ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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『仲間を守るための力』・・・オビトがナルトで「確かめたかったもの」

『仲間を守るための力』・・・オビトがナルトで「確かめたかったもの」 

628話「ここに、そしてこれから」雑考に追加を(追加というか、少々訂正も含みますが・・)。
 
ラストの「天変地異」ですが、十尾の雄叫びと共にゴッと地が割れ、ブワッと旋風が巻き起こされ、バチチと雷鳴が轟く様は、忍術で言えばまるで巨大な《土遁、風遁、雷遁》・・・この光景を見ていると、五大性質変化の忍術は「自然を源とする力」である事を、改めて認識させられるのであります。 やはり十尾とは《自然の力そのもの》つまり自然の「神」。
仮の仮説ではありますが、もしオビトと同居していたグルグルが「十尾」の意識だった場合ですが、オビトがサスケに語った九尾事件の真相…「いわば天災」というのも事実だろうと(勝手ながら)頷けてしまうのです。
 
六道仙人は、《武力ではなく人々を平和に導くための教え》として「忍宗(のちの忍術)を作りだしたといいます。 
 
それまで人間にとって「脅威」であったと思われる大自然の力(火、風、雷、土、水)を、六道仙人は人間でも扱えるように、その力を忍術へと「変換」させたのでしょうか。 自然の力と人間のあいだを「取り持つ能力」とでも言うべきその「変換能力」は、扉間・ミナト・ナルトが受け継いだと思われる「※トランス能力(仮称)」と近いモノを感じます(※尾獣のチャクラを人間のチャクラに適応できるように変換する能力=64巻617話)。
 
十尾が大自然の力の象徴なら、その恐るべき暴走の可能性を秘めた力を、《人間の為に貢献できるよう形を整え導いた》のが、六道仙人だったということでしょうか(扉間が「うちはの力を、里の為に貢献できるよう 形を整え導いたつもり(619話)」だったように)。 
もちろん、その力は戦いなんかの為じゃなく、人間と自然が上手く共存できるための「力」、人間を「守るための力」として使われることを六道仙人は望んでいたのだと思います。 それが、「十尾を正しく導く」ということになるとして・・
 
だけど「力」を持てば、ついつい使ってみたくなってしまうのが人間の相(さが)というモノです(十尾玉をぶっ飛ばして試してみたくなっちゃったマダラ爺ちゃんのように)。 結局、忍術は「戦うための道具」になり、「大自然の神=十尾」から生み出された尾獣達も、戦いの道具にされてしまった。 そして今の「忍術」は、ついに行きつくところまで行きついて、もはや忍達自身で「リスク」に対処できない程になってしまった・・・。
「リスクの高すぎる強大な忍術」は、危険すぎて「禁術指定」するしか対策が無いというのが、忍世界が直面している現実です。
 
 
この深刻な忍世界の問題は、NARUTOの物語最初から示されている問題でもあります。
 
 
第1巻、第1話で、ミズキがナルトに盗み出させた「封印の書」というものが登場します。 
 
禁術が書かれている「封印の書」は、どこかに行ったら大変なことになる、九尾を持つナルトがそれを使ったらエライことになると、忍達はパニックになってナルトと巻物を血眼になって捜し始めます。 忍達は、自分達が作りだしてきた忍術を扱いきれず、「禁術」として封印せざるをえないという「深刻な事情、そして情けない実態」がいきなり登場します。
 
そしてミズキはこうも言っている…「その巻物はお前(ナルト=九尾)を封印するためのものなんだよ!!」と。 
 
本来なら自然の恵みであるハズの「忍術」やら「尾獣の力」を、戦いの為の道具にしてしまったツケとでも言いましょうか・・ 自然の力を戦いの道具としてしまった代償は、忍達に大きくのしかかっており、「禁術指定」にしたり「封印」するしか対処法が無かった、あるいはそうやって「暫定措置」をとるしかなかった・・・という忍世界の「深刻な事情」が、第1巻、第1話からすでに提示されていたのです。
 
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禁術指定やら、封印やら・・・そういった「目先の対処」に対して問題意識を持っていたのが、大蛇丸やマダラだと思うのです。 マダラは「禁術を不用意に使うべきではない」と言っていたし、大蛇丸が木ノ葉崩しで「穢土転生」を使って見せた事は「目先の対処」に対する警告だったのではないか・・と以前雑考でも申し上げましたが、忍達はこれら「先送りにしてきた問題」と、ついに向き合う時が来たのではないかと思います(その「仕掛け人」はオビトだろうと思っていますが・・・)
 
そして、628話で、オビトがナルトのところにわざわざやってきて「確かめたかった事」についてなのですが。
 
《ナルトが皆を庇い、防戦ばかりになってきていること》・・・これがオビトにとって最重要だったのではないかと思えてきました。 つまり、ナルトは九喇嘛のチャクラ「尾獣の力=自然の力」を、「戦いの道具」ではなく「仲間を守るための力」にだけ使うようになったこと・・・これがオビトにとって「重要」だったのではないかと。 なぜなら、これこそ六道仙人が望んでいた事と思われるし、尾獣と忍・自然と人間の「本来あるべき姿」として望ましいと思われるからです。 
 
前述したように、人間ってのは「力」を得ればつい、それを試したくなる・・つまり「戦うこと」に使いたくなってしまうモノです。 オビトが確認したかったのは、ナルトが手に入れた「有り余るほどの自然の力(九喇嘛の力)」を、戦うことではなく「仲間を守ることだけ」に使うことが出来るのか、ナルトはそれで満足出来るのか・・・という事だったのではないだろうか・・・ だから「防戦一方」になっている事を指摘したうえで、ナルトの「答え」を聞こうとしたのではないかと思うんです。
 
でもナルトは、九喇嘛の力を「仲間を守る為の力(だけ)として使うこと」を、
 
「オレはそれがすっげーうれしい」と言った。
 
そしてどんな「屁理屈」にも負けず、仲間の為にその力を使うと言い切った。
 
オビトの最後の「・・・」の表情は、「手応えあり」の表情であり、心の中でナルトに「合格」を言い渡した表情だったのではないか・・と私は受け取っています(あくまで「個人の感想です」ってことで)。 九喇嘛の力を「守るための力」として使うことを「嬉しい」と言った、その答えをナルトは曲げないだろう・・とオビトは確かめることが出来たのではないだろうか。
 
オビトは、リンの事件やグルグルとの関わりを通して、忍達が尾獣(十尾=自然の力)の問題を解決しない限り、本当の平和に至る答えは出せないと考えて、その問題提起役を引き受けていたのではないかと私は考えているのですが、そろそろカカシにも「本当の目的」を語る時が来るのではないか・・と期待しています。そして、「もう1人の自分」であるナルトなら、きっと答えを導き出せるだろうということも オビトは確信しているのではないかと・・・。
 
本来六道仙人が持っていたと思われ、扉間、ミナト、ナルトと引き継がれた「間を取り持つための能力“トランス能力”」と共に、「うちはと千手の間を取り持とうとした」扉間の意志、「尾獣と忍は共存できると信じた」ミナトの意志・・と「意志」も受け継がれ、ナルトは六道仙人の「能力」と「意志」両方を受け継いだのではないか・・と思うのです。 尾獣と人間を「取り持つ」能力と、意志を。
 
「オビト… お前はナルトで何を確かめてる?」 (カカシ)
 
ナルトの中にしっかりと六道仙人の意志が受け継がれたことを確かめ、今の忍達なら自然の神である「十尾」を理解し、そして正しく導けるかもしれないということを、オビトはナルトで確かめていたんじゃあないだろうか。
・・・・・
 
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
(ナルト好きブログ! 2013/04/30)