NARUTO-ナルト-60巻の感想を少々 1.名前と形骸化について
NARUTO60巻『九喇嘛!!』の表紙、仔尾獣はかわいいですね~!やはり癒し系・・・本来の尾獣の姿が何なのか、どういう存在なのか・・これを見れば十分分かりますよね。 そして彼等を包み込むナルトはまるで六道仙人・・いや「神」かな。
ナルトの中に全部の尾獣達の意志が入ったかのような絵ですけど、結局「一尾・守鶴」はどうなったのだろう・・・守鶴と仲の悪いハズの九喇嘛が、実は「守鶴からのおくりもの」を預かってた・・なんてオチになるんだろうか。
さて、細かい部分はジャンプ掲載時の感想で書いてるのでぶっ飛ばしますが・・・いつものことながら《通し》で読むと また一味ふた味と味わいが変わってまいります。 改めて思ったことをちょっと・・・と言いながら例によって長文になっちゃいそうなので、2つに分けてupさせていただきます。 (名前についてと、カカシのことの2つ)。
・《60巻を読んで思ったこと・・・名前と形骸化について》
60巻はナルトと尾獣達の話が中心で、メインはもちろん「ナルトと九尾の和解」、そして「ナルトと九喇嘛の共闘」。 いずれこれは敵との和解、そしてサスケとの和解と共闘へと続いていくのでしょうか。
今回は60巻の中から「名前と形骸化」について思ったことをちょっと。
「形骸」って言葉そのものは60巻には出てこないのですが、トビが五影会談で言っていた「言わば今のオレはただの形骸化した存在に過ぎない」というアレのことです。(形骸・・・中身が無い外側だけのモノ、精神の無い体。 ようするに「形だけのモノ」。)
60巻を読んで思ったのは、形骸化していたモノはトビの体に限った話じゃない・・ということなんです。忍世界に存在する多くのモノが 本当の在るべき姿や名前を忘れ「形骸化」しちゃっているんじゃないだろうか・・・。
60巻で判明した、尾獣達にも六道仙人から贈られた立派な名前が在ったということ・・・それは仙人が彼等に与えた「存在証明」であり、彼等を大切な存在だと思っている仙人の愛情の証でもあったわけです。
しかし、忍達は「○尾」と記号で彼らを呼んでペット扱いしてきた・・・トビがチャクラの鎖で尾獣達を縛っていましたが、それは「今まで散々忍達がやってきたこと」でもある。
人間共が、尾獣を縛ったり争いの道具扱いにすることで 尾獣達は自分の名前を忘れてしまった・・・というか忘れようとしてきたのかな。 九喇嘛は自分から名乗ろうとしなかったし、孫悟空に名前をばらされて「チィ」なんて言ってましたっけ。今の自分を《本当の自分》とは認めたくなかったからでしょうか。
戦いの道具にされ天災扱いされてきた自分を本当の自分だなんて思いたくなかったんじゃないだろうか。「九喇嘛」という名前は本当は大切な名前なのに・・・人間共にその誇らしい名前を穢されたくなかったのかもしれない。 だからあえて「○尾」という屈辱的な名前で呼ばれる偽りの姿 つまり仮面を被った姿でいようとしたのかと思うんです。
でも、ナルトが彼らの存在を受け入れ(そしてその言葉を口先だけじゃなく行動で示し)彼らの名前を取り戻してやったことで 尾獣達の形骸化していた名前は実体となった・・・ただの記号ではなく「本当の大切な意味のある名前」に戻ったわけです。
しかし本当の自分を取り戻せてないのは尾獣達だけじゃない・・・忍達も同じですよね。
忍世界の長い憎しみの歴史の中で、尾獣達も人間も「本名」と「本当の自分の顔」を忘れさせられてきたわけでして。 そして今の戦争は「己を拾うための戦争」・・・彼らが「本当の自分を取り戻すための闘い」でもあります。 土影オオノキも「己を捨てる前」の石の意志を持った自分を拾おうとしていますし・・・ 己を捨てて頑固ジジイという仮面を被っていたオオノキも、やっと仮面をひっぺがしたということでしょうか。
自分の本当の名前と、自分の本当の素顔。 それを本当の自分と認めること。
それが、形骸化してしまった自分を本当の意味で元通りにするってことじゃないでしょうか。
ちょっと60巻を離れて今の話になりますが、他人の能力を取り込んでくっつけている今のカブトは、仮面を被っているようなもんですよね。 いずれはカブトも自分の名前と自分の素顔を受け入れられるようになるのかな・・・カブトという大切な名前と 水面に映っていた自分の顔こそが本当の「自分」なのだと・・・思いだしてくれるでしょうか。
60巻の568話で、ナルトは「オレは人柱力だ・・ けどちゃんと大切なナルトって名前がある 両親と師匠の形見だ」とさらっと言ってますが・・いやぁ、いいこと言いますよねナルト。 ずい分成長したなと嬉しくなっちゃいますが、それも自来也や両親のおかげだしナルト自身も苦労したんですよね。
名前は「モノ」とは違って、何があってもどんなことが起きても絶対に無くなることがない、幻術なんかじゃ誤魔化せない 名付け親からのプレゼントなんですよね。 大切なのはそこに宿る「意志」・・・名付け親の「想い」です。
フガクとミコトが息子に猿飛サスケの名前を付けたことにも・・・そこには両親の「本当の真実」がある、そう確信しています(勝手にですが)。 そしていつかサスケも「両親がくれたサスケという名前」の本当の意味に気づいてくれる日が来るだろうと思っています。 (もちろん、今の時点ではサスケは「猿飛サスケ」を知らないから分からなくても当然なんだけど・・・それにまだ「うちはの本当の真実」も分からないわけですけどね;)
サスケが自分の名前の「意味」を知り、サスケという名前を誇りに思えた時・・・「本当の自分(自分は何者なのか)」に気づくのかもしれません。
己の存在を否定され 己が何者か分からなくなった忍達が、自分の「本当の名前」を思い出し自分の本当の顔(姿)を自分自身だと受け入れる時・・・それが自分を取り戻す時なのだとしたら。 ・・それは「トビ」も同じだろうと思うんです。
「オレは誰でもない」と言って仮面を外そうとしないトビですが、彼が「本当の自分の名前」を思い出した時・・・それが彼の「仮面をひっぺがす」ことになるんだと思うんです。 トビが忘れていた「本名」を思いだし「本当の自分の姿(意志)」を思い出した時・・・トビは自分で仮面を取るんじゃないだろうか。
・・・ということは、トビの「本名」とトビが仮面を取ったときの「素顔」は「一致」するんじゃないか?という気がしてきます(つまり、トビはオビト本人の可能性も高いんじゃないかと・・何者かによって「自分が何者なのか」忘れさせられているだけで。あ、これは個人的な想像ですから・・)
トビが「本当の自分」を思い出しかけたの?と思える描写が、60巻を見ていると2つほどあるのですが・・・1つは、カカシの言葉に反応した時(これは次の記事で取り上げますので詳細は略ということで)。
2つめは、ナルトの言葉に反応して大汗かいた時。
60巻573話で、トビはなぜか急に焦り始めてますよね。 かくはずのない汗をかいて(おそらく身体の生身部分から出た汗が手袋に溜まっていたのでしょうけど)、精神的にかなり動揺している。
《この違和感は力からくるものではない》・・・・トビは「違和感」を感じてるんです。
これは《ナルトはただのガキに過ぎないハズだ!》という違和感ではなくって・・・ナルトはただのガキに過ぎないと思っていたハズの《自分自身》に違和感を感じてるんじゃないだろうか。
ナルトのことを本当は「ただのガキなんかじゃない」と分かってるのに、「ただのガキと思いこもうとしていた」。 トビ自身が抱える「己の矛盾」・・・
《なら何というのだ・・・!? いったい何が…!?》
トビはナルトのことが気になって、興味津々で鉄の国まで会いに行って・・・おまけに「楽しかったよ」なんて言ってましたよね。 そのくせナルトのことを感情的に否定しようとしたりもする(小南の前では、かなり感情的になってましたっけ)。 ナルトに興味を持っているくせに なぜかナルトを否定しようとする・・・自分の抱える矛盾、それを「違和感」として やっと気づいたのでしょうか。
そして、その「違和感」こそトビが忘れていた「本当の自分」を思い出す手掛かりになるんじゃないか・・と思うんです。
トビがナルトに興味を惹かれるけど否定したくなるのは・・・もしかしたらナルトが「かつての自分」にそっくりだからなんじゃないだろうか?
尾獣達に続いて・・・カブトも、サスケも、トビも・・・いつか本当の自分の名前を取戻し、仮面をひっぺがして・・本当の自分は何者なのか分かるのかもしれません。
形骸化してしまった姿や名前も・・・いつか“本物”に戻れるのでしょうか。 なんとなくそんな「希望」が見えてくるような(でもまだ見えてこないような)・・・60巻を読んでたら、改めてそんな気持ちになってきました。
・《恒例の「ジャンプ掲載時との違い」(訂正箇所)探し》
※まだコミックスを読んでない方は、ココはスルーで。
・ビーの墨分身による億怒端数煩流奴(オクトパスホールド)の絵、前よりもビーが真っ黒の墨だらけになってる気がするんですけど;かなり真っ黒。
・ナルトがガイのことを「ゲジマユ先生」2連発してたのは「ゲキマユ先生」にちゃんと直ってましたね(笑
・ガイの朝孔雀とカカシの雷伝の描写がリアルになった!(50頁真ん中)。
前は上から見下ろした遠景だったんですが、視点を下げてより迫力とスピードの臨場感が!(おまけに雷伝で斬ったあとの「ドサッ」という効果音もつけ加え)。
カカシがせっかく新術「雷伝(雷切の変化形ではあるけど)」を出したのに、なんか目立たなくって「大して活躍してない」と勘違いされてたような気がするんですけどw・・・これで「尾獣相手にここまで戦えるのは凄い!」と分かっていただけるだろうか(苦笑
・570話トビの台詞『お前らの大切なオレのモノ・・こいつらでいただく』 →『お前らの大切な尾獣は・・・こいつらでいただく』
オレのモノってのは尾獣のことだろうとは思いましたが、でもトビが何故尾獣を「オレのモノ」と言ったのか憶測出来て面白かったのになぁ・・・ でもそこはシンプルに分かりやすく「尾獣」に訂正されちゃいました。・・・憶測するなってことかな(苦笑
・先生の一言、お風呂でいろいろアイディアが思い浮かぶっての・・分かりますw 考え事するにはお風呂って最高。だけど、確かにすぐにメモしないと忘れる・・・
・明日あたり?60巻の「カカシについて」思う事、アップさせていただきます。
☆長駄文読んでくださって感謝。