ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 684:殺しておくべきだ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ33号) その1

NARUTO 684:殺しておくべきだ (1)

 
「…やっぱりそうだ… …この人…」
 
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「もう… 助からないんだ だから死ぬ気で…」
 
本当は今週号、「ナルトの多重影分身」の絵が圧巻だったんですが、とてもじゃないけど模写できないので、こっちの絵で(笑)  
…というよりも、実はこのサクラの表情がとても印象に残ったのです。真剣な彼女の「受け止め、受け入れ、決意する」表情が。 (サクラのことは、このあと書きます)。
 
功を奏したナルトの「基本に立ち返る」作戦…今週は色々な面で「基本に立ち返る」がありましたが、「ナルトらしい作戦」は今週も全開で、かつての中忍試験ネジ戦や我愛羅戦、君麻呂戦を思い出しました(懐かしい!)。強くなって「夢のような力」を手にしたナルトだけど、基本に立ち返った闘い方のほうが、なぜか見てて気持ちがいいんですよね。 少し前、カカシがこの「第七班揃っての闘い」を「鈴取り合戦」に喩えていましたが、なんだかそれがよく分かるような闘いになってきたなぁ…と思います。 全ては基本…「忍者になったあの時」に立ち返っていってる…そんな事を実感させてくれた今週の内容でした。 
 
 その「基本に立ち返った」見事なナルト(達)のチームワーク、そしてカグヤの空間の秘密…と見どころ満載の今週ですが、その中でいくつか「気になる画」「気になるセリフ」がありました。 それらは目立たないっちゃ目立たない「なにげに地味な部分」なんですが、なぜかじわ~っと心に残ったんです。 その心に残った「2つの対になる画」「対になるセリフ」…これを中心に、自分なりに感じた事を書き連ねていきたいと思っています。 まずは…
 
 
・気になる2つの画 ① (サクラの2つの画)
 
1つは、冒頭に載せた模写の「サクラの表情」…そしてその1つ前のコマのサクラの表情なんです。
 
最初の《やっぱりそうだ…この人》のサクラの表情は、少々同情するように(あるいは心配そうに)オビトを見ていて、その次のコマで真剣な表情に変わるのですが、その変化にサクラの内面で「決意」が少しずつ確実になっていくのを感じるんです。 そして「忍達の歴史」の1つである「サクラの物語」も、いよいよクライマックスに近づいているんだろうか…と感じます。
 
 そもそも、このカグヤ空間戦場に『サクラが来ちゃった』のは、「偶々ナルトの傍にいたから」ですよね。「巻き込まれてしまった」のは事実… 
 そしてここに居る忍達の中で、サクラだけが《普通の忍》に近いと言いますか…(もちろん『百豪』なんて使える時点で全然フツーレベルじゃないのですが)、少なくともこのメンバーの中では感覚的に「普通」に近い。 もはやナルトとサスケは「別格」だし、オビトとカカシも「胆が据わってる」点では別格…迫る死を自覚しているオビトはもちろん、カカシも「死ぬ覚悟」をサラッと本気で言えるし、強敵を前にしても動じたり怖じ気ついたりしない。 いくら「第七班の一員」とはいえ、このメンバーの中に混ざってしまったサクラ…一人だけ「普通の子」が混ざってる感じもする。
 
 サクラは、六道マダラを見て、いつ殺されるか分からないから《あまりの恐怖で息をするのも忘れてた》と言ってたし、カグヤが横を通り過ぎた時も恐怖で体が硬直していた。 今週カグヤが「スッ」とサクラ達のほうを見た時も「……」《ゴクッ》と緊張を隠せなかった…  だけど、それって当たり前な自然な反応とも言えますよね、「死の覚悟」とサラッと言えちゃうカカシのほうが「特別」なんだと思います。 サクラは「優秀すぎるぐらい優秀な忍」だけど、それでもバケモノレベルの敵には震えるし、好きな人を前にすれば「女の子」に戻っちゃう…こんな場に於いても「普通の女の子」である事を忘れてないサクラに、なぜかホッとします。
 
 第七班主要人物でありながら「ナルトとサスケ」に較べると出番も少ないサクラだけど、「サクラの物語」はゆっくりじっくり丁寧に紡がれてきているのを感じます。「ナルトとサスケの物語」のような激しいアップダウンはないけれど、第1巻から緩やか~な線を描きながら「サクラの物語」は《サスケ》を中心にしっかりと進んできてる。
  どうやったら「サスケくんに認めてもらえるか」に始まり、どうやって「ナルトと一緒にサスケを助けられるか」考え、サスケを想うなら「どうしたらいいか」迷い、どうやったらサスケを「信じられるか」に悩みながら… 戦争が始まってからもサスケの言動にサクラは一喜一憂し、大きく心がかき乱される。
 
 第1巻の第七班の自己紹介の時に「立ち返って」みても、サクラは「サスケのことばっかり」で、カカシに《この年頃の女の子は忍術より恋愛だな》なんて思われていましたっけ。 今はその想いも「別の形」になってきたとはいうものの、それでも《サスケのことでいっぱい》なのに変わりはないと思うし、で…それはちっとも悪い事とも思いませぬ。  戦争中で、目の前の敵に集中しなくちゃいけない今でも「どこにいるかも分からないサスケ」を想う…それはサクラの「いいところ」でもあると思いますから。
 
 サクラは本来「優等生タイプ」だけど、最初の闘いがあった波の国の橋で、いきなり『忍の心得』を破って泣いてしまった…《サスケを想い、涙を流して》。
 
 この前、ナルトも「あの橋」の話をしていましたが(サスケが「本当は無意識に仲間を守ってしまう奴」って話)、あの闘いで既に彼らの「忍としての方向性」がしっかりと示されていたんだなぁ…とつくづく思います。
ナルトは「敵の本心を引きずり出し仲良くなってしまう」…サスケは「仲間を絶対に守ろうとする」…サクラは戦いの場でも「心」を大切にし、優しさを忘れない…それは今も変わってない。 サクラの「相手のことを想える優しさ」…それは彼女の大切な宝じゃないかと私は感じています。
 
 とはいっても、サクラだってはじめの頃は「人の心を理解する」事は苦手だったんですよね。 でも次第に「ナルトとサスケのことを全然分かってなかった」事に気付き、戸惑い、反省し、悩み…途中で「失敗」もしながらここまできた。遠回りもしたけれど、サクラは「ナルトとサスケ」とちゃんと向き合い、彼らの心を知ろうと真剣だった…それが出来たのも、彼女の「相手の心を想う優しさ」があったからだと思っています。
 
 その優しさは「仲間」だけではなく「オビト」に対する態度にも表れてると思うんです。 「敵だった」オビトに対しても「ありがとう」を言いたい気持ちが「許せない気持ち」を上回り、次第に「自分が見て感じたこと」に素直になっていく…
《敵だから、アリガトウを言っちゃいけない》とか、《敵を信用しちゃいけない》とか、そういった忍世界の「常識」を優等生のサクラが破った… 波の国で「忍は涙を見せてはいけない」という掟を破った時のサクラを思い出します。 医療忍者の彼女ならではというのもあるでしょうか…死を前にしたオビトを切ない表情で見つめ、そして、その覚悟を受けとり自分自身の覚悟も新たにするように《キリっ》とした顔をした… 
 
 サクラがずっとチャクラを溜めてきたのも、本当は《サスケを救いたい》想いからだったハズ… ナルトやサスケ達のように「世界を救う」なんてヒーロー風の目的じゃなくっても、「サスケを助けたい」という想い…それで十分立派じゃないかと思うし、サクラの「今までの物語」はこの時のためにあったんじゃないかと思ってしまいます。 
 
 鈴取り合戦の時には、カカシに《どこに居るかもわからないサスケのことばかり》と注意されたサクラだったけど、今度も結局は「サスケ探し」になっちゃったかな…。 だけど、今回は前とは違う。ただただ追いかけてるだけじゃないし、サクラ一人で突っ走ってる訳でもない…「チームワーク」で鈴(サスケ)を取りに(助けに)行く。
  
「ナルト… そしてサクラと言ったな オレの体に触れておけ… いつでも別空間へ飛べる様に」というオビトの指示に「ハイ」と答えたサクラ。 
先週、同じようにサクラがオビトの指示に「ハイとちゃんと返事していた件にも「サクラの決意」を感じるとか書きましたが、今回の、
 
さらに迷いのない「ハイ」には「…」も無い!
 
 
 
・気になる2つの画 ② (オビトを真ん中に繋がったナルトとサクラ)
 
もう1つの印象に残った『2つの画』というのが、このサクラの「ハイ」の画なんです。
 
《サクラと分身ナルトがオビトに近寄り、オビトの肩に「スッ」と手を置く絵》と、少しあとの《分身ナルトが「オレ達のこと…バレてるな… やっぱ…」と言っている3人の後姿の絵》。
 前方の《やや上から3人を見下ろす》画と、後方の《やや下から見上げる》画という「前後上下両側」から描かれた3人組(3人って…カカシを無視しているようでゴメンなさい←カカシのことは「その2」で触れます)。
 
 オビトの言葉に応えてスッと後方から歩み寄り、「オビトの肩にそっと手を置く」…そして同じ方向を見上げている3人の画は、後ろから見ると仲良しの「先輩と後輩」にしか見えない。ついさっきまで「敵同士」だったとはとても思えない…
 
 もちろん、作戦上必要があって手を置いた「だけ」とも言えるけど、本当に「それだけ」とは思えないんです。 ナルトとサクラが「先週のオビトの言葉」(せめて前を歩かせて死なせてくれという言葉)を聞いてオビトの想いをしっかりと「受け止めてあげた」ように見えるんです。
 オビトだって「忍世界に翻弄された者」の一人、そして忍世界の闇を多く知って見てきた者…ナルトとはまた全然違う経験をし、違う道を見てきた「先輩」の一人であるのも確かです。そしてナルトはそれをしっかりと受け止めたようにも見えるんです。 長門から学び、想いを託され受け取った時のように… 
 
以前、いのが真ん中になって「チョウジとシカマル」を繋いでいる絵がありましたが↓
 
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今回は、オビトを真ん中にして「ナルトとサクラ」が繋がってる。
 
 
 オビトの「最後の願い、想い」を受け取るように、手をそっと差し出したナルトとサクラ…その手の温もりを、オビトはそっと感じたんじゃないだろうか。人の手の温もりは久々だっただろうから…。
 
 そして…先週の感想でも「敵を許すべきではない」というご意見をいくつか頂戴しましたが、それでも「この画」を見ていると心が温まるんです。 風景は冷たい雪が降り積もる『氷の世界』だけど、死にゆくオビトの肩にそっと手を添えたナルトとサクラの後ろ姿は優しく温かく感じられ、人間は「分かり合える」んだって思わせてくれるんです。  敵を許し心を繋ぐなんて難しい問題ですが、3人は今「サスケを助けたい」という想いでつながっている…。
 
 敵と分かり合う…それは「ナルト達とオビト」だけに限った問題ではなく、ほんの「2日前」まで忍連合だって一触即発状態でした。 我愛羅の演説前まではあっちこっちで小競り合いしていたし、『仲間や家族を他里に殺された恨みや憎しみ』はそう簡単に消せるはずはなかったんですよね。 
 だけど「敵同士」だった彼らは、我愛羅の演説《同じ痛みを知る者同士》を聞いて心が繋がった… あの当時は、そんな簡単に「繋がる」ことが出来るのかとも正直思ったけど、でも…案外と忍ってのは《本当は忍世界に翻弄された者同士》だって分かっていて、本当の敵は「戦争の相手」ではなく「戦いを生み出す世界の在り方」だってことに、気付いていたんじゃないだろうか…気付かないふりをしていただけで。
 
それでよく思うのは、あのコテコテの古い忍タイプだった「砂隠れのチヨばあ」… 
彼女は、息子の仇である「はたけサクモ」とカカシを間違えて襲いかかった事がありましたが(28巻)、カカシが「サクモの息子」と分かった途端、急に憎しみを引っ込めたんですよね。そしてその後、カカシに個人的な恨みは全く見せなかった…。 サクモに息子を殺されたんだから、サクモの息子を殺すという「目には目を」をやってもいいはずなのに、チヨは恨みを「次世代」に持ち越さなかった…長く生きた分、恨むべきなのは個人ではなく「忍の世」だとチヨは分かっていたのかなぁ…なんて思ったんです。 多くの悲しみを経験してきた忍達は「本当は分かっている」んじゃないだろうか…そしてまだ若いナルト達も気付き始めてるんじゃないかと思います…本当は「同じ想い」で繋がれることを。
   
 そして「サスケを助ける」想いで繋がった彼ら…オビトを真ん中にして繋がっている「ナルトとサクラ」の画は、ナルトとサクラが《オビトの意志》を介して繋がった《チームワーク》の画にも見えるんです。 
《仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ》…鈴取り合戦の日、カカシがナルト達に贈った「親友(オビト)の言葉」… あれ以来、第七班はずっとチームワークとそれを象徴する「オビトの言葉(意志)」を「基本」としてきたわけですが、サスケを助けにいく「今」も、あの時のオビトの言葉がナルトとサクラを繋いでいるんだと思います。
 
  鈴取り合戦のあの時は、カカシはオビトの言葉を「死んだ親友の言葉」として伝えるしかなかった。だけど、その死んだはずのオビト本人が、こうやってナルトとサクラを引っ張って一緒に「仲間を助けに行こうとしてくれてる」…
 
 カカシには、この光景はまるでひと時の「夢」のように見えているんじゃないだろうか。 第七班ラストの闘いを「鈴取り合戦」に喩えていたカカシ…後ろから見守りながら、どんな思いでいるんだろうな…。 
 
 
 
 
 
 
(すみません、その2で「カグヤVSナルト」と作戦のこと、カグヤの空間、そして気になった「2つのセリフ」について書くつもりです。また長くなってごめんなさい)。