NARUTO 633:前へ その1
だからいつだって 一歩でも前へ!!
ネジが教えてくれた「そこから恐れず大きく踏み出すんです」という、八卦六十四掌へ「繋げるコツ」・・
今週のタイトルでもある「前へ」。 同期達それぞれも、枠の中から「前へ」大きく踏み出せたみたいですが、ここでまたイタチの名言を1つ…
《本当の変化とは規制や制約… 予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない》 (25巻)
今週は語りたいことが「多すぎる」んですが、まずは…
・キバの言葉
今週の同期達の言葉で、印象に残ったのがキバのこの台詞・・↓
「ケッ!!サスケのギャグは胸クソ悪いが 不思議とテンション上がっちまうぜ!!」。
「胸クソ悪い」ってのも当然な話で、サスケはあれだけ皆に「ご心配とご迷惑をおかけしたのに」謝罪も無し、説明も無し、いきなり「火影」なんて・・真面目にコツコツ任務をこなして火影を目指してきたキバが「ギャグ」と斬り捨てるのも当然でしょう(今の段階では)。
だけど、一方で「不思議と」テンション上がってしまう…
肝心なのは《不思議》って部分・・説明できない「何か」のせいでテンションが上がってしまうと言ってる部分なんです。 そして、その《不思議》の正体こそ《心(感情)の力》なんじゃないかと思うんです。
キバの中では今、2つの「声」が葛藤してると思うんです・・《サスケを認める訳にいかないぞ!》というアタマの声と、《テンション上がっちまうぜ!》という心の声が。
サスケが戻ってきたこと、第七班が全員揃ってナルトとサクラが嬉しそうな事、「昔みたいに」戻れたことは“理屈抜きで”キバも嬉しいんだと思うんです。 そして、どっちかというと「心の声」こそ自分の「本音」であることに、キバも気付いていると思うんですよね。。
・「心の声」といえば…
(これが九尾のチャクラをコントロールした状態か…) (サスケ)
(…新しい写輪眼 …黒い炎…) (ナルト)
…おかえり、サスケの「心の声」!
いや、すっごい久しぶりじゃないでしょうか・・サスケの“正直な心の声”が帰ってきたのは。
サスケが里抜けを考え始めた頃から、次第にサスケの「心の声」は書かれなくなってしまったんですよね。 あったとしても、無理して《“本心に抗った事”を己に言い聞かせてるような心の声》とか、あるいは、ほんのひと言程度どまり。 そうじゃなくっても、うちは一族は「・・・・」だらけで何考えてるか分からん一族だってのに(作者が意図的に「内緒」にしてるって事ですが)、サスケの場合は極端。 だから読者でさえ、サスケの本心は「表面的な言動」から推し量るしかなかったんです。
このあたりに、岸本先生の巧妙な「読者体験型仕込み」を感じるんですが、私なんか見事にハメられてしまいました(苦笑)・・ 八尾戦直後、サスケが雲隠れの連絡トカゲを刺してしまった頃「サスケは闇落ちした」と考えていて、その「カン違い」はダンゾウ戦終了直後ぐらいまで続いてました。 あの頃に書いた雑考を読むと恥ずかしいってばよ・・ いかに「言葉抜き」の表面的な言動だけで他人の心(感情)を読み取ることが難しいか・・「サスケ」の例で体感させられました。
しかし、ナルトとサスケ…お互いの心の声を見ると 2人の間にはずいぶんと「時」が流れていたのを感します。 お互い「ライバル」の状況をチェックしつつ、時が空けた「穴」を埋めようとしてるのを感じるし、強烈な「闘志」、ライバル意識も「再燃」しているのを感じます。 お互いを認めつつも、素直には認められないんだろうなぁ。
・「闘志」むき出しといえば・・
(キバ) 「第八班も行くぞコラ!! 七班なんかに負けねエ!!」
「ナルト!! これがてめーだけの術だと思うなよ!!」 (影分身の術!!)
(ナルト) 「!」 「たった一人増えただけじゃねーか!昔のオレのほうがまだ…」
(キバ) 「頭一つ増えただけで普段の3倍の力だってんだ 見てろ!!」
キバの無邪気な「ライバル意識」・・「七班なんかに負けねェ」とか、「見てろ!」とか、闘志を向ける先が「敵」ではなくって「仲間」なんです。 当然「倒す」のが目的ではなく「お互いに高め合い認めてもらうための」闘志であり、つまり「戦い」じゃなくって「闘い」。 こういうのこそ本当の「たたかい(闘い)」であることを、キバ達も実感しつつあるんじゃないだろうか。
《犬塚流人獣混合変化「参頭狼」、尾追い「牙牙転牙(ががてんが)」》 (長っ)
3頭牙3つで牙牙転牙・・成長したな、キバ。 そして、もちろん赤丸も!
・「赤丸」といえば・・
もし赤丸が喋れるようになったら、かわいいイメージとは違う「意外なキャラ」だったりして・・でも赤丸って、前から冷静な判断力を持った「知性派」ですよね(ワン!しか言わないけど・・)、キバにはいい相棒。 で、キバが赤丸の言葉を「理解できる」のは、7年以上行動を共にして“心の声を“感じる”ことが出来るからじゃないだろうか、ワンとかクぅ~ンという声だけでも、たとえ交わせる言葉は少なくっても、心が通じ合ってしまう。
・「交わす言葉は少なくても」と言えば・・
「ナルトには不思議な力があるんですよ」
「あいつは交わす言葉は少なくても 誰とでもすぐ友達になってしまう…」
ナルトの“不思議な力”について、カカシがこんな事を言った事があります(風影奪還任務中、チヨばあに)。
ナルトが“なぜか”誰とでも(敵味方関係なく)友達になれちゃうのは、相手の心の声を感じ取ろうとし「心(感情)」を優先するからだと思うんです。 で、その不思議な力の源、「不思議」の正体こそやはり《心、感情》だと思うのです。
《お前の気持ちは…なんでかなぁ… 痛いほど分かるんだってばよ…》
かつてナルトが涙を流しながら、我愛羅に言ったあの言葉(16巻)・・
あの《なんでかなぁ》も、不思議の為せる業だと思うんです。 理屈抜きに《なんでか》分かってしまう、それがアタマよりも先に“心(感情)”が動くからなんだと思うのです。 忍世界では「意識的に忘れられてきたモノ」だからこそ“不思議扱い”されちゃうけど、正体は「心(感情)」なんじゃないだろうか。
(キバとナルトの間にある「似た者同士」の友情は、「獣と一緒に居て、心を通い合わせている」共通点にもよるんじゃないかと… だからキバは比較的、他の忍達よりは「尾獣と人間」の関係、尾獣の心を理解できる立場にあるんじゃないかとも思うんですよね・・)。
で、先週の雑考では 十尾と「理解し合う」ためには“言葉”が要るんじゃないか等々書いたのですが、もし十尾がこのまま「グォオオ~」しか言わなかった場合でも、「言葉抜き」で心で理解し合う事も可能じゃないか・・と思い始めました。 まずは「心」が優先でもいいんじゃないか、と・・
・言葉なしでの「理解」といえば…もうひとり、
蟲使いのシノ、彼もプロフェッショナル。
(シノ、十尾の分裂体を軽くたたく)
「!?」 (十尾の分裂体)
《寄大蟲「虫食い」!!!》
最近ニュースで見た、重症熱性血小板減少症候群を引き起こすマダニを連想しちゃって恐くなりましたけど・・「自然」である十尾に蟲食いとか毒は天敵のようなものかもしれないですねぇ。 それに、シノに「トン」と軽く拳を押し付けられた分裂体が(え?軽いパンチだけど何?)みたいに「!?」反応していて、表情が豊かなんですよね・・たとえ「人間語」は喋らなくても、十尾の感情(心)がしっかり伝わってきますが、でも「ギィイイ~」の悲鳴があまりにリアルで正直、気の毒になってしまった・・・
・そして、ヒナタが思い出す「ありがとう」
615話でナルトが「ヒナタ…ありがとう」と言った時、描かれていたのは「繋がれた手」だけで「ナルトの表情」までは分からなかったんです。
いやぁ、あんないい顔でニコッと笑ってたんだなぁナルト(と、今回ヒナタの回想で判明)。
「ありがとう」っていう時は、やっぱり誰でもいい表情をしてるもんなんだな・・そしてとっても「温かい目」をしてる。 これ、すごく大切なことだと思うのです。 その「逆」もアリだし・・
(私は…ナルトくんの横にずっといたいんだもの!!)
「今度はこれのまま八卦六十四掌までいきます!!」
「これ」ってのはペイン戦でも使っていた柔歩双獅拳ですが、前にガイ班が「今の己を超える」戦いをしたのを思い出しちゃいます(風影奪還任務で)。 あの時みたいに同期達は己と闘い、そしてライバルと競い「闘う」・・・一方で十尾に対しては倒すための「戦い」しかしてない訳で、こっちはまだまだ課題アリと思えるのです。
ヒナタにひっくり返された十尾分裂体が、震えながら「!!」となってますけど、何を感じてるんだろう・・・なんだか「ヒナタ」を意識してるような?(笑)
いや、ネジの死後、《ナルトの頬っぺたを叩いたヒナタ》をオビトがジッと見ていましたが、あの時はまだ「オビトとリンクしていた十尾」も一緒にヒナタに何かを感じていたんじゃないか・・とも思えたんです。
自分としては「グルグル」は十尾の意識じゃないかと思っているので、リンという少女の死に心を痛め涙を流したのは「十尾」も同じだった・・と考えておるのですが、十尾はリンやヒナタのような『優しい少女』にだけは心をちょっと開いているんじゃないだろうか・・そのヒナタの「本気」を見て、かなり動揺したんじゃないのか?(想像しすぎか)。
言葉をほとんど言わないモノの心を知るのってホントに難しいし、特に十尾みたいに外見がキモくって(キモ可愛いとも言えるが)ギィ~とかグォ~しか言わない奴は「物体」扱いしちゃいがちです。 でも十尾にだって「ちゃんと感情(心)はある」わけで、そこんとこ、すごーく気になるんです。
先日も触れましたが、忍達にとって尾獣、「九喇嘛」ですらまだ「遠い存在」なんですよね・・ 一生懸命チャクラを練って分けてくれたのは九喇嘛なのに、忍達は「ナルト」にしか感謝していない。
《ありがとう》って感謝しようよ、九喇嘛にも!
だけど、九喇嘛は実体化してないから「目に見えない」し、九喇嘛の声も殆どの忍達は「聞いてない」。目に見えない存在、会話が出来ない存在を「認識」するのはメチャクチャ難しい(カカシが「九尾に礼を言っといてくれ」とナルトに言えたのは、実際に九喇嘛と「会話」をしてるからだと思うんですよね)。
だから、本来なら目に見えない(と思われる)十尾=自然エネルギーの存在は、なおさら・・日頃は「認識」されてないと思うんです。 こうして具現化していても「喋らない十尾」は物体扱い・・相手が《人間じゃないから=感情・心が無い》という思い込みがあるから「容赦なく戦えてしまう」んじゃないだろうか?
だけど十尾に近い存在ともいえる白ゼツ達は、こんな事を言ってましたよね…
「ボクらは人造人間…ちゃんと感情がある!!」
そして、
「そのおかげで君も飲まず食わずで生きてられるんだよ 逆にありがとうって感謝してほしいぐらいだよ」と(603話、リハビリで)。
人間達は自然の恩恵を受け「そのおかげで生きてられる」。 本来なら人間達には「逆にありがとうって感謝してほしいぐらい」なんじゃないだろうか。
なのに、人間は「感謝」するどころか、その力を戦いに使って殺戮や破壊を繰り返してきた。
自然の神「十尾」は、それに深い絶望と憎しみを持っているんじゃないだろうか・・・
603話「リハビリ」の白ゼツとグルグルによる《う○こ連発くだらない会話》には、“感情を持つ”植物クローンと“感情を無くした”忍では、どっちのほうが より「生きている」と言えるのか?というシリアスな問題が詰め込まれているのです。 そして、十尾と「分かり合う」為のヒントも、ここに在るんじゃないかとも思ってしまうのです。。
(その2へ続けます・・)
(ナルト好きブログ!2013/6/10)