ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 610 : 十尾 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ52号) その1

NARUTO 610 :十尾 その1

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タコツボ作戦!卑怯でスミ(墨?)マセン・・・!!
 
 
って・・・神威の時空間、先週は「クズカゴ」呼ばわりだったけど、今週は「タコツボ」ですかぁ(笑)
 
だけど、一緒に突撃していくナルトとカカシの背中・・・・これ、見て嬉しくなっちゃったんですよね、
先生と教え子が2人並んでるのって・・・・何だかいいなぁ!って。
 
一時はナルトの背中に師を見て《ミナト先生・・・!?》なんて気弱になってたカカシだけど、今はもうナルトと堂々と並んで・・・十分すぎるほど頑張ってる!ここへ来てからナルトにもカカシにも色々な事があったけど、今のカカシは真っ直ぐ前だけを見てて全くブレてない。 
 
609話では、カカシのあまりの“切り替えの早さ”にこっちのほうが戸惑っちゃったんですが、でも確かに・・・今ここで後悔なんかしてる場合じゃない。 過去にこだわって《これから先》を見ないのなら、それは「この世界のこれから先」を諦めたのと同じこと・・・・それじゃあ《堕ちた英雄》、本当のクズになっちゃうのだから。 でももう、カカシは言葉を口先だけにするクズじゃないし、あの時の、神無毘橋の戦いの時のカカシに戻ってる!
 
もう・・・ヘタレとか、先読みがハズれる口先男とは言わせないぞ(笑)
 
にしても、カカシが《オビトと同じ神威》つまり眼から放出する神威を使ったのは驚きましたけど・・・今までのカカシの神威成長スピードを考えれば、けして《突然》ではないんですよね。 
そして、オビトの万華鏡写輪眼は左右とも『全く同じ能力』と考えてよさそうですね。で、もしオビトの万華鏡には『神威』しかないのなら(たとえば、+αで十数年に一度の別天神がある、とかでなければ)オビトは須佐能乎は使えないという事になるのかな・・・?
 
カカシ(オビト)の神威については、後述することにしまして、まずは・・・
 
 
・六道のジジイと、十尾
 
 
《間違いねェ》
《ああ・・ アレが・・・》
 
《十尾だ!!》
 
う~ん、九喇嘛たちは十尾をどう思ってるんでしょうね。元々は彼らだって《アレ》の一部だったハズなのに、今では《アレ》と呼ぶぐらいに嫌悪してる気がする・・。十尾の意識と各尾獣の意識はそれぞれ別モノみたいだし、「十尾と尾獣達」の間にも、和解出来ない深い溝があるのかなぁ。
 
にしても十尾って、鮫肌みたいな大きな口からギイイイィ~っと鮫肌みたいな鳴声出して、外見も妖怪チックでブサイク。だけど、ちょっと愛嬌があるというか・・・ブサカワイイ(まではいかないけれども)。 尾獣達もつい最近まではグオオオ~なんて叫び声だけだったし、今はまだ喋らない十尾だけど、いつか心を開けば喋るようになるんだろうか。
 
ぎょろっと飛び出た眼は二重写輪眼に見えますが、眼の周囲には仙人モードの隈取みたいな縁取りがありますね; 先週、守鶴に似ているというご意見を頂いたのですが、たしかに・・・ 目の周りとか、今週の絵を見たら納得しました。 私の場合はですが、605話「地獄」最後の絵・・・《一つ目の周囲にだけ 血が隈取のようにへばり付き、グルグルが角のように取り囲んだオビトの絵》・・・あの絵は「十尾」を意識して描かれたんじゃないかという気がしちゃうのですよ。
あの時、絶望したオビトと十尾の意識(グルグル?)は共鳴してたんじゃないかと思うんです、相変わらず尾獣を戦いに利用してばかりの《心を失った忍の世界》に絶望した、十尾とオビトの心がね・・・。
 
 
「魔像の悪ィチャクラは消えたハズなのに・・・」 (ナルト)
 
「アレにそんな感情も概念もねーよ・・・ 感知は出来ねェ」 (九喇嘛)
 
う~ん・・・ナルトってば、まだ《悪ィ》チャクラって言ってるなぁ~・・。 
 
私としてはですが、ナルトが敵のチャクラを感知することを《悪意感知》と言っている間は、サスケと再会しても《本当の意味で理解し合えることはないんじゃないか》と思ってるんです。
ナルトが「悪意感知」と言ってる能力のことを、オビトは「敵意感知」と言ってるんですけど(545話、「うずまきミト同様・・ナルトは“敵意”を感知するまでになった」と)、やはりあの感知は「敵意感知」だと思うんですよ、悪意感知ではなくって。
 
相手の警戒心、憎しみなどのチャクラを全部「悪意」だと捉えていたら、《敵は悪いんだから改心させてやる!》っていう思い上がり発想を いつまでも変えられないと思うんです。 だから、ナルトには必ずしも敵意=悪いじゃないって気付いてほしいんですが、だけど・・・こればっかりは作者次第だからなぁ(笑) 
岸本先生がどういう答えを出されるのか楽しみにしてます(これについては皆さんそれぞれの考えがおありなのは分かってますので、あくまで私の思う事、ということでご容赦ください)。
 
そして、十尾は《世界を循環している自然エネルギーそのもの》であり、それは計り知れないほどの莫大なエネルギー(九喇嘛の話によれば)。 コレって黒ゼツが前に言ってた《スベテノ地ハオレソノモノダ》的なんですが、でも黒ゼツってのはマダラの意志を具現化したモノですよね;なんだか今一つ「黒ゼツ」って存在はスッキリしないんですよねぇ。。
 
それはともかく;十尾ってのは《海を飲み地を裂き、山を運んでこの地を作ったとされる祖そのもの》・・・ようするに星の力であり神の力でもあるわけで、それがどうして人間と対立するようになっちゃたんだろう?
本来、対立するようなモノじゃ無いと思うんですよね。
 
九喇嘛達尾獣だって 元々はその自然エネルギーの一部なわけで、その九喇嘛のチャクラは人間達を回復させてくれたり、ヤマトの木遁に葉っぱを生やさせたり・・・回復してくれる力がある。 だけど九喇嘛が憎しみを持てば、そのチャクラは脅威となる・・・十尾だって同じことだと思うんです。 
そもそも人間が、神の恵みである自然を破壊したり、そのエネルギーを利用して戦争を起こしたことが原因になって“神”の怒り、制裁を受けることになったんじゃないだろうか?
 
本来は十尾の力であるチャクラや、そこから生み出された術、尾獣を使って人間が繰り返し戦争を起こして相変わらず何も学ばないのだとしたら・・・う~ん、自然そのものであり国造りの神である“十尾(ジュウビ=トオビ)の意識”の怒りの堪忍袋も、もうそろそろ限界に来ているんじゃないかと思うんです(十尾の意識だけは封印されずに存在しているのなら)。
 
前に、九喇嘛は“アレ”(十尾)について《十尾が完全復活する時は この世の終わりを意味すると六道のジジイは言っていた》なんて説明してましたけど、九喇嘛たち尾獣は ジジイから十尾をどうするべきだと聞かされてたのでしょう。“十尾の完全復活は阻止するように”託されてたのか・・・それとも仙人は「世界の再生のためには いつか十尾と向き合って正しく導かないといけない」と考えていたのか・・・・
 
ど~も九喇嘛が十尾のことを《アレ》呼ばわりしてるのが気になるんですよね。 以前サスケも大蛇丸を《アレ》呼ばわりしてましたが(笑) 
 
アレには感情も(悪いとかの)概念も無いと九喇嘛は言いますが、本当に十尾に「感情は無いのか」・・・確かに今の十尾に感情は無さそうにも見えますが、本来はあるんじゃないだろうか?(十尾は国造りの神なのだし)。
個人的にはグルグルは十尾の意志(の一部?)じゃないかと想像はしてますが、十尾の意志と尾獣達の意志の闘い、向き合いは必要なのかもしれません。
いつまでも臭いものに蓋的に「十尾を月にずっと封印しておく」とか、十尾を人柱力に封印する(月の眼計画)は、けして本当の十尾の問題解決にはならないような気がするんですよね。
 
それこそ《問題の先送り》にしかならないんじゃないかなぁ・・・。
 
 

(その2「マダラ爺ちゃんと孫」へ続けます)