ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 602:生きている 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ43号) その1

NARUTO 602:生きている その1

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「待ってろよ… カカシ…リン!」
「オレは生きてる!!」
 
木ノ葉の仲間のところへ帰りたかったんだなぁ・・・オビトぉ(涙 
 
オビトの過酷な運命にホントやりきれない思いです。人助けをして、命を賭けて仲間を守った代償がこれなのかぁー?と。 この時、まだ13歳だっていうのに。
 
そして、いよいよ「オビトの過去回想」が始まったわけですが・・・コレ、物凄く重要な意味があると思ってます。
いつも「主人公側・千手側・連合側」から一方的にしか忍世界を見てこなかった読者が、ようやく「うちは側(あるいは敵サイド)の考え」を知ることができる…  これでマダラという人物に対する思い込みやオビト(あるいはトビ)に対する思い込み、そして「うちは一族」という存在への思い込みも総じて覆され始めていくのではないか・・と感じています。立場変われば価値観も変わる…ここから先、読者の「思い込み」はどんどん引っぺがされていくんじゃないだろうか、と。
 
私は、キッシーは読者にも思い込みという名の「大幻術」をかけている・・・と思ってるのですが(カカシ外伝を「ただの外伝」と思わせたり、オビトは死んでいると思わせていたように)、ここから先はあらゆる読者の「思い込み」はドミノ倒しのように崩されていき・・・NARUTOという「読者巻き込み型エンターテイメント」作品もついに真骨頂部分に入ると思っています。なので、このオビトの回想は ナルトや忍達にとって、そして・・読者にとって大きな発想転換点になる大詰めの「重要ポイント」と考えてます。
 
・・・って前置きが長くなりましたが(謝
 
 
・《あの日の続きが--》
 
あの日(神無毘橋の戦い、244話)の「続き」が、物語の終盤になって語られるとは・・・さすが岸本先生の構成力。
 
「・・・・!!」 
「・・・・」
 
うちは一族らしく「・・・・」でやり取りしてますけど、お互いの写輪眼を見ての会話なんですよねコレ。オビトが目覚めたことで、やっとマダラもオビトの「写輪眼」を確認したのだろうし、オビトも目の前の爺ちゃんが「写輪眼」を持ってる事に驚く・・(マダラは、オビトがまだ「二つ勾玉」の写輪眼であることに驚いたかもしれませんね。オビトはその状態でいきなり「神威」を使った疑惑があるので)。
 
「じいちゃんもうちはの…?」というオビトの問いに答えたマダラの「さあ… どうだろうな…」。
アレ、これって・・九尾事件の時の仮面男も同じセリフ言ってましたよね、ミナトの「うちはマダラなのか?」の問いに対して「さあ・・どうだろうなぁ」と答えていた…。 
このあとにも、最近オビトが言っていた「言ったハズだ」という台詞をマダラが言っていたり、オビトはマダラを意識して真似してるのか、それとも「マダラ喋り」に染まっちゃったのだろうか・・。そして・・
 
《あの世との狭間》・・・「時空間」じゃありませんでした(苦笑そして謝) 
 
ここはサクモが居たような場所じゃろう!と勇み足で考えた結果で、実はマダラ爺さんは“まだ死んでなかった”という・・・そりゃあリアルに年取ってるワケですよね、ホントすみません。っていうか、ここ今の暁の「アジト」ですね;
 
マダラは輪廻眼を開眼して自分で長門に託したようで(おそらくこの時より10年以上は前)、その後代わりの写輪眼を移植して この時はまだ生きていた・・というのが実情のようです。 あの世との狭間…ようするに死に損ないの生活する場所ってことなんでしょうか(ま・・時空間はいずれナルトが飛雷神を覚える時にまた話題が出るでしょう・・と楽しみはとっておく)
 
爺さんが持ってる「鎌」(コレ43巻の終末の谷の戦いでマダラが持ってましたよね)を見て「うちは専門死神」と勘違いしたオビト、「イ``ヤ``ー!!!まだ死にたくないよォ~~!!! 助けで~~!!」って…
 
アナタ死ぬ覚悟だったんでしょーが(笑
 
「オレ…!!オレ困ってるお年寄りを助けるのをモットーに生きてきました!! 確かに悪さもかなりやったし決まりを破ってばかりだったけど…差し引きイーブンってことはないと思いますっ!!どーか地獄だけは!!」
 
って、オビト・・やっぱりナルトに似てる(あるいはナルト+キバ、それとも四代目水影やぐら・・かな)。
 
いやナルト以上に強烈に明るいキャラというか、オビトは他を霞める程の強烈な存在感と魅力を感じちゃうんです。これもオビトがNARUTOの『事実上の第二部(カカシ外伝)の主人公』だから・・とでもいいましょうか、「もしナルトが“うちは”に生まれていたら?」「もしナルトがこの状況に置かれていたら どうしたか?」という描かれ方をしていくキャラだからなんだろう・・と考えてます。そして、NARUTOの物語は「オビト」という裏主人公が存在することで、物語にグッと厚みが出来て立体的になってるのです。
 
しかし、「差し引きイーブン」って;イーブンと言えば「ミナト」・・(成長した息子に会えるのは少し楽しみでもあったから…イーブンてとこかな・・ミナト、439話)。これも師匠の影響かもしれませんね。オビトって外伝でもミナトに言われたことを素直に聞いてるし、今でもかつてミナトが「師」として自分にしてくれた事をナルトにしていたりと(例の「イタチの真実」をナルトに伝えた件)ミナトをそれだけ慕っていたのだと思います。
 
(暴れて痛みを感じるオビトは、「自分がまだ生きてる」事を実感する)。
 
 
・《生きている、ということ》
 
マダラ爺さんが言った『痛みを感じるということは… まだ生きているということだ』。
 
確かに体の痛みを感じるという事は「生きている」証拠だけど、マダラが本当に言いたかったのは「身体的な痛み」よりも、どちらかというと「精神的な痛み」なんだろうな・・と思います。 59巻562話で、穢土転マダラは 戦い憎しみ合い 痛みを感じ続ける事を『それが生きていくということだ』と言っていた… 
 
マダラにとって「生きていく」ということは痛みを果てしなく感じ続ける事であり、「生きている」=生の実感とは痛みを感じる事なのかもしれません。
 
 
・《オビトの神威?》
 
「しかし…助かったのは奇跡と言っていい よく岩に潰されなかったものだ …まるで岩をすり抜けたとしか思えんほどだ…」
 
「岩をすり抜けたとしか思えん」ってことは、やはり「あの瞬間」オビトは万華鏡写輪眼を開眼したのだと思うんですよね。意識が途切れるなかで無意識に『神威』を発動し、岩をすり抜けながらマダラの地下通路まで落ちてきた・・というのが真相なのだろう、と。 
あとになってオビトは「自分が助かった理由」を悟ったのでしょうが、それでカカシに「その眼(=神威を使える眼)をどこで手に入れた!?」と問われた時に「神無毘橋の戦いでだ」と答えたんじゃないか・・と思います(※1、過去記事参照)。
 
しかし…この時、オビトの写輪眼(写輪眼状態になりっ放しですね)は外伝の描写の通りまだ“二つ巴”なんですよね。“三つ巴”を通り越していきなり「万華鏡開眼」という飛び級をやってみせてるわけで、オビトの眼が「特別に優秀な眼」であること、そしてオビトはトンデモナイ才能を秘めた大器だった・・ということなんだと思います。完全にまだ「開眼した」と言えるほどではない突発的な(暫定的な)開眼であったにせよ・・いきなり同日に万華鏡まで開眼させるとは・・。
 
そして、オビトが万華鏡を「開眼」した理由なんですが。
 
実は万華鏡を開眼する理由ってまだハッキリしてないですよね。イタチは「親しい友をころすことだ」と言ったけど、多分それは「そのままその通り」ではない。 今まで開眼した経緯が分かっているのは「イタチはシスイの死に接して開眼」 「サスケはイタチの死に接して開眼」 そして今回のオビト・・・。
 
サスケが開眼した当時、万華鏡の開眼理由は『強烈な後悔なんじゃないか』と思ったんです。でもその後考えが変わりまして、最近では「愛情を知った時開眼するのではないか・・と考えております。サスケはイタチの「愛情を知った時」、イタチはシスイの「愛情を知った時」に開眼したのではないか、と。 
 
イタチがシスイの「死」にどう関わってどう手伝ったのか詳細は不明のままですが、イタチはシスイが「死なねばならなかった本当の理由」を知っていると思うんですよね、それが「愛情の為」だったと知って開眼したのではないか・・と考えています。 
オビトもカカシとやっと仲良くなり、《もっとみんなと居たい!》と心から願った・・つまり仲間への愛情にさらに目覚めた時に開眼したのではないかと思うんです。
 
写輪眼とは、六道仙人の「本当の力を封印した眼」だと私は思っていまして、「写輪眼→万華鏡写輪眼→永遠の万華鏡写輪眼→輪廻眼」の順番に封印は解除され、封じられていた六道仙人の力は解放されていくと考えています。 
 
そして、「力」を解放するためのカギとなり得るのはただ一つ・・・「愛」だと思うんです。
 
六道仙人の長男は平和のためには「力」がいると悟り、六道仙人の次男は平和のためには「愛」がいると悟った・・・本当ならどちらも必要なもので、仙人はそれぞれの息子達に「封印を開ける鍵」として、互いに「求めたものとは違うもの」を設定したのではないか、と。
 

・《オビトはど~やら偶然「マダラが作った地下通路に倒れてた」らしいですが、本当にそんな“棚ボタ的な偶然”だったんだろーか?》

マダラは《まるで岩をすり抜けたとしか思えん》なんて言ってますけど、ホントはそれが《神威》であることをお分かりだったのではないかと思うんですよね。 というか、マダラは「神威の眼を持っていると予測されたオビト」を意識的に狙っていたんじゃないか・・とも思えるのです。だってマダラは既に輪廻眼を長門に預けた後らしいし、いつか誰かに輪廻天生してもらう計画で「ココで協力者に会うのを待っていた」のだとしたら、マダラには先が見えていたのか、あるいは裏で手をまわしていた可能性も全くゼロじゃ無いような・・。

で、ちょいと気になるのは「第三次忍界大戦に於ける岩隠れの大規模作戦」・・これの情報収集にダンゾウの“根”が関わっていたという事実(583話、カブトの回想・・ノノウが情報収集に関わった件)。この「岩隠れの大規模作戦」が、カカシ外伝に登場する岩隠れの大規模草隠れ侵攻である確率は高いと思っています。

私は当初マダラが言っていた「協力者あいつ」はダンゾウじゃないかと思ってしまったのですが、というのもこの二人の思想に共通点が多いんですよね、マダラらしき人物が水影を操っていた「血霧時代の教育システム」は「根の教育システム」と同じだし(感情を無くさせるための生徒同士のころし合い)、長門が外道魔像とリンクした「弥彦殺害事件」はダンゾウが関わっていた等々・・時期的にもほぼ同じ頃だし、何だか怪しいんです。
だとしたら、神無毘橋の戦いでカカシ小隊が「運悪く」岩隠れの上忍達や部隊に囲まれたことは本当に偶然なのか・・とも思ってしまいます。もちろんそれでオビトが「手に入る」とは限らないわけだし、偶然かもしれませんが・・(それに最期はカッコよく散ったダンゾウの闇を今さら引っ張り出すのも申し訳ないような気持になるんですけどね)。それに、今後語られるであろう「リンの物語」にもダンゾウが絡んでいそうなのも、気になっています。
 

(その2に続く・・ すみません)
 
 
 
 
 
 
 
 
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