ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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うちはマダラ考察・マダラと「顔岩(火影岩)」

マダラと「顔岩」

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初登場時には、「圧倒的な格の違い」を見せつけた穢土転マダラですが、もはやあの時のイメージは…  もうカッコつけても無駄ですよ、マダラさん!  
 
本当はそれほど「恐い人」ではなさそうだという「片鱗」は、たしかに見えてはいました… かつてオオノキ達相手に「手を抜いていた」とか、五影にもトドメは刺さないとか。 さらに64巻の感想でも例を出した、『1つにまとまりつつある今の忍達』を嬉しそうに見つめる姿など…もう「素」がだいぶ見え始めてはいたんですよね(バレ始めた、と言った方がいいかな)。 だけど、ここまで一気に崩壊するとは。
 
今まで、ン十年かけて作り上げてきた「イメージ」が、一瞬で崩壊するような今週のマダラさん…
 
でも、思うんですよ…やはり、こういう《本心を見せない分かり難い人たち》ってのは《子供時代の描写》が全て!と思っていいんじゃないだろうかと。 でも、それでもまだ「マダラは本当は何を計画していたのか」については、まだまだ分からないことが多すぎる。
 
こんな難解なマダラの事を、最も理解していたのは弟のイズナだろうし、それ以外では柱間とオビトだろうと思うんですが、『その他の人達』にはずっと誤解されっぱなしだったんじゃないかと思うんです。 同じ一族でさえ、もしかしたら奥さんや子供(いたのかな?)でさえ、マダラを誤解してたんじゃないだろうか…?
 
そして、マダラに対する世間の「誤解」を解こうとしたのが、当時「唯一の理解者」だった親友の柱間だと思うんです。 で、その「誤解を解く手段」として柱間が考えついたのが《火影岩》だったんじゃないか・・と思うのです。
 
「大きな火影岩を彫る」なんてのは、“柱間ならでは”の奇抜なアイディアだと思うんですが、はて、柱間はどんな想いで、火影岩を彫るなんて言い出したんだろうか。
 
そもそも、うちはと千手が手を取り合い里を作るキッカケになったのは、マダラがやらかした「相子劇場」。 アレは、千手一族にはもちろん、うちは一族にも あまりいいイメージは与えなかったと思うんですよね。 あれで「マダラってのは、何を言い出すか分からない奴」というイメージ付いちゃったんじゃないかと。 (ホントはあれだって、柱間を信じてたからこその行動だし、命懸け行為だったんですがね・・)。
柱間だって、マダラより自分のほうが「人望を集めている」事は分かっていただろうから、なんとか「マダラの良さ」を里の人達に分かってもらいたい…と思ってたんじゃないだろうか。 
 
柱間がマダラに「火影職」を勧めたのは、イズナを失っているマダラへの配慮もあるだろうし、うちは一族への気遣いもあるだろうけど、何よりも《皆にマダラの良さを理解してほしい》という想いからだったと思うんです。
 
柱間は、火影岩を彫る理由を、「里づくりが本格化するにあたって火影も忙しくなる… だからお前のデカイ顔岩をこの足元の岸壁に彫る」なんて説明してましたが、本当の理由は…
《里のどこからも見える場所に「マダラの火影岩」を彫ることで、里の人達がマダラに親しみを持ってくれる、マダラが見守ってくれてると思うようになるから》だったんじゃないだろうか。 
 
・・・マダラへの「誤解」を解くのに、「火影岩」ほど手っ取り早く効果的な方法は無い。
 
しかも…「顔がイカツすぎるから ほんの少し手を加えるけどな!」なんて「配慮」つき。
 
毎日(イヤでも)マダラの「優しく見守ってくれる顔」を眺めていたら、誰だってマダラに対するイメージが変わっていくハズ… それが柱間の《火影岩作戦》の本当の狙いだったんじゃないだろうかと思ってしまうのです。 柱間ってのは、ホントに「平和を創る」アイディアに関しても、天才というべきか・・。
 
でも、マダラのほうは乗り気じゃなかったんですよね。 「冗談だろ…」なんて焦っていたけど、「やや修正された、優しい顔した自分の像」なんかが目立つところに在るなんて…本気で「冗談やめてくれ」って気分だったんじゃないだろうか。 そうじゃなくても、後ろに立たれたら出なくなる恥ずかしがり屋で(本来)シャイなマダラが、火影岩なんて、そんな事…
 
結局、初代火影の座に就いたのは柱間で、マダラ火影岩は「回避」された。
 
だけど、その後のマダラの行動を見ていると、柱間のそういった「気遣い」を無にするような…まるで「真逆」な行動をしていくんですよね。 
 
例えば、その直後ぐらいの話と思われる、《マダラVS無サマ&オオノキ》の回想…
 
「同盟などない!木ノ葉の力の前にただ従え! それと…オレの前でその忍の名を口にするな!」。
 
憎しみに満ちたような表情で、「高いところから威圧的に見降ろすマダラ… この時、既に例の“マダラ立ち”腕組みして恐いイカツい顔で見下ろす》スタイルを確立させてるんですよね。 
…これって、柱間が顔岩で作ろうとしたマダラのイメージ、《高いところから温かく皆を見守るマダラ》とは完全「真逆」です。
 
なんかもう、コレって… 柱間の「意図」を見抜いたうえで、わざと逆の“悪いイメージ”を自分から ばら撒いていたとしか思えない… 
マダラがなぜ、そこまで《悪党イメージ》を作りあげる必要があったのか。 それは彼の「計画」上、必要だったのだと思います。 その数十年後、マダラはオビトに仮面を被らせた上で「マダラを名乗るように」指示し、さらに「尾獣集め」をさせたわけですが、それも世間に《マダラという名を“恐怖”として確立させるため》と思えるんですよね。 実際に穢土転生されて復活してからも、マダラは「高いところからイカツい顔で腕組みして見下ろして」忍達に恐怖を与え続けていました。
 
まるで、柱間がマダラに与えようとした《いい人イメージ》を拒否するかのように、《悪党イメージ》を自ら作り上げていくマダラ… 
 
 本来の「お人好し」や「神経質さ(後ろに立たれたら出なくなっちゃう)」を隠すためだったのか、あるいはライバル柱間と「自分は違う」というアピールだったのか。
そこには柱間に対する劣等感もあったような気もする。 柱間のような、気取らないのに自然と醸し出される「カリスマ性」や「器の大きさ」。 修正とか小細工しなくても伝わる「人格」とか。 それらはマダラには無かった。 だから柱間のように「高いところから微笑んで里の人々を見守る」なんて出来なかった・・ だから真逆の道を歩いた。
 
恐怖で支配し、威圧し、その代わり「柱間より先まで」人々を守る・・・「夢の世界」に導くことで。
 
 
ところで・・
 
マダラの顔岩…柱間はどんなふうに「修正」するつもりだったんだろうなぁ(笑)
 
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
(ナルト好きブログ!2013.05/30)