ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 614:お前に 今週のジャンプ・ナルト感想 その1 (WJ04・05合併号)

NARUTO 614: お前に その1

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「お前に・・・」
「天才だと・・・ 言われたからだ・・・」
 
・・・なんか違うだろ・・・ネジ。   「違う!」。
 
のっけからすみません。今回感じたのも「違和感」です。
 
どうも最近、毎週のように違和感感じちゃうのですが・・・もしかしてコレも作者の「計算のうち」なんじゃないか?と疑い始めました。 また、作者の術中にハマってるんじゃないか・・という疑惑。もちろん読み手によって印象は様々で違和感を感じるか感じないか・・・あるいは感じる部分も様々だと思うんですが。
 
私が今週感じた「違和感」・・・これは、先週あたりからご意見を頂いてる《どうせ最後は輪廻天生で復活するっていう予感》に対する違和感じゃあ無いんです。 長門が輪廻天生で全員復活させた時から、この物語で味方側に犠牲者が出る事はもう無いんじゃないかと勝手に思いこんでおりまして・・・『今は』それは考えないようにしてます。違和感を感じたのはネジの言動、ネジの最期に対する違和感なんです。
 
ひと言で言うなら・・・《忍世界は、相変わらずじゃないか!》という違和感。
 
「忍連合の術」は、新しい時代の幕開けであって、すっかり変わった新しい《ザ・忍》の姿にも見えました。皆の表情も明るかったし、ナルトの言葉も頼もしく力強かったし。 けど――― やっぱり、オビトが言ってたみたいに《違う!》のかもしれない。 一皮むけば、旧態依然とした忍世界の無秩序(システム)がその素顔を見せるんじゃないか・・・その不安は的中しちゃった気がします。
 
ネジは同世代仲間(厳密には同期じゃないが)で唯一の上忍なのに、この戦争で目立っていいところが無く、だから時々「ネジはどうしたんだ、おぃおぃ・・」と愚痴をこぼしてきたんですが・・・それが(どこにいたんだか)いきなり登場したと思ったら、これですかぃ。これじゃ、何もいいところが無いよ??
ネジは、最後に《父様… やっと分かったよ… 仲間を守るために 死を選んだ父様の自由の気持ちが…》なんて思っていたけど・・

違うだろーー! ネジ!!

死んだらダメなんですって。死なないと自由が得られない世界なんて、本物の世界と言えるんだろうか?
 
(すーーっと消えていく、ネジの額の呪印)。

死なないと、消える事のない呪印。 これが日向の「現実」です。
 
ヒアシは穢土転ヒザシに『そんな運命などない!』 『今は分家として宗家の血を守るのではない ただ仲間として守り合う!』なんて綺麗事を言ってたけど(56巻で)、実際にはまだ分家は呪印で縛られている・・・「呪印」が存在する限り。
 
これじゃ、最近まで呪印で拘束されていた“根”の忍達と同じ。 ネジの死は、古い忍の無秩序(システム)という籠の中に縛られてきた忍達の姿そのものです。「忍は死に様」・・・ネジは《仲間を守る為の死》を死に様として選んだけど、所詮「戦争に勝つための犠牲」です。己の死に意味を見出すために、ナルトの為だといい、ナルトに己の命を預けて死んでいったわけで・・・こんなの「本当の自由」じゃない気がする。忍世界はまだまだ、変わってない。
 
ナルトは、最初の敵だった「再不斬と白」の生き様・死に様を見て「こんなのやだ!オレはオレの忍道を行ってやる!」と宣言した。それから・・ブレてないハズだった(33話「英雄の橋」)。 ナルトはどう思っているんだろう。

そして・・・「ネジの最期」だけじゃないのです。
 
先週613話、父シカクの死を悟ったシカマルが、涙を堪えてシッカリと最期の言葉を受け取る姿は「成長したものだ」とほめたのですが・・ 今週冒頭のシカマルの“言葉”にいきなり「違和感」です。
 
「今は戦争中だ」
「余計な言葉はいらねェ」。
 
いや、立派な言葉だとは分かるんです。だけど《今は戦争中だ》って言葉・・・コレはシカマル本人の言葉じゃ無いと思うんです、おそらく戦場のあちこちで言われている言葉なんです。それを、シカマルは自分に言い聞かせるようにして言ってる・・・それが一人前の忍としての心得だからです。だけど、それって・・・それでいいのかなぁ?と疑問に思ってしまったんです。
 
というのも・・・
 
この少しあと、ヒアシも同じような事を言うんです、
 
「ボケッとするなナルト!」
 
「ここは戦場で 今は戦争中だ」
「・・・人も死ぬ!!」   (なぜナルトがボケっとしてたかは後述)
 
《ここは戦場、今は戦争中、人も死ぬ》・・・もう、これは決まり文句、戦争中の口上みたいなモンなんじゃないでしょうか。 55巻で、ガイが言ってた言葉も内容的にはそっくりです・・・
「戦場では仲間が死ぬ!それは最低でも覚悟して来い!」。
 
戦争を知らなかったナルト世代も、この二日間 戦場のあちこちでこの言葉を聞いてきて、少しずつ染まってきてる。 仲間の死は「仕方ない事」であり覚悟ができた者が一人前の『忍』・・・つまり刃で悲しみの心を抑え込んだ者が『忍』なんだと、自分に言い聞かせる。
ヒアシ世代も、ガイ世代も、そしてついにシカマル達の世代まで・・・戦争を知ることで《今は戦争中だ》という言葉が受け継がれ、刃で心を抑えつけ、感情を麻痺させて・・・そうやって忍ってのは心を無くしていっちゃうんじゃないだろうか。
 
本当の戦争の恐ろしさとは、人ひとりの「死」も《今は戦争中だ》という言葉で片付けて 感情を無くしていってしまう事なんじゃないだろうか?
 
そしてヒアシが言った《だがこの戦いに敗れれば 全ての人が死ぬことになる》・・・
 
この言葉も『少数の仲間の死は、大勢の人々を守る為の必要な犠牲である』という『意味付け』の言葉でもあります。 そうやって“受け入れ難い大切な者の死”を、意味のあるモノだったと自分に納得させる為の言葉。 55巻のガイも、「取り乱すとよけい仲間が死ぬ事になる!」と言っていた・・・ 多数の為の少数の犠牲は「しかたない」。ナルトは・・
 
「・・・・!!」
「もちろん・・・ 分かってる!」と答えてるけど・・・
 
本当に「分かってる」の?ナルト。

ちょっと前に「多数決」と言ってたし、大勢を守る為には目の前で仲間が死んでいく・・・これも仕方ないと、頭で分かってるハズ・・・「もちろん」分かってる。でもナルトが「もちろん」なんて言ったのは、《モヤモヤ》が心に在って、そのモヤモヤをグッと消すための《もちろん》だったんじゃないだろうか?頭では正しいと「理解」していても、心では「理解」できてないんじゃないのか・・・? いや、「理解」したくないんじゃないだろうか。 
そして・・・ンなの「理解」なんか出来なくていいよ!と私は思ってしまうんです。 ナルトには、これって《何だか違うってばよ》って思って欲しい・・・(個人的には)。
 
・そして、ナルトがボケッとしていた理由・・・
 
シカクの作戦とは・・・ネジの「お前が作戦の鍵だってことだ」、黄ツチの「九尾の力が戻るまでワシの山土の術なら少しは止められるハズ」という言葉から、「ナルトと九喇嘛の力を使った作戦」ってことなのでしょう(あえてそれ以上予想はしないおきますが)、で・・・シカクの話を聞いた周囲の反応からし《十尾の尾獣玉が本部に向かっていてもう逃げられない、これが最後だ》という報告だったのだと思います。
で、この戦場にいる感知系も含めた全員が《本部はやられた=シカクたちは全員死亡した》と判断してるような気がします。何となく重い空気になってる中・・・
 
「・・・・・」
「これって・・・ どういうことだってばよ!?
 
「お前が作戦の鍵だってことだ」 (ネジ)
 
「違げーよ!シカクといのいちのオッチャンたちはどうなったって聞いてんだ!!」
 
「・・・!」 (ネジ)
 
相変わらず「浮いてる」ナルトの反応・・・
 
ナルトの空気を読まないような反応にネジやヒアシは「コイツ分かってないのか(バカか)??」みたいに対応してますが、どうなんでしょうコレ。 白眼の二人もシカク達死亡を確信してるようなので、本部に尾獣玉が命中したのは事実なのかもしれませんが・・でもナルトの反応が気になります。
 
今のナルトは仙人モードじゃないから正確に「感知」出来るハズは無いのですが、ナルトが「違和感」を感じてるのは確かです。 それも・・・シカクやいのいちのオッチャン達は死んだのではなく「どういうことだってばよ」という理解できない違和感を。 ん~ナルトのこの反応から考えると、シカク達は「消えた」んじゃないだろうか。
 
可能性として考えられるのは、シカク達の窮地を知った飛雷神トリオが表れて飛雷神の術で救ったってこともある・・・かな?
 
しかし、先週613話でカカシが左眼の写輪眼にくっ!と感じていた《時空間での異変》と、ラストページの不自然な「時間が止まったような1コマ」、そしてオビトの神威を使った疑惑がある《コキ》描写が不自然過ぎて、やはり気になります。
なので・・・オビトがこっそり神威を使っていた可能性は十分あるような気がしています(しかも尾獣玉をぶっ放していたのは、オビトじゃなくマダラさんだったようなので)。 ただし、なぜシカク達を助けるような事をする必要性がオビトにあったのか・・・あるいは具体的にどうしたのかは謎なままです。いずれにせよ、シカク達は《時空間に逃避した》のではないか・・と現状では考えてます(つまり無事)。
 
 
・「心せよ!」 「日向は木ノ葉にて最強!」
 
木ノ葉崩し以来久しぶりに聞きましたな、このヒアシのカッコいい口上。・・・だけどコレ、ヒアシ様専用フレーズじゃなかったんですね。というのも、マダラが「・・・などと奴らが口上をのたまう前に攻撃をしてやろうと思ったが・・」なんて言ってたからなんですが、ど~やらこの台詞、日向家に代々伝えられる「有名な口上(決まり文句)」だったみたいです。
 
日向って言うと、六道の長男の「瞳術」の血を受け継ぎ、輪廻眼、写輪眼と並んで称される崇高な眼だというのに 利用法はもっぱら「便利な感知系」。 主役になれず、サポート役が多いのが現状です。ネジとヒアシが見せた「八卦掌回天」は強力な技だけど、正直さほど目立たない。 「日向は木ノ葉にて最強」の口上は、日向が「うちは」と較べて劣らないゾという「一族の誇り」を保つための口上だったのかなぁ・・・「最強」をつけることで。
 
何となく今まで「カッコいい」と思っていた《口上、決まり文句》には・・それぞれ忍世界の「事情」ってモンが隠されていそうです。それも「影」の部分が。
 
今週は「言葉」に隠された忍世界の影の描写はまだまだ続きます・・・。
忍はいろんなモノに縛られてきたけど、中には「言葉の呪印」ってのもある(サイが言ってたみたいに。詳細は雑考その3で述べます)。ナルト世代は《新しい忍の時代だってばよ!》と思ってるかもしれないけど、マダマダ問題はあるんです。。。 
 
 
「シカマルといのの父親たちも 子より先に逝けたことは忍として本望だと言うだろう」
「オレの父がそうだったように」 (ネジ)
 
「・・・・・」 (ヒアシ)
 
う~ん、ネジは「父ヒザシの死」をまだ受け入れられて無いような気がします。 頭で理解してても、ホントは「心」では受け入れられてない。だって、「子より先に逝けた事は忍として本望」なんて言葉・・・まだ独身で子供のいないネジに分かるわけも無いんだから・・ 
 
だからこの言葉も、昔から周囲に言われてきた言葉だと思うんです。 おそらく《親を失った子供を慰めるための決まり文句》・・・頭で理解させるための言葉なんだと思うんです。そして、ネジも自分にそれを言い聞かせる事で、父ヒザシの死は「無駄死にじゃなかった、意味のあるモノだった」と思いこもうとする。
そうやって悲しみの感情を無くさせる・・・これもまた、巧妙な忍の無秩序(システム)のカラクリのような気がするんです。
 
ヒアシの「・・・・」は、ネジがまだ「心では受け入れられてない」事を感じての「・・・・・」だったんじゃないかな・・。
 
(“言葉の呪印”は、まだまだ続く・・ )
 
※その2へ続きます
 
 
 
 
 
 

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