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ナルトの「多数決ってのが《決まり》だろ・・・」発言について (612話雑考につけ加えて)

ナルトの「多数決ってのが《決まり》だろ・・・」発言について (612話雑考につけ加えて)

 
「意見が割れた時は多数決ってのが決まりだろ・・・だいたい」
「どうする!?」
 
「いい案だ・・・ なら―――」
「・・・一人残らず消してからにしよう」
 
612話、ナルトとオビトの、このやり取り。
 
今週の雑考のほうでも取り上げましたが、今週のこの会話は《かなり》重要なモノだったと考えております。
多数決の是非については、我々の世界の問題も絡めると大変ややこしくなってまいりますので(功利主義だとか民主主義とかおそらくキリがない)、NARUTOの忍世界限定ってことで考えさせて下さい。
 
えーっとまず、ナルトが多数決と言い出した事なんですが、これついては特に不自然ではない、とは思っております。オビト側が受け入れるハズがないと承知のうえで《こんなに大勢が、無限月読は嫌だって言ってんだってばよ!!》と伝えたかったんだろうな・・と。
 
忍の世界でも『多数決』ってのは一番平和な解決法だと思うし、特に柱間の意志を継ぐ木ノ葉では「多数決」が尊重されてきたんじゃなかろうかと思うんです。それに、ナルトの口から自然に「多数決」が出てきたってことは、アカデミー時代から先生方にも言われてきたんじゃないだろうか・・・ 「おいっお前達、いい加減にケンカは止めろ!こういう時は多数決ってのが決まりだぞ!」なんてイルカ先生の声が聞こえてきそう・・。
ま、アカデミーでの多数決なんてのは、意見を却下されたほうも多少ムスッとして終わる程度だろうし、たいして問題にはならないと思うんです。お互いさまだろ、って感じでね。
 
だけど、今回ちょいと引っかかったのは、ナルトが何となく言った《決まり》って言葉なんです。
決まり・・・つまりルール、大袈裟な言い方すれば「掟」。
 
ナルトは、当たり前感覚で「多数決ってのが決まりだろ」と言ったと思うけれど、当たり前の決まりである「多数決の掟」ってのが、忍世界では意外と深いところまで根を張った問題になってるんじゃないかと思うんですよ・・。
多数決・・・・・この問題こそ、オビトが《この忍世界をぶっ潰す》と考えた原因なんじゃないかと思えるんです。
 
多数決という考え方は、いわゆる最大多数の最大幸福、忍世界では「最大利益」という問題も絡んでくると思いますが、それが多数の幸福のために 少数が犠牲になるという事にもつながってると思うんです。 
少数の隠された犠牲によって、平和が保たれる・・・それが今までの忍世界の「平和」だったわけです。一部の忍達が「自己犠牲」という名目の下、誰にも知られる事無く犠牲になっていった・・・そうやって平和が保たれてきたとダンゾウも言ってましたっけ。
 
多数のために少数が犠牲になる、それは「仕方がないこと」であり、その為の犠牲は忍としては「名誉」なこと。
イタチも木ノ葉の平和のために犠牲になった一人だし、おそらく・・・リンも忍世界の為の犠牲の一人なんじゃないかと思うんです。そして、忍世界のために心を殺し一生後悔を背負って生きるカカシも、多数の平和の為の犠牲になった一人なのかもしれません。だからこそ、カカシはナルトには同じ思いをさせたくなくて、自分一人で汚れ役を引き受けようともする・・・。ここにも多数を優先する、いわば多数決の《決まり》が じわじわと関わってるんです。
 
その多数優先、多数決の問題を疑問視したのがカカシの父さん、「はたけサクモ」。
 
ご存知の通り、サクモは任務で「仲間の命か、任務遂行か」の究極の選択を迫られる・・・だけどサクモは《掟》を破って、仲間の命を選択した・・・
 
サクモの《多数よりも少数を優先した選択》が、結果として里に甚大な損害を与え 多数を犠牲にしてしまったわけで、助けられた仲間でさえサクモを責めたってのも この世界では仕方ないとも思うんです。 忍なら、自分達の命より里を優先してもらいたかったと思うでしょうからねぇ・・。サクモの型破りな決定は、おそらく全責任を取る覚悟での選択だったと思いますが、サクモが下した判断が良かったのか、悪かったのか・・・これは難しく、正直私も分かりません。
 
ミナトから《サクモの真実》を聞いたオビトは、「少数の仲間を見捨てなかった」サクモを本当の英雄だと考え、仲間の命を簡単に見捨てる忍を「クズ」と言い放ち、そんな忍を「正しい忍」とする世界なら「ぶっ潰す」と宣言した・・・ 
 
で、今実行してる。
 
おそらく、忍世界の平和は少数の犠牲によって長い間保たれてきたわけで、その闇の部分は ほんの一部の忍達しか知らない・・・ だから、オビトも少年時代は何も知らないまま夢を見て、やがて忍世界の闇を知って絶望に陥った。マダラが言った《お前もいずれ気付くことになる》、それはオビトに限らず、長い間忍世界に「生き永らえば」いつか知ってしまうことなのかもしれません。
サスケだって、イタチの真実を知ったことで《イタチの犠牲の上でヘラヘラ笑ってる平和ボケした木ノ葉》が許せないと思った・・・そして、少数の犠牲の上に成り立つ多数の平和を問題視するようになった。
 
つまり、今の世界は《少数の犠牲を斬り捨てて、多数だけに都合がいいことを選択した、幻術のような“造られた(一方だけを選択した)”世界》であって、いつかは脆く崩れる。 いずれ斬り捨てられた少数派の憎しみが、フタを破って溢れ出す・・・・《誰かがまたオレ達と同じことをするようになる》ってことにもなる。
 
今までの忍世界が、少数の犠牲という闇の上に成り立ってきたこと、そこにも問題があった事・・・それを「理解」することは、ナルトがサスケを理解するためにも必要な事だと思うんです。
 
そして、ナルトが当たり前のように”多数決ってのが決まりだろ・・と言ったこと、そして多くの忍達も多数決をおそらく当然と思っていることは、忍達が「向き合うべき、彼ら自身の問題点」にまだ気づいていない、ということになる・・・。
 
少数が多数を犠牲にするのはもちろん、おかしな話だけど、多数のために少数を《見殺しにする》ことを容認し続ける事も、本当に正しいのだろうか?
 
 
 
《お前が・・・リンを・・・殺しにしたからだろうな》の、本当の意味は・・・・何なんだろうな。
 
 
 
 
 
 
 
・駄文、読んでくださって有難うございます(感謝
 
 
 
 
 
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