ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 619 :悪に憑かれた一族 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ11号)  その3 「写輪眼とチャクラの因果関係」

NARUTO 619:悪に憑かれた一族 その3


(その2の続きです)

・うちはは愛情深い一族
 
「うちは一族ほど愛情深い一族はいない」
「だからこそ うちははそれを封印してきた」 (扉間)
 
うちは一族は、千手よりもずっと、愛情が深いってこと・・・これ、既に多くの方が感じられてると思います。 
ここでも、うちは一族は愛情深い一族だという話は何度か取り上げてまいりましたが、イタチ、マダラ、オビト・・・彼等の愛情の濃ゆさを見て、思い知らされてきたのは・・・「ここまでするか」と思えるぐらいの、圧倒的な愛。
 
では、千手の愛とうちはの愛・・・いったい、どこが違うのかといえば、それは愛情の表現方法だと思うんです。
千手はストレートで分かりやすい愛ですが、うちは一族の愛は分かり難い。 
表現が無器用だし、遠回しな物言いやら、逆説的な物言いやら・・ それに「うちはの愛」は、しばしば「自己犠牲」という形で表現されたり(イザナミもそうですよね)、時には「偽悪」という形でさえ示される事さえありますから(イタチの例がそうだし、オビトやマダラもそうだと私は強く思ってるんですがね・・)。
 
マダラさんの無限月読という大いなるお節介も、彼の愛情表現だと思うんです。何といってもマダラは《愛だけの世界》なんて言葉を真顔で語っちゃう人なんだから・・・・マダラさんは憎しみの塊なんかじゃなくって、本当は愛情の塊(と私は思う)。
 
六道仙人の次男(千手)が平和の為には愛が必要と唱え、長男(うちは)は力が必要と唱えたのは・・・結局は、《生命力に溢れ「力」を持つ千手は「愛情」を求め 深い「愛情」を持つうちはは「力」を求めた》という事だと思います。お互いに無いモノを求め合っていたって事・・・
 
では、《うちはは愛情を封印してきた》というのは、具体的にどういう事なのか・・・・
 
愛情を封じるということは、本来『愛の力』である瞳力、つまりその『眼』を封じる事じゃないかと思うんです。写輪眼というのは《愛情を封じていった結果の眼》だとも考えておりまして、うちは一族は愛情に目覚めていく時に封印が解かれ、写輪眼→万華鏡写輪眼を開眼していくのではないかと私は考えてまいりました。
 
扉間が言うには・・・
 
『うちはの者が大きな愛の喪失や自分自身の失意にもがき苦しむ時・・脳内に特殊なチャクラが吹き出し視神経に反応して目に変化が現れる それが“心を写す瞳”・・・写輪眼と言われるものだ』。
 
このあと扉間は《強い情に目覚めた者は》という表現も使っていますが、写輪眼は愛情を失ったりもがき苦しんだ時という《マイナスの感情》で開眼するとは限らないとは思うんです。オビトは仲間を守りたいと思ったプラスの感情時に写輪眼を開眼しているし、ようするに《愛情を知った時(失うことで愛を強く感じる事も含め)》封印が解かれ、強い情が特殊なチャクラを分泌させ眼に変化を生じさせるということでしょうか。 
 
 
・写輪眼とチャクラ
 
《眼はチャクラの影響を受けやすい》という話に関しては、ここでも何度か「お題」として取り上げて参りましたが、例えばナルトが九尾チャクラを使った時のキツネ眼、仙人モードのカエル眼が分かり易い例ですし・・長門の前で一度だけ蛙×キツネの十字眼になってたこともありましたよね。 その他にも、オロちゃんの蛇眼、犬塚家の犬眼(?)などチャクラの影響と思われる眼があるし、私はビーのグラサンの下には「二尾チャクラの影響を受けた猫眼」があるんじゃないかと推測してますが(そう思う根拠は今回は省きますけど)。 
穢土転生の特殊な眼もそうですが、眼はチャクラの影響を最も受けやすい部分で、写輪眼もその1つだという事だと思います。
 
「写輪眼は心の力と同調し個人を急速に強くさせる・・・ 心の憎しみの力と共に・・・」
「・・・うちはには 確かに繊細な者が多く 強い情に目覚めた者はほぼ 闇にとらわれ悪に落ちる」
「闇が深くなればなるほど瞳力も増し 手が付けられなくなる・・・ マダラのようにな」
オビトも《人は愛情を知る時 憎しみのリスクを背負う》と言ってたことがあったっけ。
 
扉間も言ってるように《強い情に目覚めた時に吹き出るチャクラ》が眼に影響しているようですが・・・そこで気になるのが、カカシの万華鏡写輪眼なんです。
 
3年ほど前に《なぜ、カカシの写輪眼は視力低下していないのか?》という雑考を書いたことがあるのですが、カカシは今までかなり「神威」を使っているものの視力が低下しているような描写が一切ありません。カカシが視力低下を懸念するような場面も一切、ナシ。 
 
この戦争でカカシはかなり神威を連発していたことから、六道次男家系の一派(もちろん本家じゃなくって分家の分家みたいなモノ)かとも考えましたが、それ以上に考えているのは、カカシはコツを掴んでいるんじゃないかということなんです。 コツってのは・・・チャクラの錬成法。
 
カカシはオビトから預かった大切な眼を、失明すると分かっていて神威を使うとは考えられず・・・万華鏡を使っても失明しない方法を調べていたんじゃないかと思ったんです。つまり、失明しない万華鏡=永遠の万華鏡のメカニズムを調べ、それと同じチャクラの状態を作ることで「失明しない状態で万華鏡」を使っているのではないかと。
強い情によって脳内に分泌されたチャクラ(仮に陰チャクラ?)が万華鏡を開眼させるとして、そこに誰かからの愛(眼)を得ることで チャクラが陽に転換し、眼は視力低下に向かわなくなるのではないか・・それが永遠の万華鏡写輪眼のメカニズムではないかと思っていたんです。
カカシが永遠の万華鏡同様のチャクラ錬成が可能だとしたら、それはカカシの眼には《眼軸に宿るオビトのチャクラ×カカシのチャクラ》という2人のチャクラが共存すればこそ可能なンじゃないかとも思うんです。 だから・・・カカシは神威の事を開眼ではなく《開発》なんて人工的な表現をして、ナルト達に自慢(28巻)していたんじゃないかと(詳細は※過去記事「カカシはなぜ視力低下しないのか」
 
写輪眼が《心を写す眼》なのだとしたら・・・万華鏡写輪眼《憎しみの心を写す眼》ではなく《愛の心を写す眼》となった時・・・永遠の万華鏡となり、閉じる事は無いのかもしれない。
 
写輪眼に「陰陽チャクラ」が関係してるかは あくまで仮説で未だ全然分かりませんが、『九喇嘛の陰チャクラ』のこともありますし、そろそろ陰陽チャクラの事も詳しく語られていい頃なんじゃないかと思っています。
 
しかしまた、扉間さんの言い方が引っ掛かるんだなぁ・・・《闇にとらわれ悪に落ちる》という言い方が。
 
個人的には、この表現は大っ嫌いでして(かつては自分も使ってた事がある表現なのですが・・汗) 敵だからって闇だとか悪だとか、もう・・・・そういう言い方は止めましょうよ、と思うんです。 どっち側がいいとか悪いとか・・・お互いにそういう言い方はダメでしょ!と言いたくなる。
 
でも扉間さんという人も嫌いじゃあないんです、毅然とした物言いは歯切れがよくて、クールでカッコいいと感じてしまうし(笑) それに扉間は、ちゃんとサスケの質問に答えてあげてるんだから、根は優しい人のはずなんですよね。 ・・・うちはと千手の間で何があったのかは分かりませんが、やっぱり扉間はかなりマダラを誤解してるんじゃないのかな。
 
一方で、柱間は扉間のそういう言い方を注意し、マダラの違う側面を語る・・・
 
「マダラは弟想いの男だった・・・ 貴様の兄以上だろうぞ」
 
イタチ以上とは・・・もちろん柱間はイタチを知らないハズだけど、マダラの愛情は「これ以上は無いと思えるぐらい」深い愛情だったんだろうと思います。・・イタチ以上って、どれだけ凄いんだ。
 
オビトがマダラとしてサスケに語った《マダラの過去》で、イズナの眼を「奪った・・・」と言ったり「弟は眼を差し出したのだ」と言った部分がありますよね。 あれはマダラの深い愛情がよく表れた部分だと思うんです。
おそらくイズナが「眼を差し出した」というのが真実なのでしょうが、マダラとしては《奪ってしまった》と己を責めていたんじゃないのかなぁ。
 
マダラが《愛だけの世界》を造ろうとしているのも、どれだけ長い時間を費やそうとも、眼を奪ってしまった兄として、弟の為に平和を実現させようとしているんじゃないだろうか。 そして、マダラの深い愛情は、弟だけではなく全ての忍達にも向けられているのだと思います。
かなりのお節介とはいえ、そこに在るのは徹底した自己犠牲的な愛情・・・・おそらく「理性」とかじゃあ理解できないような、溢れる愛情があるんじゃないだろうか。
 
(うちはの純粋な子供にそんな言い方をするなと怒る柱間に「気にしない 純粋でもなければ 子供でもない・・・」と万華鏡を見せるサスケ・・・)
 
それを見た兄弟の反応がこれまたバラバラで、柱間は「・・・・・・←(これじゃ何考えてるか分かりませんが笑)、柱間の性格から推測するに、(こんな少年が万華鏡を開眼するほどの悲しみ、苦労を背負い込んでいるのか)とサスケを思い遣っているのではないかと思えるんですが(どうなんでしょうね?)、
一方で扉間はあくまで冷静・・・《基本巴ではない・・・万華鏡写輪眼か・・・》なんて「分析」してるんですよね。
 
兄者柱間は、心を思いやる心で「理解する」タイプ、扉間は理論的に分析する頭で「理解する」タイプ。 
 
柱間は腕を横にやって受け入れ姿勢だけど、扉間はずっと腕組みして排他的な姿勢だし・・・兄弟でホント凸凹。だからこそ、補い合って上手くやっていたんだろうとも思います。
 
「初代火影・・・アンタに聞く・・・」
「里とは何だ? 忍とは・・・ そもそも何だ?」
 
さて・・・次回は、いよいよ柱間から「マダラとの真実」も聞けるんじゃないでしょうか。
 
きっと、次に再び“あっちの戦場”に話が移る頃には・・・読者の「マダラとオビトに対する認識」も、ちょっとは変わっているんじゃないか?と・・・かなり期待しております。
 
 
 
最後に印象に残った絵を1つ・・・
 
イメージ 1
 
 
「・・・・・・・」
 
 
このサスケの背中。 悲しそうなんですよね・・・
 
扉間に、大切な一族の事を《悪に憑かれた一族》と言われ、「・・・・・」となっている時の悲しそうな背中。
この背中、カカシに「なぜマダラのような奴と」と言われた時にオビトが見せた悲しい表情とか背中に重なります。 こみあげる悔しい悲しい思いをグッとこらえ、堪えている背中・・・ ミナトが誇らしげに背中の四代目火影の文字を指したのとは対称的。
 
千手にとって うちは一族とは、《悪に憑かれた一族》・・・
だけど、うちは一族の本当の姿とは、悪じゃなくって《愛に憑かれた一族》と言ったほうがいいんじゃないだろうか。
 
うちはの家紋は、火を操るうちはを持つ者の意・・・本当は、火(愛)を大きくし、愛を使いこなす者の意だと私は思っています。 うちはが誇りにしている「背中の家紋」は、大きな火(愛)の象徴でもあるのだろう、と。
 
だけど、うちはの大きすぎる愛は、時に理解されず誤解を生じ、悪とまで言われるようになってしまった・・・サスケが今でも大切に背負う、うちはの意志=うちはの家紋が、切なく見えてなりません。
 
 
 
 
 
・長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
・あっちの戦場では、忍達が「忍世界の呪われた運命」を打ち破ろうと頑張ってますが、こっちでもサスケには、そんな「うちはの呪われた運命」なんか打ち破って 舞い上がってくれることを祈りたい・・
 
・穢土転生について「扉間よ あの時オレが言ったように・・」とか柱間が言いかけてましたが、穢土転生を「使えなくする」手段でもあるんだろうか・・
 
 
 
 
 
☆コメントは諸事情あり現在「承認制」をとっております。管理者が読んだコメントから順番に表示させて頂きますので表示が遅くなるかもしれません(ログインしていないと、書いたコメントは消えたように見えますが、管理者には見えています)。何卒ご了解ください・・・いつも有難うございます。
 
(ナルト好きブログ! ぱぴ 2013/02/09)