ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

「リンの居る世界」と、「ネジの居る世界」・・・

リンの居る世界と、ネジの居る世界・・・

ダラダラと「先延ばし」していた「64巻感想の追加」と、「628話の雑考の追加」を混ぜた雑考を1つ(混ぜるな・・)。
 
先日、コメントで、64巻615話のヒナタの言葉に「反応するサクラ」についてご意見を頂きました。 
ヒナタの言葉というのは・・ネジの死で動揺するナルトにピシっと言った、あの言葉…
 
《(ネジ兄さんの)言葉と想いを皆が諦め棄ててしまったら ネジ兄さんのしたことも無駄になる・・それこそ本当に仲間を殺すことになる》。
 
それを聞いたサクラは、彼女自身の進む道を見出したみたいだった・・・という内容の御意見でしたが、まったくその通りだと思います、あの時のサクラの驚いたような「表情」・・・それはとても印象的なものでした。 
そして、もう1人・・・あのヒナタの言葉に「反応」していたオビトの「表情」も、615話ではかなり印象に残ったんです。 ですが、64巻を読んでさらにその「表情」が気になってしまった…というのもですね、「ジャンプ掲載時」と「コミックス」では、その表情が微妙に変えられていたからです。
 
以前の記事、「コミックス64巻の感想」で、恒例の「ジャンプ掲載時との違い」について幾つか取り上げたのですが、615話のオビトの表情の「変更」は、その中でもかなり気になった変更でした。 
ただし変更といっても、セリフや絵全体が変えられた大きな変更とは違って、これは「まゆ毛周辺が描きかえられただけ」の、もっとも小さな変更にすぎないのですが、イヤ・・そんな「小さな部分の変更だからこそ」気になるのです。 そんな目立たないような、ほんの小さな箇所なのに「わざわざ描き直さなければならなかったほどの理由」が作者にはあった・・ということなのですから。 
 
特に、オビトとかマダラみたいに「本心を語らない敵側キャラ」については、それこそ眉毛や口元といった微妙な表情から「心」を読み取るしか方法がないわけで、「たかが眉毛」であろうと、変えられたことは重要だと思うのです。

実は615話当時の雑考で、この部分(ヒナタの言葉に対するオビトの反応)については、あれこれと推測していたのですが、結局よく分からずだったんです(納得できる答えは出せなかった)。 だけど、その重要な手掛かりであった「表情」がまったく変えられちゃったのだから・・・当然、考え直さなくっちゃいけないことになる。
 
で、どう変わったかというと・・・ジャンプ掲載時の表情はコレでして・・↓
 
イメージ 1

(※いつもは下手な模写を載せていますが、こればっかりは繊細な「違い」なので、あえて本物を使わせて頂いております)
眉間にちょっとシワを寄せて、ちょっと切ない表情をしてるんですよね。 「考えもしなかった答え」に、オビトはドキッとして、動揺したような・・・困ったような、そんな印象を受けたんです。
 
しかしコミックスではこう変わっている・・・↓
 
イメージ 2
 
この表情の「違い」、どう思われますか・・・? 
 
私の場合はなんですが・・・上手く表現できないんですが、たとえて言うと《日頃、生徒をほめたりしない ちょっと気難しい先生が、「期待以上の答え」を生徒から聞かされて、感心しているような表情》と受けとりました。 
ジャンプ掲載時のように「困ったような顔」ではないし、「考えもしなかった答えに動揺した様子」でもしないし、逆に感心して目を見張っているような印象を受けるんです。 オビトも基本的にはヒナタと「共通した発想」を持っていて、それがオビトの心に届いて「感心させた」のではないか、と思えたのです(個人の感想ですがね・・)。
 
かつてオビトが言っていた言葉・・・
 
「リン・・・もう一度 君の居る世界を創ろう」。
 
《口先だけの言葉が大嫌いなオビト》だから、その言葉は今も「変える」つもりはないと思うんです。それだけは「譲れない」んじゃないかと。 
 
だけどその言葉の「意味するモノ」は、13歳(あるいは14歳)当時と今では違ってきているんじゃないかと思っています。 当時のオビトは、マダラ爺ちゃんが言ったような「夢の世界」でしか「リンの居る世界」を創れないと考えたかもしれないけれど、今は「違う」(と思う)。
 
今までのオビトがやってきた「人助けの為の、各種寄り道」を考えれば、《本気で無限月読をしたがっているとは とても思えない》・・というのが私の考えでして、ようするに「無限月読でリンが居る世界を創る」のとは違う方法で、オビトは「リンの居る世界を創ろう」としているんじゃないかと思うのですが、
 
ならば・・・オビトにとって「リンの居る世界」とは、一体どういう意味なんだろうか。
 
そこで気になったのが、「居る」という言葉・・・NARUTOの中でもかなり重要な言葉として しばしば登場する、「居る」という言葉です。
 
「居る」の意味について(初めて読む方もあると思うので)改めて少々書かせていただきますと・・・
これは普通によく使われる、平仮名の「いる」とは区別されて あえて漢字で「居る」と書かれているわけですが、最近は特に「居る」がよく使われています。 
 
最も印象的だった「居る」は、クシナの言葉・・・
 
イメージ 3
 
「いいえ・・・ここに居ていいのよ」。 
 
これは、憎しみに呑まれそうになって、(お前なんか誰も認めやしない 消えろ、消えちまえ)とナルトが苦しんでいた時に、意識の中に現れたクシナが、最初にナルトにかけた言葉です。 
 
漢字で書かれた「居る」には、「ある場所に留まって存在する」という意味があり、「生きている」という意味でもあります・・・クシナの言葉は、ナルトの存在を認め、《ここに留まり生きていていい》と言った言葉だったと思うんです。
 
ヒナタの言葉もそれと同じように…ネジの言葉と想いを心の中に「留めて存在させる」ことで、ネジは「生き続ける」…つまり、ネジは「心の中に居る=生きている」という意味でもあるんじゃないかと思うのですが、ヒナタのその言葉を聞いたナルトは、もしかしたら(無意識に)クシナが言った「居る」という言葉を思い浮かべ、「本当のネジをここ(心の中)に置いておきてェ」と言ったのではないか・・という気がしています。 
 
ナルト達が創ろうとしている「新しい忍の世界」にこそ、「ネジは居る」、留まり生き続ける…
 
ヒナタの言葉に、「コミックスで訂正された、あの表情」でオビトが反応していた…という事は、今のオビトが考えている「リンの“居る”世界」とは、《リンの想いが生きている世界》…リンの想いが“留まり存在する”世界のことじゃないかと思うんです。 オビトがもし、そういった世界を創ろうとしているのなら、ヒナタの言葉に「手ごたえ」を感じたのではないか、と・・・。
 
リンの想い・・・それは以前「オビトの本当の目的は何だろう」という記事でも一度考えたことがあるのですが、オビトはリンが「なぜ死ななければならなかったのか」という事を当然調べただろうし、63巻の描写を見る限りでは、「リンの死」は尾獣の実験に関わっての死と思われますし・・ 
リンが本当に望んだ世界とは、もう二度と尾獣が兵器として利用されない世界、リンのような犠牲を出さない世界だと、オビトは考えるようになったのではないか・・と今の時点では考えています(オビトは十尾と理解しあっているように私には思えるのです)。

リンが望むような世界を創ること、それがリンを本当の意味で「生かす」・・いや「居かす」ということであり、「リンの居る世界を創る」事になるのではないかと・・・。

もし、ヒナタやナルトが出した「答え」が、オビトの「考え」にもっとも近いモノだったとしたらですが・・・
616話でナルトが「答え」を出したあと、オビトはマダラの制止も聞かずに 態度を硬化させて連合に激しい攻撃を始めたのも、ナルトの答えを「否定したかったから」ではなくって、ナルトの言葉が「口先だけの軽い言葉ではないか」確認するための、最終的な「試し(仕上げ)」に掛かったのではないか、という気がしてきました。 
 
628話で、「仲間の死の痛みを繋がりとのたまうなら 仲間を無理に守る必要も無かろう?」なんてオビトが皮肉っぽく「ヘリクツ」を言ったのも、アレはけして皮肉ではなく・・・「念押し」だったのではないかと私は思うんです。
あえて“挑発的”な言葉を言うことで、《ナルトに、自分自身の意志を最終的に確認させ、それを強固にさせる》のが目的だったのではないだろうか・・と(ナルトみたいな性格の子には、そういうのが「効果的」だとオビトは知っているでしょうから)。
ネジがそうしたように、己の命をかけても「仲間を守ってみせる」ことで、「ネジの意志と思い」をつなげ、「ネジの居る(留まる、生きている)世界」をナルトが創っていけるかどうか・・その「確認」だったのではないかと。
 
かなりのスパルタコーチだと思いますが、それも「ナルトはもう1人の自分」だとオビトは信じるからなのだろう、と思ってますがね・・・
 
ナルトは、「ネジの居る世界」の為に・・・
そして、オビトは、「リンの居る世界」の為に。
 
 

(長駄文、読んでくださって感謝)。
 
 

(関連過去記事・・参考まで)
 
(ナルト好きブログ! 2013/05/07)