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NARUTO-ナルト- 599:うちはオビト 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ40号)  その1

NARUTO 599:うちはオビト その1

 
 
・・・タイトル全てです! 
 
 
 
ここに居るのは、まぎれもなく《その少年は、かつて夢を追いかけた――― 》
 
・・・「うちはオビト」。
 
 
今週は、まずタイトルを見てそれこそ息が一瞬止まるような思いでしたよ。いきなり、タイトルで答えですかぁ
 
そして、次に目に飛び込んできたのは、想像していたものではなく いつか見た「懐かしい光景」じゃないか・・・
 
「遅刻しそうで、必死に走るオビト」。
 
全部読み終った時、何だかやりきれない想いが突然どっと込み上げてきた。 トビの中にオビトの面影を追い続けた数年間だったハズなのになぁ・・
こうして実際に「オビト」を見たら、なんだかもう切ないし、悔しいし、やりきれない。「何でだよ・・・」の思い。ドウシテコウナッタ?何があった。
 
だけど、冒頭の「オビト物語」の部分を読んでいったら・・・ んー、そこに在るのは、やっぱり前と変わらない「愛すべき」うちはオビトの姿。
 
 
 
「第599話、うちはオビト」
 
 
 
 
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読者の大半はもう、半信半疑であろうとも「うちはオビト」が来ることを想像していたと思うんですよね。この数話でトビの眼がオビト眼であることが判明し、カカシが動揺しはじめ、決定打とも言える《カカシ(オビト)の万華鏡と、トビの万華鏡の一致》。
 あとはもう、読者はその素顔を見て「オビト」を確認するかどうか迄来てたと思うんで、今週は冒頭でいきなり「素顔晒させての答え」かな?とドキドキページを開いたんですが、作者が示したのは・・・
 
タイトル名での、さらっとしたあっけない、だけどハッキリとした「答え」。
 
 
おお…そうきたか。  で、冒頭からいきなり始まった「うちはオビト物語」。神無毘橋に至るまでのオビトの数年間が一気に描かれていきます。
 
最初に「素顔公開」には持っていかずに、クッションを入れるとはね・・・これは、ずーっと仮面で顔を隠し素性を隠してきた「トビ」への、作者の粋な配慮かと思っています。面を割られて時空間から引きずり出され、カカシやナルト達、そして読者達の前に引きずり出された「トビ」が、好奇の目に晒されながら いきなり素顔を公開させられんじゃあまりにも不憫過ぎるかな。で…
 
「素顔」を知るということは、その人物の「真実」を知るということでもあります。
作者はまず、彼の表面的な顔よりも、「オビトという人の本質」を物語る「過去の、本当のオビトの姿」を読者に思い出してもらいたかったんじゃないだろうか。晒す前にもう一度、念を押すように。で、よりそのギャップは明確になる。トビとしてのオビトと、かつてのオビトの。
 
この「オビト物語」、誰かの回想では無いんですよね。 
カカシの知らない事実も含まれていますので、カカシの回想でもなさそうなんです。 あえて言うならオビト自身の記憶に近いものでしょうか。でも・・オビトがここで回想しているわけでもなく、あくまで「作者が読者に見せている」オビト物語なんですね。 それこそ、夜空へ浮かび上がっていく岩の1つ1つに刷り込まれている「オビトの記憶の断片」が、寄せ集められ・・・夜空に映し出されているかのようです。
 
「無音」なのは、作者が「時」を止めて 読者に幻影を見せているからなのかもしれません。周囲のゴゴゴ・・・という音も消えた静寂の中で、読者は「オビト物語」に吸い込まれるように引き込まれる・・・
 
そして…驚かされたのは、『一番最後の「カカシの一言」までは、一切の会話無し、一切の効果音無し』。
 
たぶん、これ・・NARUTO始まって以来ですよね。まるでサイレントの映画を見ているような、どこか懐かしいような、古い「映写機」で音が入ってない録画を見ているような感覚とでもいいましょうか。
 
そして、作者が無音にした理由・・・

《セリフの無い会話》、 これによって読者はオビトの表情一つ一つから、オビトの気持ちや言葉を「自分で」思い浮かべる事になるんですよね、「自分で」ね。
 
嬉しそうな、はにかんだ表情からは・・・ 「リンに対する恋心」を。
切ない目線には・・・叶わない恋心のほろ苦い想いを。
負けん気の強そうな表情からは・・・「お前なんか今度こそボッコボコにしてやるからな!」とでも言ってそうだなぁ・・・とかね。オビトの表情1つ1つから、オビトの眼から、何を読み取るのか・・・これはもう、読者次第なんです。 
これって・・・表面的な「書かれた言葉」、示された「上っ面の表情」という“道標”を追うのではなくって、《アナタ自身の眼で見て、アナタ自身の心で、うちはオビトという人物を感じて下さい》という・・・作者のメッセージを感じるんです。 与えられた『セリフ』で判断するのではなく、自分でその時のオビトの気持ちになって考えてみてあげて・・・というね。 効果音も含めた、周囲の音、風の流れ・・・雪からは凍てついた空気を、舞い散る桜の花びらからは 柔らかい春の温もりとかを感じるのも読者次第。
セリフが無い分、自然に・・読者はオビトの本当の気持ちを想像して、「オビト」を理解できる。相手を理解するためには、相手の立場になって気持ちを考えてあげる・・これが大切だと思うんです。
 
だから、この時、あの時のオビトの気持ちを考えて 「オビト」という奴を理解してやってほしい・・仮面の下の素顔を見る前に、アナタ自身の心でオビトをまず理解してみてね、という読者あてのメッセージじゃないかと感じています(かなり、大胆な試みだと思いますが)。
 
そして・・・こういった「理解力」、この戦場でカカシにも試されているモノだと思っています。知識や情報からの分析は得意で、セオリー重視なカカシに・・・。
 
 
 
1.遅刻の理由
 
 
「遅刻」と言えば、オビトのトレードマークみたいなもんですよね。でもいきなり「遅刻」…しかも入学式、終わっちゃってからくるってのはどうなのよ?w 
 
で、ちょっと驚いたのが「入学式の同期メンバー」の顔ぶれです。 あれれ、皆同期だったっけ・・??
 
エビス、ガイ、アオバ、カカシ、ライドウ、リン、アスマ、ハヤテ、紅、ゲンマ・・・皆かわいいんだけど(ガイ、濃ゆ!)というのはさておき、こりゃあデータブック大幅修正が必要そうですね。あえて「本当はこうだったハズだよ~」とは指摘しませんw データブックは都度修正されるものだと受け取っています。
・・・ただねぇ、原作内での矛盾はちょいと複雑な気持ちになります。

カカシについては作品内でも、4巻で「私が中忍になったのはナルトより6つも年下の頃です(つまり6歳)」と言ってるんですよね。でも、この後でてくるカカシが中忍試験を受けてるのは、どう考えても10歳か11歳頃。
う~ん、どうするキッシー(笑)
どうやら今までデータブック頼りだった『時系列』は、根本的に見直す必要が出てきそうです。 こりゃ時空間マジックが起きたという事で、一度リセットかな;
 
でもこの学年、当たり年だったんですね(どうでもいい事ですが、アスマがイケメンすぎる)。入学式なのに親族がいないってのは、この時代戦争中だったという事が影響してるのかなぁ・・・。
 
で、ここで「オビトの遅刻」について。
 
しつこく申し上げていることですが、最初の登場シーンはその人物を象徴するような事が描かれる事が多いですが、オビトの場合は「遅刻」です(笑)  外伝(239話)でもそうだったし、今回もそう。

実は・・・先週の雑考「もう1人の主人公・うちはオビトへの想い」という記事で、訂正しなくちゃいけない誤りが出てきました。 私はその記事で、オビトの遅刻について「だらしない、甘えん坊、嘘バレバレの言い訳」と書いたのです。

・・・でも、違った。オビトの「言い訳」は本当だったのですな(ごめん、オビト・・!)。

入学式のほうでは「理由」まで描かれていませんが、そのあとの「中忍試験」での集合に遅れてきたオビト、実は「ヨタヨタおばあさんに道を聞かれて」荷物を持って病院まで付いていってあげてたんですね。外伝でも「ヨタヨタおばあさんが・・」って言ってましたけど、それも本当だったんだぁ。
 
外伝では、カカシが「大体いつもいつもオビトの前に そう困った人がいるわけないでしょ!」と突っこむんですが・・私はカカシの言う事は《ごもっとも!》と思っていたんです。でもね・・今週の「記録映像」を見ていたら、オビトの「言い訳」は全て事実だったと思ったんです、オビトは嘘を吐く子じゃないな、と。
 
普通だったら、たしかに・・・カカシが言うように、いつもいつも「目の前に困った人がいる」なんて事はないと思うんです。だけど、オビトの前だったら本当にいつも困った人がいるのかもしれない・・・・オビトの前「だからこそ」。
どういう事かというと・・・普通は「気づかない」だけなんです。 目の前に困った人が居たとしても、急いでいたら見ないフリしまうかもしれない。 あるいは、その人が「困っている」とは感じないかもしれない、気づけないのかもしれない。 
でも、人一倍心の優しいオビトは「この人は、困ってるんじゃないのか?」と気づけるんです。そして立ち止まってあげられるんです。・・・だから、「オビトの前に限って いつもいつも困った人がいる」ってことになる。
 
そして・・・彼は必ず「助ける」。 
 
たとえ任務の時間であろうと、たとえ試験の集合時間であろうと、たとえそれが一生に一度の入学式であろうと。オビトは自分の用事よりも、目の前の困っている人を助ける事を優先する・・・そういう子なんです。 
だから、カカシや我々の感覚では『いつもいつも目の前に困った人がいるわけない』と思っても、それは「オビトだったら、あり得る」話なんです。 「・・・わけがないでしょ」というカカシの発想、それが思い込みなんです
 
カカシはオビトの言い訳を「自分の感覚で」ありえないと判断し「嘘」と断じましたが、オビトは「嘘をついていない」のかもしれない。外伝で、ミナトはオビトの遅刻の理由を信じてあげて、まったく責めなかったんですね。ミナトはオビトという子の本質を見抜いていたんじゃないのかなぁ・・。
 
オビトの「遅刻」が語る、オビトという人物の本質。

それは・・・「だらしなくて、ルールを守れない」という事よりも、
誰よりも優しく、誰よりも人の痛みや苦しみを分かってあげられる・・・そして、自分のことよりも他人の事を優先してしまうということ。こっちのほうが「本質」と言えるんじゃないだろうか。
これが・・・トビとして仮面を被り、本心を隠してみせても、やっぱり隠しきれない彼の「本当の姿」なんじゃないかと思うんです。
 
 
そして…カカシの遅刻癖。
 
これは本来のカカシの姿じゃないんですよね。私は、彼の遅刻癖は「わざと」であり「模倣」であると思っています。意識的にやっている、と。
何より・・カカシはオビトの代わりに生きてきたつもりですから、時間とかルールとかにこだわっていた自分を戒めるためにも わざとオビトの真似をして遅刻してる・・と思ってます。 
だけどカカシは「オビトの遅刻の本質」を理解してるわけじゃないんですよね、オビトの遅刻の「本当の理由」・・・そこを受け継ぐんじゃなくって、ただただ「遅刻する」という表面的な事象だけを模倣しちゃってる。
 
カカシは、オビトになりたかった・・・ オビトの眼になり、オビトの代わりに生きようと思ってるからですよね。
でもそれは、オビトから「眼を託されたから」というよりは、『自分でいたくない』というカカシの強烈な自己否定に他ならない気がします。過去の《リンを守れなかった》自分が許せないから・・・。
 
もしかしたら・・・
 
「ニコッ(だいじょーぶ)とした作り笑い」という最強仮面で本心を隠し、オビトに成り代わったつもりで「自分を否定する」・・・・・
「誰でもない、誰でもいたくないのさ」と言ってるのは、カカシもまったく同じなんじゃないだろうか・・?  いよいよ始まるカカシとオビトの自分を取り戻す物語・・・
 
 
 
(※すみません、その2「リンへの想いと、夢」に続けます・・・)
 
 
 
 
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