ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 633:前へ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ28号) その2

NARUTO 633:前へ その2


(その1の続きです・・)
 
・そして、シカマルの「今は戦争中だ」・・
 
(いの) 「私たち第十班は猪鹿蝶のコンビネーションでいくよー!!」
 
(チョウジ) 「フォーメーションEだ!!」
 
(シカマル) 「中忍試験じゃあるまいし班で張り合うこたァねーだろうが 今は戦争中だぞ」 
 
実は614話の雑考で、シカクの「死」に涙をこらえて「今は戦争中だ」、「余計な言葉はいらねェ」と言ったシカマルに、「違和感アリ!」と文句書いちゃったんです。 「今は戦争中だ」って言葉・・これ「オトナ達」がよく言ってる言葉なんですよね。 ヒアシも言っていたし、ガイも同じような事(戦場では仲間が死ぬ!)を言っていたし、どの世代も“一人前の忍なら”言うような言葉、いや、言わなくちゃいけない言葉。 おそらく、上の世代から「戦争の度に」言い伝えられてきた言葉だと思うんです。
 
もちろん戦場で冷静さを保つことの「大切さ」は分かるんだけど、極端に言えば、そうやって言葉で自己洗脳し、感情を意識的に「鈍感化」させることは、忍達から「心(感情)を次第に奪ってしまう」事になるのではないか・・と気になったんです。 昔のナルトじゃあないけど、一人前の忍、「本物の忍になるってのは本当にそういう事なのかなぁ?」って。
 
シカマルはかつての「サスケ奪還任務の失敗」で、今度こそ自分がシッカリしなければと・・同期に対して“責任”を感じているかもしれないし、この戦争でも「作戦会議」に招集される大抜擢を受けたりして、さらに「重い責任」を感じているんじゃないかと思うのです。 一生懸命「今は戦争だ」って自分に言い聞かせてきたのも、仲間を想えばこそ・・もう『逃げ腰にならないために』強くあろうと頑張って感情をコントロールしていたように見えたんです。 
だけど、それだけが本当の「成長」だろうか・・そこまでして「感情(心)」を抑えてしまったら、いずれ今までの忍と同じ・・「心が無い忍」になっちゃうんじゃないかと・・シカマルを見て「モヤモヤ」気になってたんです。
今度もまた「今は戦争中だぞ」なんて言ってはいるけど、でも、何だかちょっと前とは「違う」・・取ってつけたような一言になっている。 ホントは、ホントは、今まで無理して「頑張ってた」んだな、シカマル…
 
《いのが敵を感知しながら3人を繋げ(「感知伝々」)、倍化の術で巨大化したチョウジをシカマルが「影掴みの術」でヨーヨーのように操る「肉弾用々」》・・・第十班のフォーメーションE。
 
さらに倍化していける?というチョウジの問いに、
 
「ああまだ軽いほうだし それにこれじゃ見せ場にゃちょいと足りてねーしな」 (シカマル)
 
み、見せ場??
 
「なによー張り合う気満々じゃない!」といういののツッコミ通り、シカマルもちゃんと乗ってるじゃないか(笑) 正直《ホッ》としました・・ これでやっと614話で感じた「モヤモヤ」が吹っ飛んだというか、これでこそ、「 “けど”サスケは同じ木ノ葉隠れの忍だ 仲間だ! だから命懸けで助ける これが木ノ葉流だ」と言ったシカマル。 そして「オレが小隊長として出来たことといやぁ みんなを“信じることだけ”だった」と言ったシカマルだと!
 
サスケを「受けいれちゃならねェ」ってアタマの声を押しのけて、「何事も無かったように自然と昔に戻りたくなる」心の声をとりあえず優先しちゃっても・・いいじゃないか! 掟(法)なんかよりも、もっと「大切なモノ」があるってことを、シカマルも感じてると思うのです。 サスケをこのまま受け入れて一緒に「闘う」のは筋が通らなくっても・・「何が色々あったか知らねーが」それでも「信じてしまえる」、それが仲間、そして「感情=心」の力ってモンじゃないだろうか。
 
シカマルとかカカシとか、理性派は特に頑張って己をコントロールしようとするから(出来ちゃうし)、なかなか「枠越え」が出来ない。 だから、あのシカマルも「堅い枠」を外せたことは、「大きな一歩」だと思えるんです。 サスケの「帰還」は、思わぬ効果を同期達にもたらしたというか・・いい起爆剤になったんじゃないだろうか。
 
“一人前の忍”になった彼らが一歩大きく「前へ」踏み出した結果は、意外にも「少年時代の頃の気持ちに戻ること」だった・・・それだって大切な事だと思うんです。 「色々あったけど」皆で一緒に笑って泣いて、一緒に悔しがって競い合ったあの頃・・全ての始まりにこそ「本質」があると信じる事・・それが「本末転倒」にならないための、本当の意味での「前へ」なのかもしれない。
 
「柱間とマダラ」も・・「カカシとオビト」も・・そしてオビトの「同期達」も。
子供の頃の、あるいは中忍試験の頃の気持ちに戻って、「繋がり」を確かめてくれるんじゃないだろうか・・
 
 
・そして「枠を超えてきた」忍といえば・・
 
 
分かりやすい例でもあるのが「サイ」だと思うんです。 サイが登場してから、NARUTO時間でどのぐらい経ったんだろう、1年ぐらいなのかな・・。
 
初登場時のサイといえば、全く無表情で「“根”には名前は無い 感情は無い 過去は無い 未来は無い あるいのは任務」をそのまま体現したような忍で、「何も無い」状態でしたよね。 
でも、今では「皆に認められた」サイという名前もあるし、泣いて笑って怒って・・感情もしっかり取戻し、兄さんとの大切な過去もちゃんと取戻したし、「第七班の一員として歩む」未来もある。 
サイ本人も、そして「受け入れる側」の周囲も苦労はしたけれど、仲間と触れ合う中で1つ1つ、着実に彼は「全て」を取り戻していったんですよね。 サイのこの1年(ぐらい)は、忍達が「心を取り戻す」過程をお手本のように見せてくれたようなものでした。 でも・・
 
「ボクも一応第七班なんですけどね」ってサイの言葉に、再び心がキュンとなる・・・切ないような、嬉しいような。
 
51巻で鉄の国に来た時のサイも「ボクは第七班の一人だから」と言っていて、一生懸命に「第七班の絆」を大切にしてるのが伝わってきたんです。 だけど、ナルト達にとって「第七班」といえば「カカシ、ナルト、サスケ、サクラ」のフォーマンセルであって、サイが加わった時の呼称は第七班ではなくって「カカシ班」・・・ヤマト、ナルト、サイ、サクラのフォーマンセルなんです。 厳密には、サイが所属するのは「カカシ班」…第七班とは「別」。 
ナルト達が「旧第七班」にこだわっていたのは、「サスケがいつ帰ってきてもいいように」昔の第七班をサスケが欠員のまま保存する事にこだわっていたからじゃないか・・とも思うんですが、だけど、サイの《ボクも第七班》の言葉を聞く度にちょっと切なくなるのです。  
 
でもサイの良き理解者であるカカシは、「お前はオレ達“カカシ第七班”の一員でもある」と上手いことを言ってあげていて、これがサイにとっては「すっごく嬉しかった」みたいなんですよね(49巻・・・ちなみにサイの「元暗部カカシへの尊敬」は半端ない)。 この際、カカシ班だろうと第七班だろうと同じ班のメンバーであることに変わりないんだから全部《第七班》でもいいんじゃないかとも思うんですがね・・「サイ」の存在が「第七班」をより外の仲間と繋げ、さらに「大きな繋がり」の世界へと導いてるのも確かです。
 
こうやって「小さな、だけど確かなつながり」が鎖のように繋がっていって、いずれは「大きな繋がり」となる・・・(いい意味での「鎖」)。 大きな繋がりを確かにするモノは、個々の小さな「確かな繋がり」なんじゃないだろうか。
 
 
・どんどん増える「十尾分裂体」ですが。
 
叩くほど増えていく十尾の分裂体、なんだか「叩くから」増えてるんじゃないの?と思うぐらいなんですが、、正直今の状況では「キリが無い」。  前へ進んで本体に行きついても、このまま叩き続けるのでは根本的な『解決』になるとも思えない・・・なにせ、相手は「自然」なのだから。
 
 
・そしてついに…
 
 
(サスケ) 「なぎ払い…すり抜ける 何の造作もない」
 
(ナルト) 「一気にジャンプして 攻撃もはじく力もあんぜ コイツぁ!」
 
(サクラ) 「皆が深手を負っても常に側にいて回復してあげられる 今の私なら…!」
 
《口寄せの術!!》
 
 
来ましたか―-、ついに「新三忍による、口寄せ!」。
 
(?代目)マンダ、ガマ吉、蛞蝓・・・
 
(あまりの貫録に蝦蟇ブン太と見間違えたけどご指摘うけ訂正。ガマ吉すっかりオトナになりましたねぇ・・ 蛞蝓もちがう蛞蝓?)
 
いつか、いつかは「この日」が来ると期待してたのですが、これが「いつかこの日」を期待させる「原因」となった、631話雑考等でも触れた「例の第1巻第4話の扉絵」の模写です↓
 
イメージ 1
 

あれから十数年(読者時間)、約5年(NARUTO時間)・・遂にこの夢が「実現」しましたな・・(感無量)。
やはり、夢は「現実で実現させるもの」。
 
サクラも蛞蝓と口寄せ契約を結んでいたんですね。 ただ、これだけ巨大な蛞蝓を口寄せするには莫大なチャクラが要るはずなので、そのためにもサクラは3年チャクラを溜める必要があったのかもしれません。 大蛇丸はもしかしたらマンダの中に入って移動するつもりだったのかとも思ったんですが、違ったのかな・・
 
そして彼ら口寄せ動物達の「同窓会」も、三忍による「三竦みの戦い」(19巻)以来ですが、今回はちょっと違う…蛞蝓も違う蛞蝓なら、彼らも新三匹? 彼等は「戦う」んじゃなくって、「横に並んで」あるいは「背中合わせの共闘」になりそうです。 仙山の口寄せ達も、平和に「和解」の時が来るのかな…。
 
こうなってくると、ますます“旧三忍”のほうも勢揃いして 子供の頃の気持ちに帰って和解してほしい・・とも思ってしまうのです。 綱手だけじゃなく、自来也にも是非「今のオロちゃん」を見せてあげたい(なんて書くと反発もされちゃいそうですが)・・もっとも自来也の「生死」はいまだ「不明」。 小南は生きてる可能性が64巻で「かなり高まったと思っていますが、あとはシカク達も・・そしてシスイも「不明」。 「死んだ」と断定されていない人物は「最後までわからない」として・・ま、これは「お楽しみ」。
 
物語としては、そろそろマダラも柱間に腑を見せていい頃だし、オビトも《そろそろ》本当の目的と「本心」、まだ語っていない「重要な過去」をカカシに見せる頃だと思っているんですがね・・
なので、ここからは《忍達全員と獣達》が理解し合っていく時ではないかと思うんです。 私としては、十尾(自然)と「尾獣達」の行く末が気になって仕方ない・・・
 
“冷たい目”に孤独と絶望を感じ、憎しみを覚えるのは人間だけじゃない。
そして、“ありがとう”という時の、人の目ってのはとっても、とっても温かいから・・(ヒナタに「ありがとう」と言った時のナルトみたいに)、「心で通じる」と思うのです。
 
だから、忍達は「尾獣達」に、そしていつか十尾にも言ってあげて欲しいのです・・
 
 
《ありがとう》 
 
って・・
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
 
 
(2013/6/10  ナルト好きブログ!)
 
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「表示」までに、多少時間がかかります(「見えなくても」投稿は出来てます)。
皆さんにも気分よく見ていただくために、「コメント承認制」を試行しているためです。ご了解くださいm(__)m