ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 594:祖たるもの 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ34号) その1、外道魔像と十尾

NARUTO 594:祖たるもの その1

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今週は映画公開記念の表紙&本編+特別読み切り・・・岸本先生お疲れ様な感じですけど、大丈夫なんかいな;

読み切り、面白かったです!
最後のページ、“暁勢揃い”は眩しすぎるほどのカッコよさで、久しぶりに見る彼らの姿はとても悪の集団には見えない。 忍世界夜明け(暁)の為の、正義のレジスタンス集団に見えてきちゃいます(実際に・・そうだったのかも)。
 
それにカラーの扉絵、サイがサクラを評した「そこそこ残念」も笑えましたが、シノの殺虫剤、それに・・・
ヒナタがインパクトありすぎる!だけど、私はあのヒナタ好きなんですよね(笑

しかし無限ならぬ「部分月読」とはね・・・こりゃ、本編を理解するためにも劇場版観ておいた方がいいなぁ・・と思えてきました(商売上手いな)。読み切りもツッコみどころ満載なんですが、とりあえず今週は本編のほうが濃ゆいにつき(最近こればっかり言ってますね)、今回も分けて記事アップさせていただきます、すみません。
 
で・・・

いよいよ来ましたね~・・・「カカシの話」! (と思ってます)。

もっとも、「カカシの話」とやらが始まったのは「今」ではございません。厳密には「第2巻」、カカシが慰霊碑の前でナルト達に《英雄の話(殉職した親友の話)をした時》まで遡ります。その後時々伏線が出されつつ…やっと表面に出てきたといいましょうか。 私としては「ついに・・」の思いが大きいので、かなり突っ走ると思われます・・・ま、そのあたりご容赦くださいますよう、よろしくお願いいたします。

・さて、その前に・・まずは今週はタイトル《祖たるもの》…十尾のことですが。
 
トビが復活させようとしている「十尾」とは、いったいどんなモノなのか。
そして「不完全」がどういう形で問題を生じさせてしまうのか・・・これが非常に気になっています
(今現在では十尾は「ラスボス候補」とも想像しているんですけどね~・・)。
 
今までは、トビを支配する「精神」こそが十尾とも思っていたんですよ(トビの精神=十尾がメイン、トビの体はオビト)、だけど今週のトビの話を聞いていると、ど~やらその可能性は低いように感じました。
トビは十尾を利用しようとしてるだけの様子ですし(不完全でも強行しちゃおうとしてるし)、「十尾の精神」そのものは、別に存在するんじゃないか・・・とね。
そして、トビはトビ本人でしかないとも思えたんです。そして、トビは… おっと、これは後述します。

・《外道魔像と十尾》

さて、九喇嘛の説明によれば十尾とは、

《チャクラの始まりであり 国造りの神》
《天の目一箇神(あめのひとつのかみ)…ダタラ…デイダラボッチ…色々と名がある》
《海を飲み 地を裂き 山を運んで この血を作ったとされる祖そのもの…》

《十尾が完全復活する時は この世の終りを意味すると六道のジジイは言っていた》

デイダラボッチ」・・やっぱりそう来ましたか!

以前、長門がリンクした外道魔像が半蔵部隊の魂を吸い取った時(48巻第447話)、外道魔像の姿があまりにも「でいだらぼっち」に似てると思ったんです。その後も、テレビで「もののけ姫」が放送される度に「外道魔像はでいだらぼっちではないのか?」というコメントを頂戴することが何度かあったんですが、岸本先生も魔像をデイダラボッチのようなイメージで描かれていたんですね。

全てを喰らったり、あるいは生命を生んだり。九喇嘛の説明では十尾は「チャクラの始まり」ということなので、十尾とは全ての命の「祖」なんじゃないでしょうか(九喇嘛、よく知ってるな・・)。

全ての祖、全ての始まり、そして…全ての「帰るところ」でもある。

十尾を知ることは「全てを知る事」になり、十尾を理解することは「全てを理解する事」になる。そして、十尾との問題を解決することが、全てを解決することにもなるような気がするんですよね。

自来也が輪廻眼(を持つ者)のことを《世が乱れた時に天から遣わされる創造神とも、全てをゼロに戻す破壊神ともいう》と言ってましたが、どっちかというと その「神」とは十尾のことなんだろうか・・とも思えてきました。

十尾は「破壊」のイメージしかないようですが、同時に「産み」の神でもあるわけで・・結局は人間の扱い次第なんですよね、きっと。尾獣の“もと”である本来の十尾とは、やはり限りなくピュア・・・尾獣達以上に無垢な存在だと思うんです。 純粋なモノほど汚れに染まり易く…憎しみも吸収しやすい。

(参考までにウィキ情報ですが・・・伝説における天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、だたらも一つ目の妖怪らしいですね。デイダラボッチは山や湖沼を作ったという内容が多いことから、元々は国づくりの神であったらしいです。十尾の「デイダラボッチ」とはイメージは違うと思われるので、あくまで「参考程度」で。)

十尾のシルエット絵を見ると1つ目(それも無限月読の眼)…そして外道魔像にそっくりですよね。


輪廻眼×写輪眼の眼を持っているようですが、十尾こそが「眼と獣」の祖。やっぱり・・ここから始まってるんですよね。 


・《トビの目的》

さて、話を「最初」に戻しまして・・今週は「トビVSナルト達戦場」、あまり進行はしませんでしたが、その分重たい感じになってきましたな・・。

で、ここでいったん確認しておこうと思うんですが・・・我々読者はNARUTO世界を俯瞰してあらゆる情報を手にしてますが、登場人物達は「それぞれ情報の断片」しか持ってないってことです。たとえば読者は、外道魔像が壺と瓶をポン!と口に入れちゃった時点で「あれっ十尾復活か?」とすぐ思う訳ですが・・・意外とトビと戦っている4人+2匹(あるいは1人+5匹かなぁ)は状況をすぐには掴んでいなかったのです。

本部からの情報も断片的なうえ、事態の深刻さを今一つ把握していなかったビー&八尾が「タコ足(八尾)チャクラは既に回収されている」という重要情報をカカシに伝えてなかったんですよね。

ビーは「作戦会議」もほとんど聞いていなかったし、あの性格だしなぁ・・。
《オレ達いつも韻を踏みつつドジを踏むゥ♪イエ―♪》って、そこ「イェ~♪」なんて言ってる場合なの??
彼らのポジティブ過ぎ発想にはついていけないことがしばしばですが、このぐらい《型破り》でもなきゃあ、尾獣と仲良くなるなんて発想は出来ないですよね。 一番「神」に近い存在はビーなんじゃないか、といつも思います(笑

それにナルトも「ハァ!?何だァ?十尾ってば!?」と驚いてますが、ナルトってば まだ「十尾」を知らなかったの? 
いや・・・本当はナルトも聞いているハズなんですよ、我愛羅一行が五影会談での「全て」をカカシやナルトに報告してくれてるんです。でも、あの時のナルトは過呼吸寸前だったし、どーやら《全然聞いて無かった》みたいですね。・・ったく、八尾と九尾の人柱力どもはマイペース過ぎて話を聞いてないことが多すぎる(笑
 
「そうか!ならその魔像が十尾の素体だったってことか!」 
「なら…尾獣の一部でもいいということか?」 (カカシ)

相変わらずの理解力だな、カカシ(カカシがこの戦場にいて良かったよ・・)。
 
素体って人形という意味ですが、この魔像・・尻尾こそ無いですが、ビジュアル的には十尾にそっくりですよね。
これは「六道仙人が月に封印した十尾の器」がわりになる人形なのか。 
それとも、この人形こそが本物の十尾の器なのか(その場合、月に封印されていた十尾の器を輪廻眼の長門が口寄せしたのだと思われます)。そのあたりが正直、私には「一体どうなってるんだってばよ?」状態ではあります。
で、やっとここで、「尾獣チャクラは一部だけでもOKらしい」という「とんでもない事態」を把握することになったわけです。《八尾と九尾が捕獲されない限り大丈夫、部分的なチャクラだけでは十尾復活はあり得ない》という思い込みが覆されることになってしまった。
 
ただし・・・外道魔像に入れる尾獣チャクラが「満タン状態」の必要が無さそうだという事は、54巻の描写で既にほのめかされているんです。
512話で、アジトの地下に大量の白ゼツ軍団を作っていたトビが、《これだけのものを作るのにかなり魔像の中の尾獣達のチャクラを使ってしまった なるべく温存しておきたい》・・・とカブトに説明してるんですね。
「大切な尾獣チャクラを白ゼツ製造に使っちゃって、減らしちゃった」なんて驚きの事実だったんですが、不完全でも支障がないとトビは自信を持っているのか・・・あるいは多少は誤魔化しても大丈夫といういいかげんな発想なのか・・そのあたりはまだ不明です。

そして、トビが「十尾のチャクラが不完全状態でもいい」にしちゃったもう1つの理由・・それはトビが「約束の時間」にこだわっていたからでもあるんですよね。
592話で「仕方ない」「約束の時間だ」といって計画を始めたわけで、トビには不完全十尾になってしまうことよりも「約束の時間を守ること」の方が重要だったらしい(金銀兄弟のツボを回収した時には、カブトにも「慌てすぎな気もするけどね・・」なんて言われちゃってましたっけ)。512話の中でも《十尾復活が遠退けば オレの計画の遅延を意味する…》なんて言ってましたしね。
  
(・・・トビって「遅刻」トラウマでもあるの?)


・《九喇嘛の演説》

「代われナルト…ワシが説明してやる」

九喇嘛がついに ナルト以外の人間達に話しかけましたねぇ…!
 
これ、物凄い進展だと思いませんか? つい数日前まではナルトと九喇嘛でさえ「敵どうし」だったのに今ではすっかり仲良しコンビ、さらに九喇嘛はあれほど憎んでいた人間達に自分から話しかけたんですから。何だかうれしいですねぇ。

それに、九喇嘛は六道仙人時代の生き証人でもあります。尾獣こそ「全ての始まり」を知っているわけで、九喇嘛が持っている情報量は人間のそれとは比較にならないハズなんですよね。

ナルト達連合側が《尾獣達(獣達)》に会って、全ての始まりを聞いたのなら・・・
サスケ側鷹は《眼》に会って、全ての始まりを聞くんだろうか…?と思えてきます。

で、ナルトと九喇嘛のはじめての「入れ替わり」ですが、同じ器(体)を共有する人物が中で入れ替わる…ようするに《シフト》するってことでしょうか?なんだかなぁ、これもトビが霊体状態の体と瞳術を使う実体の体を「シフト」するのに似てるのかな・・。

しかし「九尾」が喋りだしても、ガイもカカシもごく自然に受け入れているのが・・軽く驚きであったりします。
彼らにとって九尾は少年時代に見た「天災」でしかないはずなのに、旧知の仲間のように自然に会話している…(九喇嘛も「カカシ」なんて名前で呼んでいるし)、これがまた嬉しかったりするのです。
 
尾獣と言ったら人間にとって、一番の恐怖であり敵であり…受け入れ難かったモノ。
ずーっと理解し合うことが無いと思われていた「尾獣と人間」が、一夜にして友達になれたということ・・・
 
だったら…
 
人間同士、たとえどんな敵であろうと絶対に《分かり合えないハズが無い》のです。
そう思うと・・ちょっと希望が見えてはきませんか・・?
 
分かり合おうとしなかっただけ…それに気づかせるために、第四次忍界大戦という荒っぽい「最後のチャンス」をくれたのは…見えざる「本当の神」の手なんじゃないかと思ってしまうのです。