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NARUTO-ナルト- 658:尾獣VSマダラ…!! 先週のジャンプ・ナルト感想 (WJ03号) 《マダラはなぜ守鶴の封印を開けたのか》という話。

NARUTO 658:尾獣VSマダラ…!!《マダラはなぜ守鶴の封印を開けたのか》という話。

 
今頃コソコソと、先週休んでしまった658話の感想を加えます。せっかくなので、いつもとは少々違う方法で・・658話の内容から気になった点《マダラはなぜ守鶴の封印を開けたのか》を中心に雑考しようと思ってます。 
 
この戦争で多用されているものの1つが《封印》と《術の「解」》・・・
 
穢土転生達を止める為に「封印」しまくってきたし、「穢土転生の“解”のしかた」について開戦前にオビトがしつこくカブトに問うていたし、イタチはカブトをイザナミにかけて穢土転生を「解」させた… そしてサスケは「封邪法印」を「解」したり、大蛇丸はあの屍鬼封印を「解」したし、マダラは穢土転生を「解」して見せたりもした… 封印、封印の解、術の解除…
 
「封印」について、自分なりの考えを以前も詳しく書いた事が何度かありますが、《封印とはいずれ解放することも考えて作られたモノ》と私は解釈しております。封印とは未来永劫「滅する」目的のものではなく、「とりあえずとっておく」手段でもあります。かつてミナトがナルトの中に九尾を「八卦封印」で封じたのも「いずれはナルト自身に“解”させる為」でした。
 
もっとも「解」をする為には、封印を開ける為の何らかの「鍵」を持っている必要があります。以前自来也が、自分の中に蔵入りしていたガマ寅(ナルトの八卦封印の鍵を持つ蝦蟇)を出し、「ワシに何かあったらナルトに蔵入りしろ」と命じた時、ガマ寅がこんな事を言ってましたっけ、
 
「何を言いよるんなら!!?」
「ワシの腹にはナルトの“八卦封印”に結合する鍵が書き写されとるんじゃぞ!」
「年々四代目の封印も弱ってきとる! いざという時それを閉め直すために鍵が残されたんじゃ!」
 
「その大切な鍵を金庫と一緒に置くなど…!!」
 
ガマ寅の言うことはごもっともでして…《金庫と鍵を一緒に持たせる》なんてのは「とんでもない」こと。普通だったら金庫と鍵、或いは通帳と印鑑なんてのは「なるべく遠く」に隠すのが一番安全策ですよね。特に「簡単には開けられたくない大切な封印」ならば「金庫と鍵、通帳と印鑑」は可能な限り遠ざけたほうがいい。
 
でも自来也は、こう答えたんですね・・
 
「とはいえその鍵はミナトが遺した物…いずれはナルトに渡すべきだのォ」と(370話)。
 
なぜなら「八卦封印」はあくまでも「封印式」、未来永劫けっして開かないようにする目的のものではなく「いずれ時が来たら開けるモノ」として組まれたものだからです。時さえ満ちて、条件さえ揃えば「封印と、それを解する鍵」は「1つになるべき」なのです。
 
658話で登場した「封印」といえば、守鶴の《砂漠層大葬封印》。
 
「オレ様の砂体と呪印模様を使った大葬封印だ!もう二度と空気に触れる事はねェーぜ!ギャハハハ!!」 (守鶴)
 
「ギャハハハ(笑)」というと砂のチヨばあの「ギャハギャハ」という笑い方を思い出しちゃいますが・・というのはさておき、『守鶴の呪印』の模様を見ると『羽衣一族と千手一族の紋を合わせたような模様』なんですね。その2つがガシャン!と組み合わさることで封じられ、その封印の紋様は輪廻眼模様と言いますか、六道仙人が背中につけていた模様(そして十尾の人柱力になったオビトが背中に付けていた紋様)に似ています。
問題は、それをなぜかマダラの須佐能乎が「開けた」ことなんです・・・なぜ、マダラは守鶴の《砂漠層大葬封印》を開けることが出来たのか。
 
そもそも眼を瞑った状態のマダラが「何故須佐能乎を使ったのか」という疑問もありますが、この問題については「目を瞑っているだけ」であって目が無いとは確定できないし、今週(659話)では九喇嘛がマダラの「血(に宿るチャクラ)」にゾッとしていましたので、この須佐能乎もマダラの「血に宿るチャクラ」で引き出され操作された可能性も否定は出来ませぬ。なので「何故マダラは須佐能乎を使えたのか」という点以上に、「何故須佐能乎は《砂漠層大葬封印》を「解」出来たのか」という点が気になりました。
 
守鶴には、あの封印は「力任せで開けられるものではない」という認識があったのだと思いますが、なぜかマダラの須佐能乎は「開けられた」…それは「パワー任せ」ではなく「開けられる理由」が何かあったのかもしれません。
もしそうだと仮定したら《羽衣×千手のような封印》を《うちは》の能力が「解」出来たということじゃないでしょうか。
 
そして上で述べた「金庫と鍵、通帳と印鑑」の話に戻るのですが、もし六道仙人が後世の忍達のために「時が来たら」使えるように「本当の力」を封印した(隠した)としたら・・・一体彼は「金庫と鍵、通帳と印鑑」をどこに、どのように隠すだろう? 六道仙人は、彼が考え得る『一番遠い場所』・・・つまり「自分の2人の息子達それぞれ(千手とうちはの祖先)」それぞれに金庫と鍵を分けたんじゃないだろうか?
 
もし、本当の意味で千手とうちはが「1つ」になる時が来たら、金庫と鍵は1つとなり金庫は開けられる・・つまり「封印は開けられる」のではないかと思うのです(あくまで仮説だけど)。
 
マダラが言っていた、石碑に書いてある「相反する二つは作用し合い森羅万象を得る」…それって「うちはと千手が合わされば、金庫と鍵が作用し合い封印は解除される」という事なんじゃないだろうか。マダラはそれを分かっていたとして、自分の中に柱間を取り込んで「封印を開ける」ことを考えているのでしょうか。
 
オビトは、マダラと柱間の事を「運命に選ばれた最初の2人」であり、そしてナルトとサスケのことを「次に運命に選ばれた2人」と言って「オレがお前達をぶつける」と言っていたけれども、オビトも「千手とうちはの力がぶつかった時(合わさった時)封印が開く」と考えているんじゃないかと私は推測しておるのです。
ただ、マダラ爺ちゃんのやり方では「ちと違う」と考えているんじゃないだろうか・・ だからナルトとサスケには「柱間とマダラとは違う道」を行かせようとしてたんじゃないか・・なんて考えているんです(だからこそ、オビトはわざわざ鉄の国の宿屋にナルトを尋ね、サスケのことを「分かってやれ」というようにイタチの話を聞かせてやったのだろうと私は考えておるのですがね・・)。
 
そして、サスケの呪印模様(十字型)とナルトの仙人×九喇嘛モードの眼(十字型)が一致しているのも「偶然」とは思い難い・・という話も以前いたしました。そして九喇嘛モードのナルトに浮き出ている「◎」の紋様は、まるで「鷹の眼のような模様」であることも・・
これがナルトとサスケのお互いの「金庫と鍵」にあたるものではないだろうかと考えたりしてますが、少なくともナルトとサスケが互いの「金庫と鍵、通帳と印鑑」の役割を果たしている可能性はあるんじゃないかと考えています。
 
今回、マダラが易々と「うちはの力(須佐能乎)」で守鶴の「羽衣×千手風の封印」を開けて見せたのも、何らかのヒントだったのではなかろうかと思った次第です。オビトはサスケにこだわる理由を「須佐能乎まで開眼する写輪眼は稀だ…」と言ってましたけど(五影会談で)、オビト自身は須佐能乎を使えないし、オビトが「須佐能乎」にこだわった理由も、そのあたりにあったりするんじゃないだろうか…。
 
 
そしてマダラは何を「解」しようというのだろうか…?
 
 
「過去を切るのはオレだ」とサスケは言い(639話で)、
「それを為すのは…このオレだ」とマダラは言った(646話で)…
 
マダラは「因果を断ち切る」とかつて言っていたけど、彼が言う「因果」とは一体何なのでしょう。原因と結果、過去(因)から未来(果)を断ち切って「解放する」という意味でもあるんじゃないかとも思えてきました。
神樹の実を食べた「原罪」からの「解放」・・いわば呪印からの解放です。
マダラも、サスケも、そしてオビトもそれを考えているの「かも」しれません。
 
サスケが「お前(オビト)じゃない」「過去を切るのはオレだ」と言ったということは、サスケは・・オビトの目的が「過去を切ること」だと解釈している(理解している)のではないでしょうか。そしておそらくマダラの行動についても、サスケはかなり「把握」しているのではないかと思えるのです。
マダラ、オビト、サスケ・・彼らが「過去の因果を切る」役割を取り合っていたようにも思えてしまいます。
 
マダラがなろうとしているのは、やはり「救世主」なんだろうか。
 
 
 
 
12月24日はうちはマダラの誕生日・・・
 
 
 
 
 
我愛羅×守鶴の「風遁・砂散弾」を浴び「いい術だ」「だが決定打に欠けるぞ!」と言ったマダラ。五影と戦った時もそうだったし、十尾の上に乗って忍連合の連係プレーに「嬉しそうな顔」をしていた時もそうでしたが(64巻)、マダラって今の忍達の「いい攻撃」は素直に褒めてますよね。そういうところにマダラの『本当の素顔』が見えている・・・今の忍達が本気で向かってくることを期待してる。マダラが望んでいるのは「手応え」・・・
 
☆ちなみに最後に、先週のタイトル《尾獣VSマダラ…!!》に関することをちょっとだけ。印象的だったセリフが、八つっあん(ビー)の「遅くなってすまない!負傷者を移動していた!」。
これは八つっあんの台詞かビーの台詞なのかよく分からないのですが、いずれにせよ忍達は「八尾」に運んでもらってたんですよね。今度は尾獣達が「盾」となって忍達を守ってくれている…その姿に一般の忍達は何を思っているんだろう…?
 
五大国の忍達が本当の意味で「1つ」になるのも大変な道のりだったけど、尾獣と人間の共存はもっと大変な道のりのはず。五大国の忍達が守り合い、尾獣と人間が守り合う…かつての敵同士がお互いを守り合う、それこそ本当の平和への「鍵」なのかもしれません。
 
 
 
☆ちなみに…
ジャンフェス報告で書き忘れちゃったのですが、ナルトの声優・竹内さんが「NARUTOにはマスコットがいない」という話題を出され、岸本先生は「ガマ吉とか最初はマスコットを狙ったんだけど、でも小さくても蛙なんで可愛くなかった・・。だから49巻の表紙でナルトの肩に乗せたおたまじゃくしとかマスコットを狙ったんだけど、反応が無かった(このブログでは「おたまちゃん」と呼んで可愛がってたんだけどw)…ナルトが小さな九尾化した時の絵とかも狙ったけど反応が無くって…」とおっしゃってたんだけど… でも仔尾獣たちは十分マスコットになれると思うんだけどな。ぬいぐるみ化してくれたら欲しかったなぁと思いつつ、ジャンフェス土産として「ぴえろ」のブースで入手したのはクリアファイル2枚(イタチ×サスケ、カカシ×オビト)だったのでした・・・
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
 
(ナルト好きブログ!2013/12/25)