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NARUTO-ナルト- 605 :地獄 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ46号) その2

NARUTO 605:地獄 その2


《カカシは、千鳥で貫いた手を引き抜く・・》 
 
千鳥(雷切)という術は、心臓を一突きするだけでなく、貫いた手を「引き抜く」つまりもう1回戻す・・・2度貫くようなもんなんですよね、相手の痛みを自分にも引き戻し、一撃必殺で命を奪う重みの責任をズッシリ感じる術でもある。
 
そしてここの「場所」なんですが、先週の雑考で242話の扉絵のリンの背景に湖らしきものが描かれているので、それとこの場所が重なる・・なんて書いちゃったのですが、ど~やら今週の絵を見ると湖っていうより「海」っぽいですね。リンとカカシの周囲には、数十人の霧隠れの忍が取り囲んでいて、う~ん・・これではカカシ一人ではどうにも出来ない状況だったんだろうか。
「その1」でも触れましたが、カカシはリンが人柱力実験に使われるかもしれないと知りながら その前に何とかしたいと思いつつ・・・リンに迫った危機を甘く判断して救出が遅れたのかなぁ・・とも想像しています(そして・・オビトも間に合わなかった)。
 
本当の理由はまだ分からないですが、でもカカシはど~も《大丈夫》と思いこむ傾向があると思うんです。 
外伝で、リンが人質に取られた時も「リンは医療忍者だから大丈夫だろう」と判断していたし、サスケの心に闇が巣食い始めた時も「だいじょーぶ、また昔みたいになれるさ」なんて言ってたり。51巻で「自分自身に(大丈夫だと)言い聞かせていたのかもしれない」とか反省してたけど、カカシのこういう発想ってずっと変わって無いような気がします。 
正直見ていて苛々しちゃうこともあるんですが、でも・・これは「現実逃避」でもなく状況判断が甘かったわけでもない・・・今まで積み重ねられた、イヤってほど知ってる「失う苦しみ」の中でカカシが己を見失わないために自衛してきた手段なんだと思うんです。だから、あまり責められないんだなぁ。。
 
危機的状況を察知すると《いや、そんなハズは無い、大丈夫だ》と心を落ち着かせようとする心理的作用が人間にはあるらしいですが、カカシの場合は幼少時にあんな形で父を失ったり、オビトを失ったことで 特にそういう心理は強くなってしまったような気がします(正常性バイアスに近いのかな・・)。
それは悪いばっかりじゃなくって、そうやって自分を立て直そうとする気持ちがあるから、カカシは里を恨んだり復讐しようなんて事を思いとどまっていられたと思うんです。 ただしそのツケとして《本当に危険が迫っているのに、大丈夫と思いこもうとする》傾向が生まれてしまったのではないか・・・と。
 
カカシも分かってると思うんです、自分が大切なモノを失ってきた元凶は「忍世界の闇」に在るってことを。だけど同時に気付いてしまってたんだと思うんです、「自分一人の力ではどうにもならない」ってことにも・・。
あの時、霧の数十人の忍に囲まれて自分の無力さを思い知らされ、心が折れてしまった時のように・・・いつも、あの時のような気持ちになっているのかもしれないなぁ。
リンの体から右手をズボっと引き抜いたあと、リンを支えていた左手がスルッと力が抜けてしまうんですが・・・そのカカシの左手は、今と違ってまだ「子供っぽい指先」をしてるんですよね・・・これが、辛い。
 
そして《頭上(天)から見下ろしたカカシとリン》が描かれているんですが・・・そこに在るのは「2つの、空になった穴」なんです。
リンの「心」にすっぽりと空いた、悲しい穴。大好きで信じてたカカシに貫かれてしまった心に空いた穴と・・・
そして、カカシが背負ってる父さん形見のチャクラ刀入れの、空っぽの「穴」。
 
神無毘橋の戦いで形見の刀は折れちゃいましたが、手に持ってた柄の部分は残ってて持ち帰ったハズなんです。なのに今は「カラ」になってますよね・・・この戦いでどこかに無くしてしまったんだろうか?
リンの心にぽっかり空いた穴と、空になったチャクラ刀入れの穴・・・・リンの心もカカシの心も「空」になってしまった。
 
・・・そしてもちろん、それを遠くから見つめてるしかなかったオビトの心にも、大きな穴が開いてしまったはず・・
 
 
『くそ!やられた』
『せっかく苦労して手に入れたものを!』 (霧?の暗部の忍)
 
彼らの発言からすると、彼らはリンを殺すつもりは無かったんですね、目的はあくまで「生かして連れ帰ること」…。さっきまでグオオオ~と叫んでた尾獣らしき声が今はもう聞こえてない事を考えると、やはりリンに尾獣が憑りついていたような気もします。
「苦労して手に入れた」ってことは、もしかしたらリンは憑依させられたばかりだったんだろうか?
カカシは助けに来て、やはり間に合わなかったのか・・・ 
尾獣を憑依させられた上、敵に連れて行かれるぐらいなら「仲間の手で」という判断だったんだろうか。 
あるいは、他里に渡すわけにはいかないという思いだったのか・・・・?
 
悔しさと、自分への憤り。
オビトの左眼からだけじゃなく、カカシ自身の閉じた右眼からも・・・涙流してる。
・・・雨が「泣かない忍者」カカシの涙を隠しているけど、対照的に「泣き虫忍者」オビトは涙を流していないんですね。
 
 
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《「スウウウウウウウウ」・・・2つ勾玉写輪眼から3つ勾玉へ、
そして・・・・万華鏡へ。同時に「万華鏡写輪眼」を開眼していくオビトとカカシの眼》。
 
す、すごい迫力ある絵・・・・「万華鏡に覚醒する瞬間」の描写、これも初めてですね。
オビトとカカシ、横に並んで目がアップにされていき二人同時に開眼していく・・・。
カカシもこの時、実はもう開眼してたんですね・・・・これは意外でした(オビトは神無毘橋で岩に埋もれた時にも万華鏡(神威)ですり抜けを使ったみたいですが、その時は無自覚だったんですよね)。
カカシはその後、万華鏡開眼について無自覚なままだったのか、あるいは「万華鏡にする事自体は可能」と分かっていても、体に負担がありすぎる瞳術を使うことは出来なかっただけなのか。 それを第一部と第二部の間の約2年半の間でやっとチャクラを練成して術を発動できるようになったんだろうか。
 
そして「万華鏡の開眼の理由」なんですが、どうやら今回も『親しい者の死』というオビトが言っていた条件が当てはまりそうですが・・・そこに生まれる「感情」が本当は重要なんじゃないかと思うんです。 
写輪眼の「進化」とは、写輪眼という封印されし眼の封印を段階的に解除し、本来の力を取り戻す作業だと考えてるのですが・・その「力を解放するためのカギ」となるモノは、はたして「悲しみ、後悔」なんだろうかとかなり疑問に感じております。六道仙人が、そんなモンを鍵にするだろうか?と。
 
あの六道仙人が瞳力の封印を開ける「鍵」として用意するとしたら、それは「愛」じゃないだろうかと思ってしまうんです。 平和のためには愛では無く「力が必要」と説いた長男のほうには「愛」を知った時にこそ、力が解放されるように仕組んでるんじゃないだろうか?と。 
 
オビトの場合、もっと皆と居たいと願い、大切なものを失うことで本当の愛を知ったから・・・それが「本当の」万華鏡写輪眼の開眼の理由なのではないかと秘かに思っています(イタチも、サスケも、愛を知った時に開眼したのではないか・・とね)。
 
そして、オビトとカカシ・・二人の「眼」はリンクしてるから、オビトが開眼すればカカシの左眼も開眼するってことなのか・・・あるいは二人が同じ体験(体感)を同時に共有する事が必要だったんだろうか。 
やはりこの場は誰かさん(っていうかマダラさんだけど)のセッティングによるもんじゃないかと思ってしまうんですよね(黙ってオビトの顔を包むグルグルも…いかにも「段取り通り」の行動)。
 
そして、この「オビトとカカシ同時開眼の絵」なんですが・・・実は「もう1つの解釈」ができると思っています。
 
この絵は《カカシがうちはの力(万華鏡)を手にしていく》と同時に・・・
《オビトが柱間人造体グルグルに覆われて千手の力を手にしていく絵》でもあります。
つまり、カカシ(千手傍系と仮定)がうちはの力を、オビト(うちは)が千手の力を得ていく過程を描いた絵とも受け取れるんです。
 
最近申し上げてる《カカシ=はたけ一族は千手(六道兄弟の次男)の傍系じゃないか》疑惑・・・ここんとこのカカシの描写を見てると、千手(あるいは六道次男の血)を濃く受け継いでいるのではないかと思える事が多いんです。(カカシがここまで神威を連発出来たり、視力が低下していない等・・そして「白い牙」とは獣つまり六道の次男(肉体)の「血」を受け継いだ一族でもあるんじゃないかと)。
この戦場にカカシが来た時566話のタイトル「眼と獣」、これは「カカシとガイ」という意味ですが・・実はもう1つ「眼(オビト)と獣(カカシ)」という裏意味があると考えてます。どっちかというと、この「裏意味」の方が重要だと考えてまして・・・  
だとしたらですが、この絵は「獣」のカカシに「眼」が与えられ・・「眼」のオビトに「獣」が与えられていく絵、互いに六道の力を与えられていく絵に見えるんです。 ただし1/2ずつ持ってる状態であって、一人ずつでは完璧では無い。 だから、この2人の共闘ってのは「ちょっとした六道の力」が生まれるんではないかと真面目に考えつつあります(つまり、期待以上に意外と凄いんじゃないか?)。 やはり、オビトとカカシも「選ばれた血どうし」特別な2人だったんだんじゃないだろうか。
 
だから・・マダラ爺を止められるのは・・「子孫=下っ端のオビト」とカカシの共闘なんじゃないだろうかと思ってます。
 
でもカカシの体にうちはの「万華鏡」は負担が大きかったのか、その場に倒れてしまったのとは対照的に・・
オビトはギン!と万華鏡で力をみなぎらせウォオオオオオオと立ち上がる。 
 
・・・オビト覚醒、ですね。 
 
いやぁ・・あの落ちこぼれだったオビト、信じられない位の急成長ですが・・まさに彼は眠れる獅子だったんですね。 ・・・・オビトの眠れる「底知れぬ実力」に気づいていたのは「マダラ爺」だけ。
 
オビトは急激なパワーアップにもついていってるけど(グルグル効果と柱間効果もあるんだろうけど)、カカシは血の涙を流して倒れてしまう・・ うちは一族では無い者にとって、こんな無茶な“飛び級開眼”は 過剰な負担が体にかかって耐えられないのかも。
 
この前(598話)でも、カカシはトビとの勝負に出る神威を使って血の涙を流して倒れ込んでましたよね。 あの時、もうカカシの左眼は限界なのんじゃないかと思ったんです。 ・・・でもその後カカシは立ち上がったし、相変わらず視力も落ちてる描写が無い・・
(29巻でイタチに「お前の視力・・どれだけ落ちてる?」と聞いたのは、カカシ自身の視力が落ちてるのではなく「知識」として知っていただけで、イタチにさりげなく開眼を伝えたのかなと思ってます)。 
 
じゃあ、あの598話の“血の涙”はいったい何だったんだろう?
 
・・・そこは「無意味な描写はしないキッシー」、やはり意味があるハズ。 
カカシはかつて「万華鏡開眼時にも血の涙を流してぶっ倒れていた」事を考えると・・・598話のあの時も《カカシの眼に何らかの変化が起きた》と考えるべきなんじゃないかと思うんです。それが「神威の眼の最終的な覚醒」なのか、あるいはオビトの眼が秘める「もう1つの術別天神なのか?)」が生じたか・・ あるいはあの時、オビトとカカシが同時に微妙に違う効果の「神威」を発動したことで、須佐能乎が生まれたのかどうか(とにかく分からないけど)・・・
 
カカシの眼に、「何か」変化が生じたのは、確かだろうと思っています(何か・・だけど)。
 
 
 
(※その3に続けます・・・)
 
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