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NARUTO-ナルト- 622:届いた 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ14号) その1

NARUTO 622:届いた その1

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お前だけじゃねェ・・・
オレも・・・

届いた
 
柱間とマダラ、同じ気持ちで同じ景色を眺めていたことがあったんですねぇ。
 
《性格は違ったが ・・・この時(最初に会った時)不思議と奴と近いものを感じた》と柱間は回想しているんですが、とにかく、2人の会話は見事に噛み合ってない(笑)。 イヤ、どっちかというと柱間のほうが『個性的』過ぎちゃって、マダラが柱間に振り回されてたような・・
 
さて・・・先週に引き続き「チビ時代」の回想ですが。
 
まずは、チビ時代の柱間・・・彼はほとんど大人になっても変わってない感じがします。 
 
この頃からずぅぅ~んと落ち込んだかと思えば すぐにケロッと立ち直ったり、素直過ぎて“余計なひと言”を言っちゃったり。 一人で勝手に立ち直るし、その度に喜怒哀楽をはっきり顔に出すし、やっぱり柱間は「ちょっとめんどくさいお子様」だったかもしれないですね(笑)  そのくせ、ちゃっかり冷静に相手を観察してるところなども・・・この頃からなんですねぇ。
マダラの石の投げ方を見て、《この投げ方・・・やっぱそうだ・・・手裏剣術・・・!》なんて言ってるし、最初からマダラの事を(こいつ、忍じゃないか?)と考えて近づいてるんですよね。 その後も、流れてきた死体をすぐに見に行って《これは羽衣一族の紋》とチェックして、上流で自分の一族が戦っていることを察するなど・・・とにかく観察が鋭い。
 
で、余計なひと言を連発してはマダラを怒らせて、その度にいちいち落ち込んでますが・・・だからって柱間は《怒られるとすぐ落ちこむタイプ》ってわけでもなさそうです。 自分の父親には怒られても、堂々と反抗しているし・・・「自分より強い者」には黙って従うことはしないが、自分と同等あるいは自分より立場の弱い者に何か言われると、落ち込んじゃう人なんだろうか。 それだけ弟(年下)や友想いで、「守りたい」意識が強いのかもしれない・・。
でも、この頃の柱間が、既に木遁を使ったのかまだ使えていなかったのか・・・ 
弟たちを守れなかったことからも、まだその後のような「圧倒的な力」は覚醒していなかったのかもしれません。まだ・・・
 
そして、ちびマダラですが。
 
幼い頃のマダラって、今とはちょっち性格が違う感じもするけれど、でも三つ子の魂百まで・・・素の性格は今でも変わっちゃいないと思うんです。 カブトやオビトだって(それに尾獣達だって)、回想に登場した『幼い頃の姿』が彼らの本当の姿だと思うし・・。 
もっとも、今のマダラは赤ちゃんがえりしてるかもしれないけれど(ボソっ・・)
 
この当時のマダラ、かなり短気で喧嘩っ早そうだし、口のきき方は荒っぽい・・・だけど、落ちこんでる柱間に優しく声を掛けたり、面倒見がいいし、この頃から「リーダーの器」らしさは十分見せてましたね。 まだあの独特なカリスマオーラは無いけれど、既に雄ライオンの子供っぽいニオイはプンプンする・・・ 性格的には、かなり少年時代のオビトに似ているというか、すぐに“指さしポーズ”をとるところなども、そっくりかな。 
 
マダラ爺ちゃんが、子供時代のオビトの事を手に取るように分かっていたのも、マダラ自身が同じ失敗をしてきたからじゃないかと思っちゃうんです。 少年時代の「人の心を思い遣る、世話好きなマダラ」を見ていると、やはりこの人の「愛情」の器はとてつもなく深いと思うんですよね・・・須佐能乎の大きさは、愛情(憎しみ)の大きさに比例すると思うんですが、あれだけ巨大な須佐能乎をもったマダラとは、それだけ愛情も巨大な人ということかと・・
 
そして自らを《後ろに立たれると小便が止まる繊細なタイプ》なんて言ってるけど、マダラさんアナタまさか・・・『意外と繊細で神経質なO型』だったかしら(笑) (ちなみに、マダラの血液型はまだ不明)。
620話で、扉間が「うちは一族は繊細」と言ってましたが、たしかにサスケもオビトも繊細ですもんね。 
 
ちなみに、マダラのことを初めっから「忍じゃないか」と観察していた柱間と違って、マダラは『柱間が水上歩行してるのを見てから』忍か?と驚いていましたけど、別にマダラが「鈍感」なわけじゃなくって、それだけ柱間が「忍っぽくなかった」んじゃないかと思うんです。 誰だか分からない他人に人懐こく話しかけてくるなんて・・当時の忍のすることじゃあなかったのかもしれない。
 
だけどマダラだって、本当はかなり人懐っこいタイプなんですね。 柱間に「どっか行っちまエー!!!」と言ったくせに、今度は「やっぱ待てエー!!!」と首根っこ掴んだり。 ようするに本当は淋しがり屋で、孤独はイヤなんですよね、マダラさん・・・ったく、素直じゃないなぁ!
 
「名はマダラだ 姓を見ず知らずの相手に口にしねェのが・・・」
「忍の掟だ」
 
「やっぱりな・・・ お前も忍か」
 
束の間の出会いの時間は過ぎ、柱間は川の対岸に渡り、川越しに向き合った2人・・・
互いに「なぜか引かれた」ものの、この時は互いに「まだ心が届いてはいなかった」・・・・
だから、2人が「運命に選ばれた」のは、「この次の再会の時」だったんじゃないかと思います。
 
 
・《大人に見えなくて、子供に見えるモノ》・・・
 
「忍が嘆くな! 忍は戦って死ぬ為に生まれてくるものだ!」 (柱間達の父・・・以下、「柱父」と略)
 
「柱間、扉間、瓦間、板間」・・・柱間には扉間以外の兄弟が(少なくとも)2人以上いたんですね。
でも瓦間は7歳で戦死、埋葬される棺を前に立つ3兄弟の表情は「様々」・・・悔しさを隠しきれない柱間、冷静に悟る扉間、涙を流して泣く板間・・・ 
今回、「敵」として「羽衣一族」の名も出てきましたが、彼等も血継限界を持つような当時の有力一族だったのか、今まで話に登場しなかったのは既に淘汰されてしまったからなんだろうか。
 
「こんな争いがいつまで続くんですか!!」 (柱)
 
「敵という敵を無きものにするまでだ 戦いの無い世界とは簡単な道程ではできぬ!」 (柱父)
 
この親父さんの言ってる事は“古臭い”とも思うんですが、でも・・・この考えって、今も大して変わってないんじゃないだろうか? この時代みたいに「敵を片っ端から倒して無くす」方法ではなく、「同盟を結んで敵を無くす」方法に変わってはいるものの、今も“暁”とマダラという敵を無くそうとしているわけだし、今の「忍連合」にしても、戦争が終わってしまったらオビトが言うみたいに脆く崩れる可能性が高いような気がする・・。
 
「子供を犠牲にしてまで・・・!?」 (柱)
 
(柱間が「犠牲」という言葉を使った時、柱父は(キッ)と睨み、柱間を殴る)
 
「瓦間を侮辱することは許さぬ!!奴は一人前の忍として戦って死んだのだ! 子供ではない!!」 (柱父)
 
(オレは・・・やっぱりお前達(扉間・板間)まで犬死させたくねェ・・・!)
 
《犠牲》っていうのは、ようするに犬死・・・これ、忍世界では「禁句」だと思うんです。 
戦死を『忍としてあっぱれな、立派な死』と肯定しなければ、忍世界そのものを否定してしまうことになる・・。だから忍は死に様、「戦争では仲間が死ぬ」と言い聞かせる・・
でも《幼い子供まで戦わせる》なんてのは、本当の理由は『ただの戦力不足』なんだろうけど、それを正当化するために「一人前の忍」という言葉でごまかしているだけだと思うんですよね。 自分で判断できないような幼い子供が戦いに駆りだされるなんて・・・これ、柱間が言うみたいに、どう考えてもおかしい。そして、やはり「犠牲」なんてあってはならない!!と思うんです。
 
「何が愛の千手一族だ!! 何が一人前の忍だ!!」
「大人がよってたかって子供を死に追いやってるだけじゃねーか!!こっちだってうちは一族に同じことしてるしな!!」 (柱)
 
「それが相手への敬意だ たとえ赤子とて武器を持てば敵とみなす!」
「そして一人前にしてやることこそ 親としての愛だ!」 (柱父)
 
「一人前になるには死ななきゃならねーのかよ!」
「やってやられてどこで恨みかってるかも分からねェ!危なくて姓も名乗れねェ!」 (柱)
 
《ピキィ》・・・・ (柱父)
 
「愛の千手一族」・・・千手一族の祖である六道仙人の息子(次男)以降、「愛」を受け継いできたハズの「千手一族」の実態は、愛とは名ばかりで、その名を語れば危険に晒されるほど、他から恨みを買う事をしてきた一族だった。
 
幼い子を平気で倒すことを「相手への敬意」だと語り、自分の子供を戦場で死なせる事を「愛」と語る。 
このちゃんちゃらおかしな現象を、柱間は子供ならではのストレートな視点で斬りこみ、その不条理を追求する・・。
 
でも父上だって気付いているとは思うんです、『本当は』。 だけど息子の死に意味を見出そうと、父上も必死なんじゃないのかな・・・だから犬死だと指摘されると「侮辱」だと考える。
以前、長門が言っていた《死に意味を見出そうとするが、あるのは痛みと・・どこにぶつけていいか分からない・・憎しみだけ・・ ゴミのような死と・・永久に続く憎しみと・・・癒えない痛み・・それが戦争だ》。
これが現実だと思うんですが、その現実から目を逸らす為、自分自身を救うために「子供の死を一人前の忍の死」として正当化美化し、無理やり昇華させようとしていたんじゃないだろうか。
 
父上が、《ピキィ・・・》と恐い形相で睨みつけたのは、柱間の言葉があまりにも鋭く「真実」を衝きすぎ、触れちゃいけないモノに触れちゃったからなんだろうと思います・・・父上が「見たくない現実」に。
「水切りのコツ」じゃないけど、人間ってホントは分かってるけどどうにも出来ない事を、他から指摘されるとムカッとするものですから。
 
大人になるほど現実を知り、その現実から目を逸らそうと必死に言い訳を考える。そして自分に言い聞かせているうちに、自分の本当の想いや気持ちさえ忘れていくんじゃないだろうか。
子供に見えて大人に見えないモノ・・・それは「見えない」のではなく、「見ようとしない」だけなのかもしれない。

(今、「あっちの戦場」で忍連合とオビトがぶつけ合っているのも、ネジ(達)の死を「無駄ではない」と言う考え(連合)と「戦争の死は犬死でしかない」という考え(オビト)ですよね。マダラの前で彼らがどんな結論を出すのか・・正面からの真剣なぶつかり合い(腑の見せ合い?)に、マダラは満足してる感じでしたが・・)
 
「こんな忍世界はぜって――― 間違ってる!!」 (柱)
 
「お前のような奴を子供(ガキ)というのだ!!」 (柱父)
 
「父上・・・今日は兄者も気分が沈んでいるから ・・・もう許してあげてよ・・・」 (扉間)
 
「・・・・」
「少し頭を冷やせ 柱間」 (柱父)
 
「・・・・・・」 (柱)
 
たしかに「大人(一人前の忍)」というのが《不条理に目を瞑り、見えないフリをする者》という意味ならば、父上の言う通り、柱間は「子供(ガキ)」なのかもしれません。 
でも、そんなのが一人前の忍だっていうなら・・・一生「ガキ」のままでもいいんじゃないかい。
 
そして、扉間ですが・・・この頃から「賢い」し、彼も彼なりに兄弟想いなんですねぇ。 
「父上に歯向かったらどうなるか・・・分かってるだろ」と素直すぎる兄者を心配したり、再び父上に殴られそうになった柱間兄者をかばう為に、盾になって間に入ったり。 でもこれ・・・父上が「柱間に痛いところをツッコまれて立場を失い、引っ込みがつかなくなった」のも扉間は察していて、だから間に入ったんじゃないかと思うんです。 柱間を助ける為でもあり、父親にも気を遣った・・・のかな、と。
父上が「頭を冷やせ柱間」なんて言ったのは、動揺してる心を隠すために放った、オヤジの威厳を保つための一言だったんじゃないかな・・。
兄弟姉妹で「2番目」っていうのは、長男(女)が親に叱られているのを見て、上手く立ち回るようになる・・・というのを2番目の人達からよく聞きますけど、やっぱりそういうものなのかなぁ?
 
 
 
(すみません、その2へ続けます)