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NARUTO-ナルト- 第593話「復活の大蛇丸」 今週のジャンプ・ナルト感想  (WJ33号) その1

NARUTO 593:復活の大蛇丸 その1

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NARUTOの映画公開が近づくと毎年「夏だなぁー」なんて思ったりで。来週号は映画公開記念の表紙&巻頭カラー、おまけに特別読み切り計50頁! 先生、大丈夫なの? 
全国のNARUTOファンは、岸本先生に元気玉を(笑

でも、いろんなタイアップキャンペーンも始まるし、いたるところでNARUTOを見かけるようになるのは嬉しかったりもします。
 
さて・・・
 
水月「今さら大蛇丸なんて誰も見たくないし!」なんて言ってたけど、いや・・一読者としてはぜひ見たいと思ってたしw その期待に応えて?今週ついに大蛇丸再登場でしたが、いや~驚きました・・・なにがって、
 
大蛇丸の毒抜けっぷり!に。 
 
まだまだ「これから」なのかもしれませんが、ちょっと今までとはイメージが違う大蛇丸でした。 そしてサスケとも、いつのまにか仲良し師弟に見えてきちゃったりで…。 なんだかな・・・大蛇丸に対する考え方が変わりそう・・・「人を見た目や思い込みで判断しない方がいい」ルールは、大蛇丸にも適用されそうです。
 
さてさて、先週は・・ 《せっかくカカシが封邪法印で封じ、イタチが十拳の剣で封印してやった大蛇丸》を復活させちゃうなんて、何考えてるんだ・・とも思いましたが、水月の心配をよそに、ただ黙々と「サスケの手伝い」をしちゃう重吾の冷静さが面白かった。
 
大蛇丸に会うってどういう事? それに“全てを知る人間”って何なの?」
「…お前らには関係のないことだ」
 
って・・またこんな言い方ばっかりしてたら、友達失うぞ!サスケ。

もっとも、これは「仲間を面倒な事に巻き込みたくない」という、サスケ式「優しさ」の顕れだってのは知ってますが、なんでも「一人で背負いこもうとする」性分は兄弟そっくりです。
だけど、サスケの周囲には「水月やナルト」みたいに積極的にサスケに関わってくれる友達がいる…これ、ホントに有難いことですぞ。
 
「その巻物の力を使うのに 大蛇丸にお願いするつもりなんだろうけど… 時間をかければ君にだってできるようになるって」 「そう思ったからこそ君を探してわざわざこうして…」
 
大蛇丸でなければ できないこともある」
 
水月が言っている《巻物の力》… これ一体なんでしょうね。 
 
《時間をかければ君にだってできる》、つまり修行をすればサスケでも身につけられそうな力ってことですよね。 その力とは「仙人の能力の一種」のような気はするのですが、具体的に「どんな力」の事なのかなぁ。

そして「全てを知る人間」に会うためには《大蛇丸にしかできないこと》をしてもらう必要がある。そうでもしないと会えない人間ってことですよね。巻物の力、そして大蛇丸にしかできないこと。 これについては後回しにして、最後にちょいと考えてみる事にします。
 
で… 興味深いのが、水月への反応で分かる《サスケの変化》なんです。
 
「サスケ 君はさ… 言ってみれば大蛇丸一番お気に入りの弟子だったわけだろ? なら君にだって…」
 
《一番お気に入りの弟子》…今までのサスケだったら、こんな事言われたら否定してたと思うんです。 578話では、カブトがサスケに《同じ師を・・》と言いかけた途端、すぐにサスケはアレを師と呼ぶ気は無い》とバッサリでしたからねぇ~・・。  なのに今回の水月発言を、サスケは全然否定してないんですよね。コレ…すごい変化だと思うんです。
 
水月…お前…大蛇丸をナメすぎだ」
「バッバカ!ぜっぜんナメてなんかないよ! むしろその逆だって!」
 
2人とも大蛇丸を「ナメてはいけない」って言ってるものの、サスケと水月の言ってる《ナメてはいけない》は、全く意味が違うんです。だから、ど~もサスケと水月の会話がかみ合ってない・・・。

水月が言ってるのは、大蛇丸は信用出来ない・・何するか分からないから怖いという意味での《ナメてはいけない》。
で、サスケが言ってるのは、大蛇丸を馬鹿にしてはいけない、それなりに大した人物だ・・という意味での《ナメてはいけない》。 そりゃ食い違ってもきます。
 
で・・・実際のところ「大蛇丸はサスケの師匠」だと私は思ってます。サスケに呪印(仙人化)を与え、自然エネルギーを使う麒麟を与え、サスケを「仙人への道」に導いてくれてるのは紛れも無く大蛇丸なのですから。

ナルトは自来也に導かれて「妙木山」へ。サスケは大蛇丸に導かれて「龍地洞」へ・・・ってことにならないかなぁ。 そうやって二人とも「仙人への道」を辿る運命だったのなら(って、サクラはどうなるの?)
 
「君が大蛇丸を倒せたのは たまたま奴の両腕が 屍鬼封尽で使いものに ならなくたってただけさ!」 (水月
 
…って、水月ってば屍鬼封尽》なんて術名よく知ってますね・・・なぜ知ってる・・漢字で正確に言ってる」という事は、術の内容もシッカリ分かってるという事を意味します。 そして《おそらく両腕は使えないだろう》ということを繰り返し言ってるのも なんだかなぁ~・・・不自然で。

こりゃ、大蛇丸屍鬼封尽された腕復活フラグ》っぽいなと邪推してしまうのであります。 ということは『あの屍鬼封尽も解く手段』ってのがあるのかもしれません。 
 
下剋上は成功したんだしィ… もうボクらの時代なんだって!!」
 
下剋上」って、水月の好きな言葉なんです(者の書によれば)。そして下剋上ってのは、血霧時代の霧隠れ式発想でもあります。 
 
水月は何度か《忍刀は代々受け継ぐシステム》ってのを口にしてますが、それも先輩から力で忍刀を奪い取る下剋上を意味するんですよね鬼鮫も河豚鬼を倒して鮫肌を奪った)。
水月は長十郎と同世代なのに、幼い頃から《手足をぶった切ってから止めを刺したり》鬼人再不斬の再来と言われるような「血霧スタイル」を持った子でもあるんです。満月兄さんに憧れたのか・・それとも血霧の忍に「カッコいいヒーロー像」を見ていたのかな?


さて…先週のサスケの話では、《とりあえず会わなければならない奴ができた》 《オレは行く》と言ってたのでこれはもうてっきり大蛇丸に会うために、どこかに行く》という意味だと思ってたら・・・違ってました;
「とりあえず大蛇丸に会って」そして「そのあと出かける」という意味だった…つまり大蛇丸は「ここに居る」っていう意味だったんですね。
 
(アンコの呪印に、カブトから採ったお肉をズチャっとくっ付け、かつてカカシがサスケにしてくれた「封邪法印」の逆をして大蛇丸を「出す」・・・)
 
アンコの呪印も、三代目火影によって封じられてたみたいですが大蛇丸に再会した時に呪印が浮き上がっちゃったのを三代目が「処置」したような描写はありましたっけ)、それを強制的に「解く」。 しかし「封邪法印のをすればいい」って、印の順番を逆にするとか?そういう単純なものなのか?とか・・少々戸惑いますけど。

『解邪法印!!』

《カカシが封邪法印した時の印を覚えてたサスケ》にも驚きましたけど、だってあの時サスケ…後ろ向いてたのにね。

カカシが法印を扱ったのを見て大蛇丸「成長したわねカカシ」なんて言ってましたけど、それほど高度な術をいつの間にか簡単に扱えるようになってたなんて・・・「成長したわねサスケ」。
 
しかし…この《解邪法印》の、「逆をやればいい」という発想ですが。
 
第591話雑考で印さえ知っていれば・・がキーワードのように繰り返されていると言ってたのを覚えておられるでしょうか。 今回のサスケの解邪法印は、まさに《印さえ知っていれば》逆も出来るという例ですよね。 
591話は、ここにつながってきましたか~・・やはり、キッシーは無意味な描写はなさらない。
 
で、この《印さえ知っていれば》・・・
 
解邪法印の例だけにとどまらないような気がします。 

水月が口にしていた屍鬼封尽》・・大蛇丸なら、あのとき屍鬼封尽の印を見ていますから・・逆をすれば屍鬼解尽》(屍鬼封尽を解く)なんてのも出来ちゃう「かも」しれません(理論上は・・ですが)。
 
印を教えてもらってサスケが「解」をする。そうすれば大蛇丸の「腕復活」も、歴代火影の魂も・・九喇嘛の陰チャクラでさえも、これで復活可能になるの「かも」。
もっとも、それで全て復活したらちょっち「復活オールスター」すぎる感はあるし、何でも安易にリセットできてしまうのも怖い話ではあります。
 
しかし、アンコの呪印にカブトから採った大蛇丸細胞をくっつけて、呪印を「解して」まるで蛇口を開くかのようにしてのオロチ復活とはねぇ・・・柱間細胞並みの生命力を見せる白蛇細胞だからこその再生法かもしれません。
そもそも重吾の力は重吾の里では「仙人化」と言われるらしく、呪印も大蛇丸の仙術チャクラを流し込んだものらしい(そしてそれは、大蛇丸の分離した意識でもあるらしい。ややこしい・・)。 
 
ここまで「仙術」を連発されると、やはりいずれはサスケも「仙人への道」はあるんじゃないか・・と期待します。もっとも「時間があれば」…なんですけどね(今は無さそうだけど・・)。
 

そして… いよいよ《復活の大蛇丸》・・・
 
 
 
(その2に続けて書きます、長文すみません)。