木ノ葉隠れうずまきナルトだ」・・・お前は木ノ葉という“つながり”の中の、うずまきナルトなんだと存在を認めてくれた あの時のような喜び・・・カブトも噛みしめていたんじゃないだろうか。 
ナルトが今でも宝物にしていて、戦場でもシッカリ締めている「あの時の額あて」。カブトだって今でもしっかり「あの時の眼鏡」をしてるじゃないか。
 
こんな大切な思い出を持っているのに、こんな温かい愛情の記憶があるのに、それなのにカブトが思い出に幕を引くように言い放つ、これらの言葉…
 
『名は記号…』
 
『眼鏡は道具…』
 
『最初から…ボクは何者でもなかった』
 
『最初から――』
 
『ボクには何も無い』
 
 
この幸せな記憶を、余程辛い記憶が上書きしてしまったんでしょうか。カブトにとって大切な「初めて出来たつながり、仲間、居場所」それが失われるような出来事が・・・。
宝物であるハズの眼鏡を「道具」なんて言うってことは、その眼鏡を役に立てることができず「カブトの失敗」で仲間と居場所を失うようなことがあったのか・・・・
(木造の家だからなぁ「火事フラグ」立ってる気もしないではないですけど)。 
《国や里は何もしてくれない》ことを思い知らされるような、出来事が・・。
 
もしそうだったとしたら、カブトが「完璧ではない失敗した本当の自分」を認めたくないのも、完璧な自分を求めたいのも、「ボクには何も無い」というのも分からないではないです。
・・・でも、そんな人は他にもいるんだぞ。
 
サスケだって、カカシだってそうなんですから(カカシが「大切な人を全部殺された」過去話にもつながっていくのでしょうけれど)。 もっとも、彼等も「自分を許せてない」のは同じなんですよね。いや、もしかしたら・・・マダラも、トビも そうなのかもしれません。 
 
そして「もう、いいかげん自分を許してやろうよ」と言いたくもなりますが、なかなか自分ってものは許せないのかもしれないですね。 誰かが「もういいんだよ、ありがとう」と言ってくれない限りは・・・。
 
カブトが以前、ヒナタやサクラの傷を癒したことがありましたが あれは紛れも無いカブトの「本心」の顕れだったんだな・・・と今改めて感じます。 
なんだかなぁ、忍世界では「優しい心」を持つ人ほど傷ついて悩んでしまうのかもしれない・・・そんな気がしてなりません。
 
イザナミ」・・・今まさに「イザナミ進行中」なのだとしたら。
イタチがカブトの内面と《真剣勝負》で向き合っているというのは、過去話の中でカブトが採る「運命の選択」がイザナミを決するからだったりするのでしょうか。
 
そして・・・カブトが「カブト(兜)」の名前を大切に思える時が再び来る、と思いたいです。
 
あの時ウルシがくれた、「ツノがついたカッコいい兜」・・・目には見えていないけれど、「今でもカブトは被ってる」んじゃないのかな。
イタチにバッサリ斬り落とされた、「目に見える嘘のツノ」なんかよりもずっとずっと、大切なモノ・・・
それが あの時自分の存在を認めてくれた・・・あの「目に見えない真実のツノ」なんじゃないだろうか。
 
(そしてもちろん、あの眼鏡もね・・・)。
 
 
 
 
 
 
☆「ウルシ」ってカカシの忍犬と同名・・・。
 
☆言い忘れたことがある気がする・・ので思い出したら「今日のお題」で追加します・・
 
☆長駄文、読んでくださって有難うございます(感謝